第六章 救う者、救われる者
第23話 赤い紙
「イ、イヌ!」
青年が意識を取り戻すと、何故か顔を覗きこんでいたマクスがひどく驚いた様子で目をぎょっとさせた。
「マ、マクス……?」
「や、やぁ、イヌ。……良かった、気が付いたんだね」
どこかバツが悪そうな笑みを浮かべるマクス。
ただ青年にはそんなマクスの表情よりも、気になることが沢山あった。
まず、ここはどこなのか?
まったく見知らぬ部屋だった。
いつもの洞穴や、木の根元、馬小屋の片隅なんかではない。質素ではあるがちゃんとしたレンガ作りの部屋だ。
しかも固いながらもベッドに寝かされていて、自分の体を見ると包帯まで巻かれている……かなり下手な巻き方ではあるけれど。
「……ほ、包帯? っつぅ!!」
どうして自分の体に包帯が巻かれてあるのだろうと青年が上体を起こした途端、右肩に激痛が走って思わず呻く。
でも、おかげで自分の身に何が起きたのか思いだした。
そうだ、あの砦で見張りの兵士に斬り付けられたのだ。
なんとか撃退したものの、もうその場から一歩も動けない状態になってしまった。そしてネコに頭領たちへの合図を頼んだ後、気を失ったのだ。
どうやらあれから頭領たちは砦の中へ攻め込んで、無事落とすことが出来たらしい。
ここはその砦の部屋のひとつなのだろう。
それにしてもてっきり自分は死ぬものだと思っていた。
受けた傷は深く、血が激しく流れ出ていたし、なにより頭領たちが治療してくれるとは思えなかった。どんな人間でも使えなくなったら打ち捨てられる。それが盗賊団の掟だ。
それがまさかベッドに寝かされて、まがりなりにも包帯を巻きつけられて介抱されているなんて……。
青年は緩い包帯を少しずらして傷口を確認した。
薬などを使われた様子はないが、確かに血は止まっていた。
「全部、あの子がやってくれたんだよ」
青年の戸惑いの理由に気が付いたのだろう。マクスが立ち上がりながら、青年の疑問への答えを口にした。
「あ、あの子?」
「ネコさ。あの子、ずっとイヌの看病をしてくれたんだよ。誰も助けてくれないから、ホンモノのネコみたいに傷口をぺろぺろと舐めてね。包帯だってあの子が巻いたんだけど、ははっ、最初はもっと酷かったんだよ? まるでミイラみたいだったもの」
「…………」
「ところでイヌ、お腹がすいてるだろう? なんせ五日間も眠っていたからね。よし、僕が何か作ってくるよ」
そう言ってマクスが部屋を出て行くも、青年は返事もしなかった。
彼の頭の中は、必死に自分を看病する少女の姿でいっぱいだったからだ。
きっとこの部屋へと運び、ベッドに寝かすことすら、誰も手伝ってくれなかっただろう。
意識を失った大人な自分を、あの小さな体の少女が運ぶ。とんでもない重労働だ。
しかも苦労してベッドに寝かしつけても、その後に何をすればいいかも分からなかったに違いない。
それでも助かって欲しいという一心で献身的な看病を続けてくれた結果、こうして青年はまだ命を繋ぎ止めることが出来た。
(助けられた……)
少女は確かに青年に懐いていた。
深手を負った青年の元へ駆けつけた時も、少女は相当に動揺していた。
そんな少女が青年を助けたいと願うのは、傍から見たら当たり前なのかもしれない。
でも、
(どうして俺なんかを……)
青年は違った。
青年は知っていたのだ。
少女に助けてもらう資格が自分にはないことを。
何故なら。
(俺は……俺が自由になる為に君を利用したのに……)
瞼が熱くなり、思わず天を仰ぐ青年の脳裏に、かつて頭領と親友によって交わされた約束が浮かび上がってくる。
砦を落とせたら、お前たちを自由にしてやる――
遠い昔、まだ青年が少年だった頃に、頭領が口にした約束。
それを信じて、青年とその親友は生きていた。
青年は自分が何者かを知らない。
否、自分はまだ何者でもないと思っている。
すべては自由を手に入れ、本当の人生が始まった時、ようやく自分はこれこれこういう者だって胸を張れるんだと青年は信じていた。
しかしあの時、親友があっさり命を落としたあの瞬間。
希望は死に絶えた。
それからも自分が生きる為に他人の命を奪い続けたが、青年はすでに死人も同然だった。
自由を手に入れられないのなら。
何者にもなれないのなら。
生きることに何の意味があるのだろう?
