第16話 人生の選択

扇屋で飲んでいたら、すっかり夜中になってしまった。


お客さんも私一人に。



「また来るわ、ギッちゃん。」


「おう。気を付けて帰れよ。」


「あーい。」


右にフラフラ左にフラフラと、体を揺らしながら、店を出た。


「家、どっちだっけ……」


とりあえずどっか大きな道路に出れば、タクシーを拾えるだろう。


そう思って、大通りに向かって歩きだした。



「うぷっ……」


私は口を押さえると、店の脇に入った。


「……吐きそう。」


吐きそうで吐けない。


それはそれで、苦しいんだな。



そんな時に聞こえたきた、タイミングの悪い会話。


「東京に行くって本当?」


「うん。って言ってもまだ先だけど。」


「……私、ついて行ってもいい?」



何よ。


人が飲み過ぎて、吐きそうだっていうのに。


ちらっとそのカップルを見ると、心臓が飛び上がるほどに驚いた。


男の方は、あの本村敬太で、女の子は大学を卒業したぐらいの若い子だ。


何だ、あいつ。


そう言ってくれる子がいたんじゃん。



「ごめん。そう言うのって重い……」


本村君がそう言った途端、女の子は持っていたカバンで、思いっきりあいつを叩いた。


思わず目をつぶる私。


女の子はそのままあいつを置いて、どこかへ走り去ってしまった。


「痛ってぇ……」


腕を押さえるあいつを見ながら、私はどうかこっちだけは見ないでと祈る。


あいつは手をポケットに入れた。


そうだ。


そのまま歩いて行って……


だが私の祈りも、あいつには届かなかった。



「うわっ!!!」


店の小脇で、壁に張り付いているところを、あいつに見つかってしまった。


「小形!おまえ、そんなところで何やってんだ!!」


「ははは……なんでだろうねぇ……」



それ、私が一番自分に聞きたいよ。



「早く、そこから出て来い。」


あいつが私に手招きする。


仕方なく店の小脇から出ようとすると、また吐きそうになった。


「うぇ……」


私は後ろを向くと、頭を下げた。


「大丈夫か?」


気付けばあいつが、私の背中をさすってくれていた。


「気持ち悪い……」


「ホントおまえは。」


あいつが呆れているのが分かる。


「若いヤツだったらともかく、この年で吐くまで飲むなんて、恥ずかしいぞ。」


私は身体を起こすと、壁を伝いながら店の小脇を出た。


「そりゃあ、ご忠告ありがと。」


「ああ?」


「そう言う本村君は、立派な社会人だもんね。」


「小形?」


「弥生から聞いたよ。努力が実って、どっかの会社から来てほしいって言われてるんでしょ?」


ちらっと、あいつを見た。



「知ってんだ。東京に行くこと。」


あいつは、否定しない。


ウソだったんだ。


この前、安心しろって言ったこと。



「あのさ、小形。」


「何?」


私はイライラしながら返事をした。


「不機嫌だな。」


「別に。何か言うことがあったら早く言って。」


「ああ、そうだな。」


だけど、あいつはなかなか切り出さない。



「ないんだったら、もう行くよ。」


私はあいつを置いて、歩き始めた。


「お、小形。」


あいつは引き留めるように、私の腕を掴んだ。


「おまえはいつ、東京に戻るんだ?」


「東京に?」



そんなの全く考えてない。


というか……



「実はさ、俺が行く会社って、」


「関係ないよ。」


私はあいつの話を、途中で遮った。


「本村君がどこの会社に行こうが、私には関係ないし。」


そう言って、小さく溜息をついた。


「それに私、東京にはもう戻らないかもしれないし。」



そのつもりで、田舎に帰って来たんだもんね。


「どうせ一人で東京に行くのが、寂しいだけでしょ。」


「はっ?」


「だったら、さっきの女の子に頼めばいいじゃん。」



その瞬間、あいつの手が上がった。


咄嗟に目をつぶる私。


だが何も、自分の身には起こらない。


そっと目を開けると、小刻みに震えながら手を振りおろすのを我慢している、あいつがいた。



「もういい。分かった……」


「えっ?」


それだけを言うと、あいつは私の前から、離れて行ってしまった。


「はぁ……私も帰ろうか。」


家までの道のりを、ゆっくり歩いて帰った。


おかげで家に着いたのは、朝方だった。


「鍵開いてるかなぁ…」


玄関に手をかけてみると、意外と開いている。


「ええ~!いくら田舎だからって、無用心過ぎない?」


そう言いながら、家の中に入る私。


気分はもう、泥棒だ。



廊下から居間をそっと覗くと、みんな毛布にくるまりながら寝ている。


みんな遅くまで飲んでたのかな。


そう思っていると、横になっている克己と目が合った。



「お帰り、姉ちゃん。」


無視すると思ってたのに、案外普通に言われた。


「起きてたんだ。」


「って言うより、今起きた。」


「あっ、そう。起こしてごめんね。」


「ううん。」


克己は、目を擦りながら起き上がる。


辺りを見回すと、和希ちゃんの姿がない。


「克己、和希ちゃんは?」


「姉ちゃんが出てってから、すぐに帰したよ。」


ムスッとしながら、答える克己。


そりゃあ、結婚宣言したのに、あんな事になったら、和希ちゃんをこんな場所に、いさせたくないもんね。


「……悪かったね。」


私も吊られて、ムスッとする。


「俺じゃなくて、和希に言え。」


そう言って克己は、また毛布にくるまれながら、横になった。



あっ、そう!


私は心の中でそう叫ぶと、居間を離れた。


そんな時に限って、喉が渇いて台所へ向かう。


冷蔵庫を開けて、中にあったお茶をぐびぐび飲んだ。



- もういい -



あいつのセリフが、頭の中で行ったり来たりしている。


一体自分は、何をやってるんだろう。


今までは自分が、みんなの一番先を、走っているのだと思っていた。


田舎で頑張っている妹や弟、親友、友達の、”羨ましい”という言葉が、心地よくで仕方がなかった。


だけど 今は何?


