第一楽曲 嘘つきのエチュード パート1
それは
そしてミレア・シェルツの場合は、本当の自分の
「──ミレア様! コンクール三位入賞おめでとうございます!」
「
「ありがとうございます。課題曲が得意な曲だったおかげで、助かりました」
伯爵令嬢とバイオリンの
「同じ新人だから私達まで
「新聞にも
「本当に!? 見せてもらっていい?」
開いた一面には、ミレア・シェルツの名前が選評と共にあった。
『身寄りがなく養護院で育った少女は、聖夜に天使からバイオリンを
彼女にバイオリンを贈った人物は、少女に才能を
養護院でバイオリンを弾く少女の名は、
身寄りのない貧しい子供が一夜にして伯爵令嬢へ。おとぎ話を現実にした彼女のバイオリンの音は、奇跡のように美しい。〝バイオリンの妖精〟。そう呼ばれる彼女の演奏は、次の奇跡は我々に起こるかもしれないと思わせてくれる』
演奏への評価より、
(でも、名前が出てる。聖夜の天使の話も……やった!)
気づいてくれるだろうか。だがふと新聞の
「……号外……ということは、王都にくらいしか配られてない?」
「え? あ、はい。そうだと思います」
なら、聖夜の天使が国外にいたら気づいてもらえない。
(難しいな。有名になるって……やっぱりプラチナになって国外
お礼と
「やっぱり一番不思議なのは、バイオリンを贈った『聖夜の天使』ですよね」
「ミレア様はどなたか本当にご存知ないんですか?
「男の子でした。あ、でも、天使って性別とか年齢関係あるのかな……」
団員達はつまった後、
(本当に天使なのに──あ)
ミレアの目が、廊下の奥へと
「ごめんなさい、私、ちょっと用事が!」
返事を待たずに廊下を
追ってくる気配を感じたのか、
だがわずかに
「逃がしませんから、マエストロ・ガーナー!」
「あー見つかっちゃったー」
さらに身を
「今日こそ第二楽団の指揮をとってください」
「ミレアちゃんはしつこいなー。
「そこは
「ああ、そうだったそうだった。いや、第二楽団の団員が
「だったら指揮してください、第二楽団の首席指揮者でしょ!」
「でもほら、演奏会に呼ばれるのは第一楽団ばっかりで第二楽団には予定がないし」
「第二楽団の予定がないのはマエストロが全部断るかすっぽかすからですよね?」
真顔で問いつめると、ガーナーは子供っぽく
(ドイツェン王国
かつて世界中を飛び回り、賞賛を浴びた指揮者だ。彼が一声かければ世界中の著名な演奏家達が集まると言われているが、本当だろうか。何せ、この巨匠は第二楽団の常任指揮者になってからの二年間、まったく指揮をとったことがないらしい。
おかげでミレアはオーケストラの練習どころか、第二楽団の
思わず
「だって若い
「ミレア、またやってるの? ドア開けっ放しで、外まで聞こえてるよ」
大きな楽器ケースを
「おお、レベッカちゃ──ふぐうっ!」
「こんなエロジジイ相手にしてて楽しい?」
コントラバスが入った楽器ケースでガーナーの
『うちは
第一声でそう言い放ったレベッカに、ミレアは最初から好感を持った。
宮廷楽団は第一楽団と第二楽団の二つに分かれているが、新人は全員第二楽団に所属することになっている。その後の第一楽団への
その中でレベッカは実力者に分類される団員だ。彼女が
ただ本人は無愛想で、歯に
「楽しくないけど、オーケストラの練習に指揮者は必要でしょ? 第二楽団には他に常任指揮者がいないから、マエストロにやってもらうしかないし」
「こないだの定期演奏会の客員指揮者なら、呼べばきてくれるんじゃない? すごく
「あー、あの新人達だけの定期演奏会ね。アルベルトが反省会で
ガーナーが楽器ケースにぶつけた鼻の頭をさすりながらにまにま笑う。
うっとミレアはつまった。
『じゃじゃ馬が暴れまくって、最後は指揮者を振り落として
宮廷楽団に入団して初めての定期演奏会は、お
「我が弟子ながらうまいこと言うよねー」
「た、確かに最後の方は……っでも一番の失敗原因は
「なんでそうオーケストラにこだわるの? コンクールで賞とってるし、なんたって〝バイオリンの
第一楽団への昇格。それを考える
レベッカはその様子を見て、話を変えてくれた。
「それよりこの部屋、練習の予約入ってたよ。出てった方がよくない?」
「おお、そりゃ大変だ。じゃ、これで」
「あっマエストロ!」
ちゃっかり
そこで勢いよく顔面から、
「ご、ごめんなさい。急いでいて」
「また君か。もうそろそろ〝バイオリンの暴れ馬〟にでも改名したらどうだ?」
その声にミレアは
「……アルベルト様。……おはようございます」
「おはよう、妖精
誰が不細工だ、と
木から落ちたあの日以来、顔を合わせる度にアルベルトは
(ヘタクソなんて言った手前、私が実力をつけるのが
──と内心で笑ってみても、
複雑な感情を押し隠して、ミレアは
「昨日までコンクールで、
「そんな人並みの神経を持ってたのか。どこでも三秒で眠るタイプだと思ってた」
「三秒もいらな……じゃなくて、私は
たっぷり
「そうだな。君と僕じゃ格が違う」
「嫌味よ!?」
「へぇ、気づかなかったよ」
「
「はいはい、二人ともそこまで。毎日毎日、きりがないんだから」
アルベルトの後ろから
「フェリクス様。おはようございます」
「おはよう。今日もアルベルト相手に
「何が楽しいんだ。新人のくせに口だけ達者で」
「まったく、アルベルトは
(……んん? 出る杭?)
その言い方だとまるで、アルベルトはミレアに将来性を感じているようではないか。
(……まさかね)
と思いながらも、アルベルトの横顔を
「そういえばミレアさん、コンクール入賞したって聞いたよ。十六歳で三位入賞って、あの天才バイオリニスト、パガーニと同じだね。おめでとう」
そう言うフェリクスはその記録を破って十六歳で優勝したはずだが、ミレアは素直に受け取ることにした。
パガーニというのは二十年ほど前、
「ありがとうございます。運よく入賞できました」
「ほら、アルベルトも、お祝い」
「僕から言うことなんて何もない」
「さっきミレアさんのコンクール三位入賞って聞いて、やっぱりなって言ってたじゃないか」
そう聞くと、なんだかそわそわしてしまう。アルベルトの様子をうかがおうと視線を動かすと、ばっちり目が合った。
「ああ、やっぱり一位は無理だったんだなと思ってね」
「──マエストロをさがさなければいけないのでこれで失礼しますね、フェリクス様!」
「おい」
「何!」
勢いよく
「力が入ってない。練習しすぎると、
ぐっとそのまま手を引っ張られ、引き寄せられた。耳元で、ミレアにだけ聞こえる意地の悪い声が
「運よく三位か」
かっと頰に
(あ、あ、あ、あ、あの男……っ!)
必死で練習していたことを
遠くから様子を見守っているだけだったレベッカがそばにきて、ぽつりと
「……仲、いいよね」
「一体全体どこが!?」
「自覚ない方が幸せか。そう、あのエロジジイのせいで忘れてたんだけど、これ、部屋にさっき届いた手紙。速達だから早く
「え? ──あ、ありがとう」
差出人を
(お父さまから……まさかお母さまに何かあった!?)
急いで
「……じょ、
「何、どうしたの?」
「
レベッカが目を丸くする。かまわず、ミレアは
「私が!? 一体誰と!? どうして!?」
もちろん、演奏室から顔を出したアルベルトが
ドイツェン王国。地図で見てみれば、東西に長い国土くらいしか特筆すべきことはない。山も川も森も平野もすべてがそこそこで、目立った特産物もなかったこの土地は、かつて旅人や商人たちのために整備された
それが世界が注目する芸術の都となったのは、八代前の国王がこよなく音楽を愛したことから始まる。人と物の動きのよかった国には、すぐに
そんな芸術の国の王都は、古い歴史と
宮廷楽団の
(……ちょっと早すぎたかな)
待ち合わせは正午。昼を
先に入ってロビーで待つことにしたミレアは、
とはいえ、
「今度、第一楽団が定期演奏会で演奏する曲だな」
開いたばかりの楽譜をばんと閉じて、
「なんでここにいるの、アルベルト・フォン・バイエルン……!」
「ついに僕を呼び捨てか、いい度胸だ──と言いたいところだが、ちょっといいか」
「はっ?」
後ろから回りこんできたと思ったら、いきなりソファに押し
(何、なに、なにこれ!?)
「おとなしくしろ、何もしないから」
綺麗な顔に間近で
身分も顔もいいからってこれはなしだ。かみついてやろうと思った、その時だった。
「──いたか、アルベルト様は!?」
「早くさがせ、相手は
「おい、外をさがすぞ! 宮廷楽団の寮に
「
「僕が実家に戻るわけがないだろうに。
「むー! むーむーむー!!」
「ああ、悪い」
手を放してもらうと同時に飛び起きて、
乱れてしまった髪を急いで整え、
「いきなりなんなの、もう……何、今の」
「父親とのおいかけっこだ。
「どう見てもそんな風に見えなかったけど。……仲が悪いの?」
「知らないのか?」
「知らないから聞いてるんじゃない」
「……。ああ、そういえば君は
しみじみ言われると腹が立つ。視線を
「そういう人を
「話したことがあるのか?」
「あるわよ。バイエルン
「挨拶ね。……何を話した?」
やけに食いついてくると思いながら、ミレアは顔をそらした。
何を話したか。簡単だ。ミレアが〝バイオリンの
シェルツ
心が弱いお母上のためにもその方がいいだろう──?
「……挨拶に行ったんだから、ご挨拶しただけよ。なんでそんなこと気にするの」
「……。婚約しろと
いきなりなんの話だ。
「僕ももう二十三だ。指揮者としてあちこち飛び回って、婚約者の一人もいないのは不安なんだろう。たった一人の
「……。えっと。お見合いから
「そうだ。──なにより、僕に音楽をやめさせたいんだよ、お父上は」
さすがに驚きが隠せなかった。
(やめさせたい? 音楽を? 有名な指揮者なのに……公爵家の跡取りだから?)
ただの音楽家なら貴族にとって
そのせいで実はまだ、ミレアはアルベルトの指揮する演奏を聞いたことがないのだけれど。
「君は?」
「えっ? あ、わ、私も……お見合いの話を聞くために、お父さまと待ち合わせ……」
考えこんでいたせいで
「お見合いね。……でも君、会いたい男がいるんだろう。バイオリンをくれたとかいう」
「聖夜の天使のこと?」
「それだ。さがしてるんだろう? それとも売名に使っただけで、さがしてるフリなのか」
「
強い答えに、アルベルトが驚いたように顔を向けた。
それを正面から
「さがしてるの、どこかにいるはずなの! 絶対夢なんかじゃないもの。作り話に聞こえるのかもしれないけど、私はただ、会いたくて……」
言いながら不安になった。弱い
「ど、どうして泣くんだ」
「だっ……だって、
問いを真正面から受けたアルベルトが固まった。
その困り切った顔を見て、ミレアはふと
「……ごめんなさい。あなたに聞いても仕方ないよね」
「──まあ、……そう……だな」
「
ごしごし
別に返事が欲しいわけではないが、
「どうしたの?」
「……いや。他の男をさがしながら見合いなんて、うまくいくはずがないと思って」
「でも、聖夜の天使の名前を出したからこうなっちゃったし……」
説明する義理はなかったが、
「宮廷楽団に入って、私の出生の話が出回ったでしょ。そしたら自分が聖夜の天使だっていう人達がいっぱい名乗り出てきたの。これ見よがしに恩返しを要求したり、特に私と
「なるほどね。シェルツ伯爵家は
「変な人もいて、ひどいと屋敷に押しかけたりしてるらしいの。だから両親が心配して……丁度いい
「だから見合いか」
こくりとミレアは
「気は進まないけど、これ以上
「そういえば男子が生まれれば、シェルツ伯爵家にとっては待望の跡取りなんだな」
(早く、有名になって自立しなきゃ。養女の私がお荷物になる前に……ひょっとしたら、もうお荷物だから、婚約なんて話が出てきたのかもしれないけど……)
男であれ女であれ、無事に生まれるまでは
「
「……。へぇ。そう。ふぅん」
「何、その棒読み。だって天使なのよ?」
「そう呼んでるのは知ってる。一体誰があんな
「私よ。だって、羽が生えてたから」
「──は?」
「雪が降ってて寒い夜だったわ。暗くて、でも聖夜の天使がバイオリンを
「……いやそれは目の
「あんな
「ちょっと待て、空? ほ、本当にそいつは言ったかそんなこと? いやそれ以上に、君はその話に不自然さを感じないのか!」
「どうして? 天使なんだもの、不思議じゃないわ。でも今晩だけ特別って言ってたの。きっと聖夜にしか天使になれないんだわ……
ミレアの横でアルベルトが両手で顔を
「……
「なっ──わ、私の記憶は確かよ! 言われたもの。ちゃんと演奏を聞いてくれたのは私だけって。私がバイオリンを続ければ、自分は消えたりしない、また会えるって──」
「ミレア!」
はっとミレアは顔を上げる。出入り口でミレアに向かって手を
ソファから立ち上がろうとしたところに、アルベルトがふと口を開く。
「──一つ、気づいたんだが。僕達は利害が
「利害?」
振り返ると、アルベルトがいつもの意地の悪い
「最近、
「カ、カップルって……な、なんの話?」
「君もそうだ。中身はどうであれ、体裁が整えばいい。──結婚が原因で宮廷楽団をやめさせられる女性は多いぞ。聖夜の天使をさがすことも、どう言われるか」
ミレアがひそかに
その反応を見て、アルベルトが立ち上がる。
「僕なら何も言わない。ああ、もちろん君を第一楽団に選ぶかどうかは別問題だが」
「ちょ……な、何言ってるの。まさか」
「ミレア、
温和な笑みを浮かべた養父が近づいてくる。ミレアは
「お、お父さま。お母さまは
「先に
視線を受けたアルベルトが
「初めまして、シェルツ伯爵。アルベルト・フォン・バイエルンと申します」
「バイエルン
「お、おとうさま。お
「こちらこそお会いできて
「ないわ! ないから!」
「──ミレア。不安なのは分かるが、きちんとご両親に説明しよう」
ごく自然にアルベルトはミレアの手を取り、そうっとその
「僕は愛してるからこそ、君ときちんと付き合いたい」
ぶああああっと
(愛!? 付き合う!? 誰が誰と!)
恥ずかしさと混乱でくらくらする。呼吸をするだけでやっとのミレアから養父へとアルベルトは向き合い、にこやかに宣言した。
「実は、ミレアさんとお付き合いをさせて頂いています。結婚を前提に」
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