10話:絶望を告げる者

 魔導歴十一年三月二十七日、月曜日、午後三時。

 フォレッタ領、北障壁ゲート前。


「聖魔石発動させてても、マナ濃いなぁ……」


「当ったり前でしょうが、なんのための二時間制限だと思ってるのよ」


 呆れつつ、言い返してくるキサの恰好はいつもと違った装いだった。というより三人全員が似通った姿だ。

 コンプレッションウェアと呼ばれる身体にフィットするインナーの上に、ハーフパンツを履いただけのスタイル。そこに膝部分を下方からすっぽりと隠すほど伸びた鋼鉄製のレッグブーツに、胸部と腰回りの他、両手にプロテクターが巻きつけられた軽鎧けいがい装備。

 アイヴィーだけは、そこに追加装備として二メートルほどの純白の杖を手にしている。先端には水属性の極大魔石が埋め込まれ、噂では四億エイスはするという特注の超高級魔法武器だ。

 修練のために訪れただけとは思えない仰々しい装備には理由がある。

 かつて狭間の世界に混乱をもたらした悪の組織、新人類党。

 七年前の聖戦でついに、新人類党の研究所を壊滅させることに成功した。しかし、同時に新人類党が生み出したとある生命体がデッドスポット内に解き放たれてしまったのだ。

 人間が生息できないデッドスポットで野良化した魔物は、討伐すら困難を極め手が出せなくなった。

 定期的に討伐隊を編成するミッションが組まれてはいるが、デッドスポット内での活動は制限時間を伴い、今なお根絶には至っていない。


「ごめんねー、私の都合で奥行くことなっちゃってさー」


 地平線上に浮かぶ人工太陽のわずかな光を頼りに、三人は南西に向かって疾走していた。

 デッドスポットの一つ、フォレッタ領。その超高濃度のマナを避けるため、魔法王国は遠く離れた地に作られた。辺りが薄暗いのはそれが原因だ。

 とはいえ、フォレッタ領は草木一本ない岩盤砂漠であり、比較的動きやすい土地に分類される。


「構わないですよ。むしろ私たちの都合で着いてきてもらってるくらいなんですから」


 レベル6の修得ならば、デッドスポットに入りさえすればいい。しかし、アイヴィーが目指しているのは更に上のレベル7。賢者の領域と呼ばれる人間の限界。最高難易度の魔法だ。

 現在、アイヴィーの魔力によって展開される有効領域は、深層域のデッドスポットという限定条件ではあるものの、レベル7の領域へと足を踏み入れている。


「ショウ坊は、ちゃんと付与式魔法文字ルーンエンチャントは施してるよね?」


「はい、一応、胸と両手両足の計五か所に。使わないのが一番なんですけどね」


 条件発動型の一文を追記すれば、魔法文字ルーンは、合図があるまで待機状態を維持できるのだ。念のためストッパーの記述も施してはいるが、意味の通る形で血文字が消えれば、違う形で再構成され暴発する。

 その辺りの保険も抜かりはない。


「アイヴィーさんはショウが付与式魔法文字ルーンエンチャントを使えるって知ってたんですね」


「つーより、私がショウ坊の模擬戦の相手してたからねー。むしろさー、キサっちがショウ坊の症状知ってるってことの方が驚きなんだけどー? どうなってんのかなー? んー?」


 公言するなって言ったよな。お前何喋ってんだ。という圧力をかけてくるアイヴィーに、ショウは脂汗をダラダラと流す。

 済んでしまったことではあるが、ショウは言いつけ通り、キサに話す気はなかったのだ。

 それもこれも、キサのストーカー行為に原因がある。

 中学入学直後から始まったキサのショウに対する監視は、校内に留まらず狭間の世界と四六時中行われた。

 はた迷惑なことに、全く隠す気がない行動のせいで、学校中にある噂が流れたのだ。


 あの容姿端麗美人聡明な浅輝葵沙那に想い人がいる。


 ――ということなら、まだ良かった。


 親の仇を見るような目つきでショウを追いかけまわすキサを見て思ったことは〝アイツ何しやがった〟である。

 結果、全校生徒からの総スカンだ。

 あの当時の風間翔を取り巻く環境といえば、なんと風当たりの強い日々だっただろうか。一時期、弟子のカナにすら「巻き込まれたくないから、しばらく学校では話しかけないで」と言われたほどだ。

