第二話_三


「親は仕事に行ってます。どうぞ、そこに座ってください」

 リビングに通された私たちは、ソファに座り、お茶を入れている鏑木先輩を待つことになった。ちなみに見知らぬ私を家に上げるのをしぶられたことはこの先一生根に持つだろう。

 二人分のお茶を持って戻ってきた先輩は、ちらりと私を見てけんしわを寄せた。完全に部外者を見る目だ。なんだこのひと、会うのは二回目だぞ。ゴミ捨て場をかんじように入れれば三回目なんだけど、そのはただのかざりなのか?

「それで、用件というのはなんでしょうか」

 日置先生の正面に座った先輩は、視線を恩師に向けた。私はいないものとしてあつかうつもりらしい。感じ悪いなー。

「君が安達先生にわたしたものですが、返しにきました」

 日置先生はかばんからふうとうを出すと、目の前のローテーブルに置いた。表面には『退部届』と書かれていた。

 げーマジかよ、める気なのかよ。しかもチャン先生、これ受け取ったとかひどい。私という存在を知りながら、なんてデブだ。いや、顧問だ。

「君はきゆうどうを辞めるべきではない」

「もう決めたことです」

「私がお願いしてもですか」

「はい。俺は自分の意志を曲げるつもりはありません」

 たがいにゆずるものかと視線をぶつけ合い、無言のにらみ合いが続いた。私は目の前に出されたお茶を手に取り、口をつけたけど熱過ぎたのでやめた。日本茶はふつとうしたお湯で入れるもんじゃないということを、この先輩は知らないらしい。

「殴った責任は取るということですか」

「そうです」

「だが君が部を去っても、誰も戻ってきませんよ。はいです。責任を取ったところで、それを受け入れる人間なんていやしない」

 ここで初めて鏑木先輩の顔にどうようが走った。ほかの部員が戻ってこないことを知らなかったのは明らかだ。視線を彷徨さまよわせ、何かを必死に考えている。

「平井君には謝罪したんでしょう? 高校生でしかない君に、それ以上することがあるとは思えませんが」

「謝ってすべてが許されるとは思っていません。思っているとしたら、そいつはまったく反省してない。反省しているなら、行動で示すべきだ」

「だったら平井ってひとは反省してないってことじゃん」

 会話に割り込んだのはまったくの無意識だった。このとき初めて鏑木先輩の目が、本当の意味で私を認識した。

「部外者は口をはさむな」

「部外者じゃないです」

「俺はお前を知らん。日置先生が連れてきたから家に入れたが、出て行ってもらってもいいんだぞ」

いやです。出て行きません。あとお茶に合うおをください」

 ローテーブルをべしべし叩くと、鏑木先輩の元からあいのない顔にいらちが加わった。

「そんなに出て行かせたいなら、殴った理由を聞かせてください。それ聞いたら出て行ってあげます」

「俺の家だぞ」

ちがいます。先輩のご両親があせみずたらして働いてこうにゆうした家です。先輩は一銭もはらってないでしょ」

くつを言うな」

「そっちこそなんで自分だけが悪いみたいに言うんですか。ひとを殴るなんてよっぽどですよ。特に意味もなく殴ったんですか。カッとしてやったってやつですか」

「……そうだ」

「うわー最低。日置先生、このひと最低ですよ」

 日置先生は何もしやべらず、先輩をじっと見つめていた。それをいいことに私は言いたい放題だ。

「ああそうだ、今日の朝にやってたニュース見ました? 隣の県で起きた事件です。中学生が同級生から百万円以上もきようかつされてたってやつ」

 短いニュースだった。事実をさらっと伝えて、番組のゲストは信じられないと犯人の中学生を批判して、メインキャスターは痛ましげな表情でがいにあった中学生に同情していた。まあそのすぐ後にスポーツで日本人の快挙を伝えると、ころっとがおに変わってたけど。私、あのしゆんかんがいつも嫌なんだよね。

「でね、家族とそのニュース見てたら、小学生の弟がいきなりぽろぽろ泣き出すんです。びっくりですよ。どうした新ちゃんって、しよくたくはパニックですよ」

 どうにか泣きんだ弟はれ途切れに言った。

 マー君がいじめられてる。

「クラスえしたたんに、同じクラスのリーダー格にイジメ受けてるんですって。叩かれたり、悪口言われたり、物かくされたりしてるそうです。小学三年生にして犯罪者予備軍ですよ。あーおそろしい、世も末だ」

 鏑木せんぱいをちらりと見やる。先輩は下を向いて、何かをぐっとこらえていた。ひざの上に置かれたこぶしが小刻みにふるえていた。

「弟はえ切れなくなって、マー君の家族に相談したみたいです。そしたらバラしたなってマー君におこられて絶交されたそうです」

 次の日には泣いて謝ってきたそうだ。子供は仲直りが早くてうらやましい。

「なんで怒ったと思いますか?」

「どうして俺にくんだ」

「先輩なら、分かると思ったからです」

 鏑木先輩の表情が不自然に固まった。あふれ出しそうになる感情を押しとどめようとしているのか、どうだにしない表情とは裏腹に、にぎった拳は先ほどよりもずっと強く握りめられていた。

「……弱いから、だろう」

 鏑木先輩が言った。

「苛められて傷つくのは、弱いからだ。そんな自分が嫌で、だれにも知られたくないと思ったんだ」

「でもひどいことされたら誰だって傷つきますよ。大切なものを隠されたり捨てられたりしたら、腹が立つし悲しいです」

 あの日、ゴミ捨て場にあった弓は、鏑木先輩そのものだった。

 捨てたものを通して「お前はこれといつしよだ」ときつけられていたのだ。ゴミのように捨てられて心が傷つかない人間なんていない。

「日置先生が言ってました。先輩には弓道しかないって」

 いや、弓道にしか興味がないだったっけ。まあいいや、同じようなもんだ。

「ひとつしか持ってないのに、そのひとつをうばわれそうになったんです。だから先輩はていこうしたんです。必死になって守ったんだと思います。結果的に暴力って形になっちゃったけど、でもそういうことじゃないんですか」

 先輩はいつの間にか立ち上がった私を見上げ、ぼうぜんとしていた。それからじよじよに、様々な感情が先輩をおそったようだった。否定、いかり、こうかい、悲しみ。私の言葉に反論しようとしたのか口を開けて、しかしすぐに閉じてしまった。き出せばいいのに、無理矢理飲み込んでやり過ごそうとしている。現に息苦しそうな顔で私や日置先生を見つめて、何かを必死になってうつたえようとしている。

「鏑木君」

 ソファから立ち上がった日置先生が、先輩のかたやさしくたたいた。

「退部届は置いていきます。明日あしたまた提出するかどうかは自分で考えて決めなさい。ただもう一度出したとしても、私はもう止めません」

 先生に目線でうながされて、足元に置いていたかばんを手に取りげんかんに向かう。あ、お茶飲んでないや。せっかくだからと一気飲みにしてテーブルに湯飲みを置いた。

 リビングを出て行こうとする私の手が、すれ違いざまにつかまれた。

「思い出した。お前」

 すべてを言い切る前に、先輩の手をやんわりりほどく。いいのかと言いたげな日置先生に目で頷き、私たちは先輩の家を後にした。

 去りぎわこっそり振り返ると、先輩はあつにとられた顔をしていた。ゴミ捨て場にひとり取り残された私も同じ顔をしていたのかと思うと、意地悪だけど少しだけ胸のすく思いがした。





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