第25話 少女を追って
「こ、ここにはいないって……ど、どこに行ったんだ、ネコは!?」
驚いたイヌは右肩の傷が痛むのも構わず立ち上がって、マクスに問い詰めた。
「二日前に父さんが連れて行った。なんでも侵攻したエステバル軍が動きやすいよう、ベアダを攪乱させるつもりらしい」
「か、攪乱?」
「イヌは五日も寝たきりだったから知らないだろうけど、すでにエステバルの大軍がベアダに上陸して沿岸の町を落とし、その先に前線基地を築いたんだ。でも、ベアダもエステバルを撃退すべく、思ったよりも早く軍隊を集結し始めていてね。父さんたちはそんなベアダの不意を突くつもりなんだ」
マクスの話に青年は信じられないとばかりに頭を振った。
到底上手くいくとは思えない。
確かに強盗団はこれまでいくつもの村を殲滅させてきた。
今回だって砦を落としてもいる。
しかし、数名の傭兵が相手であったり、日常勤務の兵士の不意を突くのとは違い、今度の相手は攻めてきた敵を押し返そうとする軍隊なのだ。
当然敵襲への警戒も怠りないだろう。
たとえ攪乱するのが目的であったとしても、単なるならず者の集まりである強盗団には荷が重すぎるように思えた。
……いや、そんなことよりも!
「ど、どうしてそれにネコが!? あ、あいつが行っても何の役も」
「だってあの子が傷を負ったイヌの代わりに見張りたちを
「え?」
「あの子が父さんに言ったんだよ、見張りたちは全員自分が殺したって」
「な、なん……だって?」
青年は戸惑いを隠せなかった。
一体どういうことだろう? 実際にあったことと、少女の言い分は全く食い違っている。
「……ど、どうしてネコは、そんなことを……」
「それに父さんも気を良くしてね。攪乱が上手く行けば、イヌの傷に効く薬を買ってやるってあの子に約束したんだ」
「なっ!?」
「だからあの子は……って、イヌ、どこに行くんだい!?」
マクスの話を聞き終わるまでもなく、青年は慌てて部屋を走って出て行った。
足が地を蹴り上げる度に右肩に激痛が走ったが、そんなの構っている暇などない。
早く頭領たちに追いついて、少女の無茶を止めなくては。
少女に他人を殺すことは出来ない。
それは先の砦の件で明らかだ。
それでも少女は、青年に薬を与える為に嘘をついて、無謀な戦いに身を投じた。
青年のために、少女はまた自分の身を危険に晒そうとしているのだ。
(ネコ! やめるんだ!)
砦を出ると、運がいいことにちょうど馬が数頭繋がれていた。
そのほとんどがエステバル軍のものであったが、一頭だけ盗賊団の馬が残っていた。
もうかなり高齢な上に気難しい性格で、なかなか乗りこなすのが難しいヤツだ。
だけど長年世話をしてくれた青年には懐いていて、その姿を見ると嬉しそうに一鳴きした。
さらに右腕が使えないため騎乗が難しいと分かると、自らしゃがみ込んで青年をその背へと誘ってくれる。
「おい、お前! 一体どこへ行くつもりだ!」
そこへ砦の門番をしているエステバル兵士のひとりが慌てて引き止めてきた。
「と、止めないで。お、俺は行かなきゃいけないんだ!」
「行かなきゃいけないって、そんな酷い傷では無理に決まってるだろう! それに今、砦の出入りは厳しく取り締まられている。しかるべき許可がない限り、行かせるわけにはいかん!」
せっかく馬に乗ったというのに、兵士は青年を引き摺り下ろそうと近づいてくる。
「うわっ!」
だが、どうしても行きたいという青年の気持ちが伝わるのだろうか。
馬が突然後ろ足を蹴り上げて、兵士の接近を拒んだ。
「お、おい! 馬を大人しくさせろ!」
「い、イヤだ!」
青年の駄々っぷりに感応するかのごとく、馬がさらに体を激しく揺らす。
その度に右肩がズキンズキンと激しく痛んだが、青年は必死に堪えた。
ただ、この騒ぎに次々とエステバルの兵士たちが駆けつけてくる。このままではとても行かせてくれそうになかった。
「すみません、ちょっと、すみません」
しかし、このピンチをある人物が救ってくれることになる。
兵士たちの間を掻き分けて青年の前へと出てくる男、それは青年にとって盗賊団の中で唯一の味方であり、そして父親の命令で殺そうとした人物であった。
「イヌ。父さんたちはここから南にあるベアダの前線基地へと向かった」
「マ、マクス……」
「どうして君がそこまであの子に入れ込んでいるのかは分からない。だけどどうしても引き止めたいのなら急ぐんだ」
そしてマクスは、ベアダに奇襲をかける『アガルタの夜明け』に緊急の伝令をする為、青年を送り出すことをエステバル兵士たちに告げた。
兵士たちは青年の様子を見て誰もが訝しんだが、『アガルタの夜明け』の副長であるマクスの言葉には従うしかなく、ぞろぞろと皆、持ち場へと戻っていく。
「あ、ありがとう、マクス」
「イヌ、こんなことぐらいしか出来なくてゴメン。無事にあの子を引き止められるのを祈っているよ」
「う、うん。じ、じゃあ、行くよ」
「……さよならだね、イヌ」
「……マ、マクス、本当にこれまでありがとう」
青年はぐいっと顔をあげ、馬の脇腹を蹴った。
馬は気合の入った鳴き声をあげ、勢いよく走り始める。
南へ。
ひたすら南へ。
悲劇を食い止めるべく馬を走らせる青年の姿は、あっという間に見えなくなった。
「今のはあの青年か? あの傷で一体どこへ向かったのだ?」
青年が起こした騒ぎは砦の中にいても聞こえていたのだろう。
戦争が本格化する前にエステバル補給路確保の要である砦の守備体系を再度高めておこうと戻ってきていたダビドが、中から出てきた。
「実は……」
マクス自身もまだ事情が上手く飲み込めてはいなかったものの、青年が少女を引き止めるべく、ベアダの前線基地へと向かったことを話し始める。
が、マクスが話し始めてすぐに、ダビドの眉間に深い皺が寄った。
「なんだと! 君の父上はあの少女を当てにしていたのか!?」
「え? ええ。イヌが抜けた今、あの子がイヌの代わりを務めることになります」
「無茶だ! 少女に務まるわけがない」
「お言葉ですけど、負傷したイヌの代わりに砦の見張りたちを倒したのはあの子です。見た目はあんなのですが、その力は侮れないと思いますが?」
「少女が見張りたちを倒した? 誰がそんなことを言ったのだ?」
「あの子ですが?」
「……事情は知らないが、君たちはどうやらあの少女に騙されているようだ。私も見張りたちの死体を見たが、その多くは背後から喉もとを一薙ぎで倒している。しかも切り口はほぼ水平。もし少女が殺ったのなら、その背丈から切り口は下から上へと斜めになっているはずだ」
ダビドの言葉にマクスもようやく何故青年があそこまで躍起になって少女を引きとめようとするのかが分かった。
「おそらくあの少女は人を殺せん。そのような者が襲撃の初手を担っては、到底成功しないだろう」
そして奇襲に失敗した盗賊団は壊滅、少女もまたその場で斬り捨てられるか、厳しい拷問の末に殺されるに違いない。
「そ、そんな……」
呆然と立ち竦むマクス。
対してダビドはすぐに踵を返すと、近くにいた部下たちを数名呼び寄せて、慌ただしく再び砦の中に入っていく。
青年はただ、ひたすら馬を南へと走らせていた。
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