思い定める前に

 木屋町まで、戻ってきた。土方には、知り合いから誘いを受けたので、ちょっと会いに行ってくる、とだけ言って出てきた。

「よし沼」

 と掲げられた提灯の店の、暖簾をくぐった。

「綾瀬という者ですが」

 と言っただけで、仲居はすぐに奥に通してくれた。

「失礼します」

 案内された部屋の、襖の前で声をかけた。

「おう、来たかい」

 中から、坂本の声。襖を開き、久二郎はまず部屋の中の様子を瞬時に見てとった。床の間には、季節の掛け軸と花活け。素朴に、菜の花が活けられているのが趣深いらしいが、久二郎の生まれた村などにはどこにでもあるもので、それをわざわざ飾るというありがたみが分からない。奥は障子が閉められているが、縁側があり、庭になっているらしい。上座に、坂本。昼間の、気の強そうな女もいる。その隣に、瞬太郎の顔があった。右側に、太刀と脇差しが置かれている。そしてその隣に、別の女。

 そこで、久二郎の目が、止まった。

「――せん?」

 たいそう着飾り、美しくしているが、それは紛れもなく、妹の千だった。つるりとした肌には白粉を塗り、素朴な線を持つ唇は、紅で彩られていた。一本だけ挿さった丹塗りのかんざしが、なんとなく悲しい。

「なんだ、知り合いか」

 坂本の声で、久二郎は我に返った。

「坂本さん。今宵は、お招きいただき、ありがとうございます」

「なんの、ゆっくり飲もうじゃないか、なあ、瀬尾瞬」

「久二郎、久しぶりだ」

 昨年、瀬尾と坂本が連れ立って歩いているとき、ばったり出くわして以来である。

「瀬尾さん、その女」

「ああ、千、と言っていたが、お前、まさか」

 千が、久二郎の方を見て、指を突いた。

お兄にい、お久しぶり」

 紛れもなく、千であった。

「何てこった。こいつが、お前が探してた妹だってのか」

「おうおう、何じゃ。俺にも分かるよう、話せや」

 坂本が、身を乗り出してきた。瞬太郎が、久二郎がもともと、妹を探すため京に上ってきたことを話した。

「瀬尾さん、千とは、どこで」

「いや、なに。すぐ近くの置屋にいてな。一目で気に入った。それ以来、いつもこうして飯を食う度に呼ぶのさ」

 坂本が、代わりに説明した。

「千」

「いまは、違う名です。千菊せんぎく、です」

 その名に、どうしても久二郎は馴染めない。

「なんだ、その取って付けたような名は」

「綾瀬、待て」

「瀬尾さん」

「千菊が、お前の探していた妹であったのは、まず良かった。しかしな、千菊は、俺の女でもあるんだ」

 久二郎は、二人を交互に見た。千が、困ったように眼を伏せた。

「それで、どうしはるん?」

 坂本の隣から、声がした。坂本の連れの、気の強そうな無愛想な女だ。当時、女が男に礼をせぬとか、男の会話に割って入るなど考えられぬことであったが、それは歴とした武家階級の話であるから、久二郎はべつに変だとは思わない。遊女であるならその辺りも厳しく教育されるはずであるから、もしかしたら、この女は、ただの町の娘なのかもしれない。身なりは、たいして良くはないが、普通の町娘の格好である。

「あなたは」

りょう、言います。それで、綾瀬さんは、どうしはるん?」

「どう、とは」

「あんた、新撰組なんやろ?簡単に抜けられへんて聞いたえ。この千菊ちゃんも、置屋におる。あんた、新撰組抜けて、千菊ちゃんを落籍くお金払ろて、家まで二人で帰れるん?」

 久二郎は、言葉に詰まった。たしかに、新撰組を抜けることは許されない。千を、ふつうの娘に戻してやるような金も、ない。

「まぁまぁ、龍。言い過ぎだぞ。まだお前、酒が入ってないじゃないか。せっかく、兄妹が会ったんだ。ほれ千菊、綾瀬に酒を注いでやれ」

 千菊の細い指が、慣れた様子で久二郎に酒を注ぐ。それすらも、久二郎は忌々しかった。

「千。お前は、どうする」

「わたしには、決められません」

「何故だ」

「ここに今いることも、わたしには、決めることなんかできませんでした」

 千は当人の言う通り、ただ流され、運ばれ、ここにたどりついただけの存在であった。

「お兄――」

 目を伏せ、上げて、

「――また、会いに来て」

 悲しいほど、愛らしい笑顔だった。久二郎には、どうすることも出来ぬ。無論、千にも。

「いい?瀬尾さん」

 ちらりと瞬太郎の顔を、見た。

「会ってやってくれ、綾瀬」

 その言い方も、久二郎の癪に障る。まるで、それでは千が瞬太郎のものになったようではないか。

 いや、実際、そうなのかもしれぬ。自分は、もう、千の人生に、立ち入ることなどできないのかもしれないとすら思った。

 離れてからの二年ほどの間、久二郎は必死に千を探した。だが、ほんとうに必死になって探したか。千のように流されに流された挙句、抜けることのできない新撰組の副長助勤となったのは、仕方のないことであったのか。そして、紛れもなく、それを自らの生きる道であると思い定めようとしている。

