11話:勇敢ではなく無謀な挑戦と罵ろう

 蛇に睨まれた蛙。それが今の状況だった。

 濃密なマナの中にいてなお、突き刺さるような莫大な魔力量。内包する魔力が高いというのは、これほどまでの圧迫感があるのだと思い知らされた。

 雑兵でしかなかった魔物と違い、魔王は即座に襲いかかるということをしなかった。

 する必要がない。ただそれだけで深い意味はない。

 アイヴィーの言葉通りであるならば、下位種の魔貴まきですらA級大魔導士に匹敵する。その上位種、魔王。見下ろされているだけで吐き気をもよおしそうになる。

 力の差は明白であった。

 障壁ゲートまでの距離は十キロメートルだが、方角は魔王の真後ろ。迂回できるサイズではなく、すり抜けることも困難。速度も膂力りょりょくも完全に未知数だ。

 死を自覚した途端、高速で脳が回転する。

 現状を打破しようと持てる技全てを駆使した場合をシミュレートするが、成功イメージが抱けない。

 ショウは、途方もない時間をかけて打開策を模索したと思っていた。だが、実際に過ぎた時間は十秒にも満たなかった。




「私が囮になるから置いて行って……」


 声はショウの真下からかけられた。


「バカなこと言わないで下さいアイヴィーさん!」


 抗議するショウの肩を借りることで、なんとか立っていられる。アイヴィーはそれほどまでに消耗していた。

 レベル7の修練に来たとはいえ、それはあくまで入口である放出型だ。同級とはいえ、難易度で勝る広範囲型を一段飛ばしで行使したのだ。過ぎた力の代償は大きかった。

 それでもアイヴィーの提案は、現状考えうる最善手なのは疑うべきもない。

 動けないアイヴィーを抱えて逃げる余力はショウにも、キサにも残されていなかった。


「私は戦います。誰かを犠牲にしてまで助かりたいなんて思わない」


 キサの手足は震えていた。

 本当は逃げたくて仕方がない。十四歳の少女が虚勢を張っているだけなのは誰の目から見ても明らかだった。それでも口にした台詞は本心だろう。少なくともショウにはそう思えた。


 浅輝葵沙那はそういう女の子だ。


 震えることしかできないことが情けなくなる。

 支える相手を間違えるな。ショウは自分に言い聞かせるようにそっとアイヴィーから離れた。

 杖を頼りに立つアイヴィーを背後に残し、ショウはキサの隣に並ぶ。


「やれるだけやってみよう。どの道、それしかないんだしさ」


「男の子でしょ。もっと格好良いこと言いなさいよ」


「そういうの死亡フラグが立つと思わないか?」


「あんたあれに勝つ気でいるの? 人生最後の台詞くらいビシッと決めてもいいんじゃない?」


「僕の人生勝手に終わらせるのやめて欲しいんだけど……」


 緊張感のかけらもないやり取りに、アイヴィーは困惑するしかなかった。



「ちょっと、キミら、何言ってるの!?」


 だが、二人の覚悟は決まっていた。




「「」」




 宣言した。宣言してしまった。戦うと。勝つと。魔王を相手に。

 ショウとキサは足を踏み出した。


「なんかいい作戦あったりする?」


「ショウが何か特別な力を開眼して魔法を使えるようになる」


「それ、もう作戦じゃないよね!?」


 獲物の方から歩み寄る場景に、魔王は緩慢な動作ながら反応を示した。



「いくぞ! 《強化戦士の生成リィンフォースマテリアライズ》ッ!」

「《電撃を纏う鎧エレクトロニックアーマー》!!」



 ショウは付与式魔法文字ルーンエンチャントによる魔属性上級魔法レベル5を、キサは高等詠唱破棄ハイスペルカットによる雷属性上級魔法レベル5の強化型を施し、同時に疾駆した。