所詮自分は犬、人間に命令されてこき使われるだけの存在。そのまま犬のように死んでしまってもいいと思っていた。
そんな時。
青年は少女と出会った。
酷い出会いだった。
どうしてあの時、少女を地面に押し付け、その身体を奪うことが出来なかったのかは今でもよく分からない。
ただ、少女がかつての親友と同じものを持っていると分かった時、目の前に光が差し込んできたような気がした。
その光の先に辿り着く為に、青年は純粋無垢な少女を自分と同じ穢れた世界へと引きずり込もうと決めたのだ。
つつーと我慢できなくなった雫が頬を伝った。
涙なんて希望が失われたあの日に枯れ果てたと思っていた。
いや、事実ずっと失われていたのだ。
涙も。
感情も。
人間ではなく、盗賊団に飼われる家畜として、ずっと生きてきた。
それを再び少女が自分を人間に戻してくれた。
青年の目からとめどなく涙が溢れかえってきた。
嗚咽が漏れる。
「あ、あ、あああああああああああっっっ!」
人間に戻った青年は、もう堪えることなんて出来なかった。
ひとしきり泣いた後、青年はぼんやりと床を見つめながら考えていた。
自分のこと。
これからのこと。
そして少女のこと。
砦は無事落ちた。
頭領との約束により、自分はもう自由なはずだ。
だが、少女はどうなのだろうか?
青年は当初、自分が抜けた穴を少女が埋めればいいと思っていた。
少女に暗殺術を教え込んだのはもちろん砦を落とすのに必要というのもあったが、同時に自分の代わりを少女が出来るようにという意味合いもあったのだ。
砦を落とした後も、闇に忍んで相手を暗殺する力はきっと色々重宝することだろう。
だからちゃんと自分の代わりを用意することで、頭領が約束を反故にするという万が一を回避しようと考えた。
だけど今、青年は少女と一緒に盗賊団を抜けたいと考えていた。
頭領は許してくれるだろうか?
否、問題はそこではない。
許してくれなかったとしても、断固として少女を連れ出す覚悟が自分にはあるのかどうか、だ。
頭領が拳を振り上げるだけで心が押し潰され、震え上がってしまう体。
その呪縛から自らを解き放つことが出来るか。
逆らって吠え立てることが果たして自分に出来るかどうか……。
と、その時、床に赤い何かが落ちているのに青年は気付いた。
何故それがそこにあるのか。理由は分からない。
が、咄嗟に青年は自分の体をまさぐり始める。
「イヌ、シチューが温まったよ」
そこへマクスが入ってきた。
「みんなが食べ残したやつだけど、そこそこ量があって助かったよ」
マクスが両手で運ぶ皿からは湯気が立ち昇っている。
近寄ってベッドの脇のテーブルに置かれると、空っぽのお腹にはたまらない、なんともいえないいい香りが漂ってきた。
「さぁ、熱いうちにお食べ……って、どうしたんだい、気分でも悪いのかい?」
食事を運んできたにもかかわらずずっと俯いている青年の様子に、マクスは体調不良を気遣う素振りで顔を覗きこんできた。
「……泣いているのかい、イヌ?」
言われて、青年は再び自分が涙を流していることに気が付いた。
泣いている場合じゃないのは分かっている。
それでも無性に悲しくて、悔しくて、そんな感情が涙となって零れ落ちた。
「……な、なんでも、ない。そ、それよりネコは今どこに?」
青年は自由の利く左腕でごしごしと涙を拭う。
右腕はやっぱり動かなかった。
「ネコ? さぁ、どこだろう? それよりも今は食べて栄養をつけないと。なんせ君は五日も何も食べて」
「ご、ごめん、マクス。お、俺は食べない」
「ど、どうして?」
「だ、だってそれ、ど、毒が入ってるんだろ?」
マクスの体がぐにゃりと歪んで見えた。
涙で滲んでそう見えるのか。それとも盗賊団の中でただひとり心を許せる存在だと信じていたマクスに裏切られたショックからなのか。よく分からない。
