第一話_二 


「なんで一時間も早く起こしたのに、遅刻ギリギリなワケ?」

 昼間の食堂は、相変わらず混雑が激しい。ささっと食べてすぐ席をゆずるのがあんもくりようかいだというのに、私はまだ一口も食べさせてもらえていなかった。

 というのも、モーニングコールをしてくださった友人がはしを持とうとするたびに睨みつけてけんせいし、自分だけはオムライスをがつがつ食べながら説教をかましてくるからだ。

 注文したうどんにトッピングした天かすがすっかりふやけてしまったのを悲しいまなしで見つめながら、私は素直に事情をくことにした。

ゆうぶっこいてたら時間が過ぎてた」

「それだけ?」

「ほ、ほくけんの再放送を見てた」

 なつかしくてついつい見入ってしまったおかげで、いつもの時間になってしまったのだ。朝から血しぶきを見せ付けられた上に、遅刻までするところだった。危なかった。

「でもさ、早く起きてもすることないしさ。萌々子はなにしてんの?」

「メイク」

「なんか高校生になってから急に目がでかくなったと思ったらそれか」

 一時間かけて作られた萌々子の顔はたしかにわいかった。うちのクラスの派手な女子グループのだれも萌々子にかなわないだろう。いだいた感想を口に出すと、萌々子はかんぺきなメイクがほどこされた顔で、まるで小学生みたいにじやな笑みを浮かべた。

 ようやく食事に手をつけることを許された私は、素うどんをすする。ふやけきった天かすも悪くはなかった。

「ねえ、部活が決まったら教えてね」

「ああ、うん?」

「その顔、忘れてたでしょ」

「いや、覚えてた。あれだよ、文学部なんていいんじゃないかなって思ってる」

 集まって本を読むだけの部活。中学のときの文学部はそうだった。

 高校も似たり寄ったり、大した活動なんてしていないにちがいない。そう高をくくっていた私に、萌々子はびっくりした顔で言った。

「うちの文学部、毎年コンクールにおうして賞をるようなところだよ? 入るの? 本当に?」

「絶対に入らん」

「やっぱり考えてなかった!」

 なんだよ文学部のくせにそのおうせいな活動よくはよ。私の第一志望の部活がいとも簡単にポシャってしまった。

「だからさ、一緒にマネージャーしようよ」

「誰の世話もするつもりはない」

「ドリンク作ったり、せんたくとか買い出しするだけだよ」

「重労働だ」

「そう?」

 萌々子はあれだ、家でもやってるから楽勝なんだ。のどまで出かかった言葉を飲み込んで、出汁だしに浮かんだネギを箸でしつこく追い回した。

「入れる部活がないなら作ってもいい。正式な帰宅部を」

「……伊与ってさ、自分が楽をするためには労力をしまないところあるよね。そういうのじゆんっていうのよ」

 矛盾上等。私の原動力はいかに動かずに済むかなのだ。物心ついたころからつらぬいてきたスタンスを、今さら変えるつもりは毛頭ない。面倒くさがりには面倒くさがりなりの鉄の意志というものが存在する。

 そもそも部活ひつなんておかしいではないか。学生の本分は勉強だろう。家に帰って勉学にはげみたい生徒はどうなる。私は勉強しないけどな。

「うーん、ひとつだけあるっちゃあるかもだけど。それも運動部にひとつだけ」

「運動部?」

「そ。サッカー部の見学に行ったときに聞いたんだけどね、なんか部内がぶんれつしてるみたいで、今は活動停止も同然だって」

「それだ」

「ええっ、本気? ちょっとした事故物件だよ?」

 運動ぎらいな私にとって運動系の部活は論外だけど、活動停止なら話は違う。入部だけしておいて、ほかの部員同様、積極的に参加しなければいい。

 これでいいのか私の高校生活。いいんです。楽に生きたいから。


 萌々子にもらった情報をたよりにやってきたのはゴミ捨て場だった。なんでも今は使われていない裏門の近くに練習場があるらしいけど、グラウンドからはかなりはなれた位置だし、それらしいせつも見えない。

 しばらく周囲をうろうろしていると、たんっ、とするどい音がした。何かがれつしたような、でも風船とは違うものだ。

 たんっ。

 もう一度聞こえた。少し迷って、音の発信源を探すことにした。萌々子から聞いた部活は、おそらく音のする方向にある。

 さぐるように歩いていると、やがてちゆうしや場に出た。奥のほうにはフェンスで囲われた建物が見える。音はそこからしていた。

 活動はほぼ停止していると聞いていたけれど、熱心な部員はいるらしい。見学はめて、入部届だけをもんに出そうかといつしゆん考えた。けれど何も知らずに入部するのもこわい。実は情報はガセで活動熱心な部活でしたとかだったらシャレにならん。

