脱盟

 伊東は、名古屋に出張に出た。相変わらず、おかしな動きをするものである。どうも、土佐の者や、尾張徳川家の中でも過激派で知られる者と会うということらしい。彰介が久二郎と行う雑談から、あるいはこのとき既に伊東の様子を窺うため側に近付くようにさせていた斎藤から、土方のところにはそういう話が逐一上がっている。

 伊東は、べつにそれを気にする風もない。伊東の後ろには直属の腹心どもが控えており、彼に何かあれば、それらが黙ってはいないという圧力と、もともとの新撰組の中でも伊東に心服する者が多く、それらもまた、隊から一挙に心を離してしまうであろうということは土方は分かっているはずだから、決して手荒な真似には出ぬと確信していた。もし、土方が、伊東一人のために新撰組を潰してもいい覚悟なのであれば、伊東は既に斬られているであろう。

 かといって、無論、土方は、伊東を排することを諦めたわけではない。彼は、待っていた。


 この慶応二年の暮れには、会津など佐幕派諸藩の守り神のようになっていた帝が、崩御した。病死とされているが、過激派の諸藩と繋がりを持つ公卿などに殺害されたとも言われる。

 そして、明けて慶応三年になった。元旦、伊東は島原で昼から酒を飲んでいる。脇には、篠原、加納、服部などの腹心と、藤堂、彰介、そして斎藤もいる。

 更に、意外な人物もこの場にいた。永倉である。

「私は、思う」

 彼らを前に、伊東は沈痛な面持ちで、口を開いた。清み酒が、その薄い唇を濡らしている。

「今の新撰組のやり方では、とうてい時代の流れには付いてゆけぬ」

「伊東さん、それはどういう意味かな」

 隊の中でも、ひときわ勢力争いに興味のない永倉が口を開いた。

「聞けば、永倉君、斎藤君は、以前、近藤局長のやり方に反対をし、会津に建白書を出したそうではないか」

「いかにも。それと、今日呼ばれたわけと、何の関わりがある」

 伊東がそのことを持ち出すとは、彼はつくづく人の心が分からぬらしい。頭が良く剣も巧く眉目秀麗で、周囲から先生先生と持ち上げられてばかりいては、無理もないのかもしれない。

 あれは、終わった話である。確かに、永倉は、近藤や土方のやり方に腹を立て、会津に建白書を出したことがある。しかし、すぐに近藤が駆け付け、頭を下げたから、その場で解決し、むしろ建白書を出した者と近藤の心の繋がりは、あれ以来一層強くなっている。

 しかし、伊東は、永倉を、かつて近藤に叛いた者、としか見ていない。その永倉に声をかければ、簡単に靡くとでも思ったのであろう。それを見抜いた永倉は、やや憤然としている。そのことに気付いたのか、伊東は、

