第18話 前向き
東京に戻ると決めた翌朝。
庭の花に水をやっていると、本村君の姿が見えた。
「本村く……」
自分から話しかけようなんて、初めてかもしれないって言うのに、あいつは全く気付かずにうちの玄関へ。
「まっ……いいか。」
聞こえなかったのかもねと、また庭の花に水をやり始める。
すると、中から母の声がした。
「あら、本村さん。出海を探しているの?」
ドキッとした。
あいつが、私を探しているって……
何で?
「出海はね。庭の花に、水でもやってるんじゃないかしら。」
そう言って母は、庭に面している廊下の、大きな窓を開けた。
「出海。本村さん、来てるわよ。」
「えっ?」
今気づいた振りをして、振り返る。
その瞬間の、本村君の顔。
ハッと目を丸くして、まるで気が抜かれたように、私を見つめていた。
なに?
何が起こった?
「もう仕事終わり?」
いつもはあいつを見ると、顔をしかめてたけれど、今日は不思議な事に笑顔を見せられる。
気持ちが前向きになった、証拠かな。
「いや…これからお母さんと……」
「へえ、頑張ってね。あっ!うちのお母さんに、変なもの売りつけないでよ。」
「ばーか。うちの商品に、変な物なんてねえよ。」
いつものあいつの憎まれ口も、今日は面白く聞こえる。
そんな時に、母からの余計な一言。
「本村さんは、出海の事、気に入って下さってるの?」
「えっ?」
「ちょっと、お母さん!」
「初めてお会いした時からそうだったけど、本村さんが出海の事を話す時は、いつも楽しそうだったものね。」
「ははは……そう、ですかね。」
母からそう言う事を言われると、あいつに言われるよりも照れる。
「同級生って言ってたわね。いつぐらいから、出海の事を?」
あいつは、私の方を向いた。
「お母さん。本村君、困ってるでしょうよ。」
私が母に言い寄ろうとした瞬間、水をやるホースが手を離れ、目の前で暴れた。
それを追いかけて、二人の元を離れた時だ。
母と、本村君の会話が聞こえてきた。
「たぶん、小学生ぐらいの時からだと思います。」
「その割には、出海は本村さんの事、あまり覚えていないのね。」
「無理ないですよ。俺、学生の時は勉強ばっかりしているような地味なヤツでしたから…」
「そう。」
あいつが、微笑んでいるのが分かる。
「逆に出海さんは、勉強、スポーツ、行事の委員会とか、何やっても目立っていましたよ。」
「あら。」
「そんな彼女が、俺の存在に気づかないのも、当り前っていえば当たり前なんです。」
本村君は話している最中も、ずっとこっちを見ているような気がした。
「もしかしたら、俺……」
「ええ。」
「出海さんの目に少しでも映りたくて……今まで頑張ってきたのかもしれません……」
母が何も言わずに、廊下を立ち去ったのが分かった。
残されたあいつは、ずっと私の方を見ている。
今のタイミングで、向こうに行けないでしょ。
私はしばらく経ってから、後ろを振り返った。
「わっ!びっくりしたぁ!」
いつの間にか、あいつが私の後ろに立っていた。
私は身体を丸くして驚いているが、その目は真っ直ぐあいつを見つめていた。
あいつは少し微笑むと、ゆっくりと私に近づいた。
「仕事、いいの?」
「ああ、小形のお母さんがさ。」
「うん。」
「この前買ったカメラ付きのパソコンの説明は、また今度でいいから、おまえと話して来いって。」
「ええ~!お母さん、なんか誤解してんじゃないの?」
私が家の中をのぞくと、母親は柱の影から、ピースサインを出している。
「困るね。変な気、まわして。」
そう言って私は、恥ずかしながら、またホースで水を撒いた。
「おまえ、変わったね。」
あいつの口調は、明らかに優しくなっている。
「そうかな。」
「全然、印象が違くなったよ。」
「どんなふうに?」
「生き生きしてるし、すっげー明るくなった!」
その言い方に、私は調子が狂ってしまう。
「ね、ねえ…」
「ん?」
言うなら、今だと思った。
「私……東京に戻ることにしたんだ。」
少し声が上ずってしまった。
「そっか。おまえも決めたんだ。」
「うん。」
わざわざあいつを見なくても、私には分かった。
あいつが、私をずっと見つめていることを。
「本村君も、東京に行くんでしょ?」
「うん。」
「いつ行くか決まったの?」
「まあ、大体は。」
私も本村君も、もうここからいなくなる。
ちょっとだけ、寂しくなった。
「じゃあ、もしかしたら東京のどこかで、会うこともあるんだろうね。」
あいつは、キョトンとしている。
「あのさ…」
「その時は私だからって、無視しないでよ。」
私はあいつの話を遮った。
やっと仲良くなれたのに。
あいつも東京に行くというのに。
いくら狭いって言っても、あれだけ人口が多ければ、会えるわけないだろう?
