移転の話

 年が明け、元治二年になった。隊士が、かなり増えた。伊東を誘った江戸行きの際、江戸府内や近藤、土方の郷里の多摩からも大勢の隊士が参加し、一説によればこの時点で二百名を越えていたともいう。無論、人が増えれば様々な粒の者がおり、それでも土方は一人一人のことを仔細に把握しようとする癖をやめなかった。

 遂に、壬生の屯営には隊士が収容できなくなった。実はこの頃、大阪にも七番組の谷三十郎以下の隊士を常駐させていたりもするのだが、一つにはやはり人数が増えたことも関係するのであろう。

 屯営の移転は、会津などの肝煎きもいりも受け、西本願寺で決まりそうだった。洋式の調練をいち早く取り入れている新撰組は、砲も装備している。その発射訓練で壬生寺の瓦が落ちたとか、本堂に破損が出たとかいう話を京で知らぬ者はないし、西本願寺にすれば迷惑この上ない。しかも、浪士との戦いで死んだ隊士よりも、身内に斬られた隊士の方が多いくらいである。寺の敷地が、血で汚されるなど、もってのほかである。

 新撰組が、西本願寺に目をつけたのには、理由がある。そもそも、本願寺というのは、戦国の世において織田信長に徹底抗戦して彼を苦しめた石山本願寺のことで、秀吉が大坂城を築いたまさにその場所にあった。その秀吉の代になり、再興を許され、京に土地を与えられ、寺院を建立した。その後、天下が家康の代になったとき、宗教勢力が強大な力を持つことを恐れた家康によって、内輪で揉めていたのを利用されて本願寺の東隣に敷地を与えられ、分派した。それが東本願寺で、もともとの本願寺は自然、西本願寺と呼ばれるようになった。京の金閣寺、銀閣寺同様、西本願寺、東本願寺も正式な名前ではなく、西本願寺は龍谷山本願寺、東本願寺は真宗本廟という。

 当然のごとく、家康によって建てられた東本願寺は佐幕色が強く、秀吉に許されて再興した西本願寺は、関ヶ原のとき西軍に属し、幕末の当時、徳川に対して反抗的である長州、土佐、この当時目立った反幕運動はしていないが薩摩びいきであった。その西本願寺に、佐幕の急先鋒たる新撰組が入ることで、反幕活動家ども、あるいはその母体の諸藩に資金供与などのおかしなことをさせぬよう眼を光らせる意味がある。

 下見に向かった土方、山南、伊東ほか数名が、がやがやと騒ぎ立て、この建物を壊して隊士の部屋を作ろう、とか、ここなら砲の調練もできる、などと物騒なことを言うのを、西本願寺の者らは苦い顔で聞いている。


 壬生に戻って、細かな算段について段取りをすべく、近藤を含めた首脳陣四人で話し合いをした。

「やはり、西本願寺は、やめた方がよいのではないか」

 というのが山南の談。

「何故です」

 伊東が、黒縮緬の羽織の上に生えている白い顔を穏やかに向けた。

「あちらが、協力的でないのは明らかだ。やはり、我々に協力的な東本願寺の方が、やりやすいのではないか」

「何を言う」

 土方が口を挟む。

「つべこべ言う奴は、放っておけばいいんだ。入ってしまえば、受け入れるさ」

「その通り。土方君の言う通りです。虎穴に入らずんば、虎児を得ず。という言葉もあります。我々があそこで睨みを利かせてこそ、意味があるというものです」

 と伊東が重ねる。山南は、内心、馬鹿め。と土方に対して思った。西本願寺に入って睨みを利かせるというのも、伊東が言い出したことである。どうせ、新撰組を乗っ取った際、その過激な攘夷思想の実現のため、土佐や長州などと手を組むに決まっている。そのとき、西本願寺が屯所であった方が都合がいいのだ。それが分からぬか。と叫びたい気持ちであった。

 そうなれば、斬ればよい。という土方と、そうならぬよう、手を打つべきだ、という己の意見が擦り合わせられることは、ないだろう。と山南は思った。話す気力が、無い。以前ならば食い下がり、土方と朝までも語り、それをしたであろう。しかし、今の山南には、それはできなかった。理由などない。彼は、疲れていたのかもしれない。世を憂い、それを打開するための策が、そしてその渦の中に新撰組がしっかりと存在して巻き込まれずに活躍するための方策が次々と浮かぶ回転の頭脳が、彼自身を思考の渦の中へと落とし込み、鈍らせているのかもしれなかった。

