力士を斬る

 土方は、遊びの機微のよく分かる男だった。だから、

「ゆうべは、どうだった」

 などと野暮なことは聞かぬ。

「戻りました」

 と土方よりも遅れて帰営した久二郎に、

「おう」

 と答えただけであった。それよりも、彼は昨夜、女を抱きながら、べつのことを考えていた。考えるあまり、女に、

「もっと、気ぃを入れとぉくれやす」

 と言われてしまったくらいである。

 土方は、芹沢を排するつもりであった。

 そのためには、やむを得ぬ事情が必要になる。隊としても、苦渋の決断であった、としなければ、ただの内部分裂と見なされ、会津ならびに市中から侮りを招く。

 ——何かをするためには、何かをするに値する組織であることだ。悲しいかな、今の俺たちは、何にも値せぬ。せいぜい、御預おあずかりがいいところさ。

 と思っていた。つい先頃まで暇を持て余し、舌打ちと肘枕ばかりだったのが、目的が見えた途端、急に活き活きとしだした。土方は、その容貌や言動から、近年では退廃的なのように描かれることも多いが、実際は、望みや目的に対して非常に意欲的な人物であったことであろう。

 目的ためには手段を選ばぬ。というところは、後の世の人の知るところ以上のものがあった。良いように言えば、熱中し易い性格であったのだろう。あまりに熱中し、そして頭が切れすぎるほどに切れるため、その目的を最短で、最も合理的に、最大限の成果をもって実現する方法を思い付いてしまうのである。

 昨夜、遊女の中に精をしたたかに放ちながら、土方はその手段を見出だしていたが、その具体的な方策については、少しずつ順を追って触れてゆく。

 筆者は、土方歳三というこの癖の強い男が、大好きである。好きな日本の歴史上の人物はと言われると、必ずトップスリーに名を連ねる。どうでもよいことであるが、だから、久二郎の物語にかこつけて、土方をも詳しく描くことを許されたい。新撰組という組織を、そしてそのひとりひとりを描くにあたり、彼のことを捨て置くことはできないのだ。


 まず、彼は、芹沢ら一派を、そっくりそのまま排除しようとした。だからといって、別にすぐに殺すとかいうような話ではない。離脱させればよい。そのためには、隊にはおれなくなるようなが必要であった。また、近藤に間違っても非が及んでもならない。

 土方が目をつけたのは、金だった。御用盗から守ってやる、などと称して商家から金をむしり取っていることは既に触れた。芹沢らは、別に断られたからといって、凄みはしても乱暴狼藉の限りを尽くすということはない。まがりなりにも、彼は由緒ある出自の者なのである。それをすれば、立場を悪くするという子供でも飲み込める理屈くらい、分かる。

 だが、土方は、噂を流した。芹沢が、金を無心しに行った先で暴れた、と。

 噂を聞いた芹沢は、驚いた。

「芹沢さんの名も、知れてきています。恐らく、その名を騙る者も、現れてきたということでしょう」

 と、先日、御用盗を売名のためあえて殺し、あえて逃がしたことに対する皮肉を交えながら、言い聞かせたりした。

「けしからぬことでありますので、我らでその者らを見つけ次第、殺してしまいましょう」

 とも言った。そして、ある日、

「隊の中の某という者が、長州の間者であるという話があります」

 と吹き込んだ。その噂は、本当である。土方がその者の動きを監視したところ、長州の者と連絡をしばしば取っていることが分かったのである。それを、利用した。

「更に、例の、芹沢さんの名を騙った事件。あれも、あの者が我らの名を貶めるため、仕組んだことといいます」

 怒った芹沢は、屯所内でその者を有無を言わさず切り捨ててしまった。それが、また良くない噂として広まった。

 このままいけば、あと三月、いや二月で芹沢らを葬れる。土方は、ちゃんと、噂を信じてやまない善良な近藤から、度々芹沢を諌めさせることもした。

「また、商家から苦情が来ていますぞ」

「だから、俺達は知らぬと言っている。べつの誰かだ」

「しかし、それを仕組んだとされた長州の間者を斬っても、苦情はやみませんぞ」

「知らぬ。何者かが、俺をめようとしているのだ」

 その何者かが、万事において自分が最も信頼する幼馴染みの土方であるとは近藤は夢にも思わない。

「とにかく、困りますぞ」

 芹沢は、面白くなかった。やってもいないことで、市中から、そして身内から指をさされては、彼も立つ瀬がない。それが、彼をして酒に走らしめた。もともと、酔えばややこしい癖があれやこれやと出る性質たちだから、鬱憤を晴らすように日がな一日飲んでは、酔いの余り大声を出した。その様を見て、やはり、と皆が思った。一度は、島原の角屋という店に上がり込み、したたかに酔い、遊女ではない芸妓に向かって、帯を解けとしつこく迫った。帯を解け、というのはこの時代よく用いられた隠語で、夜を共にしよう、という意味である。無論、そのような行為は職掌外である芸妓が断ると、

売女ばいたの分際で」

 と激怒し、部屋中の調度品や食器などを、

「尽忠報国」

 と刻まれた鉄扇でもって、ことごとく破壊した。たまりかねた角屋が、屯所だけでなく、会津本陣にも訴え出てきたから、大きな騒ぎとなった。

 傍若無人の振る舞いが甚だしいため、隊としては泣く泣く彼らを切り離さざるを得なかった。としたい土方としては、願ってもないことであった。更に、その後、あちこちでの乱暴狼藉の噂は、新見以下、芹沢の腹心どもにも及んだ。


