第二話


 翌日、学校は弓道部の話題でもちきりかと思いきや、教室に入った私の耳に入ってくるのは昨日のドラマかアイドルの話題ばかりだった。

 とはいえ、だれも知らないわけではないらしい。教室に入ったばかりの私を見つけるやいなや、同じクラスの萌々子が駆け寄ってくる。鞄を机に置くひまもなくろうに引きずり出されると、「何があったの?」とかれた。

「何ってなに?」

「とぼけないでよ。昨日、弓道部に入部届出しに行ったんじゃないの?」

「行ったけど」

「だったら暴力事件のこと、知ってるでしょ」

「暴力事件……だったんだ、あれ」

「だったんだ、って。何も見てないの?」

「なんか口から血を出してたひとがいて、取り押さえられてるひとがいたなあ」

「完全に見てるじゃん!」

「見てないよ」

 私が見たのは、こぶしにぎり締めて、顧問に問いめられても無言をつらぬき通す鏑木先輩の姿だけだ。それだけで事件のすべてを知っている気になって話をするのは、私のポリシーにそぐわない。

「それよりさ、萌々子。モーニングコール早いって。七時は無理だって、ねむいって」

「もう! せっかく起こしてあげてるのになにそれっ」

 萌々子はおこって自分の席にもどってしまった。その背中を見送りながら、私は昨日のことを回想した。

 ぜいにくたっぷりのおなかをものともせずに廊下を駆けけていった顧問のスプリンターぶりにおどろき、走れるデブという単語がのうをよぎった放課後の……ここはいらんな、省略。

 走り去った顧問の後を見知らぬ部員といつしよに追いかけ、たどり着いたのは弓道場。まだ部員じゃない私はえんりよも知らずにしき内に入り、そして息を切らす鏑木先輩と、先輩をにらみつける男子生徒をもくげきしたのだ。

 顧問がじようきようの説明を求めると、ひとりの部員が興奮したようにまくし立てた。「鏑木がいきなり部長をなぐった」と。ほかの部員も同じ証言をした。鏑木先輩が悪いのは疑いようもなかった。けれど。

 どうして殴ったのか、その理由を誰も言わなかった。知らなかったのかもしれない。確実に理由を知っている鏑木先輩は口をざし、言い訳すらしなかった。やがて顧問にうながされ、殴られたせんぱいと一緒にどこかへ連れられていった。

 入部届は結局出せずい。今も制服のポケットに入っている。

「堀川さん」

 そろそろ教室に戻ろうと思っていると、担任の松本先生が教材片手に駆け寄ってきた。今日は一時間目の授業の前にホームルームがあることを、今になって思い出す。

「おはよう。よかった、今日は早いんだね」

「……おはようございます」

 いつもギリギリかこくしているのは悪いとは思っているんだけど、あからさまにほっとした顔をされると反発心が生じるのは私のしようが曲がっているせいなのか。ホームルーム十分前に登校している私をニコニコ見つめていた先生は、しかし一転して表情をくもらせた。

きゆうどうのことなんだけど、残念なことになったね」

「残念?」

「うん。事件があったことは知ってる?」

 うなずき返すと、先生はなおも悲しそうな顔をして、弓道部が二週間の活動停止処分になったことを告げた。

「じゃあ二週間後に再開するんですね」

 なんだ、思ったより短いじゃん。最悪の予想でははいだったけれど、それに比べれば軽い軽い。

「ちょっと待って、堀川さん。まさか入部するつもりなの?」

「だって部活ひつなんですよね」

「いや、そうだけど。なにも弓道部じゃなくてもいいんじゃないかな。他にも部活はいっぱいあるよ」

「たとえば?」

「合唱部なんてどう? 僕がもんを務めているんだけど」

「あ、じゃあいいです」

「なんで!?」

 松本先生大好きな萌々子でさえ合唱部はけたくらいだ。練習の厳しさはして知るべし。私のゆるゆる高校生活に、『厳しい』や『熱血教師』という言葉は存在してはいけないのだ。


 弓道部が活動停止してからちょうど一週間が経過した。萌々子はサッカー部のマネージャー業に精を出し、私は臨時の帰宅部をおうしていた。

「チャンせんせ~」

「それやめろ。俺の名前はだちだって言ってるだろ」

 弓道部顧問の安達先生は、職員室に入ってきた私を見るや、それはそれはいやそうに表情をゆがめてくれた。ちなみに『チャン』というあだ名は、ぼうお笑い芸人から来ている。太っちょでくろぶち眼鏡なところがそっくりだからつけてみた。あだ名を送るというのは、私なりの親愛行動なのだからもっとうれしそうにしてほしいものである。