 二ヶ月後、呆気なく折れた。

 あの時ほど、ショウはワースト記録保持者であることを悔やんだことはない。


「知ってるのはキサっちだけ? 他に誰かいるのかな?」

「……弟子のカナが」


 小鹿のように震えるショウの声は消え入りそうだった。

 こうなった時のアイヴィーに普段のバカっぽさはない。模擬戦で散々ショウをボッコボコに痛めつける鬼教官の顔だ。


「ほー、へー、ふーん。ショウ坊、お前これ帰ったら覚えておくんだよー? わかったー?」


「はい……」


 本当は怒らせると怖いアイヴィー先生に凄まれ、ショウはあえなく小さくなる。


「大丈夫だとは思うけど、キサっちも言いふらさないようにね。これ箝口令かんこうれい敷かれてるから」


「箝口令ですか?」


「そう。これが公になると最悪、魔法王国が瓦解するだけの破壊力を秘めてるからねー」


 まさか、と驚きを隠せない。魔法使いにとって魔法が使えないのは存在意義を奪われるに等しいが、国の存亡に関わるとはにわかには信じられなかった。

 半信半疑の眼差しを向けるキサに、アイヴィーは「しょうがないな」と自分で口にした箝口令を無視して話始めた。


「ちょっとだけ昔話をしようか。キサっちたちは魔導歴制定後にこっちの世界に来たから知らないだろうけど、ほんの十二年前までは、色んな組織同士で対立して狭間の世界は戦争状態だったんだよね。私もその沢山あった組織の一つに所属して……」


 そこまで言って、アイヴィーは一度口を閉ざし、


「人を殺した」


 子供っぽいいつもの喋り方と違い、背筋が凍る声音の告解こっかいに二人は息を飲んだ。


「今だと新人類党が悪の権化みたいに言われてるけどさ、その混乱に乗じて大義名分掲げて暴れ回った連中も私からしたら同じだと思うんだ。姉さんにそそのかされた私自身も含めてさ」


「アイヴィーさん……」


 哀愁の漂う背中には、何を背負って生きてきたのだろうか。そんなことを思い、キサが名前を呼ぶ。

 アイヴィーの実姉は有名だ。一国を担う王の座に君臨し、アイヴィーは唯一の血縁として次期女王候補とまで囁かれていた。しかし、彼女はこれを拒否し、ウェスタリカ帝国へ移籍した。

 なぜかと問うた人は少なくないだろう。

 だが、アイヴィーは決まってはぐらかした。他人にはわからない確執があるのは誰の目にも明らかだった。


「そうやって何年も続いた争いも、新人類党の隠れ家が判明したことで終わりがきた。二人も訊いたことがあるよね?」


 ちらりと後ろを確認してくるアイヴィーに、ショウとキサは頷く。


 エゼルギア大征伐。

 それまで敵対していた新人類党以外の全組織が一時的に休戦協定を結び、連合軍を結成しての大規模掃討作戦。一万人近い魔法使いを投入した行軍によって、遂に新人類党の幹部を討ち取る歴史的義挙を成し遂げた。


「その後は二人も知っての通り、今の国際魔導機関の理事長が和平に向けて魔導歴を制定、それまでの組織を一旦全て解体、国家として再構築したのが魔法王国なんだよ。さて、じゃあ、この昔話を踏まえて、本題だね。国に名前を変えたかつての敵対組織が、表向きは仲良くしてるわけだよ。戦争状態に再突入しないのは、一般に流通してる魔法指輪マジックリングのおかげ」


「レベル6の攻撃にも耐えられる自動防御システムのおかげですね」


 キサが即答する。

 奇襲すら無意味にする絶対的な魔法道具。そもそも休戦協定に持ち込めたのも、この魔法指輪マジックリングが広まりすぎたことで、戦争の体を保てなくなったのが要因とされている。


「でもさー、よく考えてもみてよ。日常生活で当たり前に使ってる魔石の使用個数を増やせば簡単にんだよ?」


「まさか……」


「おいおい、嘘だろ……」


 それだけでアイヴィーの言わんとしたことを理解した二人は、同時に恐怖に震えた。

 マナ滞留率は、魔石の生成と日常生活で扱われる魔石の消化の兼ね合いで調整されている。

 もし敵国に潜り込んで、魔石を使えばどうなるか。答えは至ってシンプルだ。マナ滞留率は簡単に上昇する。

 合法的かつ人目をしのぶ必要すらない大胆な犯行。


「もし魔法が使えなくなるっていう副作用が表沙汰になれば、収拾がつかなくなる。魔法を失いたくないと現実世界に戻る人も出るだろうし、やられる前にやれって扇動する人たちも出てくると思う。何より、今の魔法国家は一国では成り立たないように成長してきた」


 農家、漁業、狩猟など、ある一つの分野に特化した魔法王国。国によって違う特色が、短期間での成長を促し、多国間の共存を可能とした。

 もし仮にどこかの国が戦争を起こそうとすれば、国家間での輸出入は止まり、一国での存続が危ぶまれるだろう。


「だから七年前の新人類党との戦いで多くの犠牲が出た。国家間同士で疑心暗鬼になって、討伐のために人を裂けば、その隙に狙われるんじゃないかって。そうやって足並みの揃わない魔法王国の姿のなんてもろくてみにくいことだったか。結局そこを突かれて二千人も死んだ」


