第一楽曲 嘘つきのエチュード パート2

 ドイツェン王国の国民は音楽を好むが、しゆうぶんも好きだ。バイエルン公爵子息とシェルツ伯爵れいじようの婚約を報ずる新聞の一面を、ミレアは泣きたい気持ちで見つめていた。

「き、昨日の今日でこれ……ちがうのに! 聞いてレベッカ!」

「はいはい何回も聞いたよ、理由は」

「だってお父さまが! だまされて! い、いい人だって……よあんなの! あのそとづらはなんなの、社会不適応者じゃなかったの!?」

「公爵家のあとりなんだし、そういうのはむしろ得意なんじゃないの?」

「上流階級はこれだから!」

 新聞にいかりをぶつけると、レベッカはかたすくめ、真ん中で半分に割った寮部屋の自分の机で楽器の手入れを始めてしまった。

 見事な好青年に化けたアルベルトに、話を聞いた養父は見合いを断ると言ってくれた。そこまではいい。

 さらにアルベルトは養母にもあいさつを申し出た。さすがに養父も、公爵家の人間を準備なく屋敷に招き入れるのは気が引けたのだろう。養親達は二ヶ月ほど王都にたいざいするということもあり、気づいたら後日に挨拶をかねた食事会の予定が入れられていた。

 その足でアルベルトは放心しているミレアを宮廷楽団へと連れ帰り、待ち構えていたバイエルン公爵家の使用人達にミレアとの婚約を公言した。

 そして数時間後にはこの話題が宮廷楽団中をめぐり、そとぼりが完全にまっていた。

(こんなさわぎにして何を考えてるの、あの男……!)

 この展開にどうしゆうしゆうをつけるのかもふくめて、問いたださなければならない。

 まさか、本気でミレアと婚約するつもりなどないだろう。

「第一楽団って今日、となりの歌劇場でリハーサルしてるのよね? 定期演奏会の」

「そうだけど、第一楽団の練習って関係者以外立ち入り禁止だよ?」

「とにかく行ってくるわ。もし追い返そうとしたら婚約がうそだってばらしてやるから!」

「そうなるとミレアもまた困るんじゃないの?」

 冷静なレベッカの意見は聞かなかったことにして、意気ごんで部屋を出る。

 寮から歌劇場まで一本道だが、きよがそこそこある。その間にもいく人もの団員におめでとうを言われ、歌劇場に着いたころにはあい笑いで顔が引きつっていた。

 それもこれも全部アルベルトのせいだ。つかれを怒りにへんかんして、歌劇場の大広間からたい裏に回る。関係者以外立ち入り禁止のり紙が見えたが、無視して奥へと進んだ。

 遠くにぶく、げんがつの重低音が聞こえた。音合わせの最中なのだろう。息をひそめながら、ミレアはそうっと舞台そでから顔を出した。

 アルベルトはすぐ見つかった。指揮台の上にのせたこしけ、指揮棒をもてあそびながらそうながめている。しんけんな横顔に、勢いががれた。

(……練習終わるまでここで待ってようかな)

 こんやくの件は早く片づけてしまいたいが、第一楽団の練習を見たいゆうわくに負けた。調ちようげんをしているフェリクスの姿も見える。ミレアが目指すプラチナコンマスの生練習だ。この目と耳で確かめられる機会なんて、めつにない。

(第一楽団の定期演奏会は、団員でもチケットがとれないし。なんの曲かな。この間と一緒なら私も今練習してるけど、最後の方が違う感じがして、曲想もよく分かんないし)