 かぎかっていないフェンスのとびらが、まるでこちらをさそい込むように風にられていた。そこには『見学自由』のチラシがってある。

 数分後、扉を開け、なぜだかしのび足でしき内に入っていた。足音を立てることすら躊躇ためらわれるせいじやくの中、そろそろと建物に近づいていく。フェンスの内部にはグラウンドというには小さすぎるしばがあった。さっきまで聞こえていた音はいつの間にかしなくなっている。

 入り口らしきものを見つけて手をかけたときだった。なんのまえれもなく内側から扉が開かれた。

 とつぜんのことにおどろいて声を上げることも動くこともできなかった。中から出てきたのははかま姿すがたの男子生徒。ゴミ捨て場で会った、彼だった。

「見学者か」

「え、あの」

「ここで待ってろ。中にはまだ入るなよ」

 口をぱくぱく開閉している私のわきを通りけ、男子生徒は行ってしまった。といっても敷地外に出たんじゃない。フェンス沿いに歩いていって、別の扉を開けて姿を消した。

 私は言われたとおり、入り口近くで待っていた。開けっ放しになっていた入り口の扉から中をのぞいてみる。うすぐらい室内に、弓がずらりと並べられていた。

 三分くらいして、男子生徒はもどってきた。手に何かの束を持っている。

「……それ、矢、ですよね?」

「当たり前だろう」

 男子生徒は入り口近くにあったかさてみたいなものに矢を入れた。そしてぞういで、中に入っていった。

 ひとり残された私は辺りをきょろきょろ見回して、彼以外の部員を探した。けれどしんと静まり返った敷地内は、誰かの存在を否定していた。

「なにやってる。もう入っていいぞ」

 姿は見えないが中から声がした。げんかん前で、私はちゆうちよする。

 見えないし、げてしまおうか。そう思ったのは一瞬で、次にはもう中に入って扉を閉めていた。扉の外に掛けられた木製の看板には、『きゆうどう』と書いてあった。

 建物内は板張りで、玄関の横にある部屋は和室になっていた。脱いだくつを靴箱に入れて、おそる恐る板張りのゆかに上がる。男子生徒をさがして短いろうを進むと、テレビで見るような道場に出た。さっき見た芝生がすぐ正面にある。

「そこに座って」

「あ、はい」

「正座につかれたら、足くずしていいから」

 とんは見当たらなかったので、仕方なく正座した。ひざがごりっと鳴った。痛い。

「説明とか苦手だから、とりあえず見てろ。分からないことがあったら後でいてくれ」

 いくぶんはなれたところで正座した男子生徒が、右手にぶくろのようなものをめながら言った。それが終わると立ち上がり、玄関に向かう。すぐに戻ってくると、矢と弓を両手に持っていた。

 浅く礼をして、道場内を進んでいく。つうの歩き方じゃない、床をるような歩き方だった。

 道場の真ん中辺りまで歩いていくと、方向てんかんして彼は座った。もう一度、礼。立ち上がり、道場のはしまで進む。再び座って膝立ちで方向を変え、また座る。

 じれったいほどゆっくりとした動作なのに、不思議と規則的だった。見学者なんてまるで気にも留めていないのか、彼の視線は一度もぶれることはない。

 やがて立ち上がった彼は芝生の先、的がある方向に顔を向けた。ふわりと重さを感じさせない動きで弓を持った両手が上がる。きりきりと音を立てながら、両手が左右に開く。矢は水平にゆっくりと下がっていった。

 ぴたりと動きが止まる。いや、よく見ると小刻みにふるえていた。戻ろうとするつるに負けないように、けれど彼の表情はすずしいものだ。その光景をぼんやりと見つめていた。不意に、たんっ、と音が聞こえた。

 夢から覚めたみたいに、びくりと体が震えて、急激に意識が戻ってくる。ちゆうから時間を忘れて見入っていたことに気がつき、ふう、と大きく息をき出した。

 にぎめたこぶしがじっとりとあせにじんでいた。息をめていたせいで呼吸が少しはやい。見ていただけなのに、私は疲れきっていた。

 異変はその直後にやってきた。前のめりになるともぞもぞと足を動かし、え切れずにうめき声を上げた。足がったのだ。

 突然苦しみだした私にお構いなしに、たんっ、と二度目の音が鳴った。

だいじようか」

「……はい」

 数分後、つくばった私は情けなさから身を縮めていた。彼はまた姿を消すと、座布団を持ってきてぽいとほうり投げてきた。これを最初に出してくれればよかったんだよ。

 やわらかい座布団のかんしよくにしみじみとしていると、矢を持った彼が再び道場に姿を見せた。座布団一枚で見学者に気をつかったつもりでいるらしい。普通、部活のかんゆうというものは、なんとかして入部してもらおうと新入生をちやほやするものではないだろうか。