 速度特化のキサが先行しようとしたタイミングで、ショウが叫ぶ。


「キサ寄越せ!」


 瞬時にショウの意図を察したキサは、地属性中級強化型魔法ストーンガーゴイル高等詠唱破棄ハイスペルカットする。それを自分自身にではなく付与式エンチャントとして発動。

 付与式エンチャントは他人や物、自分自身以外に魔法の効果を譲渡じょうとするの技術だ。

 キサの右手に保留されていた魔法に、ショウの手が触れる。

 たくされた呪文は、ショウを新たな宿主と認め、効果が移住した。

 やることは済んだと、キサがひと際大きく地面を蹴る。一瞬にしてショウを置き去りにし、魔王の射程圏内へと飛び込んだ。


 魔王の濃緑の瞳が輝く。


 振り上げられた左腕が迫りくるキサに向かって繰り出された。地面を容易くぶち抜き、割れた岩石の塊がめくれ上がり宙を舞う。

 なんの変哲もないパンチがレベル6を凌駕する。強化型魔法も魔法指輪マジックリングの自動防御もこのバカげた攻撃力の前では紙切れに等しい一撃だ。魔王の強さを把握するのに、これ以上はもはや必要なかった。


 ワンミスが即ゲームオーバー。


 しかし、動きは遅い。易々と三次元移動で空中に離脱していたキサは、そのまま垂直に身体を倒し、弧を描きながら魔王の右側から差し迫る。

 魔王が自身で空けた大穴から腕を引き抜こうとしたタイミングで、キサが鋭角に跳躍した。

 繰り出された左脚の刺突がこめかみを穿うがつ。

 キサが主力として用いる動作技術モーションスキル、蹴りからの破砕する大鉄槌ウォーハンマー

 動作技術モーションスキルとは、言霊を発する際、常に決まった動作を繰り返すことで修得に至る超高等技術である。言霊が発声されれば、蹴りがある。ならば蹴りがあれば、言霊がある。精霊にそうさせるのだ。

 動作一つで行使できる詠唱を必要としない超高速戦闘術。

 強烈な殴打を受けたはずの魔王だったが、ダメージを負う素振りはまるでない。

 そこに遅れて足元から肉薄したショウが拳を振りぬいた。

 魔王の踵骨腱しょうこつけんを射抜く渾身の強打。


「いッ――!?」


 予想だにしなかった激痛に、ショウがうめく。

 全力で叩いたはずの足に傷はなく、魔王は身じろぎひとつ起こさなかった。それどころか、皮膚を破り鮮血を滴らせたのはショウの拳の方である。

 属性理論における地属性の特性は、打撃能力と防御能力の上昇。

 今のショウは石の怪物ストーンガーゴイル以外に、全ステータスをアップさせる強化戦士の生成リィンフォースマテリアライズで重複強化している。相乗効果による高能力補正状態を以ってしてなお、魔王の出鱈目でたらめな硬さを叩いた衝撃を吸収しきれなかったということだ。

 先制攻撃を仕掛けたキサも同様の状態だった。

 左脚のレッグブーツのつま先部分ははじけ飛び、露出した素足から血が零れる。


 初手で痛感する現実――、攻撃力が圧倒的に足りていない。


 力で負けるなら速度で、速度で負けるなら技術で、技術で負けるなら戦術で、格上を倒す手段というものは存在する。だが、全力攻撃の直撃がそもそも効かないというのはどうしようもない。

 魔王は、大穴を穿うがった左腕を引き抜き終えると、上体を起こした。右の手のひらを開きキサを払いに行く。

 攻撃の反動によって一時硬直していたキサだったが、得意の重力制御グラビティコントロールで足場を作成。空中で方向転換し、逆に魔王の背後へと回り込む。

 キサの動きにつられ、体の向きを変えようと体重移動した瞬間をショウは見逃さなかった。

 腕で火力が足りないのならば、別の方法で補えばいい。

 ショウは魔王に背を向けると、一度しゃがみ込み力を溜める。飛び上がる勢いによって発生した力を右脚へ集約。反転する遠心力と共に放たれる、飛び後ろ回し蹴りが残った軸足へとクリーンヒットした。

 さしもの魔王もダメージこそなかったが、かすかにバランスを崩し動きが止まる。


「《両断する鎌鼬ウィンドブレード》!!」


 すでに出現させていたキサの主力魔法、貫通する雷の牙サンダーランスに風属性上級魔法レベル5を纏わせた。

 貫通特化と切断特化という近接武器最強の組み合わせが、魔王の後頭部を裂く。

 大上段からの斬撃は初めて魔王の皮膚を超え、体表と同じ緑色の液体を噴かせた。


((やり方次第で魔王にも届く!!))