 舞台袖の暗幕に体をうずめるようにしてかくれながら、目をこらし、耳をすます。アルベルトが顔を上げた。

きゆうけい終わりだ。もう一度通すぞ。さっきやったところから──」

「ミレアちゃあぁぁぁぁん」

 背後から暗幕ごときかかえられ、ひっとのどを鳴らしたミレアのほおに、ガーナーが頰ずりをする。

「ミレアちゃんだけはアルベルトになびかないって思ってたのに、婚約って何。僕悲しい!」

「は、はな、放してくださいマエストロ! どっから出てきたんですか!?」

「そりゃいつも追いかけ回してくれるミレアちゃんが僕に目もくれず行っちゃったら、追いかけるでしょ」

「追いかけなくていいです! 今はそれどころじゃ──」

 ばたばた暴れていたミレアは、始まるはずの音楽がちっとも鳴り出さないことに気づく。

 おそる恐る舞台に目を向けると、すさまじく冷たい顔をしたアルベルトがこちらを見ていた。

「──何をしてるんだ?」

「な、何ってその──マエストロ放してください、いい加減!」

「ええーミレアちゃん抱き心地ごこちがよくて──うぐっ」

 ガーナーのけんにアルベルトが投げた指揮棒が命中した。

 うずくまるガーナーから慌ててミレアはげ出す。

しようになんて真似するんだ馬鹿め……!」

「練習のじやだ。消えろ師匠」

 にらみ合うていの間に、やわらかくフェリクスが割って入った。

「どうされたんです、マエストロ。第一楽団に顔を出されるなんて、めずらしい」

「あのれいてつ弟子が婚約者にはどんな顔するのかと、ついこうしんが隠せなくてさー」

 思いがけない注視を全員から浴びたミレアは、しどろもどろになってしまう。

「す、すみません。練習の邪魔をするつもりはなかったんですけど……」

「──あれがバイエルン指揮者の婚約者……苦労してるだろうな……」

「今も見ろよ、縮こまって。いつもられてるんだぞきっと」

「第二楽団のバイオリニストだっけ? 新人か。うわーういういしい」

「婚約者の演奏にまでキレてめんだいぶん投げたりしてないよな? まさかだよな?」

 てっきりおこられると思っていたところに、同情のまなしが注がれる。

 ぱちぱちまばたきをり返すミレアの前で、青筋を立てたアルベルトが不敵に笑った。

「……いい度胸だ、全員」

「やべっ聞こえた、ごくみみ

「いつもみたいに指揮棒折って引かれて婚約されろ、ざまあ」

「聞こえるようにわざと言ってるだろう! 全員、今日は完璧にけるようになるまで休みなしだ! おいそこのしんにゆう者。邪魔するなら息をしないでもらおうか」

「客席、移動しようかミレアちゃん」

 ガーナーにうながされたミレアは、あわててそれに続く。

 最前列、真ん中の特等席だ。アルベルトは指揮台に立ち、フェリクスも首席奏者の席に腰掛ける。どきどきした。落ち着いた様子で深く腰掛けたガーナーが、あごをなでながらつぶやく。

「さて鹿弟子の第一楽団は、どの程度になったかな」

「──最初から、最後まで通す。かんぺきに弾けたら、すぐに帰れるぞ」

 アルベルトが指揮棒を持ち、ふうっと一息だけいた。それが合図のように、演奏者達が楽器をそれぞれ構える。

 糸をぴんと張ったような静かなきんちよう。それをち切るように、アルベルトがフェリクスと軽くうなずき合った後、指揮棒をり下ろした。

 音のこうずいが舞台を飲みこむ。

 小鳥のさえずりを鳴らすフルート、風をえがく第二バイオリン。少女が笑っている姿が見えるようだ。だがコントラバスがうなる雨雲を連れてきて、チェロが不安をあおる葉音を立てる。完璧にそろった音が指揮棒に配置され、絵を作り上げていく。

(え、え。これって、こんな曲だった?)

 指揮棒がリズムを変えると世界が変わる。幸せな少女の時代はすぎ、かがやいていた緑の世界がばくのようにかわいていく。

 一つ一つ音を積み上げて天を目指すような静かな作業。そこへ異物がいこむ──第一バイオリンだ。フェリクスのバイオリンが、たった一人でどうこくする。

 神よ、我を救いたまえ!

