44話:本物と偽物の差
平日の昼間ということもあり、試験会場の利用者はまばらだ。賢者であるラルティークが姿を見せたことで、すれ違う人々から驚きの表情を向けられる。大魔導士ですらロビーでなければすれ違うこともなく、ましてや賢者ともなれば、なぜこんなところにと考えるのは当然であろう。
それでもラルティークは魔導学園で教鞭をとる一教師の顔を持つ。賢者の中でも比較的一般人との接点は多く、騒ぎになるほどではない。それでもこんな場所で黄金色に輝く鎧を着こんでいれば、目立つなというほうが無理からぬところだ。
普段であれば悪名相まって、多少顔の割れているショウは、少なからず悪意の目を向けられる。それがどうだ。完全に彼の存在感に隠れ、一通行人と化している。
「むっちゃ見られてるっスね」
「そりゃそうなりますよ」
水着から着替えたショウの装いは、下は少々ゆとりのある濃紺のデニムパンツに、上は清涼感のある二色の青を角度をつけた格子柄のシャツで彩る。多国籍民族が入り乱れる魔法王国では、彼の黒髪は地味ではあるが決して目立たないわけではない。
先日のA級大魔導士が雁首揃えていた場面もそうだが、多少知られた人間というだけでは、その存在感は一瞬にして立ち消える。
これが本当の有名人なのだと、半歩前を歩くラルティークに気後れする。
「中はこんな風になってんスね」
ラルティークは初めて見る試験会場の場景に、子供のような反応を示す。
中央のだだっ広い大通りに沿って、均等配置される二メートルほどの縦長カプセルは、試験当日と違い、その多くが半透明の蓋を開き利用者を待つ。
「硬いっスね」
隣を歩くショウをちらりと見やると、ラルティークは一言そう漏らす。
賢者との直接対決。硬くなって当然だ。ましてや、ここ数日での目まぐるしい出来事の数々から実力の程は窺い知れる。これまでは仲間がいて、欠点を上手くフォローし合えたが、今日はそうもいかない。本当の意味で、自身の力を試されるのだ。
「模擬戦と言っても賢者、それもラルティークさんほどの有名人ですよ。緊張もしますって」
使用許可の出ているMSRまでの距離は近い。迫る刻限に、ショウの手のひらが汗ばむ。
「ダメっスね」
突然の突き放しに、ショウの心臓が大きく脈打つ。
「ダメって何がですか?」
「戦いはすでに始まってんスよ? 最初から相手にのまれてて本来の力が発揮できると思ってるんスか? 理事長にも言われたはずっスよね?」
現場に居合わせたかのような確信を持った指摘に、ショウの血の気が引いていく。
強者が当たり前に持っている基礎能力の高さ。素人でも簡単にわかる派手な技や、身体能力といった表面的な強さではない。普通なら見落としてしまう、そういう類の力だ。
ここで動揺しては理事長との戦いの二の舞だと、ショウは大きく深呼吸し、両手で頬を叩きつけた。
「はい!」
「それでいいっス」
赤く染めた頬と決意の宿った瞳を見て、ラルティークは表情を軽くする。
三次試験では賢者との直接対決が待っている。要求されるのは格上である賢者に勝てるだけの実力。特例を勝ち取るにはその可能性を示すことだ。しかし、この三次試験に出てくる賢者は例年〝評議会〟のメンバーである。数いる賢者の中でも間違いなく上位に位置する
魔導学園の前身組織、魔導士育成会。教師陣は言わずもがな、それでも当時名を轟かせていたのは学生だけで結成された学徒連合の方だ。前門の虎ことラルティークと後門の狼ことドロシー。
賢者二人がかりでなければ止められないあのドロシーと同格の強さとの噂を信じるなら、今のショウとの実力差は明白である。
「あったっス。ここっスね、ここ。少年は隣っス」
「はい」
「気楽でいいんスよ気楽で。別に試験本番ってわけじゃないんスから。一回倒されても仕切り直してまたやればいいんス。今日はとことん付き合うっスよ」
そう言ってラルティークは屈託のない笑顔を向ける。
欧州特有の端正な顔立ちもあって、それだけで絵になる。
ラルティークは腰に携えていた刀を外し、MSR内に格納する。片足を中に突っ込んだところで再びショウの顔を見やる。