真帆ちゃんや和希ちゃんのように、いっそ相手の胸に飛びこんで、結婚することもできない。


弥生のように、恋に生きることもできない。


本村君のように、新天地を求めることもできない。


自分がちっぽけで、つまらない存在に感じた。



その時だった。


後ろから、私を呼ぶ声がした。


「出海。」


廊下を見ると、父親が釣りの道具を持っている。


「お父さん、釣りに行くの?」


「まあな。」


「遅くまで飲んでたんじゃないの?」


「今日はなぜか釣れる気がしてな。」


そう言って顔をポリポリ掻く父親が、逆に羨ましく思えた。


「出海も来るか?」


父からの、思いがけない誘いだった。


「行ってもいいの?」


「もちろん。おまえが嫌じゃなければな。」


私はコップを流しの中に入れると、父の側に歩み寄った。



「バスで行くけど、いいのか?」


「全然。」


私は父が持っていたクーラーボックスを、代わりに持った。


玄関へ行くと、一香が眠い目をこすりながら起きてきた。


「お父さん、釣り?」


「ああ。一香はまだ寝ててもいいぞ。」


「うん…」


半分寝ぼけている一香は、まだ私の存在に気づいてない。



「行ってくるな。」


「うん…」


「行ってくるよ。」


私は、寝ぼけている一香にわざと言う。


「うん……って、お姉ちゃん?」


大きな目を、パチパチさせている一香を、背中で見送って、私と父はバス停までの道のりを歩いた。



10分ほどしてやって来たバスに乗り込み、私と父は一番後ろの席へ座った。


「克己とは何か話したか?」


唐突だった。


「…少し。」


父は笑みを浮かべた。


「昨日のあいつには、びっくりしたな。まさか、あの鼻タレ坊主が、女をかばうなんてな。」


お父さんもそう思ってたんだ。


「大きくなったんだな……」


バスの中の客が、私達を除いて1~2人なのをいいことに、父は大きな声でつぶやく。


「そうだよね。克己も来年は、パパになるんだもんね。」


「そうか……あいつも親父になるのか。」


私と父は腕を組みながら、同じ方向を向いた。


出海が目を大きくしているのを見た父は、また反対側を見ながら笑っている。



小さい頃からそうだ。


姉弟ケンカをして、私たちが二人で泣いているのを見て、父はいつも、大きな声で笑っていた。



しばらくして、港に着いて父は、早速釣りを始める。


私は何をしているかというと、父の隣に座ってただ、ぼーっと眺めているだけ。


だけど一時間経っても、魚は取れない。


「……今日は取れそうな感じじゃなかったの?」


私は父に聞いた。


「そんな気がしただけだ。」


父はきっぱりと言った。


その時だった。


「すみませ~ん。」


離れた場所からカップル達が、私に話しかけてきた。


「この場所にはどう行けばいいですか?」


見ると、その人達の手には、ガイドブックがあった。


「どれどれ?」


私は立ち上がって、ガイドブックを見てみる。


「ああ、この大きな道を真っ直ぐ行くと、二つに分かれる場所があるんで、そこを左に曲がって下さい。あとはそのまま道なりですよ。」


カップルは目を合わせると、にこっと笑顔になった。


「ありがとうございました。」


「いえ。」


二人は私に頭を下げると、車に戻って行った。


窓越しに女性が手を振ってくれたので、私も手を振った。


そして走って行く車を、私は見送った。


「ナンバープレート、東京のものだったな。」


父が言った。


「そうだね。」


私が静かに答えた。


「なんだ。東京が恋しくなったか?」


ドキッとした。


「な~んで!私の故郷はここなんだよ。」


勢いよく私は、また父の隣に腰を降ろした。


「おまえは高校の卒業と同時に、東京に行ったからなぁ。12年もいれば、東京もよくなるだろう。」


「ああ、住めば都ってヤツ?」


「そうだな。」



東京か。


確かに最近は、東京の家に帰ると、ほっとすることもあった。


自分だけの小さな家。