(すごい、バイオリンが泣いてる……)

 そう思えるのは、雑音を完璧に処理しているからだ。恐ろしい速度で半音ずつ駆け上がっていくせんりつが、悲鳴のように耳にさる。

 だが悲痛なさけびに指揮はまどわされない。無情に、に、時間を流す。その対比が夜明けのおとずれをきわたせていた。たった一つ残った約束のように。

 ──演奏が終わったのだ、と気づいたのは、数はく置いてからだった。

「うーん、相変わらず完璧な演奏……ミレアちゃん?」

「──すごい!」

 飛び上がるように立ち上がり、夢中ではくしゆする。手が痛くなってもかまわなかった。

「すごい、すごいわ──どうしよう! すごかった!」

 あせではりついたまえがみはらいつつ、アルベルトがあきれた顔で振り返る。

「すごいしか言ってないぞ、君」

「だってすごかったんだもの! 信じられない、だってあなたがかっこよく見えた!」

「は?」

 アルベルトが目を丸くする。ミレアは感じ入ったように呟いた。

せきだわ……音楽の力ってすごい……音楽やってなければただのいやな男なのに」

「……。君は今、僕と婚約してる自覚がないな?」

「分かった、ずっと指揮してればいいんだわ。そしたらかっこいいって思える!」

 頰を引きつらせたアルベルトの背後で、まずフェリクスがき出した。

 続いて第一楽団の団員が全員笑い出し、となりのガーナーも腹をかかえてげらげら笑う。

「こ、婚約者の過労死をねらうとは……っぷくく、ざまあみろ馬鹿弟子!」

みなさんてきな演奏でした! ……いいなあ、私も弾きたい。丁度今、同じ曲練習してるんですけど最後の方、いい弾き方が分からなくて……でも、今ならすごくうまく弾けそう」

「弾くかい?」

 笑いすぎてなみだになったらしいフェリクスが立ち上がり、手招きする。

 ぱっと顔を輝かせたミレアに、アルベルトが顔をしかめた。

「──おい、だ。練習ならよそでやれ」

「いいじゃないか。コツをつかむしゆんかんってあるからね。僕のバイオリンでよければ貸すよ」

「い、いいんですか?」

「何かアドバイスできるかもしれないしね。僕も聞いてみたいし」

 それはうれしい。舞台に上がり、フェリクスから借りたバイオリンを構えた。

(あ、この感じ)

 すっと意識がわたる。湖面にそっと降り立つような、せいしゆくまえれ。何度か経験したことがあった。こういうときはうまく弾ける。

 天使と出会った、あの時みたいに。

「やめろと言ってるだろ。今はこっちの練習中──」

 アルベルトがちゆうで口をつぐんだことにもミレアは気づかなかった。苦笑いをかべて見守っていたフェリクスが目をみはったことにも、ガーナーがするどく視線を向けたことにも。

(そう、ほら、こう。この曲はこう弾いたら、素敵)

