別離

 御陵衛士として脱盟したのは、伊東以下十七名。その名簿の中には、壬生浪士組結成当初からの同志である斎藤一、藤堂平助、樋口彰介の三名の名もある。斎藤は土方に言われ、間者のような役目を果たすために参加したということは既に触れた。しかし藤堂、彰介の心中は、複雑極まりないものであった。二人とも、決して、新撰組が嫌になったわけではない。むしろ、二人とも、誰よりも新撰組を愛しているという自負を持っており、その隊士である誇りを強く持っている。

 実際のところ、何故彼からが伊東のもとに行ったのか、分からぬ。二人とも、自らに白羽の矢が立ったとき、大いに悩んだ。

「身を引き裂かれるとは、まさにこのことだ」

 と、彰介が、今まであまり用いなかった言い回しでもって、そのことを久二郎に言った。

「どうするのだ」

 別に強制ではないから、断ることもできる。二人で語るときは久二郎の家が便利だが、彰介があまり来たがらないのと、独り身の彰介に春と幸せに暮らす姿を見せつけてやるのも申し訳ないような気がして、久二郎もあまり誘わない。屯所からほど近い、島原の料亭で飲んでいる。

「どうすればよいと思う、久二郎」

「俺に、聞くな」

 久二郎は、を箸に取り、口に運んだ。

「俺には、決められぬ」

「お前は、どうしたいのだ」

「俺か」

 彰介は、はじめて考えるような顔をした。それが、久二郎はおかしくて、思わず吹き出した。

「土方さんは、伊東さんを斬るつもりだぞ」

「知っている」

「それでも、あの人についてゆくのが良いと思うなら、そうするといい」

「俺は、あの人に出会って、変わったのだ。めいを受けて動くだけであった俺に、あの人は、考えるということを、教えてくれた」

 彰介の口数は、伊東に様々な教えを受けるようになってから、極めて多くなった。昔の朴訥な彰介とどちらがよい、とは久二郎は思わない。彰介は、彰介だ。

「正直、肩身は、狭い」

 彰介は、新撰組として生きてゆくことについて語った。

「俺なりに精一杯努めているが、何をやっても、上手くゆかぬ。それを、あの人は、考えることで変えろと言ってくれたのだ。お前がいつも俺の先にいるから、俺が上手くゆかぬのだと筋違いのことを思ったこともあった。それを、あの人は、一喝してくれたのだ」

 手駒が欲しかっただけであろう、とは久二郎は言わない。彰介がそう思っているなら、そうなのだ。

「自分のことだろう。行くにしろ、残るにしろ、お前が決めろ。俺は、お前が決めてゆく道ならば、どちらにしろ間違いはないと思っている」

 ずっと、二人だった。貧しい故郷の村で、農作業をしながら棒切れを振り回していた頃から、ずっと。もし、世が平らかであったなら、二人とも、仲の良い幼馴染みとして、今ごろ所帯を持ち、互いの幼子同士を遊ばせていただろう。

 二人は、ずっと、二人だった。二人で京に上り、二人で壬生浪士組に入り、二人で支え合い、二人で戦ってきた。

 そのようなことを、どちらからともなく、思い返しながら言った。勿論、互いに多くの仲間はできた。新撰組という、生きてゆく拠り所もできた。しかし、それでも、二人は、久二郎と彰介なのだ。

「京に上ってからここまで来るのに、あっという間であった。お前は、何をやっても上手くゆかぬと言ったが、俺は、それでよいと思っている。上手くゆかねば、共に取り組めばよい。俺は、ずっと、そうしてきたつもりだ。お前もまた、同じだけ、俺を助けてきたではないか」

「そうだな、分かっている」

「彰介」

 酒を注いでやる。彰介はそれを受け、久二郎にも返した。

「覚えているか」

「何を」

「俺たちが、村を出るとき、言い合ったことを」

 あのとき、二人は、どのようにして人生を繋いでゆけばよいのか全く分からない状態であった。だから、世がどれだけ乱れようとも、自分がどれだけ困窮しようとも、決して変わらぬものを目指し、生きてゆこうと決めた。