「ほら、少年も行くっスよ」
促されショウもMSRの中に横たわると二人はほぼ同時に蓋を閉じた。
次に二人が瞼を開いた時には、草原の上で向かい合っていた。
ラルティークは先ほどと変わらず全身を黄金色に輝く軽鎧で身を覆えば、ショウは私服から標準装備へと換装していた。
ショウは肌に密着しているコンプレッションウェアに指を入れ首元を広げる。覗き込む先には理事長との戦いで登録した血文字による
効果は攻撃力極振りの五重強化。
魔王との戦いで披露したこの技の利点は、超強化した脚力による雷属性にも負けない超速度を兼ね備えていること。一極特化でありながら二種類の恩恵を得られる一種の反則技だ。だが、弱点もある。動きはあくまで直線的であり小回りが利かない点だ。理事長との戦いではここを突かれた。
改善点はあるが、どうすればいいのか答えは出ていない。ゆえに現状維持。
通用しなかったのは現代魔法使いの最高峰ビッグ4の雨宮奏。言い返せば超一流の達人が相手だったからとも言えるのだ。ラルティーク相手に、あの
「ドロシーさん、ショウの技、通用すると思いますか?」
少し離れた場所で観戦モードで入っていたキサ、ドロシー、レディスが立っていた。
「そうだな。魔王との映像を見させてもらったが、息子君はA級でも十分通用すると思うぞ。なにせ、ほら戦闘スタイルは月城君と被っているんだ。A級連中ですら、きりきり舞いさせられている状況からすれば、戦術としては一級品だ」
「A級でも――ってことは、裏を返せば賢者には通用しないってことですか?」
ドロシーの含みを察したキサの言に、ドロシーは帽子のつばを摘まみ下へ引く。腕と角度の変わった帽子とで顔が隠れるが、隙間から覗かせる口角の上昇をキサは見逃さなかった。
ドロシーは先日、月城の技をどうにかできると豪語している。
賢者との差はきっとそこにあるのだと、キサはそれが何なのか、眼前で始まろうとしてる戦いに視線を注いだ。
「どっからでもいいっスよ」
「それじゃ、行きます!」
初手はショウの超速特攻だった――
格上を相手する上で後手に回るのは悪手でしかない。ショウの手の内が露見している現状であっても、先に仕掛けるのが最善手だ。
ラルティークは特に構えるでもなく、刀を鞘に納めたまま無造作に肩の上で叩く。
立ち位置は試験と同じ十メートル。ショウの強化された脚力ならわずか一歩でゼロ距離に詰められる。
徒手空拳のショウと刀を持つラルティークとでは間合いに差があるが、この高速移動のアドバンテージは大きい。
地面を蹴ったと同時にショウは拳を振り被るが、奇妙な違和感を覚える。
力が入らない――
そう思った矢先、振り下ろされた鞘がショウの脳天を叩いた。
全身で突っ込んでいたショウは勢いもあって顔面から地面に飛び込む。ラルティークはそれを横に避けてやり過ごす。
「まずは俺の勝ちっスね」
そう言いながらラルティークはその場で腰を落とし、嫌みのない清々しい笑みを浮かべる。
そんなラルティークに、ショウは草をつけた顔で恨めしそうに彼を睨みつけた。
「理事長と全く同じかぁ」
仰向けになると悔しそうに両手で頭を抱える。
「もう一回やるっスか?」
「やります!」
威勢よく上半身を起こすと、力強く返事した。
ラルティークは屈託のない笑顔で迎えると、再び十メートルの距離を空け向き直る。
こんな機会は早々あるものではない。ショウはこの機会を最大限生かそうと、全身についた草を払い立ち上がる。両手で頬を叩き気合いを入れ直し前傾姿勢。しかし、ここで先ほどと一つ違うことが起こる。
無造作で待ち構えていた一戦目と打って変わり、左脚を大きく後ろに開いての抜刀の構え。
「次は本気で行くっス。幸いここは仮想現実っスからね。胴体を真っ二つにしても死なないっスから遠慮なく突っ込んできていいっスよ」
笑えない冗談を真剣な顔つきで言い放つ様に、思わず気圧される。
「戦場では、その一瞬が命取りっスよ」
図星を突かれ大きく心臓を跳ねさせる。今度は何も言わなかったが間違いなく二度目の隙だっただろう。ラルティークの鋭さを増した眼光が無言の肯定を物語る。