 弓も指も何かにとりつかれたように動く。恐ろしいほど的確に、かろやかに。

 何も難しくない。だって今の自分の背中には、天使からもらった羽がある。

 口元にみが浮かんだ。半音ずつの音を、せんを描きながら一気にのぼっていく。天上のその一歩手前まで、羽ばたいて飛ぶように。

「──できた!」

 弾き終わったミレアは顔を上げ、周囲を見てきょとんとした。皆が自分を見ている。

 かあっと頰が赤くなった。第一楽団の前で自分の演奏にとうすいしていたのだ。いい演奏ができたと思うけれど、いまさらずかしくなって慌てる。

「あ、あの、すみませんフェリクス様。私、調子にのって……」

 急いでフェリクスにバイオリンを返したところで、うでをとられた。

 アルベルトだ。こわい顔をしている。

「こい」

「え? でも」

「いいから。僕に話があってきたんだろう──全員、今日は解散でいい」

 引っ張られて歩き出す。ちらりと見た第一楽団のたいはまだ、静まり返っていた。






「……おどろきましたね」

 後片付けを一足早く終えたフェリクスが、ガーナーのそばまでやってきた。客席に座ったままでガーナーはのどの奥で笑う。

「君もそう言うということは、げんちようじゃなかったか」

「この間の定期演奏会では、技術があるだけでしたよ。あんな音が出せるなんて」

「何かスイッチがあるのかもね。自在に入るようになったら怖いなあ、君みたいに」

 ちらと見上げたガーナーの言葉に、フェリクスは素知らぬ顔で話を変えた。

「上は知っていて〝バイオリンのようせい〟なんて煽ったんですかね?」

「まっさかぁ。そんな耳のあるのはいないよ、金とめいにしか興味ない上層部に」

「……ですよね」

「でも馬鹿は知ってたな。あいつめ、しようかくし事か。いい演奏家いたらしようかいしろっていつも言ってるのに、ずるい!」

 ガーナーの予想にフェリクスがまゆを寄せる。

「アルベルトが? 確かに気にかけてたみたいですが、僕と同じで定期演奏会くらいしか聞いたことがないはずですよ。知っていたとしたら一体どこで聞いたんです?」

「うーん。僕も何かある子だとは思ってたんだよね。でもまさかあそこまでけるとは確信できてなかったし──いやーほら見て、とりはだ立ってる」

 シャツをまくりあげ、腕を見せた後でガーナーは呟く。

「指揮者として久々にそそられたよ。乗りこなしたいな、あの子」

「まったく、アルベルトもあなたもていそろって演奏家の才能に目がないと言うか……」

 呆れた顔でめ息をつくフェリクスにはゆうがある。理由は単純だ。

 ミレア・シェルツは天才。対して、彼は本物の天才だ。

こんやくってさー。アルベルト、親父おやじさんへのはんこうで本気じゃないよね」

「さあ。本当かもしれませんよ、けんするほど仲がいいって言いますし」

「ええーやだ、僕ミレアちゃんに乗りたい。でもアルベルトがおこるかなあ」

「それ以前に色々言い方を改めないと、まずミレアさんにげられるかと」

 それもそうか、とガーナーはなつとくした。

(さて、どうするかな。新人は選別できたし)

 新人が入団してきて二ヶ月。すでにそれぞれの演奏や、音楽に対する姿勢はあくした。きゆうてい楽団の団員になっただけで将来あんたいだと思っているような新人は、明日にでもクビを切ってしまおう。二ヶ月、ガーナーが何もしないという理由で遊びほうけていた団員もお払い箱だ。

(定期演奏会で〝バイオリンの妖精〟は絶対使えって上からのお達しを、どうしてくれようかと思ってたけど……)

 考えて、笑う。自分で自分の発想に感動した。

「でもミレアちゃんの初めては僕がもらっちゃお。早い者勝ちってがいねんを弟子に教えてやらなきゃ。僕って本当、弟子思いだなー」

「……アルベルトが聞いたら指揮台が飛んできますよ」

 そうだよね、とガーナーはうんうんうなずいて納得する。

 ただ納得しただけで、ひかえるつもりは毛頭ないのだった。






 連れてこられたのは、歌劇場の控え室だった。アルベルトが使っているのだろう。机の上にはそうが広げられたままになっている。

「まったく、この考えなしのじゃじゃ馬……!」

「な、何よ。確かに練習のじやをしたのは悪かったけど……」

「おかげで僕は明日からあのろくでなし師匠のおもちゃだ!」

 意味不明なさけびにミレアは目をまばたいた。ながに身を投げ出すようにして座ったアルベルトは、額に手を当てている。頭痛をこらえるように。

(そ、そんなに悪いことした?)

