第三楽曲 天使の夜の夢 パート1

 てつていすべきはまず的なことだ。指揮からはずれない、調和を乱さない。せんぱい団員達の音はとうそつの取れた軍隊のごとく、ミレア達新人の音をきよぜつする。だからこっそりまぎれこんでしまおう、と誰かが言い出した。

 この考えは当たった。二日目、三日目と新人の音が不協和音をかなでることがなくなっていった。四日目と五日目でほとんどの新人が演奏からり落とされることがなくなり、六日目にはぴったりとつくかげのごとく、かんのない演奏ができあがった。

 その間もずっと、アルベルトからの差し入れは続いた。練習が終わるころになるといつの間にか置いてあるのだ。味がしなくなる日もあったけれど、ミレアはみんなと毎日それを食べ続け、まるでかしたようなメッセージを読み続けた。

『音のつぶはそろっているか』

『先輩がどうしているかぬすみ見ろ』

『くたばり損ないでもマエストロだ、指示の本質を考えて理解しろ』

 きゆうてい楽団に入団できる実力があるミレア達にとって、考えればたどり着ける基礎的なことばかりだ。地味で、けんじつで、おもしろも何もない、天才ではない演奏方法。けれどやればやるほど体にみこみ、ミレア達の音は振り落とされなくなっていった。

 ──そして、本番前のリハーサル。かんぺきにまとまった『第二楽団の演奏』にガーナーがしかめっつらになった。

「面白くない!」

 指揮台ですねた顔をする指揮者に、さすがの先輩達もあきれた顔になる。

「面白くないって言っても、本番ですよもう」

「こんな予定じゃなかったんだよー! 短期間でちやぶりして天才が開花する展開を期待してたのに!」

「予定より目の前にある現実に対処してくださいよ、マエストロ」

「いっちばん気に入らないのはね。あの鹿に指導された連中が送りこまれてる感じがすることだよ!」

 ぎろりとガーナーがにらみをきかせたが、ミレアをふくむ新人全員は素知らぬ顔をする。

 するとガーナーは悔しそうに指揮台にした。

「くっそー僕の計画が……しょうがないなあ。あらりようで開眼させたかったんだけどここまできっちり対応されると……あいつめ僕を逆に使いやがって……でもまだチャンスは……」

「……あの、マエストロはなんの話してるんですか?」

「さあ。まあ、ろくでもないことだね」

 となりの先輩は慣れているのか、けろっとしている。そこにはゆうが見えて、しようした。

(私も早く、コンマスの仕事ができるようになりたいけど……)

 みなは示し合わせたようにこの人を見て演奏する。でもそれでいい。じやをしないのでせいいつぱい、それがミレアの立場だ。

 考えをまとめたのか、ガーナーが勢いよく立ち上がる。

「──よし、今回は僕の負けだ! 仕方ない、本番はにやろう」

「ちょ、今まで真面目にやってなかったんですか!?」

 で突っこんでしまったミレアに、ガーナーはひらひら手を振る。

「だいじょーぶだいじょーぶ。本番のこわさを教えるだけだから。はい本番までかいさーん」

 それはだいじようと言わないのではないだろうか。一週間前に打ちのめされたことを思い出して新人全員が青ざめる。

 だが、ミレアの横にいた先輩がぽつりとつぶやく。

「本番はまたちがうから。でも大丈夫。かんちがいしたままの新人だったらつぶされるけどね」

 初めてわすまともな会話に、ミレアはまばたく。

「……あの……それって」

「邪魔しないだけで十分、がんったよ。ゆっくりコンマスになればいいから」

 うれしくて、ありがとうございますと小声でしか返せなかった。見ると、青ざめた新人に一言二言、先輩が声をかけている光景が見える。

 これで本番にいどめる。そう思った。



 ──思った、のだが。

(……き、きんちようってどうしたらとけるの……!)

 当日席を求める行列ができている、どこそこの楽団長がいる、あの著名バイオリニストがきてる、記者会見が始まるらしい等々、ひかえ室に集まってくる情報に目眩めまいがしてきたミレアは、真っ白なろうの奥で一人、うずくまっていた。

 両手をさするが、冷えてしまっている。動くか心配になった。すると余計に不安と緊張が増して、あくじゆんかんを起こしている。

(何かあったかいもの食べるとか……でも食べたいものなんて……)

 いつも食べていたあのサンドイッチが食べたい。頑張れとメッセージが入っていたら、頑張れる気がする。そこまで考えて、はっとした。

「……それはたよりすぎでしょ! 精神的に!」

だれが何を頼るんだ?」

「うきゃっ!」

 変な悲鳴を上げて飛び退くと、頭から振りはらおうとしていた顔があった。手にいつものバスケットを持って、呆れている。

「その悲鳴ははくしやくれいじようとしてどうなんだ……」

「だ、だってだっておどかすから!」

「一週間の間にずいぶん挙動しんになったな。……ああ、緊張してるのか」

 アルベルトが意地悪くくちはじを持ち上げて笑う。それでむきになった。

「し、してないから! だ、大丈夫……平気」

「ふぅん。──そういえば記者会見、あのきよしようが〝バイオリンのようせい〟に期待してくれとかあおってるせいで、大広間は君の話題だらけだよ。よかったじゃないか、有名人」

「え」

「シェルツ伯爵夫妻も見かけた。記者と観客に囲まれてまんむすめだって話してた」

「……」

「今夜の主役は君だよ、〝バイオリンの妖精〟。僕もこんやく者としてほこらしい」

「──な、何よ! やるわ、やってやればいいんでしょ!」

 泣き出したい気持ちを振り切って、ん張るように立った。

「これでっ聖夜の天使に会えるなら! が、頑張るもの。頑張れ私!」

 最後は自分ではげますと、アルベルトが小さくき出した。

 じやがおの不意打ちに、心臓がねる。

(……いやっ違うでしょ、鹿にされたんだからおこらなきゃ!)

