堀川さんはがんばらない/あずまの章

角川ビーンズ文庫

登場人物紹介/第一話

◇登場人物紹介



堀川ほりかわ伊与いよ

高校1年生。無気力マイペース。朝が弱い。



鏑木かぶらぎ鉄矢てつや

高校2年生。芯が強い日本男児。弓道バカ。



藤原ふじわら先輩せんぱい

弓道部、副部長。真面目で良き指導者。



梅路うめじ大悟だいご

弓道部員。やんちゃで短気。藤原先輩が大好き。



植田うえだ萌々子ももこ(ルビ:うえだももこ)

伊与の幼なじみ。サッカー部マネージャー。女子が苦手。





 道路に降り積もった花びらを巻き上げ、自転車がしつそうする。

 入学祝いにと買ってもらった八段変速のマウンテンバイクは車道を走る自転車通勤のサラリーマンたちをごぼうきにしていった。数メートル先には信号が見える。あれにつかまったら三分のロスだ。上体を起こし、ペダルにせた足に力がこもる。

 と、ここで急ブレーキ。体を前のめりにしてなんとか止まった私の目の前を、横道からノンブレーキで入ってきたロードバイクにまたがった学生が通り過ぎていく。片手にはスマホ。冷たい視線を送った直後、信号は無情にも青から赤へと変わった。

ほりかわさんは、朝が弱いのかな?」

 一時間目を無事こくした私は、昼休みに担任から呼び出しをくらった。

 担任のまつもと先生は、見た目は二十代のまだ若い男性教師だ。担任教師になるのは今年からだそうで、見るからに張り切ってますという感じが初対面のときからどうにも苦手だった。

「入学式からすでに遅刻四回っていうのが、よくないことは分かるよね」

「すいません」

 ただ言い訳をさせていただくなら、今月はまだ四回だ。

 ここえだ高校では、一学期に二十回以上遅刻すると、学校周辺のそうをしないといけない。ということはだ、一学期が四ヶ月だから、一ヶ月で四回遅刻しても合計で十六回。つまりは二十回には届かずペナルティは科せられない。そこんところをきちんと計算している私にしてみれば、まだ四回なんだよ、先生。

だれか起こしてくれるひとはいないの?」

「両親は私より先に家を出ますし、今まで起こしてくれてた小学生の弟は飼育委員になったとかで、前より早く家を出るんです」

「小学生の弟さんに起こしてもらってたの?」

「はい」

 あまりにも堂々と返答する私に、松本先生は数秒だまり込んだ。あきれてものが言えないというところだろうか。私自身、情けなくは思ってる。自覚してるからどうか安心してほしい。

「どうして起きられないのかな? かしかな?」

 昼休みが始まってもう十分はたつというのに、先生はしつこかった。初めて受け持つクラスに、私のようなこくがいたことがよほどお気にさないらしい。

ぎたないだけです」

 、三度寝は当たり前。アラームは十分刻みにセットしてるけど、ほぼこうといってもいい。三度の飯より寝るのが好きだと母親に言わしめた私が、寝る間もしんで受験勉強をして高校に受かっただけでもめてほしいくらいだ。

「遅刻してごめんなさい、先生。あと友達を待たせてるんですけど」

「堀川さん、反省してる?」

ちようしてます」

「……分かった。じゃあ明日あしたからは遅刻しちゃだよ?」

 私は無言でうなずいておいた。遅刻しないとは約束できない。一ヶ月に四回までは自分に遅刻を許そうと決めているのだ。

 先生に頭を下げて、退出する。解放されたあんから、職員室のよどんだ空気を一気に外へとき出した。

、終わった?」

 職員室のすぐ外には、同じクラスで友人のがいた。

「終わった終わった。食堂行こ」

「もう、ちゃんとまっつんに謝った?」

「謝った謝った」

 まっつんというのは松本先生のあだ名だ。本人は松本先生と呼びなさいと注意しているものの、生徒からあだ名で呼ばれるのはまんざらでもないといった様子だ。私は絶対に呼んでやらんけどな。