「少年と話してて思ったっスけど、なんで敬語なんスか?」
「なんで……て?」
突然の問いにショウは眉根を顰める。
また言葉で惑わそうとしているのかと真意を量り損ねる。
「謙虚なのは日本人の美学みたいっスけど、それ魔法使いには足枷でしかないんスよ」
「それって精神力の問題ってやつですか? 魔法使いとして大成する人は大抵我の強い人って言う」
「そうっス。姫やルリルリみたいに相手を手玉に取るための手段っていうなら話は別っスけどね」
「ラティ、ワタクシのことをそんな目で見ていたのですか、心外ですの!」
腕を組み、わかりやすく頬を膨らませて怒りをアピールする。そのあざとらしさがレディスの精神力の高さを証明する。
「確か少年は日本の学校に通ってるんスよね? 見たことあるっスか、魔法使いで相手の年齢に合わせて喋り方変わる人」
「いない、ですね」
「そうっスよね。魔導学園の生徒なら初等部から叩き込まれる話っスから」
キサは中等部から日本の学校に通っていることもあり、若干引き摺られている感は否めない。それでも概ね他の魔法使い同様、相手が誰であろうとタメ口だ。
「切り合う前に少し授業をするっス。これでも一応教師っスからね」
構えは解かず、互いに臨戦態勢のまま話題だけが移ろう。
「魔導試験が始まって十年が経つっスけど、賢者に昇級したのは姫たちを除けばたったの四人ス。なんでこんなに少ないかわかるっスか?」
「単に実力不足ってことじゃないんですよね?」
改まった聞き方をするくらいだ、そんな単純な話ではないのだろう。
A級でもその脅威から度々話題になる月城だが、ドロシーや賢者たちから彼女の名前は聞こえてこない。ショウが立場上接する機会の多いシグレからもその名が出たことがないのだ。
何かがあるのだ。実力以外の何かが。
「実力は申し分なしっスね。賢者もピンキリっスから、むしろ総合能力ならA級の何人かは賢者より強いっスよ。それでも直接対決すれば賢者が勝つっス」
「総合能力が上なのに、ですか?」
「A級まで来るような人ってのは複数の上級属性を習得してるっス。どんな相手でも対応できるオールラウンダータイプなんスよ。でもっス。賢者でオールラウンダーってめっちゃ珍しいスよ。例えばオレの修得してる上級以上の魔法は聖属性のみっス。戦術的に正しいとか関係ないんスよ。相性も優劣もそういうのを全部ひっくるめて、ねじ伏せられる力を持つのが今の賢者なんス」
そこでラルティークは視線を外し、近くで観戦していたキサを見やった。
「
言い終わると同時にラルティークから途轍もない剣気が放たれる。
何もないはずの空間に彼を中心として球状の何かが立ちふさがる。壁のようなハッキリとしたものではなく、空気そのもの。
ショウは、その感覚が一戦目と同一の違和感だと気づく。
目に見えない何かは徐々に領域を広げ、嫌悪感を募らせていく。正体不明のそれを看破したのは魔力感知に長けるキサだった。
「そうか、発露か」
「さすがっス。正解っスよ
「発露? 発露ってあの発露!?」
ショウが驚くも無理はなかった。発露とは数ある領域技の中でも最も基本系である第一段階
魔力効率の観点から大気中のマナを利用する現代魔法に置いて、術者自身の魔力を直接魔法へと変換する自発は、戦術的な意味合いがなければまず行使されることはない。それ以上に非効率の極みとされるのが発露だ。
一言で表すならば、魔力の垂れ流し――
通常の領域展開は魔力を練り、展開し、変容させる。都合三段階の工程を経て魔法へと成す。つまり第三段階
発露とは、この魔力を練らずに体外へと放出する行為を指す。人間には生まれつき主属性が備わっており、発露した場合、大気中に術者と同質のマナがまき散らされる。言い方を変えれば殺傷力皆無の魔法が展開されるのだ。
あえて利点を列挙するならば、その一つは術速だ。何の意味もないとはいえ第一段階
利点その二は高魔力量。魔力を練る場合、時間に比例して量が増える。高位術者は練度の高さで一度に練られる魔力量が上がるだけで、時間による増減は全術者共通である。対して発露は練らない。垂れ流すだけなので時間当たりの魔力量が多くなる。