 アルベルトのけんしわを見ていると不安になってきた。本番で取り返しのつかない大失敗をしでかしたような、そんな気分になってくる。

「──あ、の……」

「……いや、悪い。八つ当たりだ。おそかれ早かれだった。どうせ第二楽団ももう動く」

「え?」

「すぐ分かる。……それで? 何か僕に話があってきたんだろう」

 うながされて、思い出した。だが改めて問われると、切り出しにくい。

 その間にアルベルトはえりもとゆるめ、平然とした顔で水差しから水を飲んでいた。

(──ど、どうして私がきんちようしなくちゃいけないのっ……ええい、ままよ!)

「こ……っ婚約の! ことなんだけど! どういうこんたんなの!?」

「助けてやったのにその言い草か」

「だっておかしいじゃない、あなた……その、私がきらいでしょ!」

 けいかいしんをいっぱいにしてにらみ付けると、まゆをひそめられた。

「どうしてそうなるんだ」

「えっだって……い、色々いやとか、いつも私の演奏けなすし……」

「……。まあ、色々疑ってはいた。どこまで君の話が本当で、何がねらいなのか。だが、誤解だと分かったよ。何故なぜなら君はそんなに頭がよくない」

 見直されたらしいが少しもうれしくない理由だ。アルベルトは両足を組んで、ほおづえく。

「だからおたがい助かるならいいことだと判断した、それだけだ」

「私のしようだくも取らずに!?」

「そんな時間がなかった。結果的になんとかなったじゃないか、どこに問題が?」

「ありまくりよ! いつかばれるに決まってるじゃない、だってあなたと私が婚約よ!? フリでも無理! 絶対無理! あり得ない!」

 全身で否定すると、アルベルトが目の前に立っていた。ただならぬ気配に目線を上げると、とても整った笑顔が返ってくる──そのあつかんにごくりと、ミレアはつばを飲み込んだ。

「ずいぶんな言い方だな。そこまで女性に嫌われたのは初めてだ、しんせんだよ」

「だっ……だって、その。みんなをだますのは、よくないと……」

 やや視線を横にそらしつつ言うと、アルベルトがさらに一歩め寄った。

(こっ怖い! 怒らせた!? でもこの人だって私じゃいやだろうし……あれ、嫌われてないんだっけ?)

 分からなくておよごしになったミレアを、アルベルトが上から見下ろす。

「騙すのはよくない、ね。そんなこと言えた義理か? 〝バイオリンの妖精〟」

「……な、何? いつもからんでくるけど、別に私が名乗ったわけじゃないし」

「君、ずいぶん可愛かわいがられてるじゃないか。

「!!」

 真正面からアルベルトをぎようしてしまった。

 その反応が答えになってしまうと気づいても、後の祭りだ。

「養護院出身、行方ゆくえ不明になったはくしやくれいじよう、聖夜におくられた最高級品のバイオリン。この三つを使ってうまく話を作ったな。真実を混ぜれば、うそはばれにくくなる」

 アルベルトの言葉はまさにその通りだった。

 養護院育ちの少女が、聖夜に天使からバイオリンをさずけられる。その導きで才能を開花させ、家族と再会し、伯爵令嬢だったと判明する。それが〝バイオリンの妖精〟の物語。

 化けの皮がはがれてはいけない。『むすめを失った伯爵家夫妻が、よく似た少女を一人、養護院から引き取って養女にした』。──そんなちんな現実は、だれの心にもひびかないから。