 震える声と手に、ショウはなぜアイヴィーが姉を、国を捨てて移籍したのかをうっすらと感じ取った。

 箝口令が敷かれた経緯を聞いて言葉がなかった。

 アイヴィーの言う通り、公にしてはいけない。安易に話してしまったことにショウは自責の念を抱く。

 同時に疑問も湧いた。その危険なデッドスポットやハイデンシティスポットが大魔導士以上限定ではあるが、立ち入り禁止区域となっていないことだ。

 キサもそれを感じ取ったのか、ショウに先んじた。


「でもどうして――」


 予測していたアイヴィーは言葉を拾い続ける。


「デッドスポットに入れるのかでしょー? 当時色々揉めてさー、最終的に大魔導士になるにはデッドスポットは必要不可欠だから、条件付きで利用可能とするべきだって結論になったんだよ。じゃないと、魔導士以下からの反発が大きくて、将来的には大きな溝ができるぞって。はい、じゃ、辛気臭い話はここまでにしようかー」


 最後はひょうきんな喋り方に戻り、脚を止めた。


「結構来ましたね」


 振り返るショウの視線の先には、五メートルもの高さがあった障壁ゲートが見る影もない。


「だねー。じゃ、帰りのこともあるから残り一時間ちょっとを有効に使うよ」


「「はい」」


 三人は背中合わせの陣形を取り、各々用意してきた五つの指輪を使い修練を始めた。

 アイヴィーは用意してきた水魔石を使いレベル7魔法を詠唱する。

 キサは戦闘の幅を広げるため、レベル5止まりの風魔法でレベル6を目指す。

 ショウは唯一使える魔属性を更に強化するため、レベル6の形状維持型を選んだ。


「つか、ショウ、あんた形状維持型なの? 普通覚えるなら強化型じゃないの?」


 後ろで風を操るキサが背中越しに問いかける。

 涼しい顔をして魔法を行使するキサとは違い、ショウは出現させた【奈落へと誘う剣アビスブレード】の形状を保とうと必死だ。

 返事できないほど余裕のないショウは、額から流れる汗すら拭えないでいた。

 息苦しくなったショウは、これ以上は無理だと諦めて座り込んだ。


「そりゃ、オーソドックスに行けば、唯一使える放出型の次は強化型だけど魔法使えないってなるとそうも言ってられないんだよ」


 魔導試験の性質上、試合開始前に施した付与式魔法文字ルーンエンチャントは無効になる。

 レベルが上がれば上がるほど小節が増える呪文同様、魔法文字ルーンの記述も多くなる。レベル2の強化までなら、トレヴァーとの戦いで見せたような舞踊で回避しつつというのも可能だ。

 だが、レベル5までくると、強化以上に幅が必要になってくる。

 大魔導士クラスは常時三種類の異属性同時展開ディファレント、三次元戦闘を駆使し一筋縄ではいかなくなってくる。

 遠距離はすでに七歳の時に覚えた放出型があるので、近距離用の技が欲しいと考えていた。そうすれば相手も迂闊うかつに近づいてこれなくなるからだ。


「それもそうね。私だったら、とりあえず一発足元にデカいのぶっ放して、三次元殺法お見舞いするわ」


「それいつもアイヴィーさんにやられてる」


「ショウ坊弱いもんねー。強化型だけで通用するのって魔法使いの階級までだし、形状維持型は良いんじゃないかなー」


「だから、今日みたいな機会は無駄にしたくないんですよ。さてと――」


 修練を再開させようと立ち上がったショウの視界の先で何かが動いた。

 ショウは障壁ゲート側の方を向いていたので、一瞬、後発の魔法使いが来たのかと思ったが、瞬時に否定する。

 デッドスポットの利用は二時間。この間、他の人はデッドスポットを利用できない決まりになっている。なら、一体何がと目を凝らして、後ろの二人を呼んだ。


「キサ、アイヴィーさん、魔物ってよく現れるんですか?」


 魔物という単語に、二人は即座に魔法を解き警戒態勢に入った。


「うん、あれは魔物だね」


「珍しいわね。魔物との遭遇なんて二回しかないわよ」


「私も似たようなもんだよー。どうしようか、魔物は群れで活動してることが多いんだけど、一匹しか見えないね」


「はぐれの魔物ってことなのかな? 他に隠れてたら面倒ですけど、離れます?」


 ショウの提案に、アイヴィーが唸る。

 移動するにしても中途半端では意味がない。すでにデッドスポットに入って一時間以上が経っている現状を考えると、時間を無駄にしたくなかったからだ。

 決断に困るアイヴィーの代わりにