見せ物

 結局、平間も、野口も、見つからぬままである。数ヵ月してから野口は捕らえられ、腹を切らされるのだが、平間の行方はついに分からず、あの雨の中をひた走り、そのまま歴史の闇へと消えた。

 芹沢の死は、長州の者の仕業ということになった。その死を悼んで、隊を挙げて盛大な葬式が開かれた。

 なんとなく、芹沢のことを口にするのが憚られるような空気がある。誰もが、本当は誰が芹沢を殺したのか、分かっている。

 土方は、芹沢を排するために作ったと思われた法度を、そのまま残した。

「なぜだ」

 と近藤に聞かれても、

「隊を強くするためさ」

 と答えるのみである。このあと更に新規の入隊者が増え、のちに四番隊組長となる松原忠司まつばらちゅうじ、五番隊組長となる武田観柳斎たけだかんりゅうさい、監察方として有名になる山崎丞やまざきすすむや、勘定の得意な者を召し抱えて勘定方を設立したりと、隊の規模も大きくなる。それらをまとめあげてゆくには、縛るものが必要であった。

 法度は、土方が隊を私するためのものであると言う者もいる。しかし、土方の心中は、違う。

 ――近藤さんを、新撰組を、盛り立ててみせる。

 純粋な、思想とも言えぬ理想のみが、彼を支配していた。以前にも触れたが、そのためなら、彼は鬼にも喜んでなれた。


「なんだよ、士道って」

 と藤堂が、露骨に不満を久二郎と彰介に漏らした。久二郎らの入隊のきっかけになったわけだから、三人は親しい。

「これじゃ、息苦しくってかなわねえや」

「藤堂さん、あまり、大きな声で不満を漏らさない方が」

「それよ。これじゃ、不満を言っただけで、それが武士のすることか、って斬られかねねぇぜ」

「つまり、そういうことではないでしょうか」

 藤堂が、口を押さえた。

「あぶねぇ。そういうことかよ。まったく、土方さんも嫌な性格してやがるぜ。押さえつけるだけじゃ、息苦しくってかなわねぇよ」

「藤堂さん、また、同じことを言っていますよ」

「あぶねぇ、あぶねぇ。もう、何も喋らねぇ」

 彰介が、くすくすと笑った。

「べつに、普通に隊務に励んでいれば、何ということはないでしょう」

「そりゃそうなんだがよ。いいよな、彰介や斎藤は、無口で」

「藤堂さんや原田さんほどは、口数は多くありません」

 彰介が、ぼそぼそと言った。

「原田さんと一緒にすんなよ。ありゃ、ただ何も考えてねぇんだ。あれが不平を並べたところで、何にもなりゃしねぇよ」

 藤堂は、こう見えて北辰一刀流の出身である。北辰一刀流といえば山南もそうだし、こんにちでも有名で絶大な人気を誇る坂本龍馬もそうであるように、活動家の多い流派である。だから、藤堂にも勿論、強い尊皇攘夷の思想がある。

 ただ、彼はいつもカラカラと笑っていて、たとえば幕府の政治に非憤梗概して血涙を流しながら激烈な行動を起こすような型の人間ではない。新撰組に何故いるのか、と聞かれれば、彼はこう答えるであろう。

「あいつらと一緒に何かするのが、楽しいからさ」

 そういう男である。

「ちょっといいか」

 室外で、土方の声がしたので、藤堂は慌てた。

「仕事だ」

 障子が、開いた。土方の後ろには、斎藤もいる。

「隊内で、長州の間者が出た」

 土方は、その者らの名を挙げた。

 楠小十郎くすのきこじゅうろう御倉伊勢武みくらいせたけ荒木田左馬之允あらきださまのすけ。楠などは、壬生浪士組の結成のごく初期からいる者であり、久二郎らもよく知っていた。

「まさか」

「間違いないことだ。新しく加わった山崎君と、島田が調べた」

 監察方は、わかりやすく言えば新撰組の諜報機関である。その諜報網は、長州、土佐などは勿論、隊内にも張り巡らされようとしている。土方直属の機関であり、設立のとき、

「それは、まずい。君が、隊を私しようとしている、と無用の疑いを招くぞ」

 と山南が警告したが、

「その逆さ。俺の目を、せいぜい恐れていればいいのだ」

 と無視し、設立に踏み切った。

 あるとき、山南があまりにもしつこいので、土方は本音を打ち明けた。

「近藤さんが、慕われるには、あののっそりした男を、魅力的に見せなければならない。それには、そばに嫌われ者がいるのが、一番いい。隊士からの俺の愚痴を、あんたや近藤さんが持ち掛けられるようになれば、理想だな」

