第二話_二


 翌朝、またもや七時に起こされた。

 なんでだよ萌々子ちゃん、八時でいいって言ったよね?

「おはよう、伊与。まったく、萌々ちゃん様々ね」

 顔を洗ってリビングに行くと、母がちょうどテーブルの上にお弁当箱を置くところだった。そっか、今日からお弁当なんだっけ。

「そういえばうちに弁当箱なんてあった?」

「小学校の遠足のときに使ってたやつよ」

「お父さんのは?」

「自分で買ってきた」

 朝のニュース番組をていた父は、小さなバッグにできたばかりのお弁当箱を入れた。わざわざ買ってくるなんてどんだけうれしいんだこのひとは。

「自分で包んで持っていってね」

 と言ってわたされたお弁当包みはいろせていて、これさえも小学生時代の遺物だと知れた。

「ねーちゃん、トースト」

 先にリビングにいた弟がトーストをお皿にせてくれた。本当によくできた弟だ。こんな弟に世話をされるウサギやニワトリは幸せ者だろう。

「マー君から聞いたんだけど、ねーちゃんぎゆうどん部に入るってほんと?」

「なにそれ」

 ちなみにマー君というのは萌々子の弟で、新也の同級生だ。悪ガキというしようごう相応ふさわしいヤツなのだが、なぜかうちの大人しい弟と仲が良い。私はマーぼうと呼んでいる。

「牛丼部じゃなくて、きゆうどうでしょ。マー坊にアホだなって伝えといて」

「わかった」

「やめなさい」

 両親の声が重なったところでテレビのCMが終わり、ニュース番組に切りわった。キャスターが深刻な顔をしているのを横目に、トーストにバターとハチミツを垂らしてかじり付いた。


 昼休み、萌々子といつしよに食堂に行った。私はお弁当持参だ。萌々子が注文カウンターからもどってくるのを待って、弁当のふたを開けた。

「わっ、すごいごうじゃん」

 出汁だしき卵にウインナー、ホウレン草のおひたし、ミートボールにプチトマト。赤黄緑のそろったおかずがしよくよくさそう。

「おお、ウインナーがイソギンチャクみたいになってる」

「タコさんウインナーでしょ。足の数がやたらと多いけど」

 今ごろ、父も会社で感動しているんだろうか。白ご飯にふりかけをかけながら母のだいさを思い知る。

「いいなあ、伊与は。お弁当作ってくれるお母さんがいて」

 焼きそばをちまちま食べながら萌々子がうらやましがるような声を出した。私は出汁巻き卵を口にふくみながら、うんともいいえとも言えずにしやくした。

「そういえばマー坊はどう? 元気?」

まさは元気だけど、とつぜんなによ」

「いや、うちの新也がよく話してるけど、最近は全然会ってないなあと思って」

「前は伊与の家によく遊びに行ってたもんね」

「三年になって新也とクラスがはなれたせいかな? えんりよしないで遊びに来いって言っといてよ」

 萌々子は「分かった、伝えとく」と言うと、焼きそばにえられていたべにしようを私のお弁当の白ご飯に載せた。

「お礼」

「なんのお礼? ていうかご飯に紅生姜は合わんだろう」

 文句を言いつつ紅生姜と一緒にご飯を食べてみたら意外とイケた。白ご飯と紅生姜のハーモニーを楽しんでいると、「意外だった」と萌々子が言った。

「あ、分かる? たしかにこの組み合わせは想像もしていなかった」

「そっちじゃなくて、部活のほうよ」

「弓道部?」

「そ。伊与が必死になるところ、初めて見たかも」

 手を止めて萌々子を見つめた。萌々子はどこかおもしろそうに私を見つめ返していた。

「私、必死に見える?」

「見える」

 自信満々にてきされて、それをなおに認めたくない自分がいた。がむしゃらに行動するということは、私らしくないからだ。

「いっつもユラユラふわふわしてるのに、今は一直線って感じ」

「変かな」

「ううん。たまにはいいんじゃない?」

 萌々子は笑って言うと、今度はキャベツのしんをくれた。


 放課後、授業が終わると真っ先に職員室に向かった。入部届をにぎめ、萌々子いわく一直線にもんもとへと向かった私をむかえたのは、昨日会ったおじいさん、日置先生だった。その後ろではチャン先生がつかれた様子でに座っている。