「はい、入部届」

「断る」

「まあまあそう言わずに」

「だからだって。弓道部、再開するが立ってないって言ったろ」

 ぼうがいっぱいに詰まったチャン先生のお腹に入部届を押し付ける。この一週間、日課となったこうだ。

「活動停止が解けても、部員が集まらないんだよ」

「鏑木先輩も?」

「その鏑木が原因だからな。戻ってきたくないと言っている部員もいる」

「え、じゃあ私と先輩の二人だけってことですね。私と先輩があらぬ関係だと疑われたらどうしよう」

「お前なあ……」

 チャン先生はしぶい顔でため息をついていた。そのすぐとなりに勝手に持ってきたに座って、私は長期戦の構えを見せる。

「そもそもなんで鏑木先輩ってハブられてるんですか?」

 先週起きた暴力事件について萌々子がどこぞから入手してきた情報によると、部内は鏑木先輩VSその他の部員でこうそうおちいっていたらしい。まった不満やうつくつがあの日にばくはつし、おうつながったのではないかと私は考えてる。

「先輩が殴った原因って分かったんですか」

「さあな」

「チャン先生、顧問でしょ? 部活の内部事情知らないってヤバイっすよ」

「チャンじゃないし、顧問といっても名ばかりだよ」

「でしょうね。そのお腹じゃ」

「腹は関係ないだろ」

 机と椅子の間にきゆうくつそうに収まったお腹に入部届をはさんでみるも、すげなく押し返される。名ばかりの顧問なら受け取ってくれてもいいのに。

「堀川さん、どうしたの?」

 入部届を押し合いへし合いしていると、頭上から松本先生の声が降ってきた。同じ職員室に机があるからいても問題ないんだけど、今は会いたくなかった。なぜなら、

「合唱部の件、考えてくれたかな?」

 これだ。部活へのかんゆうがうざったいのだ。

「うちの合唱部は歌うだけじゃないんだよ。最近はミュージカルもやってるんだ。堀川さんもきっと楽しめると思うんだけどなあ」

 歌うだけじゃなくて演技もしないといけないのかよ。私の中の合唱部に入りたい気持ちがゼロからマイナスへと下降した。

「私、弓道部に入るって決めてるんで。ね、チャン先生」

「でも弓道部は活動再開できないって聞いたよ。ですよね、安達先生」

「チャン先生、だいじようですよね?」

「安達先生でしょ? なんなの、チャンって」

「親しみをこめてあだ名で呼んでるんです。松本先生」

 暗に担任教師には親しみを感じてないとアピールしてみたが、残念なことに通じてはいなかった。

「弓道部もいいけど、合唱部も考えてみてね。先生思うんだけど、堀川さんには元気が足りない気がするんだ。合唱部なら毎日声を出すから自然と力がいてくるよ。そう、歌には力があるんだ!」

 目をかがやかせて力説する松本先生からピントをずらして私は遠くを見つめた。あ、窓の外の木にカラスが止まってる。ハシブトかな? ハシボソかな? お父さんが言ってたけど、「カアカア」鳴くのがハシブトなんだって。ていうかカラスに種類があるって知ったのはごく最近なんだよね。

「合唱部は今、部員が五十人くらいいるんだけど、学年のかきえて仲がいいんだよ。堀川さんはうえさん以外の子とあまりしやべらないよね……もしかして人見知りなのかな? どうだろう、これを機に友達を増やしてみたら。合唱部なら堀川さんの世界が広がると思うんだ。きっと楽しめるはずだよ」

 グワーって鳴いてる。ということはハシボソか。お父さんのせいで私もすっかりカラスの見分けがつくようになってしまった。だからといって何かの役に立つってことはまったくもってないんだけど。

「だから考えておいてね。じゃあ堀川さん、安達先生、僕はこれで」

 一方的に熱弁をるうと松本先生は去っていった。その姿が職員室に置かれたついたての向こうに消えたしゆんかん、二人分の舌打ちが重なった。

「チャン先生」

「堀川」

 示し合わせたわけでもないのにがっちりと組み合うふたつの手。固いあくしゆが私たちをへだてていたかべを一段も二段も低くしてくれた。

「あのひと、あれで人気あるんですよ。信じられませんよねー」

「俺と同い年らしいからな。周りがやたらと比べてくるのに腹が立つ」

「チャン先生のほうがりよく的ですよ! 松本先生ってたしかに女子に人気ありますけど、私は断然チャン先生ですからね」

「だからチャンじゃないって。いや、なんかチャンもいい気がしてきた」

「よ! チャン・アダチ!」

 さわぎ過ぎたのがいけなかった。このあと通りかかった教頭先生に二人そろって注意された。


 きゆうどうの活動再開まであと二日。今日も私は職員室に、入部届持参でおとずれていた。

「俺もよくは知らないんだが、鏑木と部長のひらがとにかくソリが合わなくてなあ」

 チャン先生が入れてくれたお茶に口をつけ、ついでにおにも手をばす。共通の敵をいだした日から、先生は私をじやけんあつかわなくなった。

ほかの部員の話じゃ、鏑木の指導は厳しすぎてついていけないそうだ」

「逆に部長はゆるいと」

「楽しくやりたいって本人は言ってるんだが、それに鏑木が入部当初からみ付いていたらしい。しかも鏑木のほうが経験も段位も上なもんだから、部長としちゃおもしろくない部分もあったんだろう」

 厳しい指導とやさしい指導なら、私だって後者を選ぶ。味方がひとりもいなくなったから、鏑木せんぱいは部長をなぐった? そんな理由でひとを殴るようには見えなかったけれど。