「しっかりと、己の筋を通すことのできるお方だと、私は永倉さんのことを見ています。だから、これからの新撰組のため、是非力を貸して頂きたいのです」

 と、微妙に論点を変えた。

「あなたの言う、これからの新撰組がどのようなものなのかによる。力を貸すも何も、俺は、今まで、新撰組のためにしか、働いていない」

 伊東を少し嘲笑うように、永倉は言った。

「この国難のときに、近藤君、土方君は、隊の中のことばかりを見ている。山南君も死んだ。松原君も。いったい、何人を死なせれば、気が済むのか」

 感情の激しやすい伊東は、立ち上がり、身振りを交えて語り出す。

「もともと、新撰組は、ご公儀の、ひいては帝の御為にあるはずだ。その隊士の生命をいたずらに損なうとは、許せることではない。永倉君、いかが」

「おやおや、伊東先生。あんたは、何もわかっちゃいないようだ」

 永倉は笑い、同じように立ち上がる。

「あんたには、山南さんが何のために死んだのか、分からぬらしい。土方さんが、そのあとずっと涙を流していたことを、知らぬらしい。我らが、どのような想いで――」

 ちょっと、涙ぐんだ。こみ上げてくるものが、大きすぎる。

「――誠の旗を仰ぎ見ているのか、分からぬらしい」

 言って、裾を払って立ち上がった。

「どこへ行く」

「知れたこと。隊へ、帰る」

 それは、ここに居る者どもを、新撰組とは認めぬ、という永倉からの宣言とも取れる。

「良いのですか、伊東先生」

 篠原が、今にも追いかけ、斬りそうな勢いで言った。

「なに。どのみち、土方は何もできぬ。永倉がつまらぬ意地を張るなら、それではそれでよい」

 彰介は、ちらりと藤堂の方を見た。この江戸前の爽やかな気質の強い好青年は、ばつが悪そうに、頭を掻いている。

 その後、新年の酒と伊東の悲憤が尽きた頃、皆それぞれ、帰路についた。

「なんだか、どんどんおかしな方に進んでいくなぁ」

 藤堂が、ため息をついた。

「伊東先生を隊に誘ったのは、藤堂さんでしたね」

「彰介。嫌な物言いをするもんじゃねぇよ」

「他意はありません」

「しかし、伊東先生は、素晴らしい人だ」

 斎藤は、すっかり伊東に心服しているように装い、二人に言った。

「そりゃそうさ。じゃなきゃ、俺が誘ったりするもんか」

 平助は、心底伊東に惚れている。だから、同じく惚れた男である近藤と力を合わせ、隊をより強くしてくれると思い、誘った。それが、思わぬことになっている。この先、近藤につくか、伊東につくかを、選ばねばならぬ日が来るのかもしれない。

「二人は、伊東先生が、新撰組を二つに割るとしたら、どちらに着くのだ」

 斎藤が、二人の考えを窺おうとした。無論、土方に伝えるためである。土方は藤堂のことをとても可愛がっていたし、伊東のもとへなど走ってはほしくないと思っている。

「正直、分かりません」

 彰介が、答えた。

「それに、伊東先生は、べつに隊を割ろうなどとは、一言も口にはしておられませんよ。新撰組のあるべき姿を、先生なりにお考えになり、それを説いておられるだけではありませんか」

 斎藤は、その表情を注意深く観察した。

「俺は、新撰組を変えるとか、誠の旗がどうだとか、よく分からねェや。近藤さんも、伊東さんも、好きだ。山南さんが死んだのは、悲しい。敵がいれば、斬る。そんなのが性に合ってる」

「気楽なものだ」

 斎藤が、珍しく笑った。心底、そう思ったのであろう。


 そのすぐ後、明治天皇が即位する。この幼い帝は、朝廷の実権を握る者の意のままに、それらを優位にする詔を出すのだろう。

 更に一月の半ばには、伊東は九州諸藩の動向を見聞してくる、といってまた旅に出た。九州といえば、反幕派、いや、討幕派の巣のようになっている。そのようなところに乗り込むなど、正気の沙汰ではない。しかし、伊東は平気でそれをする。既に、討幕派の者どもと、太く繋がっていると見るのが自然である。

「土方は、動けぬ」

 伊東は、土方の頭の冴えを恐れていた。恐れていたからこそ、彼の頭は彼我の戦力の差を冷静に分析し、今伊東一派を潰そうとすることは彼が長年の苦心と敵味方の血でもって造り上げてきた新撰組そのものを破壊する覚悟でなければできぬ、という考えに必ず至ることを見抜いている。

 どうやら、この期間の間に、伊東は腹を決めたらしい。

 三月、伊東は、近藤、土方の前にいた。

「この度、九州の情勢をつぶさに見、やはり国の乱れはますます大きいと感じました」

 佐幕、討幕、どちらの立場とも取れる発言である。

「帝はまだ幼くおわし、朝廷はその補佐にかかりきりで、先帝の御陵の守りもままならぬ有り様。帝なくして、この国は成り立ちません」

 これは、佐幕、討幕にかかわらず、この当時の当然の常識である。

「そこで」

 と狐は、掌をぱちりと合わせて言った。

「新撰組を、離れさせて頂く」

 離れさせて、のところで、合わせた掌を、ぱっと離した。

 土方が、何故か、ほくそ笑んだ。近藤は、黙って聴いている。

「無論、袂を分かつという意味ではありません。私も、実際に、この眼で、長州や九州諸藩を見ていなければ、このようなことは、考えなかったでしょう。それほどに、この国は乱れている」

「それと、隊を離れることと、先帝の御陵のこととに、どういう関係があるのだ」

 伊東は、離した掌を、また合わせた。

「隊を、離れることはありません。討幕派の諸藩の眼をくらませるため、一見、分離したように見せかけるのです。そのため、先帝の御陵みささぎをお守りするお役目に、就きます」

