第2話 長期休暇

次の日から私は、佳樹を忘れる為に、仕事に打ち込んだ。

実は会社では、これでも係長を任せられていて、私達のグループでは、今、大きなプロジェクトを抱えていた。

成功すれば、私達の企画が会社の主力戦略になる訳で、これに大抵の時間を注ぎ込んでしまったのが、佳樹と別れる事になってしまったのだが。


そう。

恋人を失ってまで、進めているプロジェクト。

余計に、失敗するわけにはいかなかった。


そしてメンバーの一人に、去年新卒でやってきた、松下君と言うのがいるんだけど、これがまたいちいち、進行状況を確認しなければならない人で……

「松下君!朝頼んでおいた、取引先に連絡ついた?」

「いえ、まだ…」

「一度は架けたの?話し中?それとも担当者が不在だった?」

「いいえ、まだ一度も……」

「何やってんのよ。早く電話してちょうだい。」

「はい。」


朝からもう3時間も経っているって言うのに、何をやってんのよ。

他の仕事の合間にでも、電話架けるくらいできるでしょうに。

私はイラっとする。

そして松下君は、そんな私を他所に、時計をチラチラと見だした。

「どうしたの?」

「あっ、いえ……あの……」

「なあに?早く言いなさい。」

「……これからお昼なんですけど。」

松下君の一言に、私は遂に怒り沸騰。

「そんなのは、仕事をしてから言いなさい!」

「はい!」

なんて役に立たないヤツ!!


だけど、私の思いとは裏腹に、周りには張り切るこの姿が、異様に見えるらしい。

「小形係長。いつにも増して怖いね。」

「あれだろ?今の仕事成功すれば、課長に推薦してもらえるから。」

「あっ、そう言うこと?」

他のグループから、男性陣の声が聞こえてくる。

30歳前で役職を持っている事が、余程羨ましいらしい。


この会社でも、女性の係長はもはや珍しい存在ではなかったが、女性の課長ともなると、数はグッと減る。

それも、可愛がってくれている高田部長が、私を係長に引き上げてくれたから。

そうじゃなかったら、今でも私は主任として、新人社員の面倒を見る毎日を送っていたはずだ。


すると突然、松下君が大きな声をあげた。

「係長!!」

顔を上げると、松下君は受話器を持ちながら、青い顔をしていた。

「何?」

「…さっき係長が言っていた取引先へ、電話したんですが……」

「担当者が捕まらないの?」

「いえ。今回のプロジェクト……先方が無かった事にしてくれって…」


なかった事に?

あんなに協力してくれるって、言ってたはずなのに!


私は立ち上がって、松下君から受話器を受け取った。

「もしもし、お電話変わらせて頂きました。先日お伺いしました小形です。」

『ああ、君ね。あれからよく考えたんだけど、まだお話に加わるのは、うちは早いんじゃないかって、思いましてね。』

「早い?どういう事ですか?」

『他をあたってって事です。それでは……』

「あの、すみません!」

止めようとしたけれど、電話は切れた。

「係長……」

「大丈夫だから。松下君は先に昼休憩に行きなさい。」

「はい……」

私は自分の席に戻って、もう一度さっきの取引先に、電話を架けた。

何度頼んでも、担当者には代わって貰えず、終いには相手から一方的に電話を切られた。


私は荷物を持って、高田部長のところへ行った。

「部長。少し外へ行って来ます。」

「ああ。外へって、どこへ?」

「この前の取引先です。急に話をなかった事にしてくれって、言われてしまって……」

「分かった。後で、結果を教えてくれ。」

「はい。」

その後取引先へ行ったけれど、担当者に居留守を使われて、全く話もできなかった。


それから間もなく、私は肩をがっくり落としながら、高田部長の元へ結果を報告しに行った。

この高田部長は、私がこの会社に入社した当時から、何かと可愛がってくれていた人だった。

この仕事を、私に任せてくれたのも、高田部長だったのに。


「申し訳ありませんでした。直ぐに他の会社を探します。」

私は勢いよく、頭を下げた。

「いや。先方は、このプロジェクトの要になる会社だからね。参加を断ってきたという事は、このプロジェクトも根本的に見直さないといけないな。」


そんな……

自分のせいだ。

せっかく自分を信じて、この仕事を任せてくれたというのに。

期待に応えられなかった。

私は自分を責めた。


「ところで小形、最近変わった事はないか?」

「変わったこと…ですか?」

「何でもいいんだ。仕事以外のことでも。」


仕事以外のこと……

部長なら、彼氏と別れたことを話しても、仕事に支障はないけれど。

でも、今それを話せば、そのせいで仕事が失敗したんだと、思われる。


「いえ…何も…」

私は何もなかった事にした。

「そうか……じゃあ、俺の思い過ごしかな。」

「は、はい。」

無理に微笑んだ私に、高田部長は急に笑顔になって、明るい声でこんな事を言ってきた。

「小形は旅行好きか?」

「えっ?」

「旅行はいいぞ~。自分の知らなかった世界を、見ることができて。」

「はあ……」

急に何の話だと、気が抜けた。


「聞けば入社以来、有給を使ったことがないそうじゃないか。」

「はい。」

「どうだ?この際、半分くらい消化してきたらいいんじゃないか?」


私は直ぐに”はい”と言えなかった。

有給の半分って、月の2/3だよ?


「今の時期にですか?」

「ああ。観光シーズンでもないから、空いてるし、旅費も安いぞ。」

私の事を気にかけて、気晴らしを勧めてくれるのは嬉しいんだけど、こんな状態で行ったって、たかが知れている。

「…プロジェクトは、どうするんですか?」

高田部長はもう、他の書類に目を通している。

「また、一からやり直しだからな。」

「わ、私にやらせて下さい。今度こそは、頑張ります。」

私は、高田部長の側に寄った。


「小形……」

「お願いです。今度こそ、今度こそ。期待に応えてみせます。」

だけど部長は、首を縦に振らなかった。

「小形、君は疲れてるんだよ。」

「いえ、疲れてなんていません!」

「プロジェクトは他のヤツに任せるから、気にしないで休養に行っておいで。」


その時の私には、他の人に任せるからと言う言葉が、もうお前じゃあてにならないって、言われているように聞こえて。

このままじゃあ、私は潰れてしまうと、気を使ってくれた高田部長の優しさに、全く気付かなかった。


とりあえず、はいっと言って返事をしたまま、自分の席に戻って、会社にいる手前、泣く事もできず。

その日はずっと、心ここにあらずで、一日を過ごした。

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