第四章 砦

第16話 光

 ついに決行の日がきた。


 月が隠れた夜の海を、ふたりは極力頭を出さないようにしながら泳ぐ。

 大丈夫だとは思うが、万が一でも見張りに見つかったら終わりだ。

 慎重に、慌てることなく、まるで打ち寄せる波になったかのように静かに泳ぐ。

おかげで見張りに見つかった様子もなく、砦が建つ岸壁までふたりは無事に泳ぎ着くことが出来た。


「おおー、すごい反り返ってるねー」


 少女は改めて間近で見る岸壁に感嘆しつつも、しかし、気圧される様子は微塵もなく、むしろ嬉しそうな声をあげた。


「んじゃ、登るねー」


暗くて手元が見にくい上に、反り返っていて滑りやすい絶壁に少女が手をかける。


「……ネ、ネコ、頼んだよ」


 青年は心配そうに登っていく少女の姿を見送った。

 少女の岩登りに不安があるわけではない。その点は信頼している。

 不安なのはむしろ登りきった後、砦に侵入してからのことだ。


 見回りの多くは、少女が降ろしたロープを伝って侵入した青年が殺す。

 しかし、塔の頂上にいる見張りだけは、どうしても少女に殺ってもらわなくてはならなかった。

 

 少女の殺しへの呵責はあの鹿狩りで解放したつもりだ。

 が、人を殺すのは今回が初めてのことになる。

 獣と人では心への負担が違う。本当は本番の前に、どこか村を襲って一度経験を積ませるつもりだった。

 それが作戦前に下手な動きをみせて、ベアダに警戒心を起こさせてはマズいということで出来なくなったのだ。


 想定外な事態に、青年はなんとかならないかと頭領にお願いする。

 しかし、頭領は黙って拳を振り上げる素振りを見せた。


 それだけで青年はいつものように何も言えなくなってしまった。

 

 もちろん、あれからも暗殺術、戦闘技法の訓練は何度もやった。

 おかげで技術的には何の問題もないところまで鍛え上げている。

 青年との模擬戦闘で得物の扱いは格段に進歩し、その喉もとにナイフを突きつけるのも厭わなくなった。


 ただ、それはあくまで青年との訓練でのこと。

 実戦でも上手くやれるかどうか保証はない。


 それにひとつ、青年には気になったことがあった。

 それは少女とダビドの、例の訓練だ。


 青年は自分がやってみせたように、少女にも同じことをやるようにと指示を出した。

 実際、少女は上手くやってみせた、と思う。

 でも、青年には不満がひとつあった。

 少女はダビドに気付かれることなく、その背後や死角に忍び込むことは出来る。

 だけど、青年がやってみせたように小枝をその喉もとへと押し当てることは決してなかったのだ。


 幾度となくふたりが訓練する姿を見た。

 その度に少女はダビドの背中を軽く叩くだけだった。

 青年との訓練では実際にナイフを使いながらも喉もとへ忍び込ませることは出来るのに、何故かダビド相手では小枝でも出来ない。

 もしかしたら少女は青年との訓練ではかなり無理をしていて、やはり内心では命を奪うことにいまだ相当な拒否感があるのではないだろうか。


 一度問い質してみたが、少女は「大丈夫だよー、砦ではちゃんとやるから。イヌはホント心配症だねぇ」と笑ってみせたが、やはり心のどこかにひっかかる。


 青年と少女の仕事は砦に侵入し、頭領たち強盗団の強襲をお膳立てすることだ。

 その為には見張りたちを無力化しなければならない。絶対に。


 少女はちゃんとやってくれるだろうか……。


 もし出来なければ、今回の襲撃は失敗に終わる。

 少女はその場で無惨にも殺されるか、あるいは捕まったとしても拷問にかけられ、全てを吐かされる前に自ら命を絶たなければならない。

 マクスが用意した薬は、作戦の前に少女にも手渡しておいた。

 もっとも「も、もし相手に捕まるようなことがあったら、すぐにこれを飲むんだ。そ、そうすれば楽になれる」という青年の濁した言葉に、少女は「えー、なにそれ、すごいねー」との意味に受け取っていたが。


 そして少女の失敗は、青年の死も意味していた。

 なんせ今回の作戦にはエステバルも出張っているのだ。

 砦を落とすためにエステバルの騎士であるダビドが強盗団に加わり、さらに陥落と同時に侵攻出来る様、船団の出航も用意されている。

 ここまで来て「失敗で終わりました」ではすまされない。

 敵に捕まることはなくても、強盗団に戻れば責任は全て自分に押し付けられる。

 強盗団での責任の取り方は……言うまでもないだろう。


「おーい、イヌー、すごい! すごいよー!」


 岸壁の中腹ほどまで進んだ頃だろうか。

 順調に登っていた少女が突如止まったかと思うと、急に降りてきた。


「ど、どうした? な、何があった?」


 思いもよらぬ事態に青年の言葉にも緊張が走る。


「たんぽぽ!」


「……え?」


「たんぽぽがあった! すんごいゴツゴツした岩のところにね、たった一輪だけどたんぽぽが咲いてたの!」


 すごいよねー、どうしてこんなところに咲いているんだろう? と少女は興奮して話す。


「……あ、あのね、ネコ」


 何があったのかと緊張しただけに、青年は脱力感でくらくらした。が、決して短くない付き合いだ。少女の扱い方は心得ている。

 青年は「た、たんぽぽの綿毛が風に乗ってこの岸壁に辿り着き、花を咲かせたんだ」と説明してやる他にも、もしかしたら海燕の巣もあるかもしれないと、また少女が引き返してくるかもしれないであろう事案を先回りで話してやった。


