第27話 世界を捨てたふたり

「……以上、現状での報告となります」


 ベアダ軍の前線である野営地のテントの中で、男は部下の報告を聞いていた。


 小一時間ほど前、突然の夜襲に見舞われた。

 エステバル軍の襲撃かと陣内に緊張が走ったが、どうやらそうでもないらしい。撃退してみたところ、装備の貧弱さからして相手は単なる盗賊の輩だったようだ。


「例の砦を落としたとか言う『アガルトの夜明け』である可能性もありますが……」


 部下が見解を述べるも、苦笑する様子から本人もその線は薄いと感じているのだろう。

 男も同意見だった。


 難攻不落の砦を落とし、エステバルの侵略を手助けしたという『アガルトの夜明け』の噂は、ベアダの兵士なら誰もが耳にしている。


 そもそも砦を落とす以前から、連中には手を焼いていた。

 アガルトに侵略してから十数年、幾度にかけて移民させたベアダ国民を、彼らには村ごと皆殺しにされている。しかもその動きは神出鬼没で、ほとんど手がかりらしいものを残さない。


 そしてなにより村を守る傭兵や兵士たちを鮮やかに屠り去る暗殺者の手腕は、ベアダの騎士たちも『アガルトの亡霊』と呼び恐れるほどであった。


 その『アガルトの夜明け』がエステバルの侵攻を手助けするのは、ベアダにとって頭の痛い懸案のひとつだった。

 もし、今夜蹴散らした相手が噂の『アガルトの夜明け』であれば、これほどベアダにとって士気を高めるニュースもないのだが……。


「そうだな。例の連中にしてはあまりに稚拙すぎる」


 報告によれば、敵の暗殺者は幼い少女だと言う。


 どうやって近付いたのかは分からない。

 見張りが言うには、いつの間にか後ろに居たのだそうだ。


 そこまでは見事と言える。


 が、気配に気付いて見張りが振り返ってみると、少女はナイフを地面に落とし、四つん這いになって吐いていた。

 見張りは驚いて仲間を呼び、少女を拘束。さらに少女の救いを求める視線の先に、奇襲を目論む連中が草むらに身を潜めているのを発見し、深夜の追撃戦が始まった。


「おそらくは連中の噂を聞いたならず者たちが、自分たちも出来ると錯覚したのだろうな」


 男は軽口を叩くも、その表情は決して明るくはない。

 何故なら『アガルトの夜明け』が活躍すればするほど、このような事案は今後増えていくと予想できるからだ。


 さほど脅威ではないにしても、余計な敵が増すのは望ましくない。

 エステバル軍との戦いが最優先なのは間違いないが、『アガルトの夜明け』もこのまま野放しにするわけにもいかなかった。


「ともかくご苦労であった。見張りを残して、兵たちには休むように通達してくれ」


 ただ、今は思わぬ襲撃で疲れた部下達を休ませるのが先決だ。


「打ち損じた輩の追跡はしなくてよろしいのですか?」


「構わぬ。先ほどの報告では、敵はほぼ壊滅したのであろう? ならば、これ以上追撃しても兵を疲弊させるだけだ」


「しかし、例の暗殺者である小娘まで逃しては、今後の脅威にはなりませんでしょうか?」


 見張りの話では奇襲が失敗した連中を撃退する際に、斥候の少女に逃げられぬよう、足の腱を切ったと言う。


 しかし、騒ぎが一段落して戻ってみると、そこに少女の姿はなかった。


 慌てて血の跡を辿ってみたが、行き着いた先には何故か別の男が息絶えて倒れているだけで、少女はついぞ発見出来なかったそうだ。


 最終的には失敗したものの、見張りに悟られることなく背後へと近付いた少女を逃したのを脅威と感じるのは至極当然であろう。


「いや、問題ない」


 ただし、司令官を務める男の考えは違った。


「いくら気配を殺して標的に近付けたとしても、命を奪えぬ暗殺者など何の役にも立たぬからな。娘はおそらく暗殺者として訓練されたのであろうが、最後の一線を越えることは出来なかった」


 そう語る男は憐れむように眼をかすかに細めた。


「彼らの世界はな、普通の人間の世界とは逆なのだよ。心の壊れた者がおもちゃとして手元に残され、壊れてない者はあっさりと捨てられる。その命ごと、な」


 男は貴族の出身ではなく、まさに現場の叩き上げで今の地位を手に入れた人物だった。今に至るまでに様々な世界をその瞳で覗き込んできたのだろうことは、想像に難くない。


 故に男の言葉は正しい。が、男は知らなかった。

 

 心を壊された青年の勇気を。

 心を壊せなかった少女の強さを。

 世界がふたりを捨てたのではない。

 ふたりが世界を捨てたのだということを。

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