そして最後に、垂れ流した魔力は術者と同様の性質を持つ。ラルティークなら聖属性といった具合だ。
「驚くことでもないっスよ。発露を当たり前のように使ってる賢者もいるっスからね」
「え、そうなんですか!? ちなみに誰か訊いても?」
「
おずおずと訊ねたショウにラルティークは即答する。
膨大な魔力を垂れ流すだけで圧倒的な重力でねじ伏せる。聞き及ぶ
「納得いかないって顔っスね」
「そりゃそうですよ。発露って結局のところ威力がないから誰も使わないんですよ。でも実はめちゃくちゃ威力ありましたって言われても、何で? としか思わないですって。理論としておかしいんですって」
「少年は真面目っスね。あ、これ褒めてるんスよ? アズアズ—―あ、アズアズは
真面目な話をしていたところに、ラルティークのそんなとぼけた声を上げる。思わず力の抜けるショウとキサ。
「もう、ラティは馬鹿なのです。わからないのに無理して先生ぶるのは辞めるのです。馬鹿がバレるのです」
「ひどいっス」
「こほんっ、アズちゃんの場合は魔素の特性なのです。魔素はより濃度の高い場所に集まる性質を持つのです。高濃度汚染地帯の成り立ちと同じなわけなのです。アズちゃんはその驚異的な魔力量で常時発露状態。常人なら魔力が枯渇するのですが、大気中からどんどん集まって来るのでアズちゃんの周囲は常に高濃度の魔力で満ちているのです」
「そうか。発露は時間経過で自然と大気中に還元されるけど、マナが常に周囲に滞留しているってことは魔力を取り込めるってことか」
「正解なのです。常人なら、そんな環境に身を置けばまず魔力中毒になりますです。でも、アズちゃんは発露で体内からどんどん魔力を垂れ流すのです。言わば永久機関なのですわ。時間経過と共に練られる魔力量は増える。この大原則はアズちゃんも例外ではありませんの。永久機関の発露に大気中の魔素が集まる性質と、術者の自然回復量を加味したらどうなるのでしょうね?」
そんなものは言わずもがなだ。普通に魔法を行使するのと大差ない。超高威力の魔法を第一段階
レディスの講釈を聞き、ショウはラルティークを再び睨み付けた。
「当り前っスけど、オレはアズアズみたいなことはできないっスよ? 論より証拠っス、直に見た方が何かわかるかもっスよ?」
一度は緩んだ空気が引き締まる。
会話が長くなったこともあり大気中に放たれた魔力は相当な量だった。それでもこの魔力を活かす手段はない。領域展開で大気中のマナを変容させるのも、発露で垂れ流した分を変容させるのも同じことだからだ。
常識では発露による利点はない。
だが、その何かを確かめるため、ショウは意を決して地を蹴った――
瞬間、聖属性の領域へと突入する。
聖属性の特性は浄化。先ほどと同様の違和感がショウに襲いかかる。説明された今ならその正体を理解できる。強化魔法を浄化によって削り取っているのだ。しかしそれも微々たるものだ。高階位の魔法ならいざ知らず、発露程度では無視できるほどの――
「領域
発露でまき散らされた魔力が言霊に呼応し術者へ向かって収束していく。
ショウの接近に並行し大気中のマナも徐々に濃度を増す。それも領域侵冦による粘度を持った状態でだ。
半径十メートルに渡り拡散されていた魔力が半径一メートルまで圧縮されれば、その濃度は千倍に濃縮される。浄化の特性と剥ぎ取る特性の相乗効果が急速に強化魔法を弱体化させていく。
割合だけで語るなら然程ではない。精々一割が持っていかれたくらいだろう。それでも食らった者の体感はそうではない。体重が一割増えるようなものなのだ。しかも、相手の間合いに飛び込んだ瞬間に、だ。
〇.一秒も満たない一瞬の隙。その刹那で十分なのだ。
――
動作技術によって発動する聖属性の形状維持型。その原資となるマナは発露による術者の魔力と、領域侵冦によってこそぎ落としたショウの魔力である。
横一文字に放たれた刃はショウの胴体を見事なまでに両断していた――
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