31話:極秘の密会

 魔導歴十一年三月二十九日、水曜日――


 東京都豊島区。三大副都心の一つ、池袋を要する日本有数の繁華街である。

 平日の午前中であるにも関わらず、街は多くの若者で賑わっていた。それもそのはずで、今は多くの学生が春休みを謳歌している。

 通年、気温の安定している狭間の世界と違い、現実世界は四季が巡り、春の訪れが人々から分厚い鎧コートをはぎ取る。温暖化が叫ばれて久しい西暦二〇四五年。それでも寒暖差の激しい三月の下旬、午前中はまだまだ暖が恋しい。


 雑踏に紛れる意味合いもあり、こうして繁華街に繰り出したわけだが、人混みの中を突き進むのも楽ではない。目的はあくまで紛れることである。

 特に人口密度の高い東口に向かって足を延ばす。中央改札からチェリーロードを北進し、待ち合わせ場所として利用される、いけふくろうで地上へと出る。人々の喧騒けんそうが互いにぶつかり合い、多少の音ならのまれてかき消えてしまう。

 両耳をしっかりと覆い隠す水色の髪の奥で、イヤホンがひっそりと本来の仕事を果たす。

 膝下のシルエットは肌に張り付く形を取りながらも、太もも部分がゆったりとしたパイレーツタイプのパンツ。それをベルトで引き絞ることで、野暮ったさが消え、パンク感が引き立つ。腰には黒と赤の格子こうし柄のシャツが巻かれ、一見するとスカッツにも見える。

 足元は、つま先が尖った黒のウィンクル・ピッカーズ。着用者の趣味なのか、こちらも足の甲で銀の留め具が存在を主張する。

 デコルテラインを強調した上半身は、左肩を露出したワンショルダー。自身の胴回りに絶対的な自負があるのか、己の肌をまざまざと魅せつける。

 おしゃれは我慢という言葉があるが、いささか薄着に過ぎる印象は拭えない。これも全ては、季節感を考慮しないといけないという前提の頓着だ。まさに両世界の行き来を頻繁に行っていないことの証左であろう。


 鼻をすすり、滅多に利用しない携帯電話を手に取る。

 暗転していた画面を解除し、アプリを起動。表示された情報を確かめると、湧き上がるもやもやした気持ちと共に、すぐさまポケットの中へと戻した。

 魔導歴に慣れた感覚からすると、西暦表示に違和感を覚えてしまうのは魔法使いの性であろう。魔導歴が制定されて以降は、特にそれが顕著で、〇〇年代も半世紀が過ぎようとしている現実を突きつける。

 現在の気温はわずかに十℃と、肌寒いのも納得だと、もう一度鼻をすする。


 二世代目も珍しくなくなった昨今ではあるが、それでも絶対数は圧倒的に少ない。まだまだ両世界を行き来する人間が多数派を占めるが、一世代目でも魔法使いとしての地位を確立した者は、もはや現実世界への魅力をそれほど感じることはない。

 産業革命以降、目覚ましい発展を遂げてきた世界情勢ではあるが、成熟期に達してからは多少の変化はあれど、随分と退屈な世の中に成り下がったものである。世界人口の約半数が今世紀に生を受けた者ばかりでは、変化に対する刺激に飢えるのも当然の帰結ではないだろうか。

 魔法という甘美な響きに、これ以上の魅力は必要ない。

 狭間の世界における生活水準、利便性に慣れてしまえば、現実世界のなんと住みにくいことか。衣食住、公共インフラ、ライフラインはもはや近代文明を遥かに凌ぐ。

 これもひとえに、合理性を追求した結果である。


 魔法文明のみが発展した世界では、誕生するのは非合理なものだったに違いない。なぜなら魔法とは究極的に突き詰めると、個人の力に傾倒するからだ。対して近代文明は、集団による高効率化。機械による大量生産によって成り立つ。

 例えば、医療に関して言えば、注射器や聴診器などが当たり前のように狭間の世界にも存在している。魔法道具として新たに開発するより、購入してきた方が早くて安価だからだ。こういったことが至る所で点在している。

 魔法王国群が数年の間に、近代文明を凌いだ理由がここにある。

 それでも、唯一解決できない問題に直面しているのも事実だ。これこそ、両世界を行き来する人間が絶えない理由でもある。言ってしまえば、圧倒的娯楽不足なのだ。

 まずは被服関係。人によって趣味趣向が異なり、デザイナーがどう頑張ったところで品揃えが悪くなる。多くの女性魔法使いは現実世界に出向き、ブランド物を買ってくるのは容易に想像ができる。

 同じように、個々人によって求めるものが変わる物に関しては現実世界に頼る傾向が強い。

 ドラマ、漫画、映画、小説などがいい例だ。

 それ以外で何とかなるものは遊戯大国であるコーウェイ国が取り仕切る。

 カジノを始め、水族館、動物園、各種遊園地の類などが代表的だろう。特に最近力を入れているのはMSRを使ったVR内のアトラクションである。元々、魔導試験が導入されることになったのも、魔法の訓練が目的だ。その後もより質の良い魔法使いを生み出そうと試行錯誤を繰り返している。

