第一話_二
「なんで一時間も早く起こしたのに、遅刻ギリギリなワケ?」
昼間の食堂は、相変わらず混雑が激しい。ささっと食べてすぐ席を
というのも、モーニングコールをしてくださった友人が
注文した
「
「それだけ?」
「ほ、
「でもさ、早く起きてもすることないしさ。萌々子はなにしてんの?」
「メイク」
「なんか高校生になってから急に目がでかくなったと思ったらそれか」
一時間かけて作られた萌々子の顔はたしかに
ようやく食事に手をつけることを許された私は、素うどんをすする。ふやけきった天かすも悪くはなかった。
「ねえ、部活が決まったら教えてね」
「ああ、うん?」
「その顔、忘れてたでしょ」
「いや、覚えてた。あれだよ、文学部なんていいんじゃないかなって思ってる」
集まって本を読むだけの部活。中学のときの文学部はそうだった。
高校も似たり寄ったり、大した活動なんてしていないに
「うちの文学部、毎年コンクールに
「絶対に入らん」
「やっぱり考えてなかった!」
なんだよ文学部のくせにその
「だからさ、一緒にマネージャーしようよ」
「誰の世話もするつもりはない」
「ドリンク作ったり、
「重労働だ」
「そう?」
萌々子はあれだ、家でもやってるから楽勝なんだ。
「入れる部活がないなら作ってもいい。正式な帰宅部を」
「……伊与ってさ、自分が楽をするためには労力を
矛盾上等。私の原動力はいかに動かずに済むかなのだ。物心ついたころから
そもそも部活
「うーん、ひとつだけあるっちゃあるかもだけど。それも運動部にひとつだけ」
「運動部?」
「そ。サッカー部の見学に行ったときに聞いたんだけどね、なんか部内が
「それだ」
「ええっ、本気? ちょっとした事故物件だよ?」
運動
これでいいのか私の高校生活。いいんです。楽に生きたいから。
萌々子にもらった情報を
しばらく周囲をうろうろしていると、たんっ、と
たんっ。
もう一度聞こえた。少し迷って、音の発信源を探すことにした。萌々子から聞いた部活は、おそらく音のする方向にある。
活動はほぼ停止していると聞いていたけれど、熱心な部員はいるらしい。見学は
数分後、扉を開け、なぜだか
入り口らしきものを見つけて手をかけたときだった。なんの
「見学者か」
「え、あの」
「ここで待ってろ。中にはまだ入るなよ」
口をぱくぱく開閉している私の
私は言われたとおり、入り口近くで待っていた。開けっ放しになっていた入り口の扉から中を
三分くらいして、男子生徒は
「……それ、矢、ですよね?」
「当たり前だろう」
男子生徒は入り口近くにあった
ひとり残された私は辺りをきょろきょろ見回して、彼以外の部員を探した。けれどしんと静まり返った敷地内は、誰かの存在を否定していた。
「なにやってる。もう入っていいぞ」
姿は見えないが中から声がした。
見えないし、
建物内は板張りで、玄関の横にある部屋は和室になっていた。脱いだ
「そこに座って」
「あ、はい」
「正座に
「説明とか苦手だから、とりあえず見てろ。分からないことがあったら後で
浅く礼をして、道場内を進んでいく。
道場の真ん中辺りまで歩いていくと、方向
じれったいほどゆっくりとした動作なのに、不思議と規則的だった。見学者なんてまるで気にも留めていないのか、彼の視線は一度もぶれることはない。
やがて立ち上がった彼は芝生の先、的がある方向に顔を向けた。ふわりと重さを感じさせない動きで弓を持った両手が上がる。きりきりと音を立てながら、両手が左右に開く。矢は水平にゆっくりと下がっていった。
ぴたりと動きが止まる。いや、よく見ると小刻みに
夢から覚めたみたいに、びくりと体が震えて、急激に意識が戻ってくる。
異変はその直後にやってきた。前のめりになるともぞもぞと足を動かし、
突然苦しみだした私にお構いなしに、たんっ、と二度目の音が鳴った。
「
「……はい」
数分後、
一心不乱に弓を引く男子生徒を見ていて確信する。私のことを
こっちはいつまた
ひとりで部室を使用しているところを見ると、おそらく二年か三年だろう。
萌々子の言うとおり、熱心とはいえない活動ぶりだ。ただし目の前の彼を除いては、だけど。
「やってみるか」
いつの間にか目の前にいた男子生徒は、あぐらをかいている私を見下ろしてほんのわずか
再び戻ってくると、まだあぐらをかいて座っている私に「体操着は?」と訊いてきた。
「持ってますけど」
「じゃあ
「ジャージの上は脱げ。危ないから」
「危ない?」
「ファスナーに引っかかるかもしれないだろ」
「なるほど」
全然分かってないのに返事をするのは私の悪い
上は体操着、下はジャージ姿になった私は白い
それから手袋みたいなのを渡されて、見よう見まねで右手に
「こっち、ここに立て」
「はあ」
言われたとおりの場所に立つと、逆だと向きを変えられた。
「持って」
「おお」
いきなり弓を差し出されて、おっかなびっくり握った。この前持ってたらめちゃくちゃ
「指はこうだ」
気をつけていないと矢はすぐに弓から落ちそうになった。言われたとおりにしたけれど、かなり持ちにくい。
「左手の指はこう持つ」
このひとは、力加減というものを知らない。ぎうぎう指を好き勝手に動かされて、男子と近くて恥ずかしがる
「これで両手をゆっくり持ち上げるんだ。もっと、もっとだ」
両手を握られたままバンザイさせられた。これは
「力は入れるな。俺が動かすから」
そう言って左手をぐいと的に向かって動かした。
「そのまま両手を広げるぞ。力は入れるなよ」
まるで
「手、
「えぇっ」
「そのまま引いて、もっと」
「む、無理っす」
「もっと引け」
「だから無理っ」
なんとも表現しがたい音がしたかと思うと、矢は
「最初はこんなもんだ」
「う、
「本当だ」
「だって、すごくやりにくいし、なんか変な感じだし」
ぶちぶち文句を言っていると、男子生徒は矢を拾って私の手から弓を取った。そのまま姿を消したので、さすがに怒ったのだろうかと
「六時になったから片付け始めるぞ」
全然怒っていなかった。
私もよくマイペースだと言われるが、このひとも
足袋と手袋を返して、
「どこ行くんだ。
「私、部員じゃないんですけど」
「モップ」
こっちの反論を無視してモップを渡された。だからぁとさらなる
なんてマイペースなヤツなんだ。
いなくなったと思ったヤツは、
それほどゴミも見当たらない玄関を雑に掃き終わる。落ち葉や
「お前、もしかして左
「そうですけど」
左手に持った箒を元の場所に戻し、掃除の間に見つけた水道で手を洗った。ハンカチがないのでジャージのズボンで手を
「左利きがですか?」
「ああ」
左利きは日常生活でけっこう不便なシーンがある。
「左利きのほうが
めっちゃ
今までの短文はなんだったんだと言いたいくらいの長文に
すべての掃除と片付けを終えると、六時二十分になっていた。弓道場は
「
無口短文キャラに戻ってしまったヤツは、制服に着替えて出口に立っていた。私は
「そうだ
「
「部長ですか」
「
なんだ、違うのか。この
「部員、少ないんですか」
「……そうでもない」
無表情に
何年生ですか。二年。練習厳しいですか。そいつ
「弓道、楽しいですか」
返事は、なかった。開きかけた
「色々ありがとうございます。帰ります」
頭を下げて
入部の
金曜日、六時間目の授業が終わると同時に職員室に向かった。
入部届は二枚あって、一枚は担任に、もう一枚は部の
松本先生はすぐに見つかった。入部届を
「あまり熱心な部活動じゃないみたいだよ」
「知ってます」
「ちゃんと参加するよね?」
「そのつもりです」
なんとか担任の判子をもらうと、それを今度は顧問に渡す。これで仮入部が
顧問の先生は同じ職員室にいた。眼鏡をかけたわりと若い先生だ。最近テレビでよく見る太った芸人にけっこう似ていた。
「入部届、出しにきました」
授業の資料を作るのに夢中になっているのか、最初は無視された。入部届を目の前に
「なんだこれ」
「入部届です」
「え、入るのか?」
本当にこのひとは顧問だろうか。まるで
「先生、来てください!!」
どの先生なのかそれぞれが顔を見合わせているうちに、目の前の顧問が立ち上がり走り出した。太っているくせに思わぬ
向かった場所は分かっている。弓道場だ。顧問に
見知らぬ男子生徒が唇の
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