 また、この時期、同時に、有名な事件があったので、あわせて記しておく。

 六月のある日、大坂に用のあった一同は、用事を済ませると、新地へ飲みに行こうということになり、そちらに足を向けた。用事というのは、他ならぬ芹沢らの名を騙る者が現れたということである。久二郎と彰介を含む十二名で出動し、浪士何名かを捕縛し、近藤、井上の二人がそれを奉行所に連行した。残りの者で、先に新地に向かう。無論、土方は屯所を守る、と称して同行していない。

 途中、川にかかる蜆橋しじみばしという橋の上で、力士と行き合った。この頃、上方相撲が流行しており、大阪には角力部屋が多くあった。小野川部屋という部屋の角力が、芹沢と行き合うとき、狭い橋の上で戯れて手を広げ、通路を塞いだ。どういう心境でそのような行動に出たのか分からぬが、血気盛んな若い角力は、あぶれ浪人ども、と芹沢らを軽く見たのであろう。

 芹沢は、抜き打ちにその角力を両断した。随行していた久二郎らは驚いたが、

「さて、どこの店だ」

 と平然と言う芹沢に、何も言うことができなかった。何事もなかったかのように店に登楼あがると、また大杯をもって飲み出した。

 酒が一通り進んだ頃、にわかに外が騒がしくなった。聡明な山南が直感とともに窓から外を窺うと、夥しい数の力士が、通りを埋め尽くしている。先ほど斬られた力士の、意趣返しということであろう。中には、樫でできた八角棒まで持ち出している者もいる。

「芹沢さん、力士が」

 山南が事態を告げるが、芹沢はそ知らぬ顔で飲み続けている。しかし、

「えびす侍が、小便をちびっておるわ」

 という声と共に笑い声が一斉に上がったとき、彼は手にしていた杯を放り捨てた。

 刀を手にすると、なんと彼は二階から飛び降りた。驚いた力士が、囲みを開ける。

 最初に打ちかかった力士を、芹沢は帯にも差さぬままの大刀を目にも止まらぬ速さで抜き打ち、即死するほどの斬撃でもって斬り伏せた。

 あっ、と二階の一同が声を上げ、慌てて階下に駆け降りる。

 あとは、乱闘になった。久二郎も、殺さぬよう気をつけながら、刀を振るった。

 その場にいた永倉、島田などはわりあい分別のある方だから、久二郎らと同じように、殺さぬよう鞘ぐるみ相手を打ったり、刀の峰で叩いて絶息させるに留めたが、斎藤、沖田などは、その卓越した剣技をもって、滅多やたらと斬りまくった。刃でもって斬っても、彼らは死人を出していないから、手加減はしていたのかもしれず、それができるだけの技量もあったということたろう。

 結局、最初の一人は即死、その他多くの手負いを出し、力士らは逃げた。

 逃げた彼らは、奉行所に届け出、京の壬生浪士なる者に謂れのない乱暴を働かれた、と訴え出、与力の内山彦次郎うちやまひこじろうという者がそれを取り上げた。その頃、近藤と井上が、騒ぎの場に合流しており、大変驚いている。

 しかし、その後すぐ、壬生浪士組の背後にいる会津との関係のこじれを嫌い、なおかつ非はこちらにある、として、部屋の親方が訴えを取り下げ、壬生浪士組のいる店まで足を運んで詫びたので、ことは落着した。

 芹沢は、その間、ずっと、何事もなかったかのように、肥った腹に酒を流し込んでいた。

「芹沢さん。これ以上、壬生浪士組の名を落とすようなことは、慎んで頂きたい。会津さまにも、ご迷惑がかかっております」

 芹沢の目が、光った。

「会津の?」

「そうです」

「なぜ、お前が、それを俺に言う」

 会津から、芹沢の素行を改めさせろ、という通達が、当の芹沢の頭を通り越して、近藤に降りているとでも言うのか。芹沢は、立ち上がった。

「言ってみろ、近藤さん。俺を、会津はどうしろって?」

 近藤も、流石、退かない。緊張した空気が流れ、あわやというところであったが、

「芹沢さん。貴方とて、暴れたくて酒を飲むわけではないでしょうに」

 と近藤が言った。その目には、溢れんばかりの憐れみがあった。

 芹沢は、肩を落とし、座り込んだ。そしてまた、飲み始めた。


 事後、いきさつを近藤から聞いた土方は、露骨に笑顔を見せた。

「なぜ笑うのだ、歳よ」

 と、近藤は昔からの呼び名で土方を呼んだ。

「会津さまにも、ご迷惑がかかっているのだぞ。笑うやつがあるか」

 と、怖い顔をしてたしなめる。

「いやな、近藤さん。これが、笑わずにはいられるかってンだ」

 土方も、近藤と二人のときは、尻の上がった多摩ことばを隠そうともしない。

「どういうことだ」

「全部、芹沢が一人で、あるいはその取り巻きどもだけでやってンだよ。商家への無体も、勝手な金策も、角屋の件も、力士と揉め事を起こしたのも」

「なにを、考えている。歳」

 近藤は、だんだんこの幼馴染みが恐ろしくなってきている。

「あんたは偉いよ。俺たちのために良かれと、いつも芹沢をたしなめ、揉め事を進んで解決している。あんたこそ、誠の将というもンだ」

「どういう、意味だ」

「べつに、言葉以上の意味なんてねぇよ。あんたは偉い。芹沢は、会津に迷惑ばかりかけている。それだけさ」

 土方は、立ち上がって、近藤に背を向け、障子を開いた。雨が降っており、蒸し暑い。

「あんたが、あれほど言っても聞かねぇンだ。言っても無駄なら、辞めてもらうしかあるめェ」

 振り返った。

 やっぱり、笑っていた。

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