ただ、シチューを運んできたマクスがベッドに近寄りながら、さりげなく床の赤い紙――砦を落とす前に何かあったらこれを飲んで自害するようにと渡された毒薬の入った紙を足で踏みつけて隠すのを見て、青年は確信した。
思えば意識を取り戻した時にマクスが酷く驚いた様子を見せたのは、きっと眠っている間に毒を飲ませようとしたところ急に目覚めたからなのだろう。
「……ごめん、イヌ。父さんに命令されたんだ」
「と、頭領が? ど、どうして?」
「砦を落としたら君は盗賊団を出て行くのだろう? そうしたらきっとあの子は君に付いていくに決まっている」
「あ、あの子って……ネ、ネコのこと?」
マクスが黙って頷いた。
「父さんはね、最初から君との約束なんて守る気はなかったんだ。なんだかんだとケチをつけて、君を盗賊団に縛り付けるつもりだった。だけど君は砦を落とす際に大怪我を負ってしまった。その怪我ではもうこれまでのように暗殺業を続けるのは難しいだろう? だから父さんはあの子に目を付けた」
自分の代わりに少女がこれから盗賊団の初手を担う……それは青年が当初考えていたことと一緒だった。
でも、だからと言って何故頭領は自分を殺そうとするのだろう?
青年には分からなかった。
「もし君があのまま死んでいたら、どこにも行く当てのないあの子は盗賊団に留まるしかない。だけど君は命を取り留めてしまった。となると君が元気になって盗賊団を出て行く時、あの子はきっと君に付いていくだろう。だったら君を殺すしかないと父さんは考えたんだ」
そして頭領は自分の息子であるマクスに青年の始末を任せたらしい。
おそらく盗賊団の副長でありながら、今まで人を殺したことがない息子に経験と箔を付けさせるためだろう。
「今さら謝っても無駄なのは分かってる。僕は君に決して許されないことをやろうとしたんだ」
マクスの声が震えていて、青年はそれだけで彼が本当に後悔していると感じた。
それに青年にはマクスの気持ちが痛いほど分かる。
たとえ親友であっても、頭領の命令とならば殺すしかない。
それが盗賊団の鉄の掟であり、逆らうことなんて出来ないのだ。
もし仮に立場が逆であれば、きっと青年も何度も心の奥で謝りながらマクスの喉に刃を突き立てたことだろう。
マクスを責める気にはなれなかった。
「だからイヌ、罪滅ぼしにもならないけど、君が逃げる手助けをさせてくれないか。お金と馬を用意する。父さんは怒るだろうけど、ネコには君が死んだと伝えれば、きっとこの盗賊団に残ってくれるだろう。そうすれば」
「ダ、ダメだよ、マクス。そ、それじゃダメなんだ」
「大丈夫だよ。いくら父さんでもこれぐらいのことで僕を殺したりはしない。そりゃあすごく殴られるだろうけれど、それは一度は君を殺そうとした僕への天罰で」
「ち、違う。そ、そうじゃない。マ、マクス、お、俺はあの子を、ネコを連れてここを出て行く」
「あの子を連れて行く? ど、どうして!?」
思わぬ青年の言葉に、マクスは絶句した。
「ネ、ネコに命を救われた。こ、今度は俺が、か、彼女を助けてあげなきゃいけない」
「彼女を助ける、って、こう言ってはなんだけどイヌに何が出来ると言うんだい?」
「わ、分からない。で、でも、あの子に人殺しなんかさせちゃダメなんだ」
「…………」
青年の真剣な眼差しにマクスは言葉を失うと、しかし、弱弱しく頭を振った。
「……残念だけど、それは出来ないよ、イヌ」
「と、盗賊団にネコが必要なのは、わ、分かるよ。だ、だけど俺はやっぱり彼女を見捨ててはいけない。た、頼む、マクス。て、手伝って」
「違うんだよ、イヌ。彼女は……ネコは今、ここにはいないんだ」
マクスの言葉に今度は青年が顔色を失う番だった。
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