 ほんの砂粒ほどの可能性ではあったが、手応えを感じた。


 ――瞬間、ガラスの砕ける甲高い音が鳴り響いた。


 視界の端で無数の光がまたたく。

 ショウは首を回し、キサは俯瞰ふかんしていたため自然と目に入り、そして目撃する。

 魔導歴制定後、平和の維持に向け、各組織のトップらの間で取り決めが交わされた。それは危険性に応じて、魔法道具や装備、技術などを、どこまで使用、配布、生産、継承、伝承するかというものだ。

 戦争を生き抜いた者だけが知る過去の技術。

 砕けたのは三つ。魔法指輪マジックリングの台座に乗る水の極小魔石だ。

 魔石に封じられていたマナは、砕いた魔力に呼応ししていく。

 都合、三つ分のマナを体内に招き入れたアイヴィーの身体は、容量を超過する水がグラスから零れ落ちるように、血管が盛り上がり、今にもはち切れる寸前であった。


「アイヴィーさん、何を……」

「何てことしてるんですかッ!!」


 今はもう誰も知り得ないはずの技法をショウだけは知っていた。

 魔法が使えなくなったショウは、特例として過去の文献に触れる機会を与えられていた。これはあわれみによる同情ではなく、廃れた技術の中から症状を根治するためのヒントが得られるかもしれないという配慮からである。

 それほどまでに、魔法を使えなくなるという症状は魔法使いにとって致命的であり、なんとしても秘匿したい事実であった。ショウはこれらの優遇処置と引き換えに口を閉ざすことを了承した。

 しかし、結論から言えば、どの文献にも治療法はおろか、症状に関する記述はなかった。

 過去の文献には、一通り目を通している。例えば、魔法ではなく、魔力で魔石を割ることで体内にマナを取り込み、一時的に魔力を増幅する技法があることもだ。

 残念ならが、ショウに与えられた権限は概要の閲覧までであり、技術に対する知見を得ることはできなかった。だが、そういう技術があることは知れた。

 あまりの危険性、非人道性から戦時中ですら禁忌とされた忌むべき技術――強制執行。


「二人だけでもちゃんと生きて帰るんだよ」


「ふざけないで下さい! 帰るのは三人一緒です。そこにアイヴィーさんがいないなんて僕は嫌です!!」


「行くよ、《母なる大海の化身は生命を育みいつくしむ・――」


 ショウの説得に、アイヴィーは一瞬だけ微笑み、そして呪文の詠唱へと入った。

 魔力を練り始めたことで、アイヴィーの額の血管が切れた。腕から、脚から、首から、服の下から――押し込められたマナが暴れ狂い術者の身体を裂き続ける。

 何が起こっているのか理解の埒外らちがいであったキサはただ目の前の魔王に対処した。否、キサが対処しなければ、一気に瓦解していたのだ。魔王の膂力を下方へ向かせれば、地面が崩壊して、連携も覚束おぼつかなくなる。空振りさせなければならない。


「アイヴィーさん! 今すぐマナを開放して下さい!!」


 ショウは踏みつぶされないように距離を取りつつ、背後のアイヴィーに向かって叫ぶ。

 キサが魔王の顔の周りを飛び回ることで、注意を引きつける。

 視界から外れ切ると斬撃を見舞い、魔王の傷を増やしていく。だが、あまりにも浅すぎる。薄皮一枚を破るのが精々で、初撃以降は血を流させるに至っていない。

 強化型と二種類の形状維持型。更には重力制御の四種類の魔法を常に展開しているキサの魔力消費量は尋常ではないはずだ。先に限界を迎えるのはキサの方である。

 ここでショウがアイヴィーを力尽くで止めるため、戦線を離脱すればいかにキサと言えど長くは持たない。

 なにより、魔王を倒せる可能性があるのはレベル6止まりのショウでもキサでもない。


「ちくしょう――」


 アイヴィーを助ければキサが、キサを助ければアイヴィーが死ぬ。少なくとも、今ここでキサを一人にする選択肢は確実な詰みだ。

 何が正しいのか、答えのない答えに、ショウは自分自身の感情を飲み込むしかなかった。

 ショウは魔王からアイヴィーの気をらせるため、位置取りを変更した。



「――原初より揺蕩たゆた水面みなもは時として命を刈り取る牙となる・――」



 第二節の詠唱段階で、すでにアイヴィーの膝が折れかけていた。

 出血が体温を奪い、激痛が意識をさいなむ。

 下手をすれば魔法を行使することなく事切れる。

 十分に距離を取ったショウは、右手を魔王へと向け、手首を左手で固定する。

 右腕に書き込まれた付与式魔法文字ルーンエンチャントが、発動条件を満たしたことで光を帯びる。呼応したマナがショウの手のひらに集約されていく。


「離れろキサッ! 《魔属性高級魔法レベル6破裂する魔力砲バーストブラスター》――ッ!!」


 事前に準備していた即席使い捨て魔法インスタントマジックを解き放った。

 身長大のエネルギー砲は魔王の顔面に直撃し、黒煙を上げる。

 階位の上では、現状、破裂する魔力砲バーストブラスターが魔王に対して放った攻撃の中では最大の破壊力を持っていた。

 ――が、煙が晴れるまでもなく、ダメージの有無は判り切った事案である。

 キサが何度も切り結ぶ雷と風の合わせ技の方が、階位を超越して最も威力が高かったからだ。

 目くらまし以上の意味を持たなかったショウの最大火力の魔法に、しかし、魔王が標的を変更した。

 持ち上げられた足を掻い潜り、ショウはダイビングジャンプからの前転で踏み潰し攻撃ストンプの範囲から逃れる。デカいというのはそれだけで脅威であり、着地まで気にしている余裕はない。

 転がりながらの必死の回避の直後、通過したばかりの場所が陥没かんぼつする。踏みつけるだけの単純な動作でこの様だ。



「――万物を穿うがつうねりは神の怒りに触れし罰と知れ・――」



 起き上がり様、修練用に持ってきていた純魔石を起動させる。

 ショウは出現した魔属性高級形状維持型アビスブレードを手に、反転。駆け抜けると同時に魔王の足を薙ぐ。

 紫紺の刃が通過した箇所に傷はなく、代わりにショウの手に痺れが走る。


「硬すぎんだろ! クソッ――!! レベル6が通らないとか、マジで打つ手ないぞ」


 立ち止まらず、一直線に走り抜け離脱を優先する。

 予定では、そのまま連撃を見舞うつもりだったのだが、全力で振ったのが仇となり腕が上がらず断念を余儀なくされた。


「うおおおおおおおおおおッ!!」


 足元に気を取られていた魔王の遥か頭上からキサが高速落下した。

 下手に持ち替えた風雷剣を両手で握り込み、脳天に打ち込む。

 空気が揺れるほどの衝撃は、魔王の身体を強制的に陥没させ足がわずかに埋まる。


「くっ、これでもダメなの!?」


 頭の上に着地したキサが目撃したのは、たった一センチメートル足らずの小さなへこみだった。

 決定打に欠けていた。魔王と戦うには最低でもレベル7以上の火力が必要なのは明らかだ。

 ショウとキサは揃ってアイヴィーを見る。



「――脆弱ぜいじゃくなる身を絶ちて御霊みたまを捧げ許しを請え・――」



 丁度四節目の詠唱を終えたところだった。呪文の内容からすでにアイヴィーの行使しようとしている魔法をレベル8と推測していた二人は、同時に完成するまで持ちこたえられるのかと、一度は持ち直した心が折れかける。

 時間にすれば、三十秒ほどだが、それが途方もなく長いと思えさせた。

 そんな事情などこちらには関係ないと、魔王は攻撃の手を緩めない。

 緩慢な動きに捕まりはしなかったが、ショウは早々に足手まといになりかけていた。

 キサと違い平面でしか力を発揮できないショウは、度重なる地面の隆起に阻まれ、直線移動が制限されていた。下手に突っ込めば、袋小路に捕まる。それだけは避けなければならないと、出現させていた奈落へと誘う剣アビスブレードを一旦消滅させた。

