MEMORY
秋空 脱兎
何もかも変わってしまった
あれからどの位経ったとか、そういうのは、正直わからない。というより、全くもって記憶していない。
ただ言えるのは、あいつと俺、父ちゃん、母ちゃんの――つまりは家族の関係が大きく変わってしまったという事だ。
俺と妹――
実夏は気付いていない。俺は……俺は気付いたのに。
俺に遅れること四秒、実夏は車が迫っている事に気付いた。その時には、もう避けられない距離になっていた。
それに気付いた実夏は、実夏は俺を庇って――
ピピピピ、ピピピピ、ピピピピ、ピピピピ……
「う……」
目覚まし時計のアラームで、俺、
上体を起こして周囲を見渡すと、寝ていた場所は、かなり殺風景な、俺の部屋だった。正直に言うと、昨日いつ寝たのか、記憶がない。
「…………クソっ」
俺は、寝ていたベッドを力任せに蹴飛ばした。
『和真ー、起きてるのかー?』
階下から父ちゃんの声が聞こえてきた。
「ああ、今起きた!」
俺は大声で答えると、ベッドから降りて、クローゼットに向かって着替えを漁った。白いパーカー、黒いシャツ、ジーンズ、黒い靴下を適当に選んで、そそくさと着替えた。
「……行くか」
俺は溜め息混じりに呟き、自分の部屋から出た。
「……おはよう」
階下に降り、リビングに向かい、両親に一応の挨拶をした。
「うっす」「おはよう」
両親からそれぞれに挨拶が返ってくる。俺はそれを聞き届けてから、テーブルの席に座り、テレビをつけた。テレビは情報番組を流していて、コメンテーターが適当にしか聞こえない事をくっちゃべっている。
「…………」
俺がそれをつまらないと思いながら見ていると、
「朝飯食って、歯ぁ磨いたら、病院行くからな」
父ちゃんが俺に話しかけてきた。
「ああ……」
「何度も言ったが、お前は悪くない。誰を責めるなんて出来ないんだ」
「…………」
まあ、実際、そう見えるんだろう。猛スピードで突っ込んできた車の運転手は心臓発作を起こして死んでいた訳だし。
でも、もし、俺が実夏を庇っていたなら?
その時は俺が死んでいたかもしれないが、少なくとも、実夏があんな事にならずに済んだだろうに……。
俺はそう考えて、
「…………そう、だな」
表情にも出さずに、相槌を打った。
朝食を食べ終え、俺と父ちゃん、母ちゃんは、父ちゃんが運転する車に乗って、実夏の入院先である総合病院に向かった。運転中は、何も起こらなかった。
俺達は寄り道せずにエレベーターに乗ると、迷わず四階のボタンを押した。エレベーターが動いている途中、誰も乗ってこなかった。
父ちゃんを先頭にエレベーターから降りて、実夏がいる401号室の前まで、無言で歩いた。
父ちゃんが横開きのドアをノックして、一瞬躊躇ってから、ドアを開けた。
病室は個室で、当然ながらベッドの上に足を投げ出して座っている実夏以外には誰もいなかった。
「――あ、お父さん、おはようございます」
実夏が、穏やかな口調で父ちゃんに話しかけた。
「あ、お、おう。おはよう」
実夏が敬語で話している事にまだ慣れていないのか、父ちゃんは少し噛みそうになりながら挨拶を返した。
「……まだ、思い出せない、か」
父ちゃんの言葉に、実夏が表情を曇らせる。
あれは、もう一月も前の話になる。
夕方、不気味な程に綺麗な夕焼けだった事を覚えている。……買い物帰りの俺と実夏に、猛スピードで車が突っ込んだのだ。
とっさに実夏は俺を庇って車に轢かれ、頭を強く打った。
奇跡的に頭蓋骨は割れずに済んだのだが、それよりも酷い事が起こってしまった。
車に轢かれた際に頭を強く打ったからか、実夏は、言語――日本語と少しの英語――以外を、完全に喪ってしまったのだった。
俗に言う、記憶喪失だった。
「…………すみません、まだ、何も思い出せていないんです」
実夏は、申し訳なさそうに頭を下げた。
「だ、大丈夫、大丈夫よ。これからゆっくり思い出して行けばいいんだから」
母ちゃんが、慌てて言った。
「そう、ですか?」
「ええそうよ、後、敬語じゃなくて大丈夫よ」
母ちゃんはそう言ったが、実夏は少し困ったように微笑んだ。
「でも、最初からこの口調でしたし、今更変えるのはちょっとなーって」
「そ、そうよね」
母ちゃんが、まるで腫れ物を扱うかのように言った。
病室の中に看護師の女性が入ってきて、俺と父ちゃん、母ちゃんを呼んだ。実夏を担当している医者から話があるらしい。
「あ、俺は後で父ちゃんから話聞くよ。もう少し、実夏と話してたいし」
俺がやんわりと断ると、以外な事に、すんなりと許された。気を遣われているのだろうか。
こうして、俺は実夏の病室に残った。
五分後。
「…………」「…………」
ああ言ったものの、実夏とは、何も話せていなかった。家で準備している時も、車の中でも、話したい事はそれこそ山程あったのに、だ。
時折、何かを話そうとして顔を上げて、口を開く所までは行くのだが、そこから先が続かなかった。言葉が出なかった。
「あ、あの……」
そんな俺を見かねたのか、実夏が控えめに話しかけてきた。
「ん?」
「その……どうして、残ったんですか? 何か、言いたい事が、あるんじゃあ……?」
「…………」
そうだった。
言いたい事なら、まずはこれじゃないか。
「その……ごめん」
俺は、情けない尻すぼみの声で言った。
「えっ?」
案の定、実夏は聞き返してきた。
「実夏が轢かれたのは、俺のせいなんだ……俺は、俺は気付いてたんだ。車が突っ込んでくるのに……。なのに、大丈夫だってタカくくってた。……俺が悪いんだ。実夏が全部、何もかも忘れちまったのって……」
泣きそうになりながら、俺は一番言いたかった事をなんとか言い切った。
実夏は暫く沈黙して、
「その、簡単に言ったら、駄目だって事は、わかってるんです。でも……自分を責めないでください」
言葉を選んでいるようにも聞こえる位、ゆっくりと言った。
「じゃあ、どうすんだよ、実夏が全部忘れちまったの……。俺しかいないんだよ、悪い奴は……俺だけしか……」
俺は呻くように、吐くように言って、頭を抱えた。
俺が吐き出した言葉に返す言葉が見つからなかったのか、実夏は、そんな俺をただ見つめていた。
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