「鏑木先輩はなんて言ってるんですか?」

「なにも言わん。殴ったのは悪かったと言ったきり、だんまりだ」

「ストイックそうですもんね。言い訳はしない、みたいな」

「鏑木を知ってるのか?」

「事件の前日、見学に行ったんです」

 その前にゴミ捨て場で会ったことは言おうかどうか迷って、結局はだまっておいた。

「かなりあいなひとだなって思いましたけど、理由もなくひとを殴るようには見えませんでしたよ」

 まあゴミ捨て場で会ったときはおっかねえなと思ったけども。

「だが理由があったとしても殴るのはいただけん。本人もそれをよく分かってる。弓道部が再開しても、鏑木の性格ならもどってこない可能性のほうが大きいだろう」

 弓道部の活動停止と同時に、鏑木先輩も停学になった。停学二週間というばつが重いのか軽いのか私には分からない。ただ学校には来にくいだろうなと想像することしかできなかった。

「じゃあなんで先生は入部届を受け取ってくれないんですか? 鏑木先輩がいなくても弓道部は存続するんでしょ?」

「いや、どうかな」

「前言ってたじゃないですか。鏑木先輩がいる限りほかの部員は戻ってこないって」

「だったんだが、……まあ元々熱心な部員は少なかったし、今年の入部希望も今のところお前だけだし。正直、ゆうれい部員だらけで部活としての体を成していなかったというか」

「部長の平井ってひとは?」

「三年だから、この際受験に専念したいと言い出した。他の部活に入りなおす部員もちらほら出始めてなあ」

「なるほど。空中分解しかけていると」

「だからな、堀川。入部はやめとけ。入部する部活自体がなくなっちまうんだから」

 私のかたに手を置き、チャン先生はなぐさめるよう何度か軽くたたいた。

「でも私、このままじゃ入る部活がありません」

「俺にうつたえられても困るよ。がんって探せとしか言いようがない」

「先生が頑張ってくれたら弓道部も再開できると思うんですけど」

「前から思ってたんだが、どうしてそんなに弓道部に入りたいんだ?」

 先生の入れてくれたお茶に手を伸ばす。熱々だったカップは温度が下がって飲みごろだった。それを両手でにぎりながら、胸の内を語った。

「別にどうしても入りたいってわけじゃないんです。でもなんていうか、入るならここだなーって思って」

 私はつかれること、暑苦しいこと、強要されることがだいきらいだ。波風立たない人生を歩んでいきたいと小学生のときの作文で書いて先生をあきれさせたくらいの女だ。

 だというのにどこの部活も楽しいよとか青春しようとか、キラキラしいことこの上ない。特に松本先生。あのひとは自分が楽しいと思ったら他人も楽しいと思い込むタイプだ。僕はハッピー! みんなもハッピー! 私はこの手のハッピー族が大嫌いである。

「楽しいかどうかは私が決めるって話ですよ」

「お前、めんどうくさいってよく言われるだろ」

「だってそう思いません? バイトの求人もそうですよ。アットホームな職場ですってあれ絶対うそですね!」

 アットホームなのになんで大量に人員をきゆうしてんだよ。何があったんだよ。ハッピーていこくに何かしらの混乱があったのはちがいない。

「でも鏑木先輩、部活が楽しいって言わなかったんです。それで決めました。この部活に入ろうって」

「究極にひねくれた理由だな」

 先生がお菓子の最後の一個を取ろうとしていたので、取られる前に私が取った。ムシャムシャほおばって最後にお茶で流し込む。

「てなわけで部活がなくなると非常に困るんです。楽しくない弓道部が必要なんです」

「だったら鏑木君に戻ってきてもらいましょう」

 目の前に座るチャン先生がおどろいた顔で私の背後をぎようしていた。つられて振り返ると、見知らぬおじいさんが立っていた。

おき先生、どうなされたんですか?」

 立ち上がったチャン先生が、相手に見えないところでしっしと手を振った。これは出てけというサインか。まだ話は終わっていないんだけど。

「今日の講習はキャンセルしたはずですが」

「ええ。でも来ちゃいました」

「来ちゃいましたって、」

 日置先生なる人物に、私はまるで見覚えがなかった。少なくともここ職員室では一度も見たことがない。古文か日本史を教えてそうだと勝手な判断を下していると、おじいさんは私を見下ろしておだやかに笑った。

「実は鏑木君かられんらくがありまして」

「先輩から?」

「ええ」

「堀川、お前はもう帰れ」

「先輩はなんて言ってたんですか?」

「うちの道場をめたいとだけ。ですから学校で何かあったのかと思い、参上しただいです」

「道場って、日置先生は道場持ってるんですか? 何者? うちの先生じゃないんですか?」

「ほーりーかーわー」

 下校時間だと今度こそ職員室を追い出されてしまった。とびらが閉まる寸前、入部届を出そうとしたら「ハァッ!」とかくされた。なんだよ「ハァッ!」って。

 弓道部再開、いや弓道部はいまで、これであと一日になってしまった。

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