32話:影の支配者たち

「それどうやって喋ってんの?」


 口は動いていなかった。手もポケットの中に突っ込んだままで、イヤホンも髪で隠れているわけではなさそう、というのが二階席から見た印象だ。


『右手に、口と耳がある。現実世界に来たからといって、別に弄った身体機能がなくなるわけじゃないからな』


「……完全に人間やめてるよね」


 生魔法の極致とでも言うのか、彼は遺伝子レベルでもはや人間ではない。

 細胞には積極的に自死へと向かうためのアポトーシスが存在する。彼はこれを意図的に活性化させ自身の細胞を殺していく。ただ、これでは本当にただ死んでしまうだけなのだが、他の人間が若さを保つためにやっている細胞分裂の誘発を、穴埋めとして使う。やっていることは非常に単純で、細胞が入れ替わるだけなのだが、彼はここにある一つのプロセスを組み込む。


 細胞の


 DNAレベルで文字通り、人間ではなくなる。これこそ彼を最強たらしめる固有技術オリジナルスキル、強制進化。

 魔法抜きの純粋な身体能力だけで、熊くらいなら正面から殴り合っても勝てるとは本人談である。

 とはいえ、こんな化け物じみたことができると露見すれば、必ず制限が入る。強制進化の性質を鑑みれば、魔法の使えない現実世界では脅威の塊だ。すぐさま賢人会の席次は剥奪され、大賢者の椅子を宛がわれるだろう。

 ゆえに彼の強制進化を知っている人間はごく一部に限られる。


『これでもまだ人間してる方だ』

「……まだ変身できるの?」

『DNAを弄るだからな。丁度魔王の細胞も手に入れたことだ。なんなら魔王そのものにだって成れる』


 人間を辞めるという突然の告解に、つい先日り合ったばかりの怪物を想像し身震いする。あんなものが現実世界に降臨しようものなら怪獣映画さながらの世紀末である。


「そこまでくると、単身で自衛隊も壊滅できそうだね」

『できるだろうな』


 自身の力に一切の疑いを抱いていない。実際、通常兵器弾では手も足も出ないであろう。それこそ核兵器の使用も現実味を帯びる。

 核兵器の最大の強みはその威力ではなく、放射線による被爆だが、彼はとってはそれすらも脅威になり得ない可能性が高い。なぜなら細胞単位での蘇生が可能だからだ。


『それより、こちらからも確認したいことがある。あの匂いは、どうやってつけた』


 かつて、魔法黎明期に最盛を迎えた魔法文字ルーンであるが、今日こんにちでは失われた技術として扱われるのには理由がある。

 呪文スペルと違い、事前準備次第で高威力の魔法を仕掛けることができる魔法文字ルーンは、通常であれば廃れるはずがない。魔法と魔術の両立こそ、まさに究極系、その極致だ。

 それができなかったからこその現代の魔導体系である。

 魔法文字ルーンの起動にはマナを定着させるための専用の薬品が必要となる。問題となるのは、その材料の一つに、臭気を放つイビルフワワーの実が用いられていることだ。臭いを発する魔法陣があれば、誰だって気づく。罠として有用なのに、簡単に見つかってしまうのではただのコントである。

 こうして一度廃れた技術だったが、ここ十年の間に誕生した新種の魔草、消匂花草スニーキーの登場によって光明が差す。

 欠点だったイビルフワワーの実の臭いを完全に消し去ることができたからだ。


 しかし、話はそう簡単ではない。


 魔法文字ルーンは文字通り言語だ。扱うためにはこの文字を覚える必要がある。だが、呪文スペル全盛の現代において、如何に早くを追求した基本戦術ベーシックストラテジーが障害となる。覚えなければいけない技術の量が、今と昔とでは雲泥の差なのだ。