 小春の知り合いの、千によく似た千代なる遊女が死んだという話を聞いたとき、自分はどこかで、諦めはしなかったか。新撰組隊士として生きてゆくことを、深く決意はしなかったか。

 考えても、詮ないことである。久二郎は、新撰組副長助勤で、千は、瞬太郎の女である、千菊なのだ。

 考えても、詮ないことであるし、どうにも仕様がないということを、りょう、という「龍」の西国読みの名を持つ女は、どうしはるん?という一言で片付けたのかもしれない。

 

 まことにどうでもいいことではあるが、「龍」を、りょう、と読むのは、上方や西国ではよくあることである。たとえば、京のはるか西、観光地として賑わう嵐山に、「龍安寺りょうあんじ」という、世界遺産にもなっている有名な寺がある。あの有名な石庭がある寺である。

 わりあい近くに、「天龍寺」もあるが、こちらの読みは、てんりゅうじ、である。

 龍安寺の開基は応仁の乱で有名な細川勝元で、彼は摂津、土佐、讃岐、丹波の守護であったから、彼は龍と見てりょうと読んだであろう。

 しかし天龍寺の開基は足利尊氏で、紛れもなく彼は東国の人である。だから、龍、と書き、りゅう、と読む。


 それはさておき、久二郎は、酒を飲んだ。飯を一通り食い終わったくらいで、彼が最も気になっていること坂本に尋ねた。

「どうして、私を招いて下さったのです」

「なんだ。まだそんなことを言っているのか。立場に囚われ、馴染みの連れにも会えぬ。お互い、可哀想だと思っただけだ」

「いかに、一人の男としてここに来ようとも、私は、新撰組なのです」

「違うな。一人の綾瀬という男が、新撰組にいるのだ」

「分かりません」

「だろうな。急ぐことはない」

「それに」

 久二郎が、瞬太郎を見た。千菊が、こわばったような視線でそれを伺っている。

「瀬尾さんを見つけ次第、捕殺するよう、言われています」

「それについては、心配ない」

 瞬太郎が、杯を置き、久二郎を見た。

「俺が、お前に斬られることなど、万に一つも、ない」

 久二郎は、はじめて、瞬太郎の放つ、押し潰されそうになるほどに強い殺気に気づいた。この部屋の襖を開けたときから、いや、北野の大政道場ではじめて会ったときから、それはいつもあった。ただ、あまりに自然であり、しかも自分に向けられたものではないため、気付かなかった。

 瞬太郎の纏う死の気配が、久二郎をめ据えている。それが分かるのは、久二郎自身もまた、人の死を生む剣を振るうからであろうか。久二郎は、汗が流れてくるのをこらえようとしたが、汗をどうすれば止められるのか、知らぬ。

 坂本の、開けっ広げな声が、それを打ち消した。

「おいおい、芝居を見ているみたいだ。なぁ、龍」

 龍も、くすくすと笑っている。

「斬り合いをしに、そして死にに、わざわざ来たのか。綾瀬。変な奴だな」

「それでも、私は」

「まぁ、お前は、今日は、妹に会いにきたのだ。そういう風に、思っておけ」

「坂本さん」

「なんだ」

「もう、失礼します」

「そうかい」

「このままここにいても、私はたぶん、瀬尾さんを捕らえようとすることしかせぬでしょう。そう思い定めてしまう前に、失礼します」

 刀を執り、立ち上がった。

「あくまで、新撰組として、生きるか。綾瀬」

 瞬太郎が、声をかけてきた。

「私は、新撰組ですから」

 背中越しに、言った。視界の端にうつる千の顔が、見知らぬ女のように思えた。


 今日、誰にも会わなかった。そう思うことにした。

「次は、捕らえます」

 四条通りに出てから、背後の暗闇に向け、久二郎は言った。

「なんです、お気づきやったんですか」

 その暗闇から、山崎が現れた。

「もちろん、気付いていましたよ。副長のことだ、ただ知り合いに合いに行っただけとは、思って下さらないと思っていましたよ」

「失礼ながら、お話、ずっとうかごうてました。お察しします」

「次は、捕らえる。副長には、それだけ伝えてくれれば結構です」

「そういうわけにはいきません。ありのままを、お伝えします」

 そうすれば、意外と気の利く土方なら、事情を考慮してくれることであろう。

「見たまま、聞いたままをお伝えする。それが、私の仕事ですから」

 と大坂訛りの強い言葉で山崎は言い、また暗がりに消えていった。

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