 近藤が重々しく頷いた。土方は、眠そうな顔をしている。

「先帝の御陵を守る、という役目柄、討幕を掲げる者どもとも交わりが持ちやすくなるでしょう」

「そうして、その実」

 言う土方の眼が、光った。

「彼らの動きを、逐一、近藤先生と土方君に報せる」

 伊東も、土方に合わせた。整いすぎている微笑を投げ掛けたが、それは土方の手前に転がった。

「実は、その内約も、既に朝廷から頂いております」

「ほう」

 近藤が、眼を見開く。

「手回しの良いことだな」

 土方が、皮肉な笑みを漏らした。伊東は、それには答えず、

「更に」

 と付け加えた。

「隊の名は、御陵ごりょう衛士、と致します」

 伊東のすることは、表情を作る筋肉の一つ一つまで、よく計算されている。その作られた自然な笑顔が、今度は近藤の方へ向いた。

「よろしい」

 近藤は、それを認めた。

「先帝の御為、その御陵をお守りするのは、この上ない名誉」

「伊東さん」

 近藤は、この狐の肩に、しっかりと己の手をかけた。伊東の、女のような手とは違う、節くれ立った、がある手が、じっとりと汗ばんでいる。

「我らが同志が、そのようなお役目を授かったこと、心から誇りに思います」

 半分は、本心である。近藤という男は、ここが凄いところで、ここまで伊東が露骨に新撰組を脱退し、討幕派に走ると言っても、まだ、彼の中で伊東は「同志」であった。永倉が近藤を非難する建白書を出したときも、心から詫びて頭を下げたし、いよいよ嫌われ者となり、隊の中で全く居場所のない武田観柳斎にも、近藤だけはその意見を求め、学識を認めてやっている。

 思えば、近藤は、認める人であった。土方などは批判的精神からものごとの道理を見極める性質であり、それはいつも最悪の事態のことを考え、先回りして先回りしてことを行うから、失敗しない代わりに、ふつうの頭の者からすれば、一見何を考えているのか分からず、好かれにくい。しかし、近藤は違う。全てを認め、人を信じ、受け入れた上で、それが自らの為にならなければ、自分の見る目が無かったとして諦める覚悟も持っていた。だから、人はこぞって近藤の下に着こうとしてきたし、近藤のためならば死んでもよいという者が何人もいるのである。

 全く、近藤と土方というのは、不思議な男どもである。これほど親しい間柄で、これほど真逆の性格をし、それぞれが陰と陽として究極に極端なはたらきの思考を持っているということも珍しい。

 それでいて、近藤は、いつも、土方に諭されると、歳がそう言うなら。と土方の考えに従った。逆の場合は、土方の方が、近藤さんがそう言うなら。として従う。

 この場合は、どうであろうか。

「では、連れてゆく者も、もう決まっていることでしょうな」

 土方が、伊東に訊いた。

「ええ、勿論。土方君には、隊の編成のこともあるでしょうし、早く伝えなければと思っていたところです」

「助かります」

 本来なら、血相を変えて反対するはずの土方も、ここにおいては伊東の申し出を受け入れている。出ていくなら、出ていけ。そう思っていた。出ていったあと、どうするか。それは、決まっている。

 伊東は、その名を挙げていった。その十数名の中に、耳に止まる名が、いくつかあった。

「斎藤君」

 それは、土方が言い含めて、伊東の側に置いている者だから、むしろ好都合である。

「藤堂君」

 近藤は、眼を閉じた。あの快活で竹を割ったような性格の若者は、近藤が残れ、と言えば残り、伊東がついて来い、と言えばついて行く。そして、一度そうと決めたら、天地がひっくり返ろうとも、それを曲げはしない。これは、先を越された。

「樋口君」

 土方が、眼を上げた。上げて、また伏せた。

「よろしい。では、今後とも、引き続き、よろしく」

 近藤が、しかと頷いた。


「いいのか、近藤さん」

 二人になってから、土方は近藤に言った。

「篠原、加納などはどうでもよい。平助、樋口を向こうにやるわけにはいかねえ」

「わかっている、歳。折を見て、こちらに連れ戻す」

「従うかね」

「信じよう」

「歳よ」

 近藤は、立ち上がり、腕組みをした。三月だというのに、冬のような風が吹き込んでくる。

「伊東さんを、斬るつもりなのだろう」

 土方は、表情を変えずに答える。

「当たり前だ」

「平助と、樋口は、そのときまでに、斎藤君に救い出してもらうのだな」

「当たり前だ」

「ならば、問題はない」

「伊東を斬ること、反対かね」

 近藤は、振り返った。武州多摩の川べりで遊んでいた頃と変わらぬ純朴な顔が、そこにあった。

「あの人は、ほんとうの国士だ。国のことを思い、世のために働こうとしている」

「しかし、近藤さん」

「それを承知で、お前が斬るというなら、俺は止めはせぬ。伊東さんを斬って、あの人の、国への思いを俺たちが受け継ぐことができるならな」

「そうかい」

「お前に、任せる。俺は、この通り、細かなことは分からぬ男だ。歳が斬ると言うなら、俺はそれに従う」

「では、俺は、それに従おう」

 片ひざを立てて座る土方の肩に近藤はそっと手を置き、立ち去った。

 土方のみとなった部屋の中で、今ごろになって思い出したような冬の風が遊んでいる。

「寒いな」

 誰にともなく言い、障子を、そっと閉めた。

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