第12話 停留所で一休み

日も傾きはじめた頃、私は小さくクシャミをした。


鼻をすする私に、父はティッシュを差し出した。


「ありがと。」


貰ったティッシュで鼻を拭いた私は、父の側に何か落ちているのを見つけた。


「何か落ちてるよ。」


「ん?」


拾い上げて見ると、それはパスケースだった。


「お父さん、パスケースなんて必要ないじゃん。」


中身は、三年前に実家に帰ってきた時に、姉弟三人で撮った写真だった。



「私達の写真、持ち歩いてるの?」


「見つかってしまったな。」


父は照れ隠しに、帽子を深く被った。


「子煩悩だね~」


「ははは。お父さんは、結婚するのが周りよりも遅かったからな。」


今の私と一緒か。


ふと、そう思った。


「会社で7歳年下の真弓と出会って、出海が産まれた上に、一香も、克己も産まれて……一人でいた時には、全く想像もしていなかった。だからな。三人が成長していくのが、何よりも楽しみだったんだ。」


父は、典型的な子煩悩だと思った。


「だったら、一香のところの一弥も和香も、可愛くて仕方ないんじゃないの?」


私は少し嫌味っぽく言ってみた。


「ああ!その通りだ。もう写真も入れてあるぞ。」


そう言って父は、娘一人と孫二人の写真を、私に見せた。



あるある。


可愛さを、かなり振りまいている一弥と和香の写真が。



「よかったね~、こんだけ可愛い孫も産まれて。」


「そうだな。」


父の顔は、緩みっぱなしだ。


「克己もそろそろ結婚考えてるみたいだし。また孫も数も増えるね。」


「そうか。あいつもそんな年か……」


父は、しみじみとしている。


「だったら、私一人くらい……」


結婚しなくてもいいよねと、言おうとした時だ。


「出海もそのうち、孫の顔を見せてくれよ。」


先手を打たれた。


「孫ならもういるじゃん。」


「これは一香の子供だろ。出海の子供が見たいんだよ。」


それは欲張りというものだよ、お父さん。



しばらくして、陽が傾き始めた頃だ。


「そろそろ帰るか。」


父は釣りざおを片づけ始めた。


「お父さん、車は?」


「いや、運転してこなかった。」


「えっ!!」


私は肩に担いだクーラーボックスを、落としそうになった。


「一体、何でここまで来たの?」


「バスで来た。」


「バス?」


よくこんな物、担いでバスに乗れたよ。


私は呆れた。



「行こう。そろそろバスも来る頃だろ。」


「えっ!帰りもバス?」


「そうだ。家まで一本だし、金も安く済むからな。」


「は~い。」


私は気が重くなっていくのを感じながら、父の後をついて行った。



港を出て、3分ほど歩いたところに、バスの停留所はある。


丁度バスが停まっているのが、見えた。


「お父さん、早く!バス来てる!」


「おう!」


だが人間よりも、バスの方が早いわけで、バスはさっさと私達を残して行ってしまった。



「待って!乗ります!」


私は必死に叫んだが、走りながら叫んだところで、バスの運転手に聞こえるはずもない。


あと一歩というところで、バスのドアは閉まり、私と父を停留所に置いて出発してしまった。


「ああ!!もう!!」


私はゼーゼーと言いながら、地団駄を踏んだ。


しばらく遅れて、父が息を切らしながらバス停に着く。


「そんなに急いで走らなくてもいいだろう。あれに乗り損ねても、次のバスがあるんだから。」


そう言うと、父は停留所のベンチに腰を降ろした。


「次の…バス?」


私の思考回路をストップした。



まさか……


いや、いくら何でも……


嫌な予感が止まらない。



「そこに時刻表がある。」


父はポールを指差した。


私は恐る恐る近付いて時刻表を見た。


予感は的中。


次のバスが来るのは、




約一時間後だった……


私はがっくり肩を落とした。


次のバスが一時間後?


絶対にあり得ない。



Time is money。


それを全く無視している。



「お父さん。」


「何だ?」


「…タクシーで帰らない?」


ダメ元で、父に言ってみた。


こんな場所で無駄な時間を過ごすよりは、少しお金を払ってでも、タクシーを使った方がマシだ。



「そんなに急いで帰る必要がどこにある?」


「はあ?」


私は首を傾げた。


「今すぐ帰って、やらなければならない事でもあるのか?出海は。」


「いや…ないけど…」


「だったら、ここに座ってなさい。」


父は自分の隣の席を、バンバンと叩いた。


「ウソ…」


「ウソじゃない。そんなに慌ててどこへ行く?日本人よ。」


いや、お父さんも日本人だよ。


心の中で突っ込みを入れると、父はそんな事もお構いなしに、空を見上げた。



「出海、今日は空が一段ときれいだなあ。」


本当に呑気。


私は小さくため息をつくと、ドサッと父の隣に座った。


だって、そうするしかない。


のんびりと空を眺めている父をこのまま一人置いて、帰るわけにはいかないのだから。



バスを待って20分。


父の隣で、私の携帯がピコピコ言っている。


「何やってるんだ?出海。」


「ゲーム。」


「ゲーム?そんな小さい電話の中でか?」


「お父さん、時代に乗り遅れているよ。」


私は会話中、一度も父の顔を見なかった。


そんな時だ。


「あっ、やばい!」


私は急に大きな声を出した。


「どうした!!」


父が心配そうに、携帯を覗く。


「もう少しで23面クリアなのに、充電が無くなる!!」


「は?」


「あっ、あああ~~~……」


私の携帯が今度は、ピーピー言っている。


「うっわ。最悪。」


仕方ないから、携帯をバッグの中に放り込んだ。



「バスが来るまで、あと何分?」


「あと…35分ってとこか?」


父は腕時計を見ながら、答えた。


「そんなにあんの?携帯も使えないで、どうやって時間つぶせって言うのよ。」


たまらなくて、私は曲げていた膝を伸ばした。


それを見ていた父は、ポケットからタバコを取り出すと、火を着けた。


「出海は携帯がないと、暇を持て余すみたいだな。」


「まあね。何かしてないと落ち着かないっていうか。」


その割にはいつも、居間でゴロゴロしてるか。


あっ、でもあれは無意味にボーっとしてるんじゃなくて、テレビ見たり、友達とメールしたり、案外何かしらやってるんだよね。



「フッ……時間の使い方が下手くそだ。」


私は鳩が豆鉄砲くらったような顔で、父を見た。


「おまえだけじゃなくて、今の若いヤツはみんなそうだ。」


父は珍しく笑顔を見せた。



「お父さんはさ……こういう時何してんの?」


「こう言う時か?何もしないな。」


出海はベンチから落ちそうになった。


そのまんまですか。


「何もしないで、波の音を聞いている。」


「波の音?」


私は後ろを振り返った。


「何だ、気が付かなかったのか?」


父は驚いたように聞いてきた。


「そっか。港の近くだから…」



「携帯ばかりいじってるから、近くにある音も聞こえなくなるんだ。」


はい、おっしゃる通りです。


「まあ、いい。静かに波の音を聞きなさい。」


その時の私は、やけに素直に父に従った。




ただじっと、じっと黙って耳を澄ませてみると、聞こえてくる。


寄せては返す、波の音。


果てしなく遠くから聞こえる、船の汽笛の音。


向こうを走る、自転車の音。


家に帰っていく、子供達の声。


「出海。お母さんや姉弟に何かを言われたとしても、気にするな。」


父の声さえも、自然の声に聞こえてくるから不思議だ。


「おまえの人生は、おまえのものだ。少しくらい遠回りしたっていい。あの時、もっとこうしていればよかった。そんな人生だけは送ってくれるな。」


なんでかな。


自分の事を一番理解してくれているのは、母だと思っていた。


だが今は、父の言葉が一番心に沁みわたる。



「一本乗り遅れた時は、ここに座って休めばいい。焦らなくても、次のバスは必ず来るんだから。」



その時だ。


少し薄暗くなった辺りを照らすかのように、次にやってくるバスの灯りが見えた。


「ほら、もう来ただろ?こうして自然に任せていると、案外早くやって来るものだ。」


父はそう言って立ち上がった。


「行くぞ、出海。」


「う、うん…」


私は慌てて立ち上がったせいか、足元がふらついた。



「大丈夫か?」


そんな私を、支えてくれたのは父だった。


「うん、平気。」


そして私の前で、やってきたバスの、ドアが開く。


「今度は、乗り遅れるなよ。」


父がそっと、私の背中を押してくれた。


そして、私はバスの中に乗り込む。



いつも見慣れてているバスの中なのに、その時だけは、新しい世界に連れて行ってくれるような、異世界への扉に通じるような、そんな感覚がした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る