「土方君、それではあまりにも、君が」

 土方は、話は終わりだとばかりにぷいと横を向いた。

「――構やしねェよ」

 その意地っ張りの土方が、長州の間者共を、一気に仕留めてしまいたいと言う。

「私が、ですか」

「やはり、気乗りがしないか、綾瀬」

「よく知った者ですから」

「それでも、やってもらう」

 作戦は、簡単である。髷を直したり、伸びた毛を整えたりする床屋のような職業である髪結いを、屯所に呼ぶ。それで順番に髪を直してもらい、間者どもの番が来たとき、後ろから一思いに刺し殺してしまう。

「わかりました」

「嫌なのは、誰でも、嫌だろう」

 斎藤が、珍しく口を開く。実行者は、久二郎、斎藤、藤堂。万一にも逃げられぬよう、沖田と彰介がそばに着く。

「間者とはいえ、仲間を殺すのは、やはり気乗りがしません。これは、士道に背いたことになりますか」

 久二郎が、率直に言った。

「いや、ならねえ。この仕事を喜んで引き受けられる奴こそ、武士じゃねェ」

 土方の中の武士像は、彼が武士階級の出身でないだけに、鮮やかなものなのかもしれない。

「武士ってのは、道理と、仲間を大事にするもんだ。だからさっきの、藤堂の不平不満と俺の悪口も、聞かなかったことにしてやる」

 土方はにやりと笑い、ぴしゃりと障子を閉めた。

「おいおい、嫌な仕事だぜ、綾瀬」

「もう、それを言っても仕様がありませんね」

「楠、知ってるだろ。あんな背の低い、女みてぇな奴を、騙して刺せってのかよ」

「仕方がありませんね」

「いやいや、それはいくらなんでも可哀想だ。せめて堂々と罪を鳴らし、腹を切らせてやるのが筋ってもんだろうがよ」

 藤堂は、さっぱりとした朗らかな男である。何をするにもいつも、原田などと先頭を競って前に立つから、「魁先生さきがけせんせい」などとあだ名されていた。その性格が、今回のことに関してやりきれなさを覚えさせているらしい。

「藤堂さん」

 彰介だった。力のこもった声である。

「やるのです。そのことについてあれこれと論じても、仕様がありません」

「なんだよ彰介。割り切ってるじゃねぇか」

「やるのです。それが、新撰組です」

 いつも何を考えているのやら、どこを見ているのやら分からぬ彰介が珍しく、まっすぐに藤堂を見、燃えるような口調で語っている。

「俺たちは、新撰組なのです」

「ふん。樋口君の方がよっぽど、飲み込みがいいな」

 斎藤だった。土方と共に退室したと思っていたが、部屋に残り、隅にちょこんと座っていた。

「やるのだ、藤堂君。土方さんを助けてやれ。そうしていれば、間違いはない」

「なんだよ、斎藤さんまで。わかったよ。あのぶきっちょな副長様を信じて、助けてやるとしますか」

 渋々、藤堂は立ち上がった。別に身体が痛いわけでもないし歳も若いが、立ち上がるとき、どっこいしょ、といつも言う癖があった。

「いいな、綾瀬君」

 斎藤が、久二郎の方をちらりと見た。

「ええ」

 久二郎は微笑した。彰介は、なぜこうも割り切ってしまえるのか。自分は、ただ妹の千を探したいだけなのに。別に、近藤にも、土方にも、何の恩義もない。ただ何となく、流れで壬生浪士組の隊士となり、そのまま、新撰組の副長助勤などという厳めしい肩書きを与えられ、監察方も勘定方もある複雑な組織の幹部となっている。