 全十二属性の特徴から対処法、強化型、形状維持型、複合技術、異属性多重展開、三次元移動、移動技術、詠唱破棄、動作技術etc――

 ここに魔法文字ルーンとなれば完全に容量超過キャパオーバーする。

 成功者と成れる保証なくして未知に飛び込む酔狂な人間はそう多くない。

 魔法文字ルーンとは、あくまで成長が鈍化した賢者や、三十歳を超えるようなベテランのA級大魔導士が手を出す極みの領域なのだ。


聖金属オリハルコンに触れると、消えなくなるんだよね。年末頃に発見したばっかしだし、知らなくて当然かなー」


『……魔素の持つ収束性と、聖金属オリハルコンの離散性が関与してそうだな。聖金属オリハルコンを触媒とした金属反応か? 確かに他の鉱石と違い聖金属オリハルコンは魔素を散らす性質のせいで魔法文字ルーンを掘らない。盲点だったな』


 関心する男の声音に、彼女は新説による優位性を保つため、公式発表は控えた方がいいと結論付けた。決して論文の作成が億劫だとか、そういったよこしまな考えによるものではない。

 不意に右隣りに座る男性が立ち上がる。

 それまで弄っていたスマートフォンをポケットに入れ、トレーを持って移動する。入れ替わりでスーツ姿の別の男性が隣に座り、カバンからタブレット端末を取り出す。

 それまでの一連の流れを横目で見ていた彼女は、左手で掴んでいたパンズを齧ってあくまで一般の客を装う。


「それで、そっちにも魔王が出たって話だけど、新人類党の動きは掴んでんの?」

『間接的にだがな』


 含みを持たせる言いように「間接的に?」とおうむ返しに問う。


『近頃治療薬ポーションの生成任務が多いと感じなかったか?』

「少し前から【反魂の雪女】からじゃなくて、国に直接納品が増えてるけど、やっぱりそういうこと?」


『他の生属性使いにも同じような現象が起こっている。調べてみたら相当な量の備蓄を積み増していた。さすがにおかしいと思ってな、他を当たってみたら出てくる出てくる。鉱石を始め、魔石などの在庫が過去最高を更新し続けている』


「戦争準備ってことでよさそうだね」

『そう見て間違いないだろう。その上、このタイミングでの【暴君】の関与だ。こちら側の情報は筒抜けだと思っていい。俺はこれからギルドに籠って【氷雪の魔女ギルマス】の戻りを待つ』


 彼は数いる魔法使いの中でも珍しい、現実世界を中心に活動する人間である。

 大戦時の組織は全て解体され、国に再編されたが、唯一解体を免れたのがマジックギルドだ。否、誰も手出しできなかったというのが正確だろう。

 なぜならば、上役である沢城美羽ギルドマスターは、かつて【氷精霊セルシウス】の名で畏れられた人物だ。今でこそ史上最年少は【闇精霊シェイド】の九歳十ヶ月であるが、彼女は十四歳の若さで精霊の二つ名を拝命した。

 では、なぜ、今は【氷雪の魔女】と呼ばれているのか。それは、実に簡単なことだ。


 現代の基本戦術ベーシックストラテジーを生み出し、魔導学の基礎理論を打ち立てた四宝しほう。大戦時に圧倒的力で恐れられた列強、七帝しちてい。時代を席巻するほどの魔法使いは得てして、大仰な呼称で畏怖されるものだ。これは現代のビッグ4にも当てはまる。

 四宝や七帝が、まだ魔法使いとして産声を上げたばかりの〝ひよっこ〟だった時には、すでに【氷精霊セルシウス】として頂点に君臨していた。

 戦場で七帝に出会ったら、迷わず逃げろが当時の定説だったが、その七帝をして「絶対に手を出すな」と言わしめた。時が移ろう中、様々な二つ名ネームドが生まれ、精霊の二つ名を冠する者も出てきた。しかし、実力に差があり過ぎたのだ。

 片や名を挙げたばかりの新進気鋭。対する【氷精霊セルシウス】は生ける伝説。

 精霊の二つ名をして、もはや役不足でしかない。結果、氷精霊を永久欠名とすることで神格化させた唯一の傑物なのである。

 触らぬ神に祟りなしを地でいくギルドマスターの庇護下にあるのが、件のマジックギルドだ。何より、解体がそもそも難しかったのがその最大の理由だろう。


 現実世界では、魔法道具の機能は休眠する。

 いくら現実世界では魔法が使えないと言っても、魔法道具は別だ。魔石には魔力が宿っているのだから使おうと思えば使える。それをプログラムによって無効化しているだけなのだ。

 どうしてこんなことをしているのかと言えば、実際に現実世界で最硬石アダマンタイトを生成し、施設を建設した先駆者いたんじがいたからだ。

 何を隠そう、それこそがマジックギルドであり、ギルドマスターだ。核攻撃や魔王の膂力にも耐える建造物が現実世界にあるという恐ろしさは言うまでもない。当然、規制される前に運び出した魔法道具も大量に所有している。

 若返り薬作りで名を馳せた【反魂の雪女】もギルドメンバーであり、現実世界の権力者とのコネクションを持っている。むしろ、これのおかげで両世界の安定が保たれているのだ。

 魔法使いが起こした事件に、警察や政府が介入してこない、揉み消されるのは裏を返せばマジックギルドの恩恵である。

 これらの事情からマジックギルドは今もなお、国際魔導機関の制限を受けない。


「あの魔女が不在? 偶然ってことはなさそうだね」


 全運営権を持つサブマスは定期的に両世界を行き来するからこそ、こうして自然に密会できているが、誰にも縛られることのない魔女が施設ベルディアを離れるのは珍しい。

 先の彼の言葉を借りるなら、タイミングがあまりに良すぎるのだ。


『新人類党絡みの指定任務ミッションだ。魔女あいつの目的は連中の壊滅だからな。真偽はどうであれ、関連する任務が来ればいさんで出向くやつだ』

「厄介払いって線が濃厚そうだねー」

『いや、そうでもなさそうだ』

「どういうこと?」

『【暴君】がどこで魔物の生成をしているのかって話だ』


 最後の一口を咥えたストローからすくい上げ、喉の奥へと流し込む。

 空になったカップを振り、中に残った氷が音を立てて揺れる。

 国際魔導機関は魔物の製造場所を突き止め、魔女がその偵察ということまでは彼女も理解できた。とはいえ、どこでと言われると、しばらく思案するも検討がつかない。


『十中八九、ヴェザリアンド山脈だ。あそこは魔鉱石マナタイトの発掘で坑道が複雑化している上、度重なる落盤でヴェザリアンド大迷宮なんて呼ばれているからな。隠れるならまさにうってつけの場所だ。何より魔女あいつが出向いているのがまさにそこだ』


「となると、認識が間違ってるってことになるね」


『ああ、最初は牽制の意味合いもかねて、魔王をけしかけてきたと睨んでいたが、逆だ。研究所の所在を隠すために、止む無く転移させたと見るべきだ』


「決戦の時は近そうだね」


 いよいよ長年の因縁に決着の時が来る。

 高まる気持ちが形となって、手にしていたカップに指がめり込む。


『……くれぐれも【小さな巨人スモールタイタン】には気を許すな。リニエステラ領の方で何やらこそこそ動いているという情報もある。禁魔具の悪夢の前例がある以上、油断は禁物だ』


「ヴェザリアンド山脈に攻めている間に、王国側が襲撃に合う……か。まさにエゼルギア大征伐の再現だね。わかった、気を付けておくよ」


 ポケットの中に隠し持っていた携帯電話を操作し、通話を終了させた。

 念のためとテーブルの上にダミーとして置いておいた、自身所有の二台目を弄り、ロック画面にする。それを逆側のポケットにしまうと、ゴミだけになったトレーを持って立ち上がった。

 本来の予定はこれで終了だが、すぐに王国あちらに戻っても怪しい上に、怒られるとわかっていて帰る理由もない。

 店を出た彼女は、吹き抜ける冷たい風に肌を震わせた。


「とりあえず服買いに行こうか……」


 鼻をすすり、一人、繁華街の中へと消えていくのだった。

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