十五文の縁

 京は、江戸ほどではないが、やはり人が多い。久二郎らは、江戸になど行ったこともないから、これほどに人の多い街は初めてである。

 人が多いということは、出会いも多い。すでに、老いぼれた道場主の大政に出会い、瞬太郎という知己も得た。そして、この文久三年の三月ごろに久二郎が出会う男が、彼の人生を大きく旋回させるきっかけを作ることとなる。

 

 京の激しい寒さはやや緩み、日によっては春の気配がし始めている。そういえば、京の土は、何故か赤い。東山の方などではその土が焼物に良いと重宝されているらしいが、春になると、その土は赤さを強くする。そんなことも久二郎らにとってはいちいち興味深いものであった。

 その日、その赤い土を踏みながら、久二郎と彰介は昼間の四条通りを歩いていた。特に当てがあるわけでもなく北野天満宮近くの道場を出、今出川通りを東へ。そのまま、堀川通まで出て、南に折れた。かなり歩いたが、何しろあてがないので、行くところもない。歩き疲れたわけでもないが、手近な甘味処を見つけたので、入ろうとした。

「銭は、あるか」

 久二郎が、彰介に聞いた。二人とも、少しずつは持っているが、それで足りるのかどうかが分からない。

 軒先でどうしようか思案していると、声をかけられた。

「どしたの」

 跳ね返るような、江戸訛りである。

「銭、ないの」

 見ると、久二郎らと同年代らしい若い男であった。身なりは、あまり良くない。分厚い冬物の綿入れのつぎ当てが目についた。

「ここの汁粉、美味いんだぜ」

「あの、あなたは」

「いいよ。おごってやる。俺も懐が寂しいから、一杯ずつな」

 と言って、男はからからと笑った。

 抱えられるようにして、甘味処に入った。入るなり、男は、

「汁粉、三つ!」

 と威勢よく注文をする。注文を受けた女が、その声の大きさに少し嫌な顔をする。

 都会の要領を得ない久二郎と彰介は、座敷に上がってもよいものかどうか分からず、おろおろしている。

「何してんだ。座れ座れ」

 と、男は畳を叩いた。よく、チョンマゲに二本差しの貧乏侍や、いなせな着流しの職人たちが、時代劇で長椅子に並んで腰掛けてテーブルに置かれた蕎麦をすするシーンがあるが、あれはアウトである。実際には、このようにして畳の上に座り、膳もしくは折敷おしきという、縁と足のついた食事用の盆に料理を乗せ、食べる。飯屋などでテーブルや椅子が用いられるようになるのはもっとずっと後のことで、この時代は、座布団すらまだない。あっても、円座という丸いむしろのようなものがせいぜいというところである。

 そこに、薦められるまま腰かけた。

「あの」

 久二郎は、切り出した。彰介は、山育ちらしく人見知りをするので、うつむいている。

「どうして、私たちにご馳走をして下さるのです」

「どうして、ってお前、汁粉が食いたかったんじゃねぇのか」

「それは、そうですが」

「あなたに、おごってもらう理由がないのです」

 言われて、男は、膝を一度叩いて、笑った。

「そりゃそうだ。なんとなく、汁粉が食いたそうな後ろ姿だったから、つい声をかけちまったんだ。変な気を使わせたんなら、すまん」

 男は片目をつぶり、拝むような仕草をした。それがおかしくて、久二郎は笑った。彰介も、表情がほぐれてきている。山育ちの二人から見ればおかしな男だが、江戸では、この男のような者を、「」がいい、と言うのだろう。

「せめて、お名前をお聞かせ頂けませんか」

「俺?俺は、藤堂ってんだ。藤堂平助とうどうへいすけ

「藤堂さん」

「おうよ。こう見えても、俺は伊勢松平候の落としだねでね」

 と、ほんとうか嘘か分からぬ啖呵たんかを切った。身なりは、つぎ当てだらけのぼろぼろであるが、腰の二本の刀の拵えは異様に立派だったから、久二郎は余計に藤堂の言ったことがほんとうなのか冗談なのか分からない。

「おぜんざい三つ、お待っとうさん」

 汁粉が来た。汁粉、という呼称は東国でのものであり、上方では、ぜんざい、と言う。藤堂が汁粉と注文をしたとき、店の女が少し嫌な顔をしたのは、声の大きさのせいのみならず、このせいもあるのかもしれない。


 京の者は、他国の者をあまり受け付けたがらない。現代においては国内でも有数の観光地となり、年間を通して多くの外国人が訪れ、大学も非常に多い都市として京都以外の土地で生まれた学生が集まり、多国籍国家の体を成しているが、めっきり少数民族となった生粋の京都生まれ、京都育ちの人間が彼らを見る目は、今なお冷ややかであることがある。もちろん、人によるが。

 かく言う筆者にも、

「京都、一度行ってみたいんだよね、金閣寺って、ほんとうに金色なの?」

 と滑らかなエイトビートの律動を持つ関東弁で訪ねられれば、

「知らん。行ったこともないし。テレビであんだけやってたら、別にわざわざ見んでもええんちゃうん?京都住んでたら、いちいちそんなん見に行ったりせえへんもんやで」

 と、緩やかな八分の六拍子でバウンスするグルーヴうねりを持つ訛りで、慇懃な笑みを浮かべつつ冷たく答えざるを得ない血が全身を流れている。べつに、相手に悪意があるわけではないし、関東弁が嫌いなわけでもないので、もう少し穏やかに応対してやってもよさそうなものだが、その理由のない血の騒ぎを抑えることはできぬのだ。


 その現象が、店の女にも表れているのかもしれなかった。

 無愛想に置かれた汁粉、いや、ぜんざいに三人は箸を付けた。汁粉はこの数十年前に、江戸で発明されたという。その原型は、江戸時代の始めごろに既にあり、豆の入ったすまし汁のようなものに餅などを入れ、砂糖をほんのすこしかけただけの、酒のあてのようなものだったらしいが、砂糖の値段の下落にともない、甘いものに変化していったようだ。

「な。美味いだろ」

「餅が、丸いのですね」

「なんだお前ら。京の餅と言えば、丸に決まってんだろうが」

 久二郎らが生まれた土地は、言語、文化、風習、料理などにおいて、関西と関東の境界線の、ぎりぎり関東寄りにあった。こんにちで言う、岐阜県の中北部であり、餅は四角い(場所によるが)。

 その言語も、上方のような激しいアップダウンのあるリズムや抑揚を持たぬし、江戸言葉のような切れ味もない。

「あんたら、どこの人?」

 と藤堂は、久二郎らのことについて話を向けた。

「美濃の国の生まれです」

「ああ、そうかい」

 文字に起こすと、突き放すようだが、藤堂の応答には、溢れるような親しみがある。久二郎は、もう藤堂が好きになっていた。

「美濃では、何が美味いんだい」

「さあ。あまり、良い暮らしではありませんでしたので。毎日、菜ばかり食っていました」

 藤堂が、膝を叩いて笑った。

「鶏は、美味いです」

 はじめて、彰介が口を開いた。ずっと黙っていた大男が口を開くと、山が動いたように思える。

「そりゃお前、鶏なんてどこで食っても美味いだうよ」

 藤堂はまた笑った。それから、久二郎らがここに来たいきさつを話すことになった。汁粉一椀でここまで長居をされては店の者もたまったものではないだろう。先程の女が店の奥からちらりと顔を出し、溜め息をついて戻っていった。

「あの女。可愛いと思わねぇか」

「あぁ、まぁ」

「いっつも、もじもじしやがって。俺に惚れてんだ。きっと」

 久二郎は、苦笑いするしかない。

 陽が、傾きだした。

「もう、戻らねば」

 このまま話していては陽が暮れるどころか夜が明けても話していそうなほど口の回る男だったから、久二郎らは丁寧に辞儀をし、席を立った。

「じゃ、俺も行く。夜には戻らねぇと、交代のやつに叱られちまう」

「何のお役目の途中だったのですか?」

「ああ、お前らと一緒。暇潰しだよ」

 と、よく分からぬことを言う。暇潰しの交代とは、何のことであろうか。

 藤堂は、三人分、十五文の勘定を済ませると、さっさと暖簾をくぐった。

「んじゃ、行くわ」

「ほんとうに、ありがとうございました。いつか必ず、お返ししますので」

「いいって、そんなの」

 ——またな。

 と藤堂は手を挙げ、堀川四条の交差点を、西へと歩いて行った。

「おかしな人だったな」

「でも、面白い人だった」

 二人、北野へ足を戻しながら、思い返して笑った。あの快活な江戸言葉が、耳について離れないらしい。

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