45話:決着

 ブロックノイズによってひび割れていた視界が次第に明瞭さを取り戻していく。

 仮想現実内で死亡すると、一度完全に消滅し、のちに再生成される。その間のラグがノイズとなって現れる。

 澄み渡る青空と吹き抜ける微風が運ぶ青草の匂い。少し伸びてきた前髪が額の上で揺らめき、ショウは目を細めた。

 頭の中は明瞭だ。

 何をされたのか理解できれば、思考の障害となっていた靄が晴れる。


「こんな感じっスね。なんかわかったっスか?」


 覗き込むラルティークの影が落ちる。

 ショウは大きく深呼吸すると上体を起こし背中に付いていた草が宙を舞う。


「わかったんですけど、逆にわからなくなりました」


 苦虫を嚙み潰したような表情で答えるショウに、離れていた三人が近寄ってくる。

 何度でも挑戦していいという約束で始まった模擬戦ではあるが、ここで打ち切りであろうことは明白だった。仮にもう一戦とショウが要求したのならば、それは彼がこの戦いの意味を理解できていないことになる。

 左右にキサ、ドロシーの二人をはべらせたレディスが一歩前へ出る。


「それが理解出来ただけでも上出来なのです。それではお聞きするのです。ラティとの戦いで風間翔さんは、どんな答えにたどり着いたのでしょうか?」


 手のひらを左頬の傍で揃えると、満面の笑みで解答を要求する。

 ショウは立ち上がると臀部に纏わりついてた草をはたき落とし、レディスと向き合う。


「ラティさんとの戦いは、そもそも勝敗はさして問題じゃないってことです。最初は一本取ることが認めてもらう絶対条件だと思ってたんですけど、よくよく考えてみれば、勝て、とは一言も言われてないって気づいたんです。僕がレディス姫に言われたのは、実力を見せろ、なんです」


「ヒントがあったとは言え、よく気づいたのです。正解なのですわ。ちなみに、どのタイミングで気づかれましたのですか?」


「ラティさんに斬られて、それから復活するまでの間です」

「随分と変わったタイミングなのですわ」


 レディスは人差し指を頬に当て、頭の上に『?』を浮かべる。


「どうやってラティの技を攻略すればいいのかとは考えなかったのですか?」


「もちろん、やられたって思った時は考えましたよ。でも、復活する時のノイズが晴れていく感覚に合わせて、不思議と頭の中もスッキリしたんです。そしたらラティさんが言ったことを思い出したんです。必殺技は、相性も優劣もそういうのを全部ひっくるめて、ねじ伏せられる力だと」


 ショウのたどり着いた解答に満足したのかレディスは満面の笑みを浮かべると、ラティの前へ移動し、太腿を蹴り上げた。

 隙間の多い軽鎧装備。鎧で覆われていない隙間目掛けて、王女の肩書には到底似つかわしくない鋭い一撃が炸裂する。

 たまらずラティは悲鳴を上げ、うずくまった。


「ラティはヒントを与え過ぎなのです。反省するのです」


 腰に手を当て両頬を膨らませる。

 眉を逆ハの字に釣りあがらせていたレディスの右隣で、キサは合点がいったと額を押さえ、ため息をつく。


「なるほどね。試験の性質を考えれば、ここでラルティークさんに勝っても実力は認められないってことか」


 魔導試験における三次試験の内容は不条理と言っていい。

 格下が格上に勝つためには、その実力差をひっくり返す戦術が必要となる。それが相性であったり弱点を突くことだ。しかしながら、三次試験に登場する賢者の顔ぶれは毎年のように変わる。その上、誰が出てくるのかも明かされない。

 それどころか、A級大魔導士は毎週開催されるランキング戦で手の内をさらけ出す一方、賢者の技は基本的に謎に包まれている。

 過去十年に渡り、賢者へと昇級を果たした者が極端に少ないのは、この制度設計にある。

 だが、この制度に変更の兆しはない。

 なぜならば、賢者は王国側の最高戦力だからだ。敵勢力に戦力をひけらかすメリットはない。そう考えれば試験の制度は理にかなっている。


「そうは言っても、勝つことに越したことはないっスけどね」


「ようは最低条件ってことさ。よく言われることだが、賢者に求められる資質は勝つこと。それが例え相手が誰であろうともね」


 常に複数人の賢者を相手に立ち回るドロシーの台詞には説得力がある。

 支持率の高さからも、彼女の戦い方は興行の側面が強いが、実戦から遠ざかっている現代では貴重な機会だ。これを最大限利用しない手はない。

 肩書や地位ではなく、己の強さに固執した者の、実に理にかなった研鑽法だ。


「つまり、仮に今ショウがラルティークさんの技を研究して勝ったとしても意味がないってことね。三次試験じゃ誰が出てくるかわからない以上、弱点の突きようがないわけだし」


「浅輝葵沙那さんの仰る通りなのです。合格する可能性のない者を推薦すれば、今後特例を出す際にケチがつくのです。本当にその人間は三次試験で合格できるのかと」


「そこで必要になって来るのが必殺技ってことですか……」


 ここまでお膳立てしてもらえれば、この戦いを提案した意図は察せられるというものだ。

 この世に確実はないが、それでも三次試験で合格する可能性のない者を推薦するのは今後のためにならない。そう言いたいのだ。


「その通りっス。全員が全員とは言わないっスけど、今の大魔導士たちの使ってる必殺技には思うところがあるっス。当たれば勝てる。出せれば勝てる。それってただの博打じゃないっスか? 必殺技ってのは本来、当たって当たり前、出せて当たり前。相手にあの技を攻略しなければ勝てないって思わせられるかどうか。そこに至って始めて必殺技って呼ぶんスよ」


「耳が痛いわね」


 まさに現役で試験に挑んでいる真っ最中のキサには誰よりも刺さる言葉だ。

 彼女の必殺技の代名詞は雷撃の刺突ライトニングピアー、固有技術の形状遠隔維持操作を絡めることで今試験から新必殺技としてお披露目した必中雷撃砲弾。どちらも繰り出せる場面は限られる。攻略自体もそこまで難しくないだろう。

 ランキング4位は、あくまでキサの身体能力、技術面によるところが大きい。

 結果だけ見れば、今年度のキサの飛躍は必殺技の体得にあるが、実際のところは才能による部分が大きい。切れる手札が増えた、というのが正解だろう。


「そこで質問なのです」


 パンッと手を叩くと、レディスはショウの目の前へと歩み寄る。

 密着しようかという至近距離まで近づくと、真っ直ぐと視線と合わせる。身長差がある分、やや見上げる形だが、そこに可愛らしさは微塵もない。

 光すら届かない深海の闇へと引きずり込むかの如く、その深い藍色の瞳がショウの意識を飲み込む。

 彼女の前では嘘は一切通用しない。そう直感させる。


「単刀直入にお聞きするのです。風間翔さんは必殺技をお持ちですか?」

「えっと……一応、魔力発勁と波状衝破の二つが必殺技だと思ってます」


 言葉を選ぶようにして答える。

 必殺技の何たるかを聞かされた手前、安易に挙げることは憚れる。

 とはいえ、ないと答えるのも間違いだろう。

 なぜなら魔王との戦いは貴重な映像だ。敵の生体を知るためにも賢者間では、あの戦いの記録はすでに出回っている。それならば手の内を隠す意味もない。どこからどこまでを試しているのか、レディスの笑顔が何よりも恐ろしい。

 むしろ、レディスたちが慎重になっているとする方が自然だ。

 魔王との戦いは死力を尽くした。全ての手の内を晒さなければ生きて帰ることはできなかったに違いない。ゆえに、丸裸にされたショウに三次試験は突破できないと思われているのだ。

 推薦するに足る資質を持っているのか、と。


「では、その技はどうやって思いつきましたのですか?」

「どうやって――?」


 ショウの思考が鈍る。

 レディスの圧が、推薦への影響を危惧する緊張が、ここまでの選択に間違いはなかったのかという疑念が、少しづつショウの精神を蝕んでいく。

 質問の意図は何か。余計な考えが頭の中で衝突し真っ白になる。

 それでも必死に紡がれる言葉は必ず混じりけのない本音だ。


「なんとなく、できそうだと思って。閃きに近いと思います」

「なるほどなるほど。わかりましたのです」


 満足できた答えだったのか、ニッコリと微笑むと一瞬にして、さきほどまでの圧が消え去った。


「それでは話を変えるのです。公式情報では、風間翔さんは副属性に目覚めてないとありますが、間違いありませんか?」


「はい、僕の使えるのは主属性の魔属性だけです」


「であれば、一つお調べしたいことがあるのです。手を出して頂けますですか?」

「はぁ……?」


 言われるがままショウは右手を差し出すと、上下から挟み込むようにして手を添える。

 一体何なのかと訝しがるショウだったが、次の瞬間、電撃が全身を駆け巡った。

 まるで冬場のドアノブに不用意に触ったかのような予期せぬ痛み。全く想像だにしていなかった出来事に、反射的に手を引っ込めようとするも、レディスがガッチリホールドしていたため、逆に引っ張られて膝をつく。

 あまりの痛みにショウは涙目を浮かべ、恨めしそうにレディスを睨んだ。


「あら、違いましたわね」

「いきなり何なんですか!?」


 全く悪びれる様子がないことからも確信犯なのは間違いない。


「他もどんどん試していくのです」

「試すってなにを――痛っ!」


 抗議など何のその。レディスは次から次へと電撃を見舞っていく。その度にショウは呻き声を上げつつ痛みに耐える。

 都合十二回に及ぶ謎の攻撃を終えると、彼女はショウを開放しラティ、ドロシーの元へと戻り「ダメでした」とニッコリ微笑んだ。

 四つん這いになり、ぐったりするショウにキサが前かがみになり声をかける。


「大丈夫?」

「普通に痛い。何なの一体?」

「さぁ?」


 キサは横髪を耳にかけると、そのまま右手を差し出し、立ち上がるショウを手助けする。

 まだ痺れるのかショウの動きは精彩さに欠ける。

 説明を求める懇願の目を向けられたレディスだったが、詫びれる様子はない。


「ワタクシの主属性は神聖水。実験による影響で後天的に主属性が変化した数少ない症例は御存知でいらっしゃいますですか?」


「まぁ、有名ですからね。だからこそ……今は手元にないですけど、さっき神聖水の超極大魔石を頂いたわけですし」


「なのです。ワタクシの神聖水を応用して、すこーし風間翔さんの血液をちょこちょこーと弄ったので御座いますです」


 とんでもなく恐ろしい告白にショウとキサは完全に固まった。

 水属性はその名の通り水に関連する事象を操作する。

 誰もが一度は思いつく水属性最大最強の技。それは人体の六〇パーセントを占める水分を操り殺傷するというものだが、これはほぼ不可能だというのが定説だ。

 魔力は基本的に血液が全身を廻るイメージを以って練る。言い換えれば、体内の水分には術者の全魔力量が溶けている状態に近い。

 もし水分を操ろうとした場合、相手の総魔力がそのまま抵抗する形で天然の防御結界となるのだ。これが仮に先天性魔力異常持ちのアイヴィーならば話は変わって来るが、一度に出力できる魔力量の制限からすれば致命傷には至らない。

 それだけの魔力出力が可能なら、普通に攻撃した方が殺傷力が高いのだ。

 魔力が枯渇気味な相手ならば言わずもがなだろう。

 多少の痛みはあったが、レディスがそれほどの魔力を練った感じはない。それでもあれだけの威力だ。二人が驚くのも無理はない。


「どうやったんですか。魔力抵抗完全に無視してましたよね今?」

「聖属性の特性は浄化。ラティが見せたばかりなのですわ」

「あ、そうか。血液中の魔力抵抗を更に抵抗して無力化してるのか」


 水と聖属性を別々に発動したとしても同じ結果は得られない。これはレディスだから、神聖水という特殊な属性だからこそ可能な特殊な事例だ。


「レディス=ニコルヌ。特例が認められたってのも頷けるわね」

「それってようは僕もそのレベルを要求されてるってことだよね」

「その通りなのですわ。今回の特例の反対派全員かどうかはワタクシにもわかりませんが、前例を踏まえて否決に回った者も多いと思いますです」


 具体例を出され、ショウは見るからに嫌そうな表情を浮かべる。

 要求難易度が高すぎる。当時の映像を見た者ならわかるが、三次合格はほぼ確定的だった。どっちが格上なのかがわからなくなる程度には圧勝だったのだ。


「それはそうと、さっきのは何だったんですか?」

「そうだ。無駄に痛かったんですけど……」

「ちょっとした副属性の調べ方なのです」

「あれがですか?」


 通常、主属性に比べ副属性を調べる過程は少し面倒だ。

 主属性だけなら非常に簡単で、魔石に魔力を込めることで判明する。これは発露を応用した方法だ。しかし、副属性はそうではない。魔法を学ぶ過程で後天的に目覚めるので、どのタイミングで発現するのか人によってまちまちだったりするのも厄介な要因だ。

 主属性以外の属性による身体への影響。それがある一定の閾値を超えると発現しやすいというのが通説であり、そのため、花粉症に例えられることが多い。

 魔石に魔力を込める。これを全属性繰り返して速度に差があるかどうかを調べるのが一般的であり、現状これしか判断基準はない。これだけ発達した魔法学ではあるが、いまだ有効な測定法が確立されていないのは現代魔法界のお笑い種である。


「体内に流れる魔力と同じ属性を流し込むと、違和感があるのですこーし気持ち悪くなるのです」

「じゃあ、痛かったのって……」

「単なる異物の排除なのですわ。アナフィラキシーみたいなものですの」

「ショウ、あんた確か十二回痛がってなかった?」

「え、そんな余裕あるように見えた? 普通に数えてないよ」

「あの様子じゃ、そうでしょうね」

「うーん、てことは、僕はやっぱり副属性に目覚めてないってことですか?」


 痛みがあったということはそうなのだろう。しかも十二回ともなれば魔属性もなかったことになる。何かしら不手際があって失敗したと考えられる。しかしレディスの反応は違った。


「そうとも言いきれないのです」

「どういうことですか?」


 何度目かもわからない質問にレディスは「これはあくまで仮説なのです」と前置きをする。


「ワタクシの神聖水を始め、他の四人全員に共通した特徴があるのです」

「共通点ですか?」

「はい。それは、なんとなくできそうな感覚が芽生えることなのです」

「なんとなく? あっ、そうかさっきのあれって」


「お気づきになりましたか? 魔力発勁と波状衝破の閃き。あれはおそらく実験による影響を受け、ワタクシの神聖水のように魔属性が何らかの変容を遂げたのではないかと睨んでいるのです。現に魔属性を含めた十二回全てに痛みがあったのです」


 レディスの言葉にショウは喉を鳴らす。

 魔力が変容。それが本当なら、それは間違いなく唯一無二の技術ユニークスキルだ。その上、この説を肯定するには十分すぎるほどの材料もある。

 ショウの魔力は練れないほどに粘度が高い状態に変容している。

 失敗作だと思われていた体質が実は成功していた。そんな淡い期待すら抱かずにはいられない。


 そうなれば国際魔導機関側との交渉条件も変わってくる。

 キサも同じことに気づいたのか、ショウとのアイコンタクトだけで理解する。彼女の身に起こった謎の強化現象。あれも何かしらの変容だったとしたら、魔法を使えるように改造を受ける必要がなくなるのだ。

 条件として提示された精霊文字ヒエログリフの解読も必要がなくなる。それどころか五英傑へ渡すことだってできるのだ。

 当然そんなことをすれば理事長派を敵に回すことになり、推薦の話は取り下げられるだろう。つまり、ここから先すべきことは、この体質が失敗なのか成功なのかを探ることだ。

 無言の意思疎通だったが、ショウとキサの考えに相違はなかった。


「つまり、僕はこれから本当の属性が何なのかを知るところからってことか」

「魔法は想像力だからね。そうすれば魔力発勁と波状衝破も必殺技の領域まで昇華できるもの」

「方針は決まったようですの。それではあとは形式上のやり取りを済ませるのです」


 一瞬何のことだか理解するまで時間がかかったが、すぐに魔石講師の資格審査で訪れていたことを思い出した。

 ここからまた移動か、と少し疲れた表情を浮かべるショウだったが、レディスは笑顔を絶やさすことなく言い放つ。


「風間翔さんは魔石講師の資格試験合格なのです。おめでとうございますです」


 控えめな拍手で祝福するレディスにラティが口を挟む。


「ちゃんとやらないとダメっスよ」

「いいのですわ、こんなもの書類上ちゃちゃっと処理すればいいのです」

「ちゃんと――」

「なんですのん」

「……なんでもないっス」


 これは何を言ってもダメだと、最終的にラティが折れる。


「はい、ラティも快く了承したので、合格です」

「え」

「なんですのん」

「審査が――」

「なんですのん」

「……いえ、何も」


 続けて詰められるショウも圧に負けるのだった。

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