しんちゃんがいなくても、起きられるようにしなきゃ」

「私も努力してる。十分ごとにスマホのアラーム設定してるもん」

「それ駄目なやつじゃん」

 萌々子がほおふくらませて不満をあらわにした。そのわざとっぽい表情は、小学生のときから変わらない。一部の女子から『ぶりっこ』と言われてもやめないくせは、もはや萌々子の身にみ付いた癖だ。そしてその頰をつついて空気を押し出すのは、小学生のときから変わらない私の役目である。

「明日からは、私が電話して起こしてあげる。いい?」

「ありがてえ」

 持つべきものは友達かな。小学生からずっと続く友情に感動して腹の音を鳴らしていると、萌々子は顔を寄せてそっとささやいてきた。

「その代わり、遅刻しなくなったのは私のおかげだって、ちゃんとまっつんに言ってね?」

 打算的なところも小学生のときから変わらない。松本先生、うちのクラスには遅刻魔のほかに超れんあい体質もいます。気をつけてください。


 昼休みがはじまってから十五分たった食堂は予想通りんでいた。どうする、と萌々子に視線を送ると、本人は近くにあったテーブルに歩いていった。

「あのー、そっちめてください」

 上級生であろう男子生徒ににっこりほほみかけると、二人分のスペースができあがった。こういうところはすごいなとなおに感心した。

 私は味噌みそラーメン、萌々子はオムライスをたのんで、空いた席に二人並んで座って食べた。

「食堂でランチなんて、高校生って感じよね」

 萌々子は昨日も同じことを言っていたような気がするが、黙って同意しておいた。

 食堂のラーメンの味はそこそこといった感じで、これなら初日に食べた素うどんのほうがまだましだった。萌々子のオムライスをちらりとぬすみ見てみると、卵は固そうで、あまり美味おいしそうには見えなかった。

「ねえ、伊与はもう決めた?」

 スープの底にしずんだコーンを熱心にすくっていた私は、萌々子の話をまったく聞いていなかった。ようやくすくえたひとつぶを口の中にふくみながら、とりあえず首を横にっておいた。

「私はね、マネージャーをしようと思ってるの」

「マネージャー?」

「そ。サッカー部とか、よさそうじゃない?」

 マネージャー。サッカー部。コーンの甘みを味わいながら、ああ部活か、とやっと理解した。

「いいと思うよ。萌々子、世話好きだし」

「そう思う? じゃあ入部届、書いてこなきゃ」

 スープをはしでぐるぐる回してもう一粒も残ってないことをかくにんすると、満足して箸を置いた。萌々子もオムライスを食べ終わって、セルフサービスのお茶を飲んでいた。

「それで、伊与は部活は何にしたの?」

「帰宅部」

「それは部活じゃないでしょ」

ほかに入りたいのないし。もう帰宅部に入部届出しちゃったし」

「誰に出すのよ。ていうか伊与、知らないの? うちの学校って部活ひつだよ」

「マジで」

 きようがくおののいていると、「説明会で言ってたよ?」と萌々子が教えてくれた。その説明会とやらはじゆくすいしていたおくがある。つまり説明会の内容は記憶していないということだ。

「私といつしよにマネージャーするのは?」

「それはやだ」

「でもめ切り、今週だよ? 間に合うの?」

「なんとかする。ほとんど活動しなくていいチョロい部活、探して入るよ」

「伊与って真面目まじめそうな顔してるのに、中身はほんと不真面目っていうか、マイペースよね」

「マイペースかあ。最近気づいたんだけどさ、マイペースって実は褒め言葉じゃないよね」

「今さら気づいたの?」

 萌々子のため息を聞きながら、ラーメンのスープを意味もなくかき回す。コーンがひとつ浮き上がってきたので、残すことなくいただいた。


 その日の放課後、帰る萌々子に別れを告げ、私は教室に残った。部活探しではない、掃除当番だからだ。

 掃除のメンバーは男子と女子が三人ずつ。同じクラスになったばかりで仲が良いどころか名前すらあやしい者同士、ろくなコミュニケーションがとれていない。男子はさっきから女子みたいに三人で固まってるし、私以外の女子二人は同じグループらしく、ぺちゃくちゃおしやべりばかり。

 私はさっさと自分の分担を済ませると、ゴミ捨てに行って来ると言って教室を出た。男子のひとりが「あ、」とすまなそうな声を出していたが、もうおそい。女子に重いものを持たせたという罪悪感を、今日一日くらいはぜひいだいてほしい。

 五分後、ゴミぶくろを持った私はほうに暮れていた。ゴミ捨て場は裏門近くにあると聞いていたのに、それらしき場所が見つからなかったからだ。裏門って、ひとつじゃなかったっけ?

