第17話 応援
次の日の朝。
私が台所で朝ご飯を作っていると、克己は大きな欠伸をしながら、自分の部屋がある二階から降りてきて、洗面所に続く廊下を歩いていた。
ちょうどこっちを振り向いて、『お母さん、今日のみそ汁何?』って、聞きたそうな顔をしていた。
「ええええええ!」
代わりに聞こえてきた、克己の驚きの声。
「あ、おはよう。克己。」
「おはよう、姉ちゃん…」
「早く、顔洗って来なよ。」
「うん…」
普通に返事をするのに、強張った表情をしている。
「姉ちゃん……」
「な~あ~に?」
上機嫌で答えると、克己はゴクンと、息を飲んだ。
「…何の前触れ?」
「は?」
「何かが起こる前兆だろ?」
「もう~、何でそう思うの?」
「姉ちゃんが、こんな朝早くから料理してるなんて、信じられないから。」
しばらく見つめ合った後、廊下にいる克己の横を、私が投げたお玉が通った。
その後なんとか、母のいない状況を説明した。
「んだよ。お袋が婦人会の旅行に行ったって、早く言えよ!」
「一泊だけなのに、わざわざあんたに言う必要ないでしょ!!」
朝の食卓で隣同士に座る私と克己は、ご飯をかき込みながら口ケンカしている。
「姉ちゃん。みそ汁のわかめ、生のやつ使っただろ。」
「当たり!さすが、分かる?」
「切れてないんだよ!わかめが!!」
克己は、みそ汁の中で大きく広がったわかめを、箸で持ち上げた。
「だって乾燥わかめがなかったんだもん!」
「そんなの知るか!!」
「文句言うなら食べなきゃいいじゃん!!」
私は、克己からみそ汁を奪った。
「あっ!俺のみそ汁返せよ!」
「みそ汁くらいで騒がない!」
「これは俺の一日の活力なの!」
克己は私の手からおみそ汁を取ると、一気に口の中に入れた。
「あっ!!私の!!」
「ごちそうさま!!」
克己は手を合わせると、自分の茶碗とお椀を重ねて、私の目の前に置き、走って逃げた。
「ちょっと、克己!自分が食べた分くらい自分で……」
「姉ちゃんやって!」
「私が?何でよ!!」
私は立ち上がると、克己を追いかけた。
「ああ~!!うるさい!朝飯くらい落ち着いて食べれんのか!!」
後ろで、父の怒鳴り声が聞こえた。
朝ごはんも無事に済んだ頃。
「さあ~て。庭の花に水でもやるか!」
着替えて家を出る克己が、私を疑いの目で見てくる。
「何よ。」
「いや、いつまで続くのかなと思って。」
呆れた顔で靴を履く克己に、私はサラッと言った。
「心配しなくても、そんな長いことできないし。」
克己は、くるっとこちらを振り向いた。
「何で?」
私はそっぽを向きながら答えた。
「何でって、そろそろ有給も無くなるし…」
「…東京に戻るのか?」
「そのつもり。」
克己は突然の事に、言葉を失っている。
「別に今日帰るわけじゃないよ。」
「ああ…うん。」
「とりあえず、あんたは仕事。いってらっしゃい。」
「ああ!行ってきま~す!!」
克己は慌てて、家を飛び出して行った。
「克己は行ったか?」
父が居間から顔を出した。
「うん。今、行った。」
「慌てて、事故にでも遭わなきゃいいが。」
「はははっ!」
私は、久しぶりに大きな声で笑った。
「ねえ、お父さん。」
「何だ?」
私は、父に真っ直ぐ前を向いて言った。
「私、もう一度東京で頑張ってみるね…」
一晩中考えて出した答えだ。
「そうか。頑張りなさい。」
「うん…」
父は居間に戻った。
「また何かあったら、いつでも遠慮しないで帰って来なさい。ここはおまえの実家なんだから。」
「はい…」
私は、心の底から素直に返事をした。
その日の夜。
父と克己は、私の手料理をお腹が苦しくなるくらいに食べた。
「う~ん……もうダメ……」
食後、すぐに横になるのはダメだと分かっていても、座っていられない私。
「姉ちゃん、張り切って作り過ぎなんだよ。」
そう言ってお腹をさすっている克己は、何だかんだ言って作った料理を全部食べてくれた。
寝る前。
お風呂から出た私が、二階へ上がろうとすると、居間にまだ電気がついていた。
扉を開けてみると、克己が廊下の方へ体を向けて、庭を見ながらビールを飲んでいる。
「まだ起きてたの?」
私は、克己の隣に座った。
「うん。姉ちゃんも飲む?」
「ああ、飲む飲む。」
克己は側にあった缶ビールを、私に渡した。
「今日も仕事、お疲れ様。」
「姉ちゃんもお疲れ様。」
私は克己と、缶ビールで乾杯した。
「やけに優しいわね。」
「ん?姉ちゃんも慣れないことすると、いつもより疲れると思ってさ。」
「この~!!」
ケンカしても、言い合いをしても、こうやって一緒にお酒を飲める。
姉弟とはそういうものだ。
「姉ちゃん、いつ東京に帰るの?」
「うん…今週末かな。」
「ふう~ん…」
分かる。
克己が寂しがっている事が。
「戻るのか……」
克己は、そうぽつりつぶやいている。
「また帰ってくるよ。」
「うん。分かってるよ。だけどさ…」
克己は無理に、笑顔を作っていた。
「ここしばらく、家に姉ちゃんがいるのが当たり前だったから、いなくなると思うとな……」
「うん…」
「イチ姉が結婚して、家に残った姉弟は俺一人だけだったから、嬉しかったんだ。」
「そっか…」
「何だかんだ言って、楽しかったからなぁ。久々に姉弟三人で過ごすのがさ…」
私も楽しかった。
姉弟も大人になると、年が離れた親友に思えてくる。
「俺さ。ずっと姉ちゃんがうらやましかった。」
克己は両足を手で抱えた。
「俺も東京に行きたかった。でも行けなかった。親父に『おまえは長男だから、家に残ってくれ。』って言われて。」
男の人は大変だ。
特に長男は。
「親父はもしかしたら、分かってたのかもしれない。俺が東京に行っても、何もできずに帰ってくるのがさ……」
「そんなことないよ。」
「いいんだ。自分が一番分かっているから。」
克己はそう言うと、ビールを最後の一滴まで飲んだ。
「だから姉ちゃんには、頑張ってほしいんだ。」
「克己…」
「俺の分までやりたいこと、存分にやって来なよ。親二人の事は、何も心配しないでさ。」
「うん。」
「これでも姉ちゃんの事、一番応援してんだぜ。」
「分かる分かる。ありがとう、克己。」
私が側にあるビールの蓋を開けて克己に渡すと、私達はもう一度、乾杯をするのだった。
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