第10話 それぞれの仕事

私が実家に戻って来て、しばらく経ったある日のこと。

母が私に、頼み事をしてきた。

「出海、真恵のところに行ってきてくれない?」

「ええええ~~」

私はお腹の底から、嫌な声を出した。


「私さ。忙しいんだよね。」

「思いっきり暇でしょ!」

母は私の頭を叩いた。

「帰ってきてからずっと、何するでもなく家にばっかりいて。少しは外の空気でも吸って来なさい。」

「だからって、真恵叔母さんのとこに行くの?」

私は、母の妹の真恵叔母さんの家に行くのは、抵抗があった。

「そうよ。庭に生ったプチトマト、前からほしいって言われてたの。出海、はぱっと届けてちょうだい。」

「はいはい…」

私は、ため息混じりに返事をした。


なるべくゆっくりと歩いたのに、真恵叔母さんの家までは、あっと言う間に着いた。

「いらっしゃい。出海ちゃん。」

「こんにちは。真恵叔母さん。」

「久しぶりね。さあ、上がってって。」

「いや、今日は……」

「そんなことは、言わないの!」

叔母さんは私の腕を引っ張って、家の中に引き入れた。


「そうそう。今、お客さんもいるんだけど、気にしないで。」

「お客さん?いいの?上がっちゃって。」

「いいの、いいの。出海ちゃんの同級生らしいから。」

「えっ?」


ちょうど叔母さんのお宅の、居間に来た時だ。

「ごめんなさいね、本村さん。」

「いいえ、お構いなく…」

予感的中。


そこにいたのは、予想通りに本村君だった。

「おう。小形。」

「あ。本村君。」

どこまでこいつは、私のテリトリーに入ってくる気なんだ。

「さあ、座って。出海ちゃん。」

そしてなぜか、本村君の隣に座らせられた私。

「やっぱり、同級生でしょう?地元がこっちだって聞いて、ピンときたのよ~」

女というのは、年をとるとそんな感が冴えるものなのか。


「ところで出海ちゃん。結婚は?」

本村君の隣で、突然の質問にむせた。

「真恵叔母さん、今ここでそんな話しなくても……」

「あら、ごめんなさいね。で?どっちなの?」

言い寄ってくる真恵叔母さん。

「してないけど……」

「あら、そうなの?」


真恵叔母さんは、やっぱりという顔をする。

「一香ちゃんも結婚して、子供も二人いるでしょう?克己君だって、結婚が近いって言うじゃない?」

もう一つ。

叔母さんというのは、どうしてこんなにも、周りの情報を一早く仕入れらるんだろうか。

面倒くさい人材でなければ、うちの部署にも一人欲しい。


「出海ちゃん?」

「は、はい?」

「もう。叔母さん、心配しているのよ?」

そこで思う。

小さな親切、余計なお世話。

「女の幸せってね、出海ちゃん。結局は結婚して、子供を産むことなのよ。」

だから真恵叔母さんのところには来たくないんだよね。

今迄の私の生き方、全否定されてるみたいで。


その時、本村君が真恵叔母さんに話しかけた。

「池田さん。」

「はい?」

「今の女性の幸せって、それだけじゃないんですよ。」

「そうなの?」

「仕事をしている方が、幸せだって言う人もいますから。出海さんはどちらかというと、そっちのタイプなんじゃないでしょうか。」

せっかく助け舟を出してくれたって言うのに。

私は逆に、本村君にイラっとした。

仕事している方が幸せ?

本気でそんなこと言ってんの?