分かりきっているけれど、その言葉をあいつからは聞きたくなかった。
「えっ……あ…うん。」
とりあえずあいつは、うんと言ってくれた。
「その時まで、お互い頑張ろうね!」
私は、これでもかというくらいの笑顔を見せた。
あいつに負けないくらいの、笑顔を浮かべた。
「敵わねえな、小形には。」
「えっ?」
私は久々に聞くその言葉に、頭の奥がくすぐったくなる。
「…好きだ。そういうおまえが…」
「えっ?」
私は、真顔で聞き返した。
「……聞こえなかったのか?」
「ごめん、何?」
あいつは大きく息を吸うと、今度は聞こえるように、大きな声で言った。
「おまえの事が好きだって、言ったんだよ。」
私の顔は、どんどん赤くなっていく。
「今度は聞こえたようだね、お嬢さん。」
聞こえたのはいいが、持っていたホースから、水がジャバジャバ流れて、私の周りは、だんだん水たまりになっていく。
「小形、水水!」
「あっ!」
あいつは蛇口に向かうと、急いで水を止めた。
急に止めたからか、ホースは勢いよく私の手から離れた。
「きゃっ!」
その瞬間、離れていたはずのあいつが、私の身体を後ろへ引き寄せた。
「危ない……」
あいつの腕が、しっかりと私の身体を支えている。
「もう少しで、びしょ濡れになるところだったな。」
あいつ声も、耳元から伝わってくる。
「ありがとう…」
ドキドキして、それを言うだけで精いっぱいだった。
「いや……」
あいつが少し腕を緩めると、私とあいつは、突然目が合った。
あいつの腕は、まだ私から離れていない。
私の体勢は、少し横を向いていて、傍から見ると紛れもなく恋人同士に見える。
「ごめん。私ったら……」
私が離れようとすると、あいつの腕が後ろから、私を強く抱きしめた。
あいつの息が、私の首にかかってきて、彼の右手が、自分の頬に触れると、唇もだんだん近づいてきた。
「ダメだよ!!」
私は、目をつぶって叫んだ。
「本村君、彼女いるじゃない……」
「いないよ。」
そう言うと、更にあいつの唇は、私の唇に触れそうになった。
「でも!私達、付き合ってない……」
そこでようやく、あいつの唇は、私から離れていった。
私は、あいつに背中を向けた。
「こっち向いて、小形。」
あいつの声を聞いて、ドキッとする。
私は、首を横に振った。
「俺の方へ向いてくれないの?」
今度は勢いよく、首を縦に振る。
「おまえらしいって言えば、おまえらしいな。」
あいつは、ため息をついた。
「そういえば、どうして小形が、俺の存在に気付かなかったか、分かる?」
そんなこと急に聞かれても、私が困る。
「分かんない…」
「だろうな。」
そう思うなら、最初から聞かないでほしい。
「答えは簡単。小形はいつも前を向いていて、俺がいつもおまえの後ろにいたからだよ。」
私の頭の中には?が飛び交った。
「いつも真っ直ぐに、前だけを向いていて、後ろなんか振り返らない。それがおまえだ。覚えておけ。」
やっとその言葉の意味を理解して、後ろを向いた時にはもう、あいつの姿は、そこになかった。
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