停留所で一休み
日下奈緒
第1話 別れ
別れと言うのは、ある日突然やってくるものらしい。
あれだけ上手くいっていると思っていた、私達も例外ではなかった。
「別れてほしい。」
「えっ…」
「ごめん。勝手だとは思ってる。」
東京のオフィス街で働いている私、小形出海(オガタ イズミ)は、3年付き合っている三枝佳樹(サエグサ ヨシキ)に駅の中にあるカフェで、たった今、別れを告げられた。
「理由は?」
聞いても、佳樹は黙ったままだ。
「別れようと思った、理由があるはずでしょう?」
付き合いだした時、私は27歳、佳樹(ヨシキ)は29歳。
お互い、結婚も意識していた”はず”だった。
「黙ってないで、何か言ってよ……」
今、目の前で起きている現状を飲み込めない私に、この沈黙は、何を言われるよりも辛かった。
「俺達、このままずっと一緒にいても、無駄だと思う。」
無駄?
その言葉が、胸に突き刺さった。
「お互い、もっと自分の事を、理解してくれる人を探そう。」
優しい振りをした、帝の言い断り文句に、一瞬で、目の前が暗くなる。
今から?
もう30にもなる今から、他の人を探せって?
「それこそ無理だよ……佳樹。」
「そんなことないって。出海なら、すぐに見つかるって。」
いつもの彼なら、”出海みたいなガサツな女、相手にするのは俺ぐらいだろうな”と、優しく微笑みながら言ってくれたのに。
すると、佳樹はちらっとお店の時計を見た。
「ごめん。俺、そろそろ会社戻るから。」
まるで言いたい事は、全て言ったみたいな顔で、立ち上がった佳樹。
でも私はまだ、聞きたい事がたくさんある。
このまま、私だけ置き去りにしないでほしい。
私は震える声で、口を開けた。
「嫌になったの?」
こんな事、本当は聞きたくない。
だけどそれ以上に、佳樹の本心を知りたい。
「もう私の事、飽きちゃった?」
佳樹は、俯く私を見ると、また椅子に座った。
「それは出海の方じゃないのか?」
「私の方?」
「出海が、俺に飽きたんだよ。」
そう断言する佳樹は、どこか寂しそうだった。
「俺さ。出海が大きな仕事、抱えているのは知ってたよ。お互いいい歳なんだから、仕事への責任も重くなってくるし。なるべく邪魔しないようにしてた。」
「あの…」
急に仕事の話をされて、戸惑った。
「でもさ。出海は、その中でも俺に会いたいと思ってくれた?」
「思ってるよ、いつも。」
「じゃあどうして、連絡しても返事ないし。会おうと言っても、忙しいからって、会おうとしないの?」
言葉に詰まった。
同じ会社だし、違う部署だけどお昼の時間が合えば、一緒にご飯食べてたし。
自分の中で、すれ違っている感覚は、全くなかった。
「ごめん……私、大きな仕事任せられたのって初めてだから、気持ちに余裕がなかったんだよ。」
「うん、分かってるよ。」
涙を目に貯めながら、佳樹を見つめた。
「分かってる。仕事に一生懸命なのも、そうなると周りが見えなくなる事も……」
いつも私が、注意されるところ。
佳樹も知っている。
「だけど1年前の出海なら、暇を見つけて会いに来てくれたし、寝る前には必ず電話もくれたよ。今、そうしないのは、俺に気持ちがなくなったからじゃないか?」
知っているからこそ、言える言葉がある。
「私……佳樹の事、大事にしてなかった?」
気持ちがなくなったなんて、ウソ。
今も、佳樹と別れたくなくて、醜いくらいに繋ぎとめようとしている。
「大事には、してくれたよ。出海は、俺に優しかった。」
「だったら、どうして……」
「何だろうね。言葉では上手く言い表せないけれど、なんとなく分かったんだよね。」
「何を?」
しばらく私を見た後、佳樹はこう言った。
「出海さ……俺が結婚してくれって言ったら、プロポーズ受けてくれる?」
「当たり前じゃない!」
佳樹とだったら、ずっと一緒にいてもいいと思った。
「じゃあさ。結婚、もう数年待ってくれって言ったら?」
息が止まった。
「ほらね。出海は、俺じゃなくてもいいんだよ。」
”違う!佳樹じゃないと!”
その言葉が出てこない。
目の前の佳樹も、目が潤んでいる。
傷つけた。
大切な人を、今も傷つけている。
しばらくして佳樹は、とうとう立ち上がってしまった。
「お金、出海の分もここに置いていくから。」
置かれたお金が、手切れ金にしか見えなくて、惨めだった。
「じゃあな、出海。」
いつもと同じ挨拶なのに、悲しくて悲しくて、仕方がない。
佳樹の手が、テーブルから離れる瞬間、私は咄嗟に彼の指を掴んだ。
「出海?」
「……私と一緒にいて、楽しかった?」
こんな事でしか、時間を稼ぐ事ができない。
あと数秒で、私は佳樹の彼女では、なくなってしまう。
「ああ、楽しかったよ。」
にこっと笑ってくれた、佳樹の手が離れる。
一人、カフェに残された私は、二人の時間が終わってしまった事を、痛感させられた。
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