それだけで安心するのだ。



「そろそろ、東京に戻るのか?」


父は海を見つめながら言った。


「どうかな……」


私の気持ちは、決まっていない。


「お父さん、私が東京に戻ったら寂しくない?」


「そりゃあ、寂しいな。」


父はタバコに火を着けた。


「出海がこんなに実家へいるのは、初めてだからな。つい、もっといてくれればな、と思ってしまうのが、正直なところだ。」



お父さんは、子煩悩な父親だもんね。



「その一方で、おまえが行くのなら、笑って見送ってやろうと思っているのも事実だがな。」


私は腕を組んで、その中に顔をうずめた。



「出海。おまえは姉弟のなかでも、特に優秀だったからな。俺の自慢の子供だった。東京に行かせて言われた時も、なんとなく、そんな気はしていたんだ。」


そう。


お父さんは、私が東京の大学に行くことに、反対はしなかったもんね。



「テレビでスーツ姿の女が出てくると、出海もこんなふうに仕事をしているのかと、勝手に想像したりしてな。」


父は嬉しそうに、話をしている。


「キャリアウーマンって言うんだろ?今の流行りなんだってな。これからは、女も職を持つ時代だと言っていた。」


父は私を、キャリアウーマンだと思って疑わない。


「結婚しても母親になっても、仕事を続けていくのが出海の夢なんだろ?」


「夢?…」


「いつか語ってたじゃないか。別れた男の事だって、おまえの事だ。どうせロクなヤツじゃなかったんだろう?」


そう。


父は真っ直ぐに、私が言った事を信じてくれている。


なのに私は、私は……


「ねえ、お父さん。私、本当はキャリアウーマンなんかじゃないの……」


もうこれ以上、信じてくれている父を、裏切ることはできなかった


「仕事も、本当は辞めてきたの。」


父は何も言わずに、ただ黙っている。


「付き合っていた人の事もそう。振られたのは私なの。仕事のことばかり考えて、余裕失くして、飽きられちゃったんだ……」


私の瞳には、涙が貯まっていた。


「お父さん、私ね……」


私はただ、心の叫びを言葉にした。


「幸せになりたかった……ただそれだけだったの。」


何が幸せなのか、そんなのは分からない。



「もし、誰よりも先に、仕事で上へ上がる事が幸せなら……誰よりも先に、結婚して子供を産む事が幸せなら……」


私の瞼には、いつの間にか自分を追い越して行った、みんなの顔が浮かんでは消えて行った。


「私……どこかで道を間違えちゃったのかなぁ。」


私はもう、立ち上がることもできないでいた。


「何にも間違ってないだろう。」


父は大きな声で、呑気に答えた。


「大体、自分の人生が間違っているかなんて、死ぬ時に分かるものだ。」


「お父さん……」


私が父を見ても、父は何事なかったかのように、釣糸を足らしている。


「出海…人生は七転び八起き。なあに倒れたら、笑いながら起き上がればいいだけの事だ。」


「うん…」


「それにな、幸せというのは、他人が決めることじゃない。おまえ自身が決める事だ、出海。自分が幸せだと思う人生を、自分自身で切り拓け。いいな。」


「うん…」


「何だ、そんなに小さくなって。おまえはいつまでも、倒れたままでいる弱い子じゃないだろう?」



30にもなって、親に子供扱いされるのが嬉しい。


いつの間にか、大人という人種になってしまった証拠だ。


「大丈夫だ。おまえは、お父さんの子供だから。」



何年も何年も、ただ家族の為に働いてきたお父さん。


そんな人生は嫌だと、そんな人生だけは送りたくないと思っていた。



だけどその人生の中にも、つらい事があっただろうに。


悲しい事があっただろうに。


泣き叫ぶ時もあったろうに。


それでも、ひたすらじっと耐えてきたお父さん。



そんなお父さんに、俺の子供だから大丈夫と言ってもらえた。


私はただそれが嬉しくて。


ただ、父の側で小さくなり、泣き続けた。

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