ドイツェン宮廷楽団譜 嘘つき婚約コンチェルト/永瀬さらさ

角川ビーンズ文庫

登場人物紹介/序曲 ダ・カーポ~はじめから~

-登場人物紹介-


◆ミレア・シェルツ

第二楽団の新米バイオリニストにして、伯爵令嬢。

とある事情で、世界一のバイオリニストを目指している。


◆アルベルト・フォン・バイエルン

第一宮廷楽団(通称・プラチナ)の主席指揮者にして、楽団を取り仕切る公爵家の跡取り。

基本的にえらそう。


◆フェリスク・ルター

第一楽団のコンサートマスターにして、有名なバイオリニスト。

アルベルトの悪友。


◆マエストロ・ガーナ-

第二楽団の主席指揮者にして、アルベルトの指揮の師匠。

基本的に真面目に働かない。


◆レベッカ

第二楽団の新米コントラバス奏者にして、男爵令嬢。

楽団寮でのミレアのルームメイト。






◆◆◆◆◆






 気分が晴れない日、ミレアは高い所でバイオリンをく。そうすれば、聖夜に見た天使がそばにいてくれる気がするからだ。

 樹木の太い枝の上に裸足はだしで立った。ひとのない裏庭で上を目指してびた木は、枝もどっしりしていて安定している。春だというのに、真上にのぼった太陽がまぶしい。風にあおられ、しゆうが入ったワンピースのすそえんりよに広がる。だがかたはばに広げた足をすくめたりしない。

 きゆうてい楽団の私有地内でも小高い場所にある裏庭の木の上からは、練習室があるとうれん造りの団員りようが見えた。それらを見下ろして、やっと口を開く。

「……私の生まれを宣伝に使うって、そんなことしなくても私はちゃんとバイオリンが弾けるのに。しかも〝バイオリンのようせい〟ってずかしすぎない!? けど……」

 ──君にはしよみんが好む物語と、貴族に必要なかたきがある。ならば、その経歴を売るためにきやくしよくして何が悪い。従えないならクビだ、荷物を持って故郷へ帰りたまえ。

(せいぜいはくしやくれいじようらしくえって、庶民生まれの養女だからって鹿にして! そりゃちょっとれい作法は苦手だけど、ちゃんと教えてくれたもの、お義母かあさまが──)

 宮廷楽団のオーディションに合格した時の養父母の顔を思い出す。まんむすめだ、という声も。

 そして雪が降る聖夜にバイオリンをくれた、天使の姿をまぶたの裏に思いえがいた。

「……売名なんて、聖夜の天使にいやがられないかな。でも」

 ──君がバイオリンを続けていたら、きっとまた、会えるよ。

 十年前の聖夜。みなが神様の誕生日を祝う夜に、ミレアは羽の生えた男の子からバイオリンをおくられた。そしてずっとこのバイオリンを弾き続けている。

 大事なのは、弾き続けること。そして彼に気づいてもらうために、ミレアの名前をバイオリニストとして広めること。

 そのために宮廷楽団に入ったのだ。後世に名を残す音楽家が多くはいしゆつされた、ドイツェン王国がほこる宮廷楽団に。

(なのに聖夜の天使を見つけるどころか、入団早々クビになったら意味ないじゃない! それにシェルツはくしやく領にだって、もうもどれない──)

 胸がちくりと痛んだ。その痛みを振りはらうように、首を振る。

「私には聖夜の天使がいるんだもの、うじうじしない!」

 姿勢を正し、あごかたでバイオリンをはさむ。そしてそうっとげんに弓を当て、引いた。

 ミレアのたった一つの武器が、音をかなでる。今の時季にぴったりな、春の曲だ。

 さわやかなせんりつに、こんがらがった気持ちがほぐれていく。ふわふわとかみ心地ここちよい風にながれて、気分がよくなった。そもそも難しいことを考えるのが自分は苦手だ。

(第一楽団のコンマスになって有名になれば聖夜の天使に会える、大事なのはそこよ。ちゃんとバイオリンを続けてるって気づいてもらわなきゃ)

 十年前の聖夜にバイオリンをもらったエピソードとミレアの名前。その話が広まれば広まるほど、会える確率が上がる。

 会ったら何を言おう。一時だって忘れたことのない、大切なあなた。

 バラ色の未来をかれた音でいろどる。曲の終わりはおおに弓を引いて、じゃんっと派手にめくくった。そしてそのまま弓を持ったうでを天高く持ち上げ、名案を口にする。

「つまり、世界一のバイオリニストになればいいのよね!」

「なら最後のフォルテシモは何事だ?」

「へっ?」

 思いがけない問いに視線を下げると、地上から見上げるひとみとかち合った。

 たった一人で地上に取り残されたように、ぽつんと青年が立っていた。すらりとした長身のせいで、視線が思ったほど遠くない。夜明け前の色をした瞳が、あつ的に細められる。

「しかも『ほどよくアレグロ・快速に《モデラート》』のロンドの主題がちゆうから『急速にプレスト』になって、僕は教会のんだかねが暴れ馬にり回される音に変わるという、ぼうとく的な絶望感を味わったんだが」

