第三楽曲 天使の夜の夢 パート3
まばらな拍手を背に舞台袖に引き
真っ先に、ミレアはびくりと震える。震える口を、なんとか動かした。
「あの」
「言い訳はいいよ。結果がすべてだ」
ばっさりと切り捨てる言葉が、今までで一番、
「音は外す、テンポはズレる、
「……すみませ……」
「その弾くフリっていう英断のおかげで、最後はなんとかまとまったけど。記者達が目を
顔が上げられないミレアに、ガーナーは冷ややかに告げる。
「第二部は三十分の
反論できなかった。それくらいひどい
ガーナーはそのまま背を向け、
それが一番、痛い。
「ミレア。とにかくどっか座って、あったかいものでも飲もう?」
「レベッカ。……ごめんなさい」
「謝らなくていいよ。手、震えてる。……本番前に、何かあったの?」
レベッカからの詮索は
自分はこうやって心配してくれる友達にすら、本当の自分のことを話せないのだ。
「言いたくないなら言わなくていいから。何かあったかいもの、持ってくるね」
待ってて、と言われてミレアは一人、取り残される。
ひとりぼっちだ。ひっと
「助けて、聖夜の天使……っ」
バイオリンが
「……いないなんて言わないで、消えないで。私は、聖夜の天使がいないと、バイオリンが弾けないのに……!」
こつり、と
「……アルベルト……」
第一部の間、客席に姿を見せなかったアルベルトが、立っていた。だがそれだけだ。すぐに視線をそらして踵を返してしまった。
何を言われるか怖くて身構えたくせに、ずきりと胸が痛んだ。その痛みを
聖夜の天使は、どこにいるのだろう。この
だって聖夜の天使がいてくれれば、ミレアは誰にも捨てられずにすむのだから。
悪筆なのでという
「名前はいらないのかい?」
「直接渡しますから。──ああ、そうだこの小さな羽の
「ああ、いいよ。しかし第一部が終わったところで買いにくるなんて珍しいね」
深くかぶった
その
「期待はずれどころじゃなかったな〝バイオリンの
「最後の方、弾いてなかったって前列の
「あのバイオリン。盗品だって
「
話に夢中で、誰にも姿を
会場前の
「君。この花束を、あそこの入り口に立ってる人に渡してくれないか」
「え?」
「今すぐ届けたら、天使が現れるんだよ。ほら、カードに羽がついてるだろう?」
いたずらっぽく告げると、好奇心の強い子供達はそれだけで目を輝かせて、我先にと会場前の警備員に花束を持って行ってくれる。子供らしい押しの強さで今すぐ持っていってと叫んでいる姿が見えた。
押された警備員が花束を持って消えたのを見届けて、
関係者出入り口に
──あの
この舞台の失敗を経験にすることはできた。それだけの時間が彼女に許されていれば。
──お前も
やめてたまるか。やめさせてたまるか。そのためには。
──私は、聖夜の天使がいないと、バイオリンが弾けないのに。
才能は花だ。育てず、
彼女を聖夜の天使に
──けれど。
「すればいいんだろう、天才に」
聖夜の天使さえいれば、彼女は天才になれる。
薔薇の花束は、アルベルト・フォン・バイエルンが考えたご
だがそれはもう屑籠に放りこんだ、もしもの話だった。
痛みに慣れるように、感情は
幕が上がる五分前、最後に姿を現したガーナーは、団員達の顔を見るなり言った。
「あ、こりゃ
「マエストロ……」
「いやー僕はプロだからどんな舞台にでも立つけどさ。そういう意味で
「エロジジイのくせにずけずけ言いすぎ。だから
「何か言ったレベッカちゃーん?」
「あの、すみません。ミレア・シェルツ様はこちらにいらっしゃいますか」
ぼんやりしていたせいで、反応が
「子供達に持って行けとうるさく言われまして。今すぐ、絶対に届けるようにと」
「薔薇の花束ぁ? 誰から? まさかなんか変なもん入ってたりしないよね」
横から入ってきたガーナーに警備員が首を
「差出人は不明ですが、間違いなく
花束を受け取ったミレアは、
一度読んだ。二度読んで名前がないことに気づき、三度目を見て、警備員に
「これを持ってきた人、どこですか!?」
「で、ですから子供が、誰かから
「それって誰!?」
「そ、そこまでは私も聞いてませんが……」
「なになにー? なにこれ。『僕が
勝手に
他人の口からカードの内容を聞いて、ミレアの目が
「聖夜の天使がきてる……!」
感
何を疑っていたのと、首を傾げるように。
「……あれって作り話じゃないの?」
「
聖夜の天使はミレアを見つけてくれた。今、この会場にきている。噓でも
(……何がそんなに
──大丈夫。僕はここにいる。
薔薇をぎゅっと抱きしめて、顔を上げる。早く
あの先に、聖夜の天使がいてくれる。
「よしっいきますマエストロ!」
「……いや、いきなり元気になられてもさ。さっきどれだけ失態演じたか分かってる?」
「大丈夫です、だって聖夜の天使がいるもの!」
満面の笑みで振り向いたミレアに、団員の面々がそれぞれ
その横顔を見て、ガーナーが目を細めた。
「まさか聖夜の天使がスイッチ? ならどうしてこの間、
第二部の合図を
──
どうでもいい、と思った。それよりも大切なものがある。それさえ
ガーナーが指揮台に上がり、
(聞いててね。聖夜の天使)
ガーナーの指揮を合図に、ミレアは
さあ、天から音を降らせよう。
聖夜に
景色が変わった。客席を飲みこんだ
フェリクスが息を
妖精が奏でる、春の調べ。小鳥のさえずりのように
やがて彼女の独奏が始まる。本人は自分が何をしているか、自覚していないだろう。
でも今は違う。
──会いたい。
会いたい、会いたい、会いたい。会いにきて、どうか。
オーケストラが
──まだ天才にならなくてもいいと言ったのは自分なのに。
「……これはひょっとして、聖夜の天使に向けて弾いてるのかな?」
光の音が降る中で、フェリクスが小さく感想を落とす。
「こんなに想われてるのに、会わない男は馬鹿だね」
フェリクスの感想を体現したように、オーケストラも音色を変えていく。
「……ああ、そうだな」
どこかで聞いた音に惹かれて声をかけた。名前を聞いて驚いた。自分の存在を売名に使われて
今の自分を見て欲しいなんて、らしくないことまで願った。
だが、〝聖夜の天使〟の正体がアルベルト・フォン・バイエルンだなんて、現実では笑い話にもならない。世間はやらせを疑い、今以上に彼女は
(君を〝バイオリンの
あの一途な
いつもいつも自分の
「どうやら僕は、馬鹿だったらしい」
聖夜の天使は現れない。自分の夢を
そして君を、世界一のバイオリニストにするために。
続きは本編でお楽しみください。
ドイツェン宮廷楽団譜 嘘つき婚約コンチェルト/永瀬さらさ 角川ビーンズ文庫 @beans
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