 一心不乱に弓を引く男子生徒を見ていて確信する。私のことをいつさい覚えていないにちがいない。

 こっちはいつまたりつけられるんじゃないかとドキドキしていたというのに、相手がこれではきんちようするだけだとさとった。開き直ってあぐらをかくと、見学者そっちのけで部活にいそしむ男子生徒を観察した。

 ひとりで部室を使用しているところを見ると、おそらく二年か三年だろう。ほかの生徒がいないということは、あまり部員は多くないのかもしれない。そういえば入学初日の部活しようかいに、弓道部はなかった気がする。

 萌々子の言うとおり、熱心とはいえない活動ぶりだ。ただし目の前の彼を除いては、だけど。

「やってみるか」

 いつの間にか目の前にいた男子生徒は、あぐらをかいている私を見下ろしてほんのわずかけんしわを寄せた。しかしすぐに無表情に戻ると、私の返事も聞かずに姿を消した。

 再び戻ってくると、まだあぐらをかいて座っている私に「体操着は?」と訊いてきた。

「持ってますけど」

「じゃあえてこい」

 こう室は隣のプレハブだと言われ、よく分からないまま体操着に着替えることにした。まだはだざむいので上にジャージを着て道場に戻ると、さっそくだしされた。

「ジャージの上は脱げ。危ないから」

「危ない?」

「ファスナーに引っかかるかもしれないだろ」

「なるほど」

 全然分かってないのに返事をするのは私の悪いくせだと萌々子に言われた気がするが、まあいい、危ないらしいから。

 上は体操着、下はジャージ姿になった私は白いくつしたわたされた。よく見ると足袋たびだった。七五三でいた時以来だ。

 それから手袋みたいなのを渡されて、見よう見まねで右手にめた。

「こっち、ここに立て」

「はあ」

 言われたとおりの場所に立つと、逆だと向きを変えられた。

「持って」

「おお」

 いきなり弓を差し出されて、おっかなびっくり握った。この前持ってたらめちゃくちゃおこってたくせに。

「指はこうだ」

 気をつけていないと矢はすぐに弓から落ちそうになった。言われたとおりにしたけれど、かなり持ちにくい。

「左手の指はこう持つ」

 このひとは、力加減というものを知らない。ぎうぎう指を好き勝手に動かされて、男子と近くて恥ずかしがるひまもなかった。デリカシーなさそうだな、と失礼な感想をいだいてしまった。

「これで両手をゆっくり持ち上げるんだ。もっと、もっとだ」

 両手を握られたままバンザイさせられた。これははたから見たら一体どんな光景になるんだろうか。

「力は入れるな。俺が動かすから」

 そう言って左手をぐいと的に向かって動かした。たんに両手にがかかる。

「そのまま両手を広げるぞ。力は入れるなよ」

 まるであやつり人形みたいに体を動かされる。でも力を入れるなというのは無理な話だ。力入れないと両手が広がらないじゃん。現にうでがプルプル震えはじめて、早くも限界をうつたえている。