 難しい表現をするひとだ。まばたきをした後で、ミレアは正直に答えた。

「だってそう弾く方が楽しいんだもの」

「……。よく分かった、残念だ。今すぐ世界一のバイオリニストはあきらめろ、ヘタクソ」

「なっ──え、わ、わわっ!」

 聞き捨てならない評価に前のめりになったたん、がくんと視界が下がった。宙にほうり出されたミレアに、背を向けようとしていた青年が舌打ちといつしよけ寄る。

 バイオリンだけはしっかりいて、ミレアは青年の顔を最後にぎゅっと目をつぶった。

 何かが受け止めてくれたが勢いは止まらず、そのまま地面へとたおれこむ。舞い上がったすなぼこりに、きこみながら目を開いた。

「い、たた……っわ、私のバイオリン!」

 飛び起きてまず腕の中のバイオリンをすみから隅まで確かめる。なめらかな曲線にも、日の光をはじく表板にも傷はない。ほっとして息をき出した。

「よかった……」

「──なら、どいてもらえないか」

「え?」

 声が下からしたので目線を下げる。りゆうを寄せた青年のげん顔がななめ下に見えた。そこで初めて、自分が青年のこしまたがるように座っていることに気づく。

 完全に押し倒している体勢だ。かあっと一気に顔がる。

「ご、ごごごごめんなさい! すぐ、すぐどくから──きゃっ」

「……もういい。じっとしててくれ」

 体勢をくずしもう一度倒れこんできたミレアの背中に、青年の手が回った。

 こうちよくしたミレアごと、青年はそっと上半身を起こす。そして上手に体を引きき、たんそくした。

「まったく、裏庭でゆっくり休もうと思ったらとんだ災難だ。──は?」

「えっ」

「君、バイオリニストだろう。き指でもしたら練習できなくなるじゃないか。余計ヘタクソになったらどうするんだ?」

「だからだれがヘタクソ──」

 言い返そうとしたが、しんけんにミレアの手や手首を確かめ始めた青年に、口をつぐんだ。

(……助けてくれたのよね。いい人なのかな……なんかいちいち引っかかるけど)

 まじまじと観察すると、れいな顔立ちをした青年だと分かった。すっととおったりよううすくちびるも、どこもかんぺきだ。服装はえりもとの刺繡やちょっとしたそうしよくっていて、そのくせ仕草一つ一つに気品がある。いかにも洗練された都会の貴公子だ。

(こ、こんなかっこいい人、初めて見た。王都にはいるんだ……)

 一度意識すると、手を取られていることにあせりを覚え始めた。

 これまでミレアが住んでいたシェルツ伯爵領は、王都の情報が一ヶ月以上おくれて届くような田舎いなかだ。接してきた異性といえば一緒に木登りする遊び仲間や返りちにしてやったいじめっ子、あとはやさしいパン屋のお兄さんくらいで、こういう男性とはえんだった。だから痛くないか、と聞かれてもぎこちなくうなずくことしかできない。

だいじようそうだな」

 やがて青年の方が手を放した。目をそらしていたミレアは、やっと口を開く。

「……。あの。その……ええと、あ、ありが」

「とんだじゃじゃ馬だ。よめにいきたいならもう少し女らしくした方がいい」

 余計な忠告に、礼を言う気持ちがき飛んだ。

「さ、さっきから失礼じゃない!? それに私の演奏がヘタクソってどういうこと!」

「どうして僕が教えてやらなきゃいけないんだ、ヘタクソ」

 ちようしようまでついてきた。ほおを引きつらせていると、青年が立ち上がり、土を払う。

 相手にしたくないと言わんばかりの態度が、ミレアを冷静にした。

「……あなた、宮廷楽団の第一楽団──プラチナの人よね」

 青年のタイをとめるピンに目が向く。白金プラチナでできたタイピン──それは宮廷楽団の中でもりすぐりの、最高の奏者達でまとめられた第一楽団にあたえられるものだ。

 このタイピンにちなんで、第一楽団はプラチナとしようされる。

 青年はこうていも否定もしない。ミレアは当たって欲しくない気持ちでたずねる。


「まさかプラチナコンマスの、フェリクス・ルター様?」

「僕があの腹黒バイオリニスト? じようだんじゃない」

「じゃ、誰なの?」

「僕から名乗る筋合いはない」

 自分から名乗れということか。しやくだが正しい。

 立ち上がり、よごれたスカートのすそゆうに持ち上げる。いまさらでも、敬語を心がけた。

「失礼しました。私、今月からきゆうてい楽団の第二楽団に所属する新人団員のミレア・シェルツと申します。以後、お見知りおきを」

「……ミレア?」

 いきなり呼び捨てかと顔を上げると、相手は目を丸くしていた。

 予想外の反応にミレアの方がまどってしまう。

「……どこかで会ったことがある?」

「──いや……シェルツはくしやくれいじようがオーディションに合格したとは聞いていた。幼いころ行方ゆくえ不明になったが、無事伯爵夫妻と再会したせきの令嬢とかなんとか。……君がそれか」