 仕方なくへい沿いに歩くことにした。ゴミ捨てなんてやるんじゃなかった。今ごろそうのメンバー共は先に帰っているにちがいない。

 ふてくされて歩く私の視界に、ひらり、何かが横切った。虫かと思っていつしゆんびくついたけど、なんてことはない、ただの桜の花びらだった。おどろかせやがってと無言で悪態をつきながら、ゴミ捨て場を探す。

 歩くにつれて、花びらはびしばしと私の顔にぶつかることが多くなった。おそらくげんきようが進行方向にあるのだろう。

 ほどなくして、ゴミ捨て場を見つけた。裏門の近くとは聞いていたけれど、今はもう使われていないもうひとつの裏門の近く、が正解だった。

 となりでは桜の木が枝を揺らしていた。おそきなのか、他のほとんどの桜が散った中、ゴミ捨て場の桜は満開、今がまさに見ごろだった。こんなところで咲いているのがもったいないくらいの立派な枝ぶりにしばしれる。今年は弟を連れて近所の土手で花見をしたが、そこで見たものよりもずっと大きな桜だった。

 ざっと風がいて枝がしなる。我に返ると、本来の目的を思い出した。

 防護ネットをめくり、持ってきたゴミ袋を押し込む。しかし力任せに入れたのがいけなかったのか、上のほうに積まれていたゴミがぐらりと揺れたと思った瞬間、こっちめがけて雪崩なだれのように転がり落ちてきた。

 とつに後退して難をのがれる。しようげきい上がった花びらを見て、周囲を見て、だれもいないことにほっとした。だるいなあとつぶやきながら、くずれたゴミを片付ける。びたトタンや、段ボール、けいこうとう、地面に横たわった長い、なんだこれ。

 布でぐるぐる巻きにされた長い何かは、垂直に立てるとずいぶんと大きいことが分かった。スキー板、ではないと思う。細すぎるし、軽すぎる。片手で持ってもゆうだ。

 何かは分からないが、ゴミの山にそっと立てかけようとした、そのときだった。

さわるな!」

 とつぜんせいが、空気をふるわせた。

 おそる恐る声のしたほうに視線を動かすと、白い道着にはかま姿すがたの男子生徒が立っていた。一年生ではないだろう。新入生にありがちなうわついたふんが少しもない。するどとがった視線が、私ではなく、私の手にあるものにだけ注がれていた。

 やがて、無言でこちらに歩いてくる。静かな足取りだったが、全身からき出すような激しさを感じた。

「返せ」

 声が、震えていた。

 あつに取られて動かない私に、彼はもう一度言った。返せ、と。

 今度こそ言われるがままに手の中のものを差し出した。彼は両手でそっと受け取ると、一瞬だけうつむき、そしてすぐにきびすを返して去っていった。


 あれは上級生だったのだろうか。

 ゴミ捨て場のかいこうを思い出しながらとろとろと自転車をこいでいると、後ろから軽快な足音がした。追いいていくかと思いきや、制服を引っ張られる。地面に足をついて後ろを見ると、

「ねーちゃん」

 七歳違いの弟、しんだった。黒いランドセルを背負ってにこりとも笑わずに見上げてくる。

「あんた、帰るの遅くない?」

「図書室に行ってたから」


 小学三年生にして眼鏡をかけた弟は、見るからに頭が良さそうだった。実際に学校の成績も良いらしいが、ちょっと子供っぽくないところがある。あだ名は絶対『博士』だろう。萌々子いわく、私と弟は中身以外がそっくりらしい。ようは、しっかり者ということだ。

「ねーちゃん、高校はどう? いじめられてない?」

「小学生のブンザイで、私を心配せんでもよろしい」

「だってねーちゃん、ももちゃん以外にろくに友達いないじゃん。やる気ないし、今の高校受かったのはせきだってお母さん言ってたよ」

 まさかそんなふうに思われていたとは少しショックだ。私だって将来のことくらいちゃんと真面目に……考えてないな。まだ高校一年だし、将来のことなんてまだはるか先だろう。