「さあ、行きましょうか」


 待ってましたと言わんばかりに椅子から立ち上がった日置先生は、私の手を引いて職員室の出口へうながした。

「え、いや私は入部届を出しに来たんですけど」

「君ひとりが部員になっても、弓道部は成り立たないでしょう?」

「それはまあ、そうなんですが」

「でも君のがんり次第で、弓道部は生き返るかもしれません」

 思わぬ言葉にびっくりしている間に職員室を出てくつき替え、来客用のちゆうしや場へと連れて行かれた。決してごういんではないのだけれど、きよしづらいふんをまとった日置先生に背中を押されて車の助手席に乗り込んだ。

 シートベルトを付けたのをかくにんすると、日置先生は車を発進させた。

「どこに行くんですか?」

「その前に自己しようかいをさせてください。私は日置といいます。鏑木君が中学生のときから弓道を教えている者です」

「私は」

「堀川伊与さん。安達先生から聞きました。いい名前だ」

「はあ、どうも?」

 名前をめられたのは初めてだから素直に喜べなかった。自分ではちょっと古風だなと思っていたし、萌々子に比べると地味な感じはいなめない。

じんぐうの伊に、すのいちの与。いよ、という語感も実に素晴らしい」

 どうしよう、まったく意味が分からん。とりあえず適当にうなずいておいたけど、日置先生は運転に集中していたので私のみような表情は見えていなかった。

 信号を左折し、大通りに出る。右に線路を置きながら直線道路を真っぐに進む間に、日置先生は静かな声で言った。

「鏑木君は、れいでしょう」

 車内にちんもくが落ちた。バックミラーに映った自分と視線が合う。となりに座って運転しているひとが正気かどうか問う表情をしていた。

「同年代の中では、だれよりも綺麗に弓を引きます。君もそう思いませんか?」

 あ、そっち。胸をなでおろしながら、おくの中で見たせんぱいの姿をのうえがいた。

 ゆっくりとした動作、きぬれ、そしてきりきり鳴る弓。まばたきを止めた先輩の横顔が、しようさいよみがえってくる。目が離せなかった。

「……よく分かりません」

「おや、そうですか。鏑木君もまだまだですね」

 日置先生は小さく笑って、車のスピードを落とした。目の前を制服を着た男子学生の集団が横切っていく。私と同い年くらいに見える集団は子犬のようにじゃれあいながら道路を横断すると、車の横をさわぎながら通り過ぎていった。その後ろ姿をサイドミラーで見送りながら、私はこれから行く場所がどこなのか、なんとなく理解した。

「鏑木先輩が平井ってひとをなぐったこと、知ってますか?」

「はい」

「先生は、どうして殴ったと思いますか?」

「さあ、どうしてでしょうね。弓道以外には興味を持たない子です。あの子が誰かに対していかりを覚えるところは見たことがないですから、見当もつきません」

 君は知ってますかと問いかけられ、私はもう誰も映っていないサイドミラーを見つめながら、小さく頷いた。

「やっぱり君を連れてきてよかった」

 隣で笑う気配がした。やがて車は、住宅街の中にあるいつけん家の前で止まった。

「鏑木君の家はここのようですね」

 外から見ると、窓にはすべてカーテンがかかっていて中の様子をうかがい知ることはできなかった。

 車を降りると、日置先生がインターホンを押した。

「出ませんね。留守なのかな?」

「停学中は外出禁止です。絶対居留守ですよ。おーい、せんぱーい!」

 がんがんとびらたたいたら、家の中から物音がした。ややあって、扉が開く。私服姿の鏑木先輩がしんの念もあらわに顔を見せた。その顔が、恩師を見つけてきようがくに変わる。

「日置先生」

 そしてその横に立つ私を見つけ、

「誰だお前」

 再び不審の念たっぷりの表情にぎやくもどりした。

 おい、覚えてないのかよ。

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