第11話 何も考えない時間

実家に帰って来て、毎日毎日やる事もなくボーっとしている私に、母が一言呟いた。


「あんたはよく飽きないわね。」


「何が?」


天井を見ながら、何気に答える。


「ぼーっとする事によ。」


「ああ……」


それでも尚、ボーっと私に、母は首を横に振った。


「こりゃダメだわ。」


諦めた母は立ち上がると、お茶を淹れる準備をした。



「お父さんは、定年で仕事がなくなっても、趣味の釣りに没頭しているわよ。」


「釣り~?」


「そう。港の方まで行ってやってるわよ。」


「うっそ。あんな遠くまで?」


驚いて、私は起き上がる。


「その方が、生き生きしてていいわよ。出海も仕事以外に、趣味見つけたら?」


「私の趣味は仕事じゃない!」


あまりの発言に、私は母の肩を押そうとしたけれど、その手は母にかわされた。


「仕事ばっかりやって、家に帰ってこないから、仕事が趣味だと思ってました。」


「もう~!!」


憎まれ口を叩いても、母は私の味方だと信じたい。



そしてふと気づく。


湯のみが一つ多い事に。



「ところで誰か来るの?」


「言ってなかったっけ?」


母は、更にお菓子まで用意する。


「うん。」


「本村さんが来るのよ。」


「も、本村君が~?」


あいつが今から、ここに来るの?


やばい、逃げよう。



「楽しいわよね。若い男の人と話すのって。って、出海?」


母には申し訳ないけれど、その時私は既に、廊下へいたのだった。


「何であいつに、毎日のように会わなきゃいけないのよ。」


私は家から出てきて、宛てもなく近所を歩いていた。



そこへ、白い車がスーっと停まった。


運転席の窓が開き、見えたのは懐かしい顔だった。


「出海!!」


「弥生!」


それこそ高校、大学共に一緒で、出海の親友の牧野弥生だった。


「帰ってきてるなら、何で連絡くれないのよ。」


「ごめん、ごめん。」



大学を卒業後、地元の市役所に勤めている彼女。


容姿端麗な彼女は、たちまち憧れの対象になり、確か5年前に、牧野産業という地元じゃでかい会社の息子と、結婚したはず。


今乗っている車だって、左ハンドルだ。


私とじゃ、大違い。


なんとなく、連絡を取りづらかった。


「そう言えば出海。今、敬太に聞いてびっくりしたわよ。」


「えっ?敬太?」


どこかで聞いた事のある名前に、私は一歩後ろへ下がる。


「よっ!小形。」


「げっ!」


予感的中。


弥生の助手席に乗っていたのは、あの本村君だった。


「げって何だよ。人を化け物みたいに。」


「いや、急に出てくるから。」


私達の会話を聞いて、隣でクスクス笑っている弥生。



「ところで何で、二人一緒にいるの?」


私が不機嫌そうに言うと、弥生と本村君は顔を見合わせた。


「気になんの?俺と牧野の関係が。」


「はい?」


「今、ホテルからの帰りだよな~、弥生。」


本村君はわざとらしく、弥生の顔を覗き込む。


「はあああああ????」


私の反応を見て、大声で笑いだした本村君。


「敬太、ふざけすぎ。」


弥生もケラケラと、大笑い。


腹が立った私は、何も言わずに歩き出した。



しばらくして、またスーっと車が近づき、私の歩く速さに合わせて、弥生の車も動く。


「ごめん、出海。敬太があんたの家に行く途中だって言うから、乗せただけだって。」


弥生をちらっと見る。


「別に敬太とはただの友達。出海が心配するような関係じゃないから。」


まるで私が本村君の事を、どうにか思っているような口調だ。



「別に弥生と本村君が、どういう関係だっていいし。」


「出海?」


完全に不機嫌な私に、弥生と本村君は、顔を見合わせて困っている。


「私、お父さんの所に行くから。」


「じゃあ、送って行くよ。」


弥生は車を停めた。


「いい。自分一人で行けるから。」


私は反対側の車線に走って行くと、丁度やってきたタクシーを捕まえて中に乗り込んだ。



数分後。


私は港に着き、周りをキョロキョロ見回してみた。


埠頭を見ると、見たような背中の人。


私は真っ直ぐ、そこへと向かった。


「お父さん。」


振り向いた父は、私を見ると軽く微笑んでくれた。


「何だ。来たのか。」


「うん。」


私は父の隣に、腰を降ろした。


見ると父は、やけにおしゃれなチェックのマフラーに、ナイキの黒い帽子を被っている。


「お父さん。そのマフラーと帽子、どうしたの?」


「これか?」


父は自慢げに、タバコの煙を吐いた。


「一香と克己に貰ったんだ。」


「あの二人に?」


私はマフラーの端を見て、目を丸くした。


「有名なとこのマフラーなんだってな。ばーばりーって言うんだろ?」


私は気が遠くなりそうだった。



Burberryのマフラーを、Nikeのキャップを、こんな田舎の釣りにしてくるなんて!



「そんな物、どうして二人が!!」


「定年退職の祝いに貰ったんだ。」



て、定年退職の…お祝い?


何もそんなに奮発しなくても……


しかもそんな二人に比べて、確か私が送った定年退職のお祝いは……


「出海は、揃いの湯呑みだったな。」


そう。


退職したらお母さんと二人で、ゆっくりお茶でも呑んでという手紙を添えて。


「出海から貰った湯呑みで、お母さんと毎日一緒に、お茶を呑んでよ。」


私は、Burberryのマフラーと同じように、何でもない湯呑を使ってくれている事が、嬉しくてたまらなかった。



「ありがとうな。出海も一香も克己も、優しい人間に育ってくれて、お父さん嬉しいよ。」


そう言って父は、帽子を直すと、マフラーで顔を拭いた。


「あっ……」


「どうした?」


私は、海の方を向いた。


「ううん。何でもない。」


まさかマフラーで顔を拭くなんて。


しかもブランド物のマフラーで!!


私は、心の中で叫ばずには、いられなかった。


そして港に着いて一時間。


魚も取れず、父も私も、ただひたすら海を眺めていた。



「お父さん、ずっとこんな調子なの?」


「そうだな。」


「飽きないの?」


頬に両手を添えて、私は父を見た。


「まあ……時々は釣れるからな。」


「へえ……」


またしばらくの間、海を眺める。


どこからか、船の汽笛が聞こえてくる。



「暇だね。」


「ああ……そうだな。」


そしてまた、海を眺める。


家でもボーっとして、海でもボーっとして。


私は田舎に帰って来てから、ボーっとしかしていない。


こんな風だから、母にも小言を言われちゃうんだよね。



「お父さん。」


「何だ?」


「お父さんは、私に何も聞かないの?」


お母さんや真恵叔母さん。


一香や克己。


本村君や弥生だって、何かしら言ってくるのに。



「聞いてほしいことでもあるのか?」


父はそう一言。


「ない。」


私も一言で返した。


「ならいいじゃないか。たまには黙って、こうしているのも。」



普段、口数の少ない父。


そんな父でも、黙って帰って来た娘に、本当は言いたい事は山ほどあるだろうに。


でも今は、そんな父に救われているような気分だった。

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