 先日、あの雷雨の夜、自分と向き合ったあの眼帯の平山は、何故死んだ。

 自分が、殺した。

 何故、という問いかけは、許されない。受け入れるしかない。

 彰介の言う通りである。自分は、新撰組なのだから。


 土方はなかなかに洒落者であったから、隊の者がみすぼらしくては侮りを招く。として、しばしば髪結いを呼び、身だしなみを整えさせていた。

「おい、懐紙が見えてるぞ」

「刀ってな、もっと尻を上げて差すもンだ」

「この油を使え。髷に、艶が出るぜ」

 などと、細々と隊士の世話を焼く一面もある。

 京に上って間もない頃、身ぼろなどと陰口されていたことを、この愛すべき見栄っ張りはよほど気にしているらしい。

 だから、この日も、やって来た三人の髪結いの前に、隊士は当たり前のように行列を作った。

 標的となる楠、御倉、荒木田の三名は、わりあい仲がよい。土方に、髪を直せ。と命じられた三名は、揃って行列に並んだ。

 久二郎が廊下を歩いていると、楠と目が合った。

「綾瀬さん」

「楠君」

「綾瀬さんも、髪ですか」

「うん、そうだな。彰介など、宮本武蔵のような頭になっているから、髪を直させようと、探しているところだ」

 宮本武蔵のような、という例えが面白かったのか、楠は手を口許に当て、くすくすと笑った。その手は白く、女のように可愛い丸みがあった。

「樋口さんなら、さっき、道場で剣を振っておられましたよ」

 前川家の蔵を改装した道場である。

「頭は武蔵でも、剣の長さは小次郎ですね」

 と講談話の好きな楠は、洒落を言った。久二郎は、ぷっと吹き出した。

「上手いことを言う。じゃあ、また」

 肩に、手をかけた。この男は、もうあと一刻もすれば、自分の剣にかかって、死ぬのだ。

 坊城通りを渡り、向かいの前川家の蔵に入った。なるほど、宮本武蔵のようなぼさぼさの頭をした彰介が、佐々木小次郎のような長刀を構えている。

 気配に気付き、彰介は振り返った。

「久二郎」

 刀を、降ろす。

「平気か」

「ああ。今、楠と、たまたま話した」

「そうか」

 剣を再びゆっくりと上げた。

「どうしたんだ」

「いや、何でもない。ただ、顔をちょっと見たかったんだ」

「すぐ、行く」

 癖で、剣を高く構える姿は、何かを抑え込もうとしているようにも見えた。


 楠らの順番が、回ってきた。たらいの脇に、櫛、U字形の鋏、毛抜きなどを並べた三人の髪結いの前に、左から楠、御倉、荒木田の順に並んで座った。

 その後ろに、すっと、影のように、久二郎、斎藤、藤堂が立った。周りの者が、なんだろう、と見ている。

 髪結いが、髷を解く。

 すらり、と刀を抜いた。

 久二郎は、ちょうど、髪結いに身を委ね、白い首を差し出すような格好で縁側に座っている楠の背に、真っ直ぐに刀を刺し通した。

 楠は、身体を激しく反らせ、振り返った。

 しっかりと、目を合わせる。何か、言おうとしている。

 その前に、久二郎は刀を一気に引き抜いた。

 背からも胸からも朱色の血が噴き出し、楠は縁側から転がり落ちた。

 京の砂は、白い。この八木家の庭に敷かれている砂も、京の東北部の比叡山の山麓で採れる良質な花崗岩からできる、白川砂というものであろうか。

 それが、楠の血を吸っている。

 脇に眼をやると、斎藤、藤堂も同じ作業を終え、刀を納めていた。廊下の影で、彰介が刀の柄に手を掛け、こちらを伺っているのが見えた。今回は、彼の出番は無かった。

「この三名は、長州の間者であったものを、監察が探り当てた。よって、このように誅した」

 斎藤が、宣言した。誰も、声を上げる者はない。髪結いが、真っ青な顔で震えている。

「見せもンじゃねぇぞ、こら。散れ」

 藤堂が、隊士らに凄んで見せると、皆後難を恐れるようにして散っていった。

「藤堂さん、違いますよ」

 久二郎は、藤堂に力なく笑いかけた。

「なにが違うんだ」

「これは、見せ物ですよ」

 これを見た隊士は、ゆめゆめ妙なことはせぬよう、疑われるようなことはせぬよう注意することであろう。もし、まだ間者が残っているならば、恐怖で震え上がっていることであろう。

 久二郎の言う通り、これは、確かに見せ物であった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る