「手、はなすぞ」

「えぇっ」

「そのまま引いて、もっと」

「む、無理っす」

「もっと引け」

「だから無理っ」

 なんとも表現しがたい音がしたかと思うと、矢はねるようにはずんで数メートル先に落ちた。弓は落とさずに済んだけど、自分でも何が起こったのかまったく分からなかった。

「最初はこんなもんだ」

「う、うそだ」

「本当だ」

「だって、すごくやりにくいし、なんか変な感じだし」

 ぶちぶち文句を言っていると、男子生徒は矢を拾って私の手から弓を取った。そのまま姿を消したので、さすがに怒ったのだろうかとこわくなった。

「六時になったから片付け始めるぞ」

 全然怒っていなかった。

 私もよくマイペースだと言われるが、このひともたいがいだ。いや彼の場合、変人も入っている気がする。

 足袋と手袋を返して、めんどうくさいので体操着のまま帰ろうとした。

「どこ行くんだ。そうを手伝え」

「私、部員じゃないんですけど」

「モップ」

 こっちの反論を無視してモップを渡された。だからぁとさらなるこうをする前に、ヤツは道場を出て行った。

 なんてマイペースなヤツなんだ。とつに受け取ってしまったモップをもどして帰ってやろうかと思った。しかしいかりを収め、それほど広くない道場にモップをかけ始めた。

 いなくなったと思ったヤツは、しばの向こう側に現れた。矢をいて、的を外してまたどこかへ姿を消す。モップけを終えた私にほうきを渡し、今度はげんかん周辺をけと命じた。

 それほどゴミも見当たらない玄関を雑に掃き終わる。落ち葉や砂利じやりちりりで回収しているとヤツが戻ってくるなり言った。

「お前、もしかして左きか?」

「そうですけど」

 左手に持った箒を元の場所に戻し、掃除の間に見つけた水道で手を洗った。ハンカチがないのでジャージのズボンで手をいていると、背後で「いいな」と声がした。

「左利きがですか?」

「ああ」

 左利きは日常生活でけっこう不便なシーンがある。せまいお店だととなりのひとにひじが当たって舌打ちされるし、改札通りにくいし、しんせきのおじさんには右利きにしろとやたらと言われるし。いいことなんて、ひとつもないんだけどな。

「左利きのほうがきゆうどうじゃ有利だって言われてるんだ。というのも右利きだとだん左はそんなに使わないだろ。筋力は右に比べて落ちるし、そうなるとゆんも安定しない。押し負けるんだ。でも左利きだとぶれにくいし、れいに引ける。最初は慣れないと思うが、絶対左利きはいい。弓道に向いてるぞ、お前」

 めっちゃしやべってきた。

 今までの短文はなんだったんだと言いたいくらいの長文にあつとうされて、私はコクコクうなずくことしかできなかった。

 すべての掃除と片付けを終えると、六時二十分になっていた。弓道場はしんせいしなければ六時半までと決まっているそうだ。

かぎけるから、出ろ」

 無口短文キャラに戻ってしまったヤツは、制服に着替えて出口に立っていた。私はかばんを手にくつを履こうとして、まだ相手の名前を知らないことに思い当たった。

「そうだせんぱい、名前はなんですか」

かぶらてつ

「部長ですか」

ちがう」

 なんだ、違うのか。このえらそうな態度、部長以外にないと思ったんだけどな。

「部員、少ないんですか」

「……そうでもない」

 無表情にいつしゆんひびが入った気がした。けれど気にせず、私は続けた。

 何年生ですか。二年。練習厳しいですか。そいつだいだ。土日もやってますか。土曜日ならときどきやってる。

「弓道、楽しいですか」

 返事は、なかった。開きかけたくちびるが何かを言いかけて閉じるのを、私はしっかりと見た。

 ちんもくが続く。先に動いたのは私だった。

「色々ありがとうございます。帰ります」

 頭を下げてけ足で門を目指した。ちゆう、ゴミ捨て場の桜の前で足を止める。

 入部のめ切りは明日あした。一晩考えなくても、結論はもう出ていた。


 金曜日、六時間目の授業が終わると同時に職員室に向かった。

 入部届は二枚あって、一枚は担任に、もう一枚は部のもんに持って行くことになっている。

 松本先生はすぐに見つかった。入部届をわたすと、いい顔はされなかった。

「あまり熱心な部活動じゃないみたいだよ」

「知ってます」

「ちゃんと参加するよね?」

「そのつもりです」

 こくの印象が強いのだろう、かなりかい的な目で見られてしまった。おい、生徒を信じろよ。

 なんとか担任の判子をもらうと、それを今度は顧問に渡す。これで仮入部がかんりようだ。一ヶ月の仮入部期間が過ぎると本入部。晴れて私は正式な弓道部員となる。

 顧問の先生は同じ職員室にいた。眼鏡をかけたわりと若い先生だ。最近テレビでよく見る太った芸人にけっこう似ていた。

「入部届、出しにきました」

 授業の資料を作るのに夢中になっているのか、最初は無視された。入部届を目の前にき出すと、やっとこちらに意識を向けた。

「なんだこれ」

「入部届です」

「え、入るのか?」

 本当にこのひとは顧問だろうか。まるでかんげいされていない態度にげんな表情をかべていると、とつぜん職員室のとびらが開かれ、悲鳴のようなさけびが聞こえた。

「先生、来てください!!」

 どの先生なのかそれぞれが顔を見合わせているうちに、目の前の顧問が立ち上がり走り出した。太っているくせに思わぬしゆんそくを見せつけると、私と呼びにきた生徒をあっという間に引きはなしていった。

 向かった場所は分かっている。弓道場だ。顧問におくれてとうちやくすると、昨日の静けさが噓のように道場はさわぎになっていた。

 見知らぬ男子生徒が唇のはしから血を流している。少し離れた場所では鏑木先輩が数人の生徒にめにされて、ひどくあらい呼吸をり返していた。

 そうぜんとなった道場で、鏑木先輩と目が合った。あの日、ゴミ捨て場で会ったときと同じ、傷ついた目をしていた。





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