「……ど、どこから聞いたの?」

「むしろどうしてばれないと思った? 養女ならどこかに記録が残る。調べればすぐに」

! そんな記録見せられたら、またお母さまがおかしくなっちゃう! お父さまもみんな、一生けんめいかくしてるの。国王様にもたのんで──だから調べたりしないで!」

「……どういうことだ?」

 げんそうなアルベルトに、ミレアはくちびるんだ後に、かくにんした。

「全部話したら、だまっててくれる?」

「そうだな。今のところ、言いふらす予定もないが」

 予定があろうとなかろうと知られてしまっているのだ。ミレアは腹をくくった。

「本当のシェルツ伯爵令嬢は、らくばん事故に巻きこまれてくなってるの。ひどい遺体で見つかったらしくて……お義母かあさまがそれを受け入れられなくて、周囲がそれを取りつくろうために行方不明ってことにしたって聞いたわ」

 可愛い一人娘の遺体を、養母はおくから消した。それを誰が責められるだろう。せめて気持ちが落ち着くまでと、周囲はまだ娘はどこかで生きているのだとやさしい噓をついた。

 それから数年後、娘と同じ名前の少女の話が耳に入ってくる。それが養護院で聖夜の天使からもらったバイオリンをいていた、ミレアだった。

「新聞にもあったでしょ。会うなり『私のミレア』って言われたわ。──お義父とうさまに頼まれたの。君を引き取って、大切にする。バイオリンだって好きなだけ弾けばいい。だから、お義母かあさまの言うことを否定しないでくれって」

「……要は身代わりか。死んだ娘の」

「そんな風に言わないで。二人とも、すごく私のことを大事にしてくれたわ。本当の娘みたいに──ううん、本当の娘としてちゃんと育ててくれた」

 本物の令嬢が事故に巻きこまれた時、わずか三歳だったのも幸いした。引き取られた時八歳だったミレアは、顔のちがいも何もかも五年の歳月で言い訳できた。そもそも三歳以前の記憶なんてミレア自身にもない。名前も同じだったから、反応に困ることもなかった。

 真相を知っている数少ない人間も、伯爵夫人が元気になるならと喜んでミレアを受け入れ、本当の令嬢としてあつかってくれた。真実が大切だなんて正義感をりかざして、優しい噓をあばこうとする人も利用しようとする人もいなかったのだ──ここにくるまでは。

「名前もねんれいも同じだし、違うのは誕生日くらいよ。お母さまだって最初は私をきしめてはなさなかったけど、今ではそんなことがあったって信じられないくらい落ち着いてる。──何より、バイオリンを続けられたし」

「……それじゃ君が養女だと知ってる人間はわずかで、記録も簡単には出てこない、か」

 こくりとミレアは頷いた。

 ミレアが養女だと知っている人物は、ミレアの経歴をわざわざたんねんに調べ上げたバイエルンこうしやくと、養父。古くから伯爵家に仕える忠実な使用人達と、ミレア自身。

 ──後は父親。生きているか死んでいるのかも分からない、ミレアを捨ててどこかへ消えた、血のつながった本当の父親だ。

「だからあなたがどこから聞いたのか不思議なのよ。バイエルン公爵?」

「……まあ、そんなところだ。今のところほかにばれてる様子はないから安心しろ」

 その回答に、ほんの少しだけ力がけた。横を向いたアルベルトが、口角を上げる。

「人を守るための噓を使って〝バイオリンのようせい〟のできあがりか。よくやる」

 その皮肉は、アルベルトの父親へ向けられたものだろう。

 だがミレアもそれにたんしているのだ。聖夜の天使の話も混ぜることを条件に、その話を受け入れたのだから。

「……お願い、黙ってて。私、きゆうてい楽団を追い出されるわけにはいかないの。来年には、お父さま達に本当の子供ができるから。──それまでに、ちゃんと一人で生きていけるようにならなきゃ……お母さまだっていつ本当のことを思い出すか、分からない」