 これもその一環で、如何に楽しく魔法を学ぶか。そこから誕生した分野だ。


 こうした背景もあり、繁華街を歩いていると隣にいた人が魔法使いだったというのは日常茶飯事なのだ。

 奇抜なファッションではあるが、高校生然とした見た目もあって、比較的若者の多い池袋では目立つこともない。外国イギリスから来た観光客というのが周囲から見た彼女の印象だろう。

 駅構内から外へ出たところで、母子像の前を通り、イヤホンから聞こえる指示に従い更に北に向かう。交差点で一件の飲食店を指定され、二階席へと足を運んだ。

 交差点を一望できるガラス張りの席に着き、人々の往来を視認する。


『今から交差点を通過する。つけている奴がいるか確認してくれ』


 言われた通り、交差点を行き交う人を眺めていると、見知った人物が横断歩道を横切っていく。

 飾り気のないシンプルな灰色のスキニーパンツに、真っ赤なジャケットを羽織った二十代前半の好青年。気怠そうな表情を除けば、明るい金髪も相まって池袋という街に完全に溶け込んでいた。

 芸能人でも通用しそうな容姿に、ちらほら女子学生と思しき年代から視線を向けられるのもわからなくもない。

 そんな彼から一定の距離を保ちつつ、あとをつける人物がいた。


「少なくとも一人はいるね」


 携帯電話を通じて、眼下の男へと伝える。

 しかし、肝心の男は両手をジャケットのポケットに突っ込んだ上、口も動かすことなく返事を返した。


『さすがにルリの監視は降り切れないか』

「盗聴対策は出来てるんだよねー?」

『問題ない。部品は女王権限で集めた物を、俺がバラして一から組み上げた特別製だ。こいつの存在自体が露見していない』


 交差点を通り過ぎ、駅構内へと入っていく男性を二階席から見届ける。直後、それを見計らったように、アプリから注文していた軽食を店員が運んできた。

 ストローを口に付け、吸引した液体を口の中で弾けさせながら、喉の奥へと流し込んでいく。

 トレーの上に乗った紙箱の上部を奥へ倒し、中身を取り出す。崩さないように両手で押さえながら、かぶり付いた。

 淡泊な白身魚の旨味を引き立てる、白い濃厚なソースの酸味が鼻に抜けていく。

 右肘をテーブルに付け、顎を乗せる腕の裾には、目立たないように取り付けたピンマイクが隠される。


「それなら大丈夫そうだねー。私の意図を察してくれて助かったよ」

『俺の鼻を前提に、お前が匂いを残していたおかげだな。状況から考えるに最重要機密任務シークレットミッション、それも弱みを握られてるはず。監視がある中どうやった?』

「んー、簡単だよ。事前に細工したかんねー」


 ユイのことは最初から疑惑の目を向けていた。

 あまりににも都合が良すぎると、当初寝たふりをして様子見していたのだ。

 魔王との遭遇が偶然でなければ、特定指定任務ミッションが発令されたと考えるのが自然な流れだろう。そこに至れば、前日の時刻指定の治療薬ポーション作成任務にも疑問を抱く。

 杞憂であればそれでいい。だからこそユイの動向を探る必要があった。偶然なのか、それとも意図的なのか。

 意図的であれば、背後で何らかの勢力の力が働いているのは明白。必ずどこかのタイミングで連絡を取り合う。そこを逃さない。そこで、一つ仕込みを入れた。


 音とは振動の伝わり方によって認識する。乱暴な言い方をすれば、この振動を共有できれば傍受ぼうじゅ可能ということになる。

 自作の治療薬ポーションは当然、制作者とのマナの親和性が非常に高い。溺死させないためには必ずさせる必要がある。キサ並の感知能力があれば話は別だが、どれだけ鈍感であろうとも、体内に直接ノイズを注入されれば時間はかかるが分析は可能だ。

 特に水属性の特性である圧力と衝撃は、この傍受に適したものである。

 ユイの魔力の波長パターンを把握した上で、パスさえ接続できれば準備は完了する。そこで用いたのが死霊の王デミリッチの贄である。大気中のマナを変容させて魔法とするならば、逆にユイに対してマナを直接送り込んでも同じ結果が得られる。この任意の場所へ魔力を送り込む技術を〝領域浸潤しんじゅん〟と呼ぶ。

 互いの魔力を交換し合うことで、一時的ではあるがパスが形成される。つまり、シュラとユイの会話は全部筒抜けだったのだ。


 あとはシュラが到着する前に、細工を施すこと。しかし、問題となるのは魔法指輪マジックリングには映像記録装置が備わっている点だ。不自然な行動を取れば証拠が残る。一時的に休止状態スリープモードにもできるが、それでは疑って下さいと言っているようなものである。あくまで自然に、彼だけに伝わる方法で行う必要があった。

 そこで思い至ったのが、食事に香辛料を使うことだった。

 胸当てを洗いに行くふりをして、一人きりになり炊事場に香辛料の匂いを残してくる。彼が意図に気づけるかどうかは賭けだったのだが。

 結果として彼はメッセージの意味を理解した。

 炊事場と、就労ビザの二つから、現実世界側の食堂を連想。東京に出口を持つ障壁ゲートに併設された食堂で、顔なじみに携帯電話を預けたのだ。と。


 こうして秘密裏に受け渡しを終えた二人の密会が始まった――

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