 だまりこむことで、否定も肯定もしなかった。

 黙ったミレアをどうかんちがいしたのか、青年が口角を上げる。

「まさかこんなじゃじゃ馬令嬢だったとは残念だよ。ご両親の苦労が目にかぶ」

「やっぱりさっきから失礼じゃないの! しかも自分は名乗りもせずに」

「ああ、これは失礼。僕の名前はアルベルト・フォン・バイエルン」

 告げられた名前にまばたいた後で、おそる恐るかくにんした。

「──の、お知り合いとか?」

「本人だ。うそだと思うなら今夜の新人かんげいかいで確認しにくればいい」

 ──アルベルト・フォン・バイエルン。流行にうといミレアでも名前を知っていた。

 この国のがくだんを取り仕切るバイエルンこうしやく家の令息であり、四年前、じやつかん二十歳で第一楽団の首席指揮者に就任した天才指揮者だ。若すぎる指揮者の台頭によからぬうわさもあったが、それを実力と人気でねじせて宮廷楽団に君臨し続けている。

(そんな大物が、よりにもよって)

「……こんなに口の悪い、人格に難ありな人だったなんて……!」

「……。本人を前にしてよく言った。その度胸だけはめてやる」

「だってつう、人に向かってヘタクソとか思ってても言わないでしょ! 社会に適応できないか本気で自分が一番えらくて正しいと思ってるかのどっちかよ!」

「僕は後者だ」

「何様!?」

「少なくとも第一楽団では僕が王様だ。第一楽団で使う演奏者は首席指揮者の僕が決める」

 そのとおりだ。まぎれもない現実に、今度こそ言葉をなくした。

 第一楽団・プラチナにしようかくしたければ、その楽団を率いる首席指揮者アルベルト・フォン・バイエルンの承認がいるのは、周知の事実である。

「君は指も弓の使い方も少し独特だが、技術は文句なしに高い。はやきとか得意だろう」

「えっ……う、うん。速弾きなら誰にも負けたことない、けど……あの、褒めてるの?」

「ああ。音にりよくもある。が、いつしゆんだけで続かない。しかも感情任せに弾いて、曲も音も台無しにする。自分勝手な曲想に勉強不足があふれ出てるし、まるで曲芸だ」

「曲芸!? そ、それ絶対、褒めてないわよね!?」

「褒めてるだろう、馬がバイオリンを弾いたら奇跡だと思うじゃないか。めずらしさでたいにも立てる。だが、オーケストラでは使い物にならない。それが現時点での僕の君に対する評価だ」

 がんと頭に石を落とされた気分になった。さらにとげのある口調と目線がく。

「何より君は、今年の売り物だろう。確か〝バイオリンのようせい〟?」

「な、なんでもう知ってるの、その名前……」

「そういうお達しが上からきてる。その様子じゃおいしい話だと断らなかったみたいだな」

 口調にあざけりが満ちていたが、今度はぐっとこぶしにぎって言い返さなかった。クビをちらつかせられたとはいえ、聖夜の天使に会うために話を受け入れたのは事実だ。

 き捨てるようにアルベルトは続ける。

「もし上が君を使えと言ってきても、名ばかりのバイオリニストなんて僕は使わない」

「──名ばかりなんかにならないわ!」

 そくとうで顔を上げたミレアに、背を向けようとしていたアルベルトが止まった。

「私は絶対、バイオリンを続けるんだから。何をしてでも──約束なのよ」

 断言すると、アルベルトが向き直る。そのまなしからほんの少し、棘がけた気がした。

「……。なるほど。何をしてでも音楽を続けるか。僕もだ」

 かんまゆをひそめた。天才指揮者と呼ばれ、王家から楽壇を任されているバイエルン公爵家の令息が『何をしてでも』?

 二人の間に、風が吹く。やわらかさと冷たさが混じった、変わり目の春風だ。

「その心意気にめんじて名前は覚えてやる。ミレア・シェルツ」

「……よろしくお願いします。アルベルト・フォン・バイエルン様」

「せいぜい妖精らしくするといい、じゃじゃ馬。でないとまた木から落ちるぞ?」

 余計なお世話だ。だがミレアは伯爵令嬢らしく、引きつった微笑ほほえみだけを返した。





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