 うでをつかんだミレアを、アルベルトは静かに見返した。

「バイオリンしかないの。帰る場所だって本当はどこにもない。本当の私を見てくれる人だって、聖夜の天使くらいしか……それも、どこにいるか分からないし」

 ぽん、と頭の上に手を置かれた。そのまま子供にするように、でられる。

「分かってる。だから共犯者に選んだ」

「……共犯者?」

「──僕には夢があるんだ。自分の理想の楽団を作りたい」

 まっすぐに返ってきた答えに、まどいよりおどろきがまさった。

「ま、まさかプラチナ演奏者を引き抜いていくつもりなの? そんなことしたら」

「分かってる、パガーニのようにがくだんから追放されて終わりだ。宮廷楽団に睨まれたら演奏家も集まらない。そこのあたりは考えてある。ただ、僕はいずれ世界中の演奏家と音楽を作っていきたいんだ。宮廷楽団のわくをこえて──ないしよだぞ?」

 子供っぽい言葉でくぎされて、何度もうなずいた。宮廷楽団は王家の所有物だ。なのにそこの首席指揮者が背信めいた夢を持っているなんて知られたら、指揮者生命にかかわる。

(でも、この人が作る楽団……)

 今の宮廷楽団をこえる、さいこうほうの音楽がかなでられる予感がした。

 そこに自分は入れるだろうか。考えるだけでどきどきした。そんな危ない秘密をミレアに打ち明けてくれたことにも。

「それにはまだ、宮廷楽団で下地を作る必要がある。時間が必要なんだ。──だから騙してもらうぞ、君の養父達も僕の父親も。君は〝バイオリンの妖精〟だし、僕達の関係は必ず売りになる。世間も味方につく」

「……う、売りになるって……」

「いいか。生き残りたければ、こうこくとうで使われたまま終わるな。それを使ってのしあがるくらいのがいいどめ。でなければ〝バイオリンの妖精〟のかたきが、いつか君をつぶす」

 それはずっともやもやしたままかかえこんでいた、いい知れない不安だった。

 でも考えることに不向きなミレアは、どうすればいいのかなんて、分からなかった。自分が生きる道をさくするのにせいいつぱいで。

「だが君が僕の共犯者になるなら、守ってやる」

「え」

こんやく者なら当然だろう?」

 不敵に笑う姿にうろたえてから、顔が赤くなった。

(守る? ──他の誰でもなくて、私が共犯者?)

 選ばれたのは、バイオリンの妖精でもシェルツ伯爵令嬢でもない。ただバイオリンを弾きたいだけの自分──それは、聖夜の天使が見つけてくれたミレアだ。

 たんにそわそわしてきた。アルベルトの顔を見られないまま、口をもごもご動かす。

「で、でも……私、男の人とお付き合いとかしたことがないし……」

「想定済みだ。僕の言う通りにすればいい。まずそこのそうをまとめて片付けろ」

 ぱちり、とミレアはまつを上下させた。──それは。

「あと昼食がまだだ、準備してこい。そのついでに図書室で資料を取ってきてもらおうか」

「えっ……ちょ、ちょっと待ってそれって婚約者がすることなの!? 下僕扱いじゃない!」

「バラされたくないだろう?」

 にっこりと笑われて、ミレアは固まった。

(こ、この男ッ……結局おどす気なんじゃないの!)

 いつしゆんでも、ほんの少しでも、ときめきかけた自分が鹿だった。

かんちがいするなよ。弱みをにぎられてるのは君だ」

「あ、あなただって、さっき内緒だって!」

「指揮者が自分の楽団を持ちたいと思うのはいつぱん的な願望だ。本当に引き抜きを始めたりしない限り、ばれたところでだれも目くじら立てたりしない」

「で、でも婚約がうそってばれたら、困るのはおたがい様よ!?」

「困るだろうな。でも君は、養女の件を世間に公表されたら終わる、色んな意味で」

 失うものの大きさが違いすぎる。ううとミレアはうなった。くやしい。

「お望みなら本気でけつこんしてやってもいいけど?」

「絶対にお断りよ!」

 さけんでミレアはもうぜんと総譜の片付けにかかる。いつか絶対見返してやると、二ヶ月前と進歩のない決意を胸に抱いて。





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