 いかりを引き出そうとすると、アルベルトがふっとひとみすがめた。

「会いたいか? 聖夜の天使に」

 何を当たり前のことをと返せなかったのは、アルベルトがしんけんだったからだ。

 言葉が見つからなくて、ただこくんとうなずく。

 アルベルトはななめに視線を落とした。

「お前が思ってるようなやつじゃないかもしれないのに」

「……どういうこと?」

「──そうだな。もう羽が生えてないかもしれない」

「人間になったってこと? 何も問題ないわ。そもそも聖夜にしか天使の力はもどらないし!」

 ぐっとこぶしにぎったミレアに、アルベルトはなるほどと小さく呟いた。

「じゃあ……悪い男だったらどうする? 君に平気でうそをつくような」

「全然平気!」

「あのな、もう少し考えろ。いくらいいバイオリンをもらったからって……」

 呆れた顔をするアルベルトに、ミレアはこしに手を当てて説明する。

「ちゃんと考えてるわよ。あのね、そもそもあの夜バイオリンをもらわなかったら、私は今ここにいなかったの。シェルツ伯爵家の娘になることもなかっただろうし、バイオリンだって続けられたかどうか分からないのよ。──それに、聖夜は私の本当の誕生日なの」

 アルベルトが目をまたたき、顔を上げる。

「……誕生日、だったのか。聖夜が」

「そう。ないしよよ? シェルツ伯爵令嬢の誕生日は夏だから」

 真っ暗な夜に、天使の音楽を聞かせてくれた。君にと、バイオリンをくれた。

 誰もミレアを見向きしない、本当の誕生日に──それは確かにミレアを生まれ変わらせる、おくり物だったのだ。それを決して忘れない。

「ひとりぼっちの誕生日を、人生で一番てきな日にしてくれたのよ。だから聖夜の天使が人間でも化け物でも悪い男でも私は受け入れるわ。どんとこいよ!」

「……君の頭の悪さには、本気で感心する」

「なっ──」

 むっとして顔を上げると、心臓が止まりかけた。

 やさしさもいとおしさも、すべてないまぜにしたような、ごくじようしようがあった。止まりかけた反動で、かつてない速度で心臓が動き出す。甘さでとろかされたみたいに。

 そっとほおに片手がびてきた。りんかくを確かめるように優しく指でなぞられた後に、顔をのぞきこまれる。

「ミレア」

「は──はいっ!?」

「今回のたいがうまくいったら──ごほうをやろうか」

「ご、ごほうびって……」

 そんなつやめいた声と笑みをのせたくちびるささやかれたら──想像だけでふんしたくなる。

 それをかしたように、アルベルトが親指でミレアの唇をなぞる。かんだけではないものがぞくぞく背筋をい上がっていった。もうそろそろ気絶したい。

「──いたっ!」

「何を想像した」

 ぱちんと指で額をかれ、あわててちょっときよを取ってから、怒る。

「な、何も想像してないから……!」

「どうだか。まだ色気よりも食い意地がはったお子様だと思ってたんだけど、意外だな」

「食い意地なんてはってな──っで、でも変なことも考えてないし!」

「ミレア。見つけたぞ」

 ──聞き覚えのある背後からの声に、ぞわりとした。

(噓、だって。まさか、そんな)

 聞き違いだ。でもり向けない。代わりにアルベルトがげんそうに応じる。

「──どなたですか? 関係者ではないようですが」

「……お前、アルベルト・フォン・バイエルンか」

 低く、何もかもをあざけるような男の声。どうして今、とミレアはふるえ上がる。

けつさくだ。お前がミレアの婚約者だってな。かねもうけのために演奏家達を何人も飼い殺し、使い捨て、音楽の支配者気取りのバイエルンこうしやく家の息子むすこが。笑わせる」

「──警備員にていちように引きずり出されるか、自主的にお帰り頂くか、選んでもらおうか」

 アルベルトの口調に険が増す。だが男は振り向かないミレアに声をかけた。

「なぁミレア。その男は知ってるのか? お前が本当は誰の娘か」

 アルベルトが目を見開く。ミレアは意を決して振り向いた。

 おくよりその男はけて、別人に見えた。でも分かってしまう。

 それこそが血のつながりなのだと言われているようで、悲鳴じみた声が出る。

「何しにきたのっ──帰って!」

「十年ぶりに会った父親にそりゃねぇだろう、ミレア」

 へらりと本当の父親が、笑った。


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