 このようなときに頼れるはずの近藤も、このところは会津や幕府の者と会談をするとかで、あちこちに出掛けており不在が多い。山南自身がそうなるように働いてきたはずであるのに、山南には、それがとても辛いことのように感じられた。


「綾瀬君は、いるかね」

 久二郎と彰介が共用で使っている部屋を、山南はおとなった。

「いません」

 と、図体のわりに、ちょこんと座っている彰介が答えた。

「おや、彼は非番ではなかったか」

「ええ。女と、新しい家に引っ越す算段をしに、どこかに行きました」

「そうか。君は、引っ越さぬのか」

「折角、監察にお骨折りをして頂き、家を見つけて頂いたのですが、金が無く、女を囲うことも引っ越すこともできません」

「そうか。早く、金が貯まるといいな」

「今は、女のところに通うのもやめ、金を貯めているところです。再来月のお手当てには、と思っています」

「そうか」

 山南は、彰介が珍しく書見をしていることを話題にした。

「それは、何を読んでいるのかね」

「伊東参謀が、お貸し下さいました。西洋の軍学の本だそうですが、読めば伍長としての働きに、役に立つそうです」

 ここでも、伊東か、と山南は思ったが、勿論口には出さない。

「そうか。励みなさい」

「言われるまでも、ありません」

 そっと、障子を閉めた。道場に、向かってみる。

「永倉君、斎藤君」

「おや、どうしたんです、山南さん。道場に出るなど、珍しい」

 永倉は、江戸の貧乏な近藤道場の頃と変わらぬ笑顔で山南を迎えた。斎藤は、壬生浪士組に参加してきた頃と変わらぬ、仏頂面である。

「いや、別に、何もないのだ」

「おかしなことを仰る。どうです、一緒に、汗を流しませんか」

「久しぶりに、やってみるか」

「総司が、このところあまり道場に出ないのです。巡察などは、張り切って出ているのですが。退屈していたところです」

 と、永倉は北辰一刀流の達人である山南に、木刀を渡した。北辰一刀流の特徴である、「鶺鴒せきれいの尾」と言われる、剣先が居付かぬよう細かに柔らかに上下させる動きを、自然に取った。

 向き合う永倉は、沖田、斎藤と並び、新撰組の三強と言われる男である。武骨な剣さばきながら、類い希なる胆力と、その性格に由来するものに動じぬ心、そして恵まれた筋骨が発する膂力りょりょくにより、確実に敵を屠る。

 その眼が、深い輝きを帯びた。山南は、別に動じたふうでもない。

「来なさい」

 と、短く言った。

 かん、と木刀が触れ合う音がした。

 永倉の木刀が、飛んだ。

 永倉は、剣を横凪ぎに振った姿勢のまま、信じられぬといった顔付きで、静止している。

「勝負あり、か?」

 山南が剣を引き、一礼した。山南は、もう長く実戦に出ていない。それが、常に現場の最前線で戦い、技とは違う境地に達している永倉を、負かした。勿論、真剣での斬り合いであれば、結果は逆になっていたであろう。しかし、この技の切れは、どうだ。

「お見事」

「腐っても、総長だ」

 山南は笑った。そのまま、道場を出ていった。

「いや、流石だな、山南さんは」

 と、永倉は今の山南の剣筋をものにしようと、木刀をさまざまに振ってみている。

「山南さんは、思い詰めている」

 斎藤が、ぽつりと言った。

「どういうことだ、斎藤」

「剣に、拭えぬ心痛が、あった」

「しかし、あれほど冴え渡っていたではないか。曇った心では、あのような剣は振れまい」

「だから、危うい」

 と、言葉の少ないこの男は、それ以上何も語らなくなった。そこへ、久二郎が上機嫌で戻った。

「戻りました。ここにいたのですか、二人とも」

 久二郎は、二人の顔色を見た。

「どうしたんです、妙な顔をして」

「いや、なんでもない」

「家のことが、落ち着きそうです。近いうちに、皆さんをお招きしたいのですが」

「おう、それは、嬉しいな」

「土方副長と山南総長にも、ご迷惑をおかけしたので、是非お招きしようと思っています。ちょっと、声をかけて来ますね」

 と言って、久二郎は意気揚々と道場を出ていった。

 その背に、冬の陽が差している。冬の寒さがあるからこそ、陽差しに人は眼を向けようとするのかもしれない。

 しかし、夜になれば、人は何をしるべに、過ごせばよいのか。

 口数の少ない斎藤が、思ったことである。

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