「ええっ!? こんなところに巣を作る鳥さんがいるのっ!? やだなぁ、下手に巣に手をかけたら、怒られて海に落っことされちゃう」


 分かった、慎重に登るよと、少女は再び気合を入れなおすと岩肌に手を掛けて登っていった。




 少女が岸壁を登りきり、城壁を越えて砦に侵入したのは、海燕も巣で眠る夜更けすぎのことだった。


 青年が少女の類稀なる能力に気付き、頭領の許可を得て訓練で盗賊団から離れていた頃。

 団員たちもまた今回の砦攻略に向けて動き始めていた。

 そしておよそ二ヶ月半にも及ぶ監視の結果、この時間帯は塔の上にひとり、砦の正面テラスにひとり、そして城壁の回廊をふたりの見張りが個別に巡回していることを突き止めあげた。


 巡回兵は砦の正門がある南の回廊からそれぞれ東回りと西回りに巡回し、きっちり四分後に海を臨む砦の後部(北)の真ん中で再会すると、くるりと向きを変えて今来た方向を逆に歩き始める。

 これを再び正面でも繰り返すことで、お互いに異常がないかを確認できるようにしていた。


 さらに砦はほぼ正方形の形をしていることから、巡回兵の移動時間はそれぞれ真ん中で再会し反転する南北の回廊で各一分、東西の回廊では二分かかっていることが分かる。

 

 この検証から青年の侵入ルートは北の砦後部から、となった。

 

 正門のある南が問題外なのは当然だが、同じ絶壁をロープを伝って登るのならば東西も同じことである。

 なのに何故、北なのだろうか。


 これはロープをよじ登って侵入する猶予時間が違ってくるからだ。


 東西の回廊の場合、巡回兵が角を曲がって姿を消し、回廊の真ん中で仲間と会うまで一分。そこで進路を反転して再び角を曲がって姿を現すのに一分。すなわち二分間でそれぞれの回廊に戻ってくる。


 もちろんロープは簡単に見破られないよう、城壁と同じような色合いに加工している。夜ということもあって、巡回兵は気付かない可能性もあるだろう。

 しかし、それはあくまでこちらの勝手な期待にすぎない。むしろ毎日巡回しているのだ。ちょっとした違和感でも気付く可能性は高いだろう。

 となると、青年は僅か二分間で崖を登りきり、さらには侵入を悟られないようロープを切って海に落とさなければならない。それはいくら身軽な青年であっても到底不可能だった。


 対して北はどうか。

 正方形の形をしているのだから猶予時間は東西と変わらないだろうと思われるかもしれないが、実はまるで違う。

 角を曲がって姿を消した兵士が東西それぞれの回廊を移動するのにまず二分。次に南の回廊の往復にまた二分。さらに再び東西回廊で二分かかり、再び姿を現すのに六分もかかるのだ。

 これならば青年なら余裕で侵入し、証拠隠滅することが出来る。


 ただし、北側の侵入ルートにもひとつだけ問題があった。

 塔から海を監視する見張りの存在だ。

 塔の見張りは、湾内に近付くエステバルの軍船の発見が仕事である。故に遠眼鏡では海の遠くを見ているはずだが、かと言って真下でロープを伝って登ってくる侵入者に気が付かないとも言い切れない。


 ロープを使わない少女は、塔の見張りに発見されないよう、侵入は視界に入りにくい砦の東側を選んだ。

 しかし、ロープに頼らざるを得ない青年は、北側からしか道は残っていない。

 もし、塔の見張りがロープを伝って登ってくる青年の姿を見たら。あるいは青年が巡回兵たちを殺める様子を発見したら。

 こいつは何の躊躇いもなく塔に常備されている鐘を鳴らすことだろう。

 本来はエステバルの軍船の接近を知らせる鐘だ。その音はとんでもなく大きく、寝静まっている兵士たちも一斉に出てくるに違いない。

 そうなっては全てが終わりだ。


 だから塔の見張りを真っ先に何とかしなくてはならない。

 それが出来るのはロープに頼らず、そして上手く岩肌に自分の身を隠して絶壁を登ることが出来る少女だけだった。


 砦に侵入後、回廊の見張りに気付かれることなく内部へと潜り込み、塔を登って詰めている邪魔者を除外する。


 もしこれが少女と青年の立ち位置が逆で、塔の見張りが青年の受け持ちであれば、話はずっと簡単だった。何か問題が起きて、逆に返り討ちにあうかもしれないが、それでも標的の命を奪うに躊躇うことなどないだろう。


 しかし、少女は違う。少女はまだまだ暗殺者として優しすぎるのだ。いくら技術を教え込み、得物に馴れさせても、その心までは完璧に鍛え上げたとは言い難い。

 それでも様々な状況からこれ以上待ってはくれず、やるなら今しかなく、少女も青年も生きるにはやるしかなかった。


(神様、ネコに勇気を……)


 冷たい海の中で、青年は祈った。

 青年に今出来ることと言えば、祈ることしかなかったからだ。

 そして成年は知っている。

 神への願いとは奇跡を期待しておこなうものではない、と。

 万全を尽くして、それでも万が一がないことを祈るのが願いだ、と。



 しばらくして。

 青年の前にするするとロープが降りてきた。

 どうやら神は青年の願いを聞き入れ、少女は無事に暗殺者として処女を捨てることが出来たらしい。


 青年はホッとすると同時に、ロープに飛びついて我武者羅に登り始めた。

 目指すは夜の闇に包まれる砦の回廊。しかし、青年にとっては目指す先に自分の運命を切り開く光が見えていた。

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