第一楽曲 嘘つきのエチュード パート1

 だれにだって人に言えないことがある。

 それはずかしい失敗だったり、他人へのしつだったり、理由も内容も人それぞれだ。

 そしてミレア・シェルツの場合は、本当の自分のじようだった。

「──ミレア様! コンクール三位入賞おめでとうございます!」

 天鵞絨ビロードじゆうたんかれたろうを歩いていたミレアはり返る。声をかけてくれたのはミレアと同じ第二楽団に所属する女の子達だ。

とうりゆうもんとしては一番大きなコンクールですよ。さすがシェルツ伯爵家のご令嬢ですよね」

「ありがとうございます。課題曲が得意な曲だったおかげで、助かりました」

 伯爵令嬢とバイオリンのうでは関係ないはずだが、流して優雅に微笑み返す。入団二ヶ月、てっきり実力社会だと思っていた宮廷楽団だが、身分社会は根強い。

「同じ新人だから私達までほこらしくって。このまま第一楽団に昇格ですか?」

「新聞にもってましたよ。〝バイオリンの妖精〟って一面に」

「本当に!? 見せてもらっていい?」

 さつそく令嬢らしさを失った口調に気づかないまま、わたされた新聞をばやく確認する。

 開いた一面には、ミレア・シェルツの名前が選評と共にあった。

『身寄りがなく養護院で育った少女は、聖夜に天使からバイオリンをおくられたと言う。夢だと笑えない。少女が持っているバイオリンは名職人ストラディの作品。つまり、最高級品だ。

 彼女にバイオリンを贈った人物は、少女に才能をいだしていたのか。その人物の行方ゆくえも名前も分からないが、少女──ミレア・シェルツの才能はそこでいた。

 養護院でバイオリンを弾く少女の名は、またたく間に有名になり、その名を聞いて行方不明のむすめをさがしていたシェルツ伯爵夫妻が養護院へおとずれた。バイオリンがつむいだ、本当の両親との再会──伯爵夫人は一目見るなり、「私のミレア」と泣きくずれたと当時を知る者は言う。

 身寄りのない貧しい子供が一夜にして伯爵令嬢へ。おとぎ話を現実にした彼女のバイオリンの音は、奇跡のように美しい。〝バイオリンの妖精〟。そう呼ばれる彼女の演奏は、次の奇跡は我々に起こるかもしれないと思わせてくれる』

 演奏への評価より、い立ちの方に記事がかれている。情報を流したのは、宮廷楽団の上層部だろう。抜かりがないことだ。

(でも、名前が出てる。聖夜の天使の話も……やった!)

 気づいてくれるだろうか。だがふと新聞のはしにある文字を見つける。

「……号外……ということは、王都にくらいしか配られてない?」

「え? あ、はい。そうだと思います」

 なら、聖夜の天使が国外にいたら気づいてもらえない。

(難しいな。有名になるって……やっぱりプラチナになって国外えんせいしないと)

 お礼といつしよに新聞を返すと、相手が興奮気味にめ寄ってきた。

「やっぱり一番不思議なのは、バイオリンを贈った『聖夜の天使』ですよね」

「ミレア様はどなたか本当にご存知ないんですか? ねんれいとか、性別も分からない?」

「男の子でした。あ、でも、天使って性別とか年齢関係あるのかな……」

 団員達はつまった後、あい笑いを返した。じようだんだと思われたらしい。

(本当に天使なのに──あ)

 ミレアの目が、廊下の奥へとげるひとかげするどらえる。

「ごめんなさい、私、ちょっと用事が!」

 返事を待たずに廊下をけ出した。

 追ってくる気配を感じたのか、かげが急いで角を曲がる。追いかけたが、しんとした廊下には誰もいなかった。団員が予約して取り合う演奏室がずらりと並んでいるだけだ。

 だがわずかにとびらが開いている部屋を、ミレアはのがさなかった。勢いよく扉を横に開く。

「逃がしませんから、マエストロ・ガーナー!」

「あー見つかっちゃったー」

 さらに身をかくすつもりだったのか、ピアノの下にもぐりこもうとしていた人物が陽気な声と共に出てきた。口調はけいはくだが、立ち上がったたいきたえられていてがない。若いころはさぞもてただろうと思われる整った顔立ちが、悪戯いたずらっぽく笑う。

 きんぱつとそろいの短いひげがチャームポイントというのが本人談の男性の前で、ミレアはおう立ちした。

「今日こそ第二楽団の指揮をとってください」

「ミレアちゃんはしつこいなー。ほかの新人達はとっくにあきらめて、コンクールとか貴族のサロンでのパトロンさがしに日々はげんでるというのに。将来が心配だよ」

「そこはだいじようです、個人レッスンは欠かしてません。あと、三位入賞したので」

「ああ、そうだったそうだった。いや、第二楽団の団員がゆうしゆうで僕も鼻が高い!」

「だったら指揮してください、第二楽団の首席指揮者でしょ!」

「でもほら、演奏会に呼ばれるのは第一楽団ばっかりで第二楽団には予定がないし」

「第二楽団の予定がないのはマエストロが全部断るかすっぽかすからですよね?」

 真顔で問いつめると、ガーナーは子供っぽくくちびるとがらせ、明後日あさつての方向を向いた。もう四十もすぎた男がそんなことをしても可愛かわいくない。

(ドイツェン王国まんきよしようが、こんないい加減な性格だったなんて……)

 かつて世界中を飛び回り、賞賛を浴びた指揮者だ。彼が一声かければ世界中の著名な演奏家達が集まると言われているが、本当だろうか。何せ、この巨匠は第二楽団の常任指揮者になってからの二年間、まったく指揮をとったことがないらしい。

 おかげでミレアはオーケストラの練習どころか、第二楽団のせんぱい達とろくに顔を合わせたことがないという有様だ。

 思わずめ息をこぼすと、言い訳のようにガーナーがまくしたてる。

「だって若いはみーんなアルベルトがいいって言うんだよ! 全部あの鹿が悪い!」

「ミレア、またやってるの? ドア開けっ放しで、外まで聞こえてるよ」

 大きな楽器ケースをかたかついだくろかみの美少女が、顔をのぞかせる。ミレアのわきをすり抜けたガーナーがりよううでを広げた。

「おお、レベッカちゃ──ふぐうっ!」

「こんなエロジジイ相手にしてて楽しい?」

 コントラバスが入った楽器ケースでガーナーのとつこうを防いだレベッカは、ミレアと同じ第二楽団配属の新人だ。きゆうてい楽団員のりようで同室になり、年齢も近いため何かとえんが続いている。

『うちはだんしやく家だけどミレア様って呼ばないから』

 第一声でそう言い放ったレベッカに、ミレアは最初から好感を持った。

 宮廷楽団は第一楽団と第二楽団の二つに分かれているが、新人は全員第二楽団に所属することになっている。その後の第一楽団へのしようかくは実力が問われるが、宮廷楽団の入団自体は多額の寄付金を積めば可能だ。そのため、第二楽団はどうしても実力とコネの玉石こんこうになる。

 その中でレベッカは実力者に分類される団員だ。彼女がくコントラバスは、きやしやな体に似合わぬ重低音を出し、音色も美しく、深い。黒髪に色白のはだという見目もたいえする。

 ただ本人は無愛想で、歯にきぬ着せぬ物言いをする変わり者と敬遠されている。他人のこともあまりせんさくしないため、素性を隠さなければならないミレアとしては大助かりだ。さっきのようにミレアをはくしやくれいじようあつかう子達と同室だったら、色々危なかったにちがいない。

「楽しくないけど、オーケストラの練習に指揮者は必要でしょ? 第二楽団には他に常任指揮者がいないから、マエストロにやってもらうしかないし」

「こないだの定期演奏会の客員指揮者なら、呼べばきてくれるんじゃない? すごくめてたし、ミレアのこと」

「あー、あの新人達だけの定期演奏会ね。アルベルトが反省会でこくひようしてたやつ」

 ガーナーが楽器ケースにぶつけた鼻の頭をさすりながらにまにま笑う。

 うっとミレアはつまった。

『じゃじゃ馬が暴れまくって、最後は指揮者を振り落としてがけしたげきとつする光景が見えた』

 宮廷楽団に入団して初めての定期演奏会は、おもかねて新人達だけで行われた。そこでコンマスにばつてきされたミレアのこんしんの演奏を聞いたアルベルトは、そうれいしようしたのだ。

「我が弟子ながらうまいこと言うよねー」

「た、確かに最後の方は……っでも一番の失敗原因はまんせい的な練習不足です! 客員指揮者の方に毎回練習みてもらうわけにいかないし」

「なんでそうオーケストラにこだわるの? コンクールで賞とってるし、なんたって〝バイオリンのようせい〟だし、ミレアはその内プラチナ入りでしょ」

 第一楽団への昇格。それを考えるたびに思いかぶ腹立たしい顔に、もくを選ぶ。

 レベッカはその様子を見て、話を変えてくれた。

「それよりこの部屋、練習の予約入ってたよ。出てった方がよくない?」

「おお、そりゃ大変だ。じゃ、これで」

「あっマエストロ!」

 ちゃっかりとうぼうはかったガーナーを追って、演奏室から飛び出す。

 そこで勢いよく顔面から、だれかにぶつかった。

「ご、ごめんなさい。急いでいて」

「また君か。もうそろそろ〝バイオリンの暴れ馬〟にでも改名したらどうだ?」

 その声にミレアはがおのままほおを引きつらせた。よりにもよってだ。

「……アルベルト様。……おはようございます」

「おはよう、妖精殿どの。目の下にクマを作っていつにも増して不細工だな。そくか?」

 誰が不細工だ、とり返したかったがこらえた。

 木から落ちたあの日以来、顔を合わせる度にアルベルトはからんでくる。どうもミレアが〝バイオリンの妖精〟と持ち上げられるのが気に入らないらしい。調子にのるなとばかりに、やたらとけんせいをかけてくるのだ。

(ヘタクソなんて言った手前、私が実力をつけるのがこわいとか? うつわが小さい男!)

 ──と内心で笑ってみても、いやを除けば評価は的確で、言い返せないことが多いのがくやしい。伯爵令嬢らしくないと笑われるのもその通りだが、てきされると腹が立つ。

 複雑な感情を押し隠して、ミレアはせいいつぱい、おしとやかに微笑ほほえみ返した。

「昨日までコンクールで、きんちようしてたのかあまりねむれなくて」

「そんな人並みの神経を持ってたのか。どこでも三秒で眠るタイプだと思ってた」

「三秒もいらな……じゃなくて、私はぼんじんですから! アルベルト様と違って」

 たっぷりふくみを持たせて言い返したのに、アルベルトは平然とうなずき返した。

「そうだな。君と僕じゃ格が違う」

「嫌味よ!?」

「へぇ、気づかなかったよ」

うそ、気づいてたでしょ! その顔は絶対に気づいてた!」

「はいはい、二人ともそこまで。毎日毎日、きりがないんだから」

 アルベルトの後ろからやさしいおもしの青年が顔を出した。第一楽団の首席バイオリニストにしてコンサートマスターを務める先輩に、ミレアはあわてて頭を下げる。

「フェリクス様。おはようございます」

「おはよう。今日もアルベルト相手にがんるね、ミレアさん。見ていて楽しいよ」

「何が楽しいんだ。新人のくせに口だけ達者で」

「まったく、アルベルトはなおじゃない。出るくいを打ちまくって可愛がるのは悪いくせだよ」

 めいわくすぎると内心でののしってから、はたと気づいた。

(……んん? 出る杭?)

 その言い方だとまるで、アルベルトはミレアに将来性を感じているようではないか。

(……まさかね)

 と思いながらも、アルベルトの横顔をぬすみ見してしまう。

「そういえばミレアさん、コンクール入賞したって聞いたよ。十六歳で三位入賞って、あの天才バイオリニスト、パガーニと同じだね。おめでとう」

 そう言うフェリクスはその記録を破って十六歳で優勝したはずだが、ミレアは素直に受け取ることにした。

 パガーニというのは二十年ほど前、すいせいのように現れ消えた伝説のバイオリニストだ。の強い性格がわざわいし、最後にはがくだんを追放され音楽家としては悲劇的な末路をむかえるが、人類歴史上最高のバイオリニストとして誰もが名前を挙げる。そんな人物と同じ経歴というのは、心強い。

「ありがとうございます。運よく入賞できました」

「ほら、アルベルトも、お祝い」

「僕から言うことなんて何もない」

「さっきミレアさんのコンクール三位入賞って聞いて、やっぱりなって言ってたじゃないか」

 そう聞くと、なんだかそわそわしてしまう。アルベルトの様子をうかがおうと視線を動かすと、ばっちり目が合った。

 たん、アルベルトは勝ちほこったように上から目線で笑い返す。

「ああ、一位は無理だったんだなと思ってね」

「──マエストロをさがさなければいけないのでこれで失礼しますね、フェリクス様!」

「おい」

「何!」

 勢いよくり返ると、とつぜん左手を取られた。振りはらおうとしたが、失敗する。

「力が入ってない。練習しすぎると、けんしようえんになる。自己管理も実力だ」

 ぐっとそのまま手を引っ張られ、引き寄せられた。耳元で、ミレアにだけ聞こえる意地の悪い声がひびく。

三位か」

 かっと頰にしゆが差した。口角を上げたアルベルトはあっさり手を放し、おおまたさきほどの演奏室へ入ってしまう。フェリクスが苦笑いを浮かべてそれに続いた。

(あ、あ、あ、あ、あの男……っ!)

 必死で練習していたことをかれた。練習室にひきこもって、朝から晩まであのれいな顔に参りましたと言わせるために。名ばかりでないと証明するために。

 遠くから様子を見守っているだけだったレベッカがそばにきて、ぽつりとつぶやく。

「……仲、いいよね」

「一体全体どこが!?」

 ちからいつぱい問い返すと、レベッカはかたすくめた。

「自覚ない方が幸せか。そう、あのエロジジイのせいで忘れてたんだけど、これ、部屋にさっき届いた手紙。速達だから早くわたした方がいいと思って、ミレアのことさがしてたんだった」

「え? ──あ、ありがとう」

 差出人をかくにんしたミレアは首をかしげた。

(お父さまから……まさかお母さまに何かあった!?)

 急いでふうを開け、綺麗に折りたたまれた手紙を開く。文字を追っていけば、自分の不安はゆうだったことが分かった──が、逆に思いもよらない話にどうもくする。

「……じょ、じようだんでしょ……どういうことなの!?」


「何、どうしたの?」

こんやく!?」

 レベッカが目を丸くする。かまわず、ミレアはさけんだ。

「私が!? 一体誰と!? どうして!?」

 ろうに響いた疑問に、無関係な人まで振り向く。それを取りつくろゆうもなく、ミレアは立ちくす。

 もちろん、演奏室から顔を出したアルベルトがすがめた視線にも、気づかなかった。





 ドイツェン王国。地図で見てみれば、東西に長い国土くらいしか特筆すべきことはない。山も川も森も平野もすべてがそこそこで、目立った特産物もなかったこの土地は、かつて旅人や商人たちのために整備されたかいどうが多くある、ただのちゆうけい地点だった。

 それが世界が注目する芸術の都となったのは、八代前の国王がこよなく音楽を愛したことから始まる。人と物の動きのよかった国には、すぐにうできの演奏家も、運びこまれる資材で楽器を作りたい職人達もやってきた。戦争後の好景気にもめぐまれ、らくや芸術を楽しむ余裕ができた人々がえんし、落としていった金で歌劇場が作られ、いくつもの楽団ができた。とう会が開かれるようになり、余裕のある貴族は芸術へのぞうけいを示すため支援を始め、やがて王家ようたしきゆうてい楽団が設立され、ドイツェン王国は芸術の国と呼ばれるようになった。

 そんな芸術の国の王都は、古い歴史といろせぬ芸術がらされたはなやかな街だ。

 宮廷楽団のりようの裏門から一歩外へ出れば、バイオリン職人や調律師達が店を構える通りが待ち構えている。たい衣装を作る仕立屋や貸衣装屋のウィンドウにかざられた最新作のドレスに後ろがみをひかれながら、ミレアは大通りに足を向けた。

 け出しの音楽家が演奏をろうし、はくしゆをもらっている。降ってくるビラには、今夜の歌劇の演目が書いてあった。いしだたみる乗合馬車をよけた配達員の少年がラッパをどうにぶつかり、はずれた音におどろいた子供が風船を放して泣き出す。泣き出してしまった子供を一生けんめいあやす母親と木にひっかかった風船を取ろうとする父親の姿を横切り、ミレアはおおぎようなほどに飾り立てられた老舗しにせホテルの前に辿たどり着いた。

(……ちょっと早すぎたかな)

 待ち合わせは正午。昼をしらせる時計とうかねはまだ鳴っていない。

 先に入ってロビーで待つことにしたミレアは、ねこっ毛なかみの乱れを気にしながらかわりのソファにこしを下ろす。三人がゆうに座れる横長のソファの座り心地ごこちばつぐんだった。

 とはいえ、だんならバイオリンの練習をしている時間だ。何もしないのも落ち着かず、がくを取り出す。そこへ背後からふとかげがさした。

「今度、第一楽団が定期演奏会で演奏する曲だな」

 開いたばかりの楽譜をばんと閉じて、うなる。

「なんでここにいるの、アルベルト・フォン・バイエルン……!」

「ついに僕を呼び捨てか、いい度胸だ──と言いたいところだが、ちょっといいか」

「はっ?」

 後ろから回りこんできたと思ったら、いきなりソファに押したおされた。悲鳴を上げかけた口もぎわよく大きな手の平で押さえこまれ、ミレアは完全にこうちよくする。

(何、なに、なにこれ!?)

「おとなしくしろ、何もしないから」

 綺麗な顔に間近でささやかれて、いつしゆん力がける。それを自覚して、もうれつくやしさがこみ上げた。

 身分も顔もいいからってこれはなしだ。かみついてやろうと思った、その時だった。

「──いたか、アルベルト様は!?」

「早くさがせ、相手はこうしやくれいじようなんだぞ。さすがに今回はだん様もおいかりになる」

「おい、外をさがすぞ! 宮廷楽団の寮にもどったのかもしれない」

しきにも手を回せ、旦那様が来月お戻りになるまでになんとかしないと……!」

 あわてた声といつしよに、慌ただしい足音が遠ざかっていく。ソファの背もたれに身をかくしていたアルベルトが上半身を起こし、皮肉っぽく笑った。

「僕が実家に戻るわけがないだろうに。けな連中だ」

「むー! むーむーむー!!」

「ああ、悪い」

 手を放してもらうと同時に飛び起きて、きよを取った。

 乱れてしまった髪を急いで整え、ほこりを払う。

「いきなりなんなの、もう……何、今の」

「父親とのおいかけっこだ。微笑ほほえましいだろう?」

「どう見てもそんな風に見えなかったけど。……仲が悪いの?」

 たずねると、アルベルトの方が驚いたような顔をした。

「知らないのか?」

「知らないから聞いてるんじゃない」

「……。ああ、そういえば君は田舎いなか出身だったな……」

 しみじみ言われると腹が立つ。視線をななめに落として、つぶやいた。

「そういう人を鹿にした言い方、あなたのお父様とそっっくり」

「話したことがあるのか?」

「あるわよ。バイエルンこうしやくは宮廷楽団の理事だから、あいさつに行った時に」

「挨拶ね。……何を話した?」

 やけに食いついてくると思いながら、ミレアは顔をそらした。

 何を話したか。簡単だ。ミレアが〝バイオリンのようせい〟になる話。

 シェルツはくしやくの実のむすめではないことは、決してさとられるな。でないと売り物にならない。

 心が弱いお母上のためにもその方がいいだろう──?

「……挨拶に行ったんだから、ご挨拶しただけよ。なんでそんなこと気にするの」

「……。婚約しろとせまられてる」

 いきなりなんの話だ。げんに思うミレアに、アルベルトは背もたれにりよううでを広げ、投げやりに両足を組んだ。

「僕ももう二十三だ。指揮者としてあちこち飛び回って、婚約者の一人もいないのは不安なんだろう。たった一人のあと息子むすこだしな」

「……。えっと。お見合いからげてきたってこと?」

「そうだ。──なにより、僕に音楽をやめさせたいんだよ、お父上は」

 さすがに驚きが隠せなかった。

(やめさせたい? 音楽を? 有名な指揮者なのに……公爵家の跡取りだから?)

 ただの音楽家なら貴族にとってほこれたかたきではないかもしれないが、第一楽団は王家しゆさいの演奏会を担当しりんごくえんせいもする楽団だ。音楽家の中でも一線を画した存在と言える。

 そのせいで実はまだ、ミレアはアルベルトの指揮する演奏を聞いたことがないのだけれど。

「君は?」

「えっ? あ、わ、私も……お見合いの話を聞くために、お父さまと待ち合わせ……」

 考えこんでいたせいでなおに答えてしまった。ふぅん、とアルベルトが遠くを見る。

「お見合いね。……でも君、会いたい男がいるんだろう。バイオリンをくれたとかいう」

「聖夜の天使のこと?」

「それだ。さがしてるんだろう? それとも売名に使っただけで、さがしてるフリなのか」

ちがう!」

 強い答えに、アルベルトが驚いたように顔を向けた。

 それを正面からにらんで、まくしたてる。

「さがしてるの、どこかにいるはずなの! 絶対夢なんかじゃないもの。作り話に聞こえるのかもしれないけど、私はただ、会いたくて……」

 言いながら不安になった。弱いるいせんゆるんでしまい、アルベルトがぎょっとする。

「ど、どうして泣くんだ」

「だっ……だって、だれかんちがいされてもいいけど、せ、聖夜の天使も、そう思ってたらって考えたら……だから、会いにきてくれないの?」

 問いを真正面から受けたアルベルトが固まった。

 その困り切った顔を見て、ミレアはふとかたから力を抜く。

「……ごめんなさい。あなたに聞いても仕方ないよね」

「──まあ、……そう……だな」

だいじようほかの誰が疑っても聖夜の天使だけは信じてくれてる、私のこと」

 ごしごしなみだぬぐってにっこり笑い返すと、ぎこちなく視線をそらされた。

 別に返事が欲しいわけではないが、みようにばつが悪そうなアルベルトの顔が気になる。

「どうしたの?」

「……いや。他の男をさがしながら見合いなんて、うまくいくはずがないと思って」

「でも、聖夜の天使の名前を出したからこうなっちゃったし……」

 め息まじりに答えると、アルベルトは首をかたむけた。

 説明する義理はなかったが、とつぜん泣き出してこんわくさせた手前、すのは気が引ける。

「宮廷楽団に入って、私の出生の話が出回ったでしょ。そしたら自分が聖夜の天使だっていう人達がいっぱい名乗り出てきたの。これ見よがしに恩返しを要求したり、特に私とけつこんしたいとか言い出す人が多いらしくて……」

「なるほどね。シェルツ伯爵家はゆいしよある地方領主だし、鉱山を持っていて財産もある。伯爵自身も国王の覚えがめでたい。色々おいしい立場なわけだ」

「変な人もいて、ひどいと屋敷に押しかけたりしてるらしいの。だから両親が心配して……丁度いいねんれいだし、ちゃんとしたこんやく者がいれば少しはましになるだろうって」

「だから見合いか」

 こくりとミレアはうなずいた。

「気は進まないけど、これ以上めいわくかけられないもの。……お母さま、今、おなかに赤ちゃんがいるのに、わざわざここまできてくれるって言うし……」

「そういえば男子が生まれれば、シェルツ伯爵家にとっては待望の跡取りなんだな」

 あいまいあいづちを返した。余計な感情を出さないように──ミレアは実の娘で、本当のはくしやく令嬢だということになっているから、どうようしてはいけないのだ。

(早く、有名になって自立しなきゃ。養女の私がお荷物になる前に……ひょっとしたら、もうお荷物だから、婚約なんて話が出てきたのかもしれないけど……)

 男であれ女であれ、無事に生まれるまではゆうがあると思っていた。その切なさを悟られないように、無理におこってみせた。

にせものなんてばれるに決まってるのに、なんでやるのかな。私、聖夜の天使に会ったら一目で分かる自信あるのに」

「……。へぇ。そう。ふぅん」

「何、その棒読み。だって天使なのよ?」

「そう呼んでるのは知ってる。一体誰があんなずかしい呼び名をつけたんだ」

「私よ。だって、羽が生えてたから」

「──は?」

 けんしわを寄せるアルベルトに、ミレアはずいと近寄って熱弁した。

「雪が降ってて寒い夜だったわ。暗くて、でも聖夜の天使がバイオリンをいてくれた時にぱあって周りが明るくなって、羽がばさあって広がったの!」

「……いやそれは目のさつかくとか街灯とかだろう!? ちがいだ、絶対!」

「あんなてきな光景、見間違えるわけないじゃない! いっぱいはくしゆしたわ。そうしたら、バイオリンをくれたの。もう自分には必要ない。空に帰らなきゃいけないからって」

「ちょっと待て、空? ほ、本当にそいつは言ったかそんなこと? いやそれ以上に、君はその話に不自然さを感じないのか!」

「どうして? 天使なんだもの、不思議じゃないわ。でも今晩だけ特別って言ってたの。きっと聖夜にしか天使になれないんだわ……だんは人間で天使の力を使えなくて、私のこともさがせないんだと思うの。だから有名になって私がどこにいるか教えないと……どうしたの?」

 ミレアの横でアルベルトが両手で顔をおおい、うなれている。のうしているようだ。

「……じゃなく本気か……君、おく力も理解力もかいめつ的に残念なんだな……」

「なっ──わ、私の記憶は確かよ! 言われたもの。ちゃんと演奏を聞いてくれたのは私だけって。私がバイオリンを続ければ、自分は消えたりしない、また会えるって──」

「ミレア!」

 はっとミレアは顔を上げる。出入り口でミレアに向かって手をる養父の姿があった。

 ソファから立ち上がろうとしたところに、アルベルトがふと口を開く。

「──一つ、気づいたんだが。僕達は利害がいつしていないか?」

「利害?」

 振り返ると、アルベルトがいつもの意地の悪いみをかべていた。

「最近、きゆうてい楽団のりようから公爵家にもどれと父上がしつこい。だまらせたいならそれなりのていさいがいる。君なら身分も申し分ないし、〝バイオリンの妖精〟だ。音楽家のカップルとして世間を味方につければ、宮廷楽団の理事として父上も強く出られない。少なくとも、今日みたいにだましちの見合いなんて鹿げた真似まねはできなくなる」

「カ、カップルって……な、なんの話?」

「君もそうだ。中身はどうであれ、体裁が整えばいい。──結婚が原因で宮廷楽団をやめさせられる女性は多いぞ。聖夜の天使をさがすことも、どう言われるか」

 ミレアがひそかにねんしていたことを、見事に言い当てられた。

 その反応を見て、アルベルトが立ち上がる。

「僕なら何も言わない。ああ、もちろん君を第一楽団に選ぶかどうかは別問題だが」

「ちょ……な、何言ってるの。まさか」

「ミレア、ひさりだね。元気にしてたかい」

 温和な笑みを浮かべた養父が近づいてくる。ミレアはあわてて振り向いた。

「お、お父さま。お母さまはいつしよじゃないの?」

「先にしきに行かせたよ。ミレアは王都のお屋敷は初めてだから、部屋をきちんと用意してやるんだって張り切って──ところで、こちらはお知り合いかい?」

 視線を受けたアルベルトが微笑ほほえんだ。いつもの性格の悪そうな笑みではなく、かんぺきな貴公子のしようだ。ぞっとミレアの全身にかんが走る。

「初めまして、シェルツ伯爵。アルベルト・フォン・バイエルンと申します」

「バイエルンこうしやくのご子息かい。これはまた、有名人だ。お会いできて光栄だよ」

「お、おとうさま。おいそがしい方だから」

「こちらこそお会いできてうれしいです。今日は大切なお話があって」

「ないわ! ないから!」

「──ミレア。不安なのは分かるが、きちんとご両親に説明しよう」

 ごく自然にアルベルトはミレアの手を取り、そうっとそのこうに口づけた。

「僕は愛してるからこそ、君ときちんと付き合いたい」

 ぶああああっとしゆうしんあしもとからわきあがった。

(愛!? 付き合う!? 誰が誰と!)

 恥ずかしさと混乱でくらくらする。呼吸をするだけでやっとのミレアから養父へとアルベルトは向き合い、にこやかに宣言した。

「実は、ミレアさんとお付き合いをさせて頂いています。結婚を前提に」


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