「ねーちゃんはほうっておくと、ドブに落ちてそれすらどうでもよさそうなときがあるから、お母さんもお父さんも心配なんだと思うよ」

「ドブはひどくね」

 心配しなくてもたいていのドブにはさくがあるからだいじようだ。さすがの私もすいまみれになるのはめんこうむりたい。

 きようだいそろって自宅のマンションに帰ると、この時間にしてはめずらしく母がいた。夕飯のたくをしながら、帰ってきた私たちにがおを向けた。

「おかえり。一緒だったのね」

「どうしたの、お母さん。仕事は?」

「今日は半休」

 ふうんとあいづちを返して、自分の部屋に行った。すぐに部屋着にはえずに、ベッドにたおれこむ。間を置かずに、制服のポケットに入ったスマホがしんどうした。萌々子からのメッセージだった。

『掃除おつかれ様! 明日あしたはモーニングコールするから、ちゃんと出てね』

 マメだなあと思いつつ、りようしようの返事をする。するとすぐに返信がきた。

『部活はもう決めた? 私も一緒に探そうか?』

 大丈夫、とだけ返して、スマホをベッドに投げ出した。私が人間なのは、マメにめんどうを見てくれる萌々子にも原因がある気がする。ドブに落ちそうになっている私を引っ張って元の位置にもどしてくれる存在がそばにいれば、ちょっとくらい人生サボっても大丈夫だろうと思わせるのだ。私のようにサッカー部員がらくしないだろうか、ちょっとだけ心配になった。

 気が進まないが、明日は部活を回ってみるつもりだった。私のような面倒くさがりにピッタリな部活のひとつくらいはあるだろう。いくつか候補を並べていると、最後にあの男子生徒の姿がかんだ。

 言い訳する時間ぐらい、くれればよかったのに。

 明日のゴミ捨ても、私が行ってみようと思った。会えればいいなとあわい期待を抱きながら、てんじようを見上げてやがては目をつぶる。制服はしわになるけど、かまわない。


 翌朝、約束どおり萌々子はモーニングコールをしてくれた。ただ残念なことに、私が起きる予定の時間よりも一時間早かった。七時とか信じられん。というワードが頭をよぎったけど、これでこくしたらちがいなく友情にれつが入るだろう。仕方なく、本当に仕方なくベッドから抜け出した。今日学校に行ったらモーニングコールは八時にしてくれとお願いしよう。

 顔を洗ってリビングに顔を出すと、家族全員に驚きの表情でむかえられた。私だって驚いてるよ。この時間、確実に夢の中だもの。

「おっどろいた。あんた、どうしたの? どっか悪いの?」

「お父さんが病院つれて行ってやろうか?」

「そこまで言うほど? 今日だけだよ」

 仕事がある両親は家を出るのが早いので、朝に顔を合わせることがない。自堕落な私のせいで長年かなわなかった四人のしよくたくが数年ぶりに実現してしまった。

 朝食を食べていると、同じ食卓についている母がコーヒーを入れながら言った。

「伊与、来週からお弁当作ってあげようか」

 なつとうを混ぜる手を止めて、びっくりして母を見た。中学のときはずっとこうばいのパンで昼食をしのいできたし、高校も同じなんだと思っていた。料理が苦手とかじゃない、仕事がいそがしい母には時間がないのだ。今日だっていつもならとっくに出勤している時間帯なのに、リビングでゆっくりとくつろいでいる。

まささんにも作ってあげる」

「ほんと? やった」

 父がじようげんでコーヒーのおかわりを母に注いでいる。弟の新也は朝のニュースに見入っていた。

「お弁当作る時間なんてあるの?」

「あるわよ。出勤時間、おそくなったから」

「それって帰ってくる時間が遅くなるってこと?」

「前といつしよよ。働く時間を減らしたの。私もとしだし、さすがに長時間勤務は厳しいわ」

「時間減らしたんなら、お弁当なんか作らずゆっくりしてればいいじゃん」

「時間ができたから、お弁当を作ってあげたいのよ。あと経済的だしね」

 キャリアウーマンとして働きづめだった母の突然の方針てんかんに、うれしさよりもまどいがまさる。単純に喜んでいる父に視線を送るが、本人はまるで気づいていない。あれが食べたいこれが食べたいと子供のようなリクエストをして、母を喜ばせていた。

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