 魔王の敵愾心てきがいしんを稼いでいるのはキサの方だ。行動に移すなら今だとショウは戦場を離れる決意をする。

 空中を駆け回るキサの動きに魔王は依然着いていけていなかったが、それでも四十秒という短い時間とは思えないほど消耗していた。

 これだけの多重起動と、さらされ続ける魔王の重圧が想像以上にキサの精神をすり減らしていた。



「――矮小わいしょうなりし者に抗う権利なく自然の猛威を享受きょうじゅせよ・――」



 激痛に耐えそれでも詠唱を続けるアイヴィーの速度が落ちてきていた。

 比較的荒れていない場所へと離れたショウは、先ほどとは逆の右手で左の手首を固定する。

 キサにかかる負担が大きすぎる今の状況を改善させる一手。


「もう一発行くぞ!! 《魔属性高級魔法レベル6破裂する魔力砲バーストブラスター》――ッ!!」


 背面に飛び魔王から離れるキサと入れ替わりで、放たれたレベル6魔法が肩口を捉え揺らす。

 唯一の救いだったのが魔王の知能指数が高くないことだ。攻撃してきた相手を優先的に狙う習性があるのか、簡単に仲間の援護ができた。

 これで魔王がショウを追いかけたところに、キサが遠距離で攻撃すれば大きく時間を稼ぐことができる。


「よし、これでなんとかなる」


 ――命のやり取りを経験したことがない、温室育ちの発想だった。


 突如、魔王が顔を上げた。


「しまった――ッ!?」


 同時に発生した謎の気流がキサを巻き込み、自由を奪い去った。

 巨体であるがゆえの肺活量が辺り一帯の空気を飲み込む。キサは、魔王の注意を近接戦で一手に引き受けていたのが災いした形だ。重力制御グラビティコントロールで踏ん張ってはいるが、徐々に口元へと引きつけられていく。

 ショウは遠距離攻撃を仕掛けるのに距離を取っていたことで難を逃れたが、逆に選択を誤ったと評しなければならなかった。

 今の破裂する魔力砲バーストブラスターが最後の遠距離攻撃だったのだ。近くにいればまだ対応が取れたが、この位置からの救援は事実上不可能である。


「ハウリングヴォイスだ!!」


 耳朶じだを震わせた単語に、キサはほぼ無意識に反応していた。

 一瞬で肺にため込んだ空気に魔力を乗せ、キサは喉が潰れんばかりの大声で叫んだ。

 大型獣の咆哮ハウリングヴォイス。空気の振動を対象に浴びせることでダメージを与える風属性低級魔法レベル2。威力は期待できないが、緊急脱出には有用な技となる。

 空気同士がぶつかり合い、ほんの一瞬だけキサに自由が戻る。

 この刹那に合わせ発動させた重力場を力いっぱい蹴りつけ、気流の及ばない地点まで脱出した。



「――清浄なる水によってけがされた悪しき世界は浄化される・――」



 ショウは一度ウエストポーチに仕舞った紙と魔石を取り出した。アイヴィーの詠唱が六節を終えたことによる準備だ。


「キサッ! 穴に飛び込め!」


 叫びながらショウは、魔王が最初に空けた穴を指さす。ここまで来れば、怖いのは魔王ではなくアイヴィーの超高威力魔法に巻き込まれることだ。


「簡単に言ってくれるわね、遠すぎんのよ」


 だが、目論見は度々潰される。

 空気を吸い込めば当然、吐き出される。



「――――ッ!!」



 先の大型獣の咆哮ハウリングヴォイスを子犬の鳴き声にしてしまうほどの大音響が鼓膜を盛大に叩いた。

 魔王を中心に発生した衝撃波が、地面をめくれ上がらせ、転がっていた岩石を吹っ飛ばす。巻き込まれたショウもキサも、そしてアイヴィーも弾き飛ばされ地面を転げまわる。



「――終焉しゅうえんの……時は、来たりて……源流へとかえれ》」



 何度も地面に叩き付けられ、肉を食い破るマナの奔流ほんりゅうあらがいながらもアイヴィーは気力を振り絞り、詠唱を途絶えさせなかった。

 あとは魔王に撃ち込むだけだったが、今の咆哮ほうこうをより近くで喰らったショウとキサは鼓膜をやられていた。三半規管が麻痺し視界が揺れる。


「根性見せろ葵沙那!!」


 倒れて動けない自身を棚に上げて、ショウは遥か前方で横たわるキサに発破をかけた。


「何甘えたこと言ってんのよ! それはあんたの役目でしょうがッ!!」


 反論するが、そこはA級大魔導士に名を連ねる実力者だ。ダメージを負った状態では、うまく魔力を練れなくても魔法指輪マジックリングなら比較的簡単に魔法を行使できる。

 強制発動させた俊足の雷光スピードスターは、相対的に肉体ダメージを緩和し、精霊の恩恵がキサを突き動かす。




「《水属性弩級魔法レベル8・――」




 もつれかける足に鞭を打ち、キサは途中でショウを拾い抱きかかえる。

 飛び込むというより、転げ落ちる恰好で大穴へと逃れ、




「――激流の水圧トッレントサブマージョン》」




 アイヴィーの魔法が放たれた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る