「お天道様を、道標みちしるべに」

 彰介が、ふっと笑みをこぼしながら、言った。言って、酒を飲み干した。久二郎も、同じようにした。

 二人とも、数えで二十四になる。村を出たときは、まだ十九であった。京に来て、久二郎の妹の千を探して、京の大路小路をわけもわからず迷い歩いていた頃から、五年が経とうとしている。その間に、お天道様は、いつしか誠の一字に変わっていた。

「こうして振り返れば、俺たちは、変わったものだ」

 彰介が、感慨深げに言う。

「違いない。毎日大根ばかり食っていた土臭い子供が、今や泣く子も黙る十一番組の組長と伍長だ」

「これから、俺たちは、そして世は、どうなっていくのか。皆目見当もつかぬ」

 彰介が、頭を掻いて苦笑した。

「つかなくて、よい」

 久二郎は、彰介の肩を乱暴に抱いた。もしかしたら、酔っているのかもしれない。久二郎は、酒は強い方である。量も、普段から過ごさぬよう、気をつけている。しかし、今夜に限っては、酔っているのかもしれない。

「ほんとうのことを、言おう」

 久二郎が、肩の手を離した。

「俺の、側にいてほしい。これからも、十一番組の伍長として、悪餓鬼仲間の彰介として」

 彰介は、酒で厚ぼったくなった久二郎の眼を見ていると、涙が溢れてきそうになり、とっさに眼を逸らした。

「しかし、共にいても、離れても、異なることをしても、例え生き別れたとしても、俺たちの志は、同じ。それは、いつまでも変わらぬ」

 そっと徳利を置き、杯を伏せた。

「お天道様を、道標に」

 久二郎は、席を立った。


 翌日、彰介は、藤堂と共に、御陵衛士への参加を土方に報告した。土方は、そうか、とだけ言った。

 それから数日後の三月十日、彼らは新撰組の屯所を出た。御陵衛士の屯所としては、高台寺の塔中たっちゅうである月真院が有名だが、始めは東大路三条一筋西を下がったところの城安寺というところに詰めたらしい。まあ、それはどうでもよい。

 新撰組は、三番組、八番組の隊長と、十一番組の伍長を失った。これより前にも、七番組の谷、四番組の松原も死んでいるから、この機会に編成換えがあった。と言っても、空いている組を他の組と併合したり、組長に兼任させたりしただけであるが。

 いよいよ西本願寺の屯所を出るとき、藤堂は、大泣きに泣いていた。彰介と共に御陵衛士への参加を報告するときも、土方の袴の裾を涙でびしょびしょにしながら、

「伊東さんに、お前が頼りだから、来てくれって言われりゃ、行くしかねぇよ。でも、行きたくない。でも、行きたいんだ。俺は、新撰組を離れて、俺に為せることを、為す。そして、もっと大きくなって、必ず帰ってくる。そうしたら、また、皆で一緒に、でかいことをするんだ」

 などと言っていたという。ぜんざい屋の花は、店を畳ませ、城安寺の近くに住まわせた。

 その藤堂は、また涙で顔を汚しながら、元気でな、俺も元気でやるからよ、と眼に入る者の肩を叩いて回っている。

「綾瀬。元気でな。俺も元気でやるからよ。樋口のことは、任せろ」

「私たちが壬生浪士組に入れたのは、藤堂さんのおかげです。心から、お礼を言います」

「よせよ、悲しくなるじゃねェか」

「ほら、皆行ってしまいますよ」

「ほんとに、またな。また、必ず戻ってくるからな」

 その脇で苦笑しながら立っている十一番組の伍長は、別離のとき、特になにも言わなかった。ただ、十一番組の組長と二人、眼を合わせ、笑って頷いただけである。

 言葉で語るべきことは、語った。あとは、互いの道を、行くのみである。別に、二度と会えぬわけでもなし、この後、また二人の道が交わることもあるであろう。

 だから、二人とも、悲しむことはない。身体が側にないだけで、同じものを見、同じ空の下、同じことを思うのだから。

 晴れ晴れとした陽の差す、春の日であった。紅く染め抜いた誠の旗が翻っているのをくぐりながら、十七名の隊士は、西本願寺の屯所を去った。

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