私は、立ち上がった。

「叔母さん。もう私、帰るね。」

「出海ちゃん?」

帰りがけ、真恵叔母さんが何かを言っていたけれど、お構いなしに叔母さんの家を出た。

元々、お母さんの届け物を持って来ただけだしね。


叔母さんの家を出てから、しばらく歩いて、誰かが追いかけてきている事に気づいた。

「小形。」

知っている。

本村君が、小走りで追いかけてきているのだ。

「待てって、小形。」

それでも私は、振り向かない。

「小形出海!!」

すると突然、本村君に腕を掴まれた。

「待てって言ったの、聞こえなかったのか?」

本村君は、軽く息切れをしている。


「……聞こえなかった。」

本当は嫌なくらいに聞こえていた。

「相変わらずだな。」

彼は額の汗を拭って、私の隣に来た。

「この先に堤防があるから、そこまで歩こうぜ。」

そう言って本村君はカバンを振り上げて、背中に乗せると、ゆっくりと歩き始めた。

「うん…」


私が返事をすると、本村君はクルッと振り向いた。

「おまえ、大丈夫か?」

「え?」

「まさか、昼間から目、開けたまま寝てないよな。」

そう言って本村君は、私に顔を近づけてきた。

「当たり前でしょう!!」


私は怒りながら、本村君を追い越した。

「何怒ってるんだよ!!」

彼の言葉に、私はピタッと歩みを止めた。

「花の色は、」

「はい?」

「移りにけりな いたずらに。」

本村君は、ぽか~んと口を開けている。

「小野小町。私今、そういう気持ちなの!!」

また歩き出す私に、本村君は呟いた。

「そういう花がいいって言う男だっているって。」

そのセリフを、私は聞き逃さなかった。

「えっ?もう一度言って!」

私が意地悪っぽく言ったのに、本村君は息を吸って大きな声でこう言った。

「満開の花だけが、綺麗かって言ったら、そうじゃないって事!」

その真っすぐな意見に、不覚にも心が震えてしまった。

「今度は聞こえたか?」

本村君は、私の背中を軽く叩く。

「あっ、うん……」

また聞こえないって言ったら、今度は何を言われるか分からない。

って言っても、嫌なくらいに聞こえてきたんだけどね。


その後、しばらく本村君と一緒に、堤防を歩いた。

小さい頃や、学生の時はよくここで、待ち合わせをしたり、話込んだりしたものだ。

「で?何で急に叔母さんの家、飛びだしたりした?」

「別に……」

ジッと海を見つめる私の横で、本村君はタバコに火を着けた。

「池田さん。本当にお前の事、心配してんだって。」

「心配ね……」

「出海ちゃんは、お母さんに似ているから、家でじっとしているよりも、外にいる方が楽しいのかもねって言ってたぞ。」


そこまで分かってるのに。

あんな事言うなんて、ムカつく。

「じゃあ、どうしてあんなこと言うのよ。」

私は目の前にあった、石を蹴った。

「やっぱり、あのセリフか。」

「独身の女は、欠陥品みたいな言い方!」

「だから、俺がフォローしただろ。」

その言い方に、またイラつく。

「全然フォローになってないし。」

「何だ、そりゃ!」

「私は仕事をしている方が幸せ?そんなこと、いつ言ったのよ。」

「確かに。だけど、あの時はああ言っておく方が……」

私は本村君の前に立った。

「余計なことしないでよ!何も知らないくせに!」

私はそのまま、本村君の側をすり抜けて、道路に出た。


「小形出海。7月10日生まれの30歳。かに座のO型。」

突然誕生日を言われ、驚く私。

「小学校の時はずっと、ピアノを習っていた。中学の時は吹奏楽部に入っていた。」

「何?急に。」

何でそんな昔の事を言い出すのか、突然の事に焦る。

「だって小形、何も知らないくせにって言うからさ。」

だからって何で誕生日や星座、血液型まで知ってるの?

「何なの?あんた…」

「だからお前の同級生なんだって、ずっと言ってるだろう。」

その真っすぐな表情に、私は戸惑って、わざと本村君を無視するように、歩き出した。

でも本村君も直ぐに、私の後ろを歩きだす。


「ちょっと、何で私の後ろを歩くのよ。」

私は立ち止まった。

「知るか!小形が俺の前を歩いてるんだろう。」

「うわっ!ムカツク!!」

私は両手で、顔を押さえる。

「俺はまだ仕事があるんだ。どけ。俺の前を歩くな。邪魔だ。」

本村君は急に、足の歩幅を変え、私を追い越した。

「ウソ言いなさいよ。なんで営業が、一人で歩くような効率の悪いことするのよ!」

「うるさいな!俺は一軒一軒、自分の足で回るのがモットーなんだよ!」


そこで私と本村君は、子供みたいに睨み合った。

「大体、本村君。何の営業なわけ?」

私がそう言うと、本村君はカバンから黒いケースを取り出して、名刺を一枚、差し出した。

その名刺の会社名を、私はまじまじと見る。

「通信会社?インターネット関連?」

「さすがだな。会社名、見ただけでそこまで分かるんだ。」

本村君は嫌そうにそう言うと、今度は私にに向かって、その手を差し出した。

「小形は?」

「私は…」

私はバッグの中から、赤いケースを取り出した。

名刺入れ。

いつの間にか、無意識にカバンに入っている。

「あれ…これ…」

私は中身を見て、焦った。

会社用の、名刺入れじゃなかった。


「何してんだよ。」

「あ、いや……名刺、切らしてるみたいで。」

「はあ?」

本村君は急に、私が持っているケースを奪った。

「返してよ!」

私の手を振りほどき、本村君は赤いケースから、数枚の名刺を取り出した。

「男から携帯番号付きの名刺ね。モテるね、お姉さん。」

本村君は、半分呆れている。

私は本村君から、名刺入れを奪った。

勝手に人の物を見るな。

「相当な枚数入ってたな。その中から、気に入った男に連絡してんだ。」

「失礼ね。そんなこと、してないわよ。」

「またまた。一人や二人いるだろう。」

「……一人もいないわよ。」

私はバツが悪くなって、その場に立ち尽くした。

「何だ……よかった………」

本村君は、ホッとしていた。

「俺が知っている小形は、そんな軽い女じゃなかったから……変わってなくてよかった。」


変わってなくてよかった。

そのセリフに、私の頬は赤くなる。


「そういう本村君こそ、女の子にたくさん名刺配ってるんじゃないの?」

「してません。」

「あっ、もらう方か!」

「はあ?」

本村君は、渋い顔をしている。

「この名刺入れに、女の子からの名刺がたくさん入ってたりして。」

私は逆に、本村君の名刺入れを奪った。

「あっ、やめろって。」

彼の名刺入れの中から、一枚名刺を取り出すと、そこには携帯番号が手書きであった。

それは、女性の字じゃなくて……


「何やってんだ、おまえ。」

本村君は私から名刺を奪うと、名刺入れにそれを押し込んだ。

明らかに男性の字。

「本村君、引き抜きの話でも来てんの?」

私は率直に聞いた。

「名刺に、連絡先が書いてあった。それって、その気になったらいつでも、連絡してって事でしょ?」

本村君はフッと、鼻で笑った。

「すごいな。小形って、そこまで分かっちゃうんだ。」

「私の周りにも、他の会社から引き抜かれた人が、何人かいたから。」

「そうか。」

否定しないって事は、やっぱりそうなんだ。

でも、なんだか嫌な感じ。


「私、引き抜きって嫌い。愛社精神とかなくて、お金で動く人みたいで……」

そう言った私の頭を、本村君は優しく撫でてくれた。

「……っ!!」


な、何これ!?


「安心しろって。俺、全くそんなこと考えてないから。」

私が顔を上げると、そこには優しく微笑みかける本村君の姿があった。

「本当?」

「ああ!それにこれ。」

本村君は名刺を一枚、指にはさんで見せた。

「案外、男から夜のお誘いかもよ?」

「えっ!!!」

「ははははっ!!!」

目を丸くする私の横で、本村君はお腹を抱えて笑っていた。

「嘘だよ。こんな田舎で、そういう奴がいるかよ。」

「そ、そうだよね。」

顔がこわばっている私を見て、本村君は更に笑っていた。


何だろう。

こんな気持ちが解れていく感じ、初めてかも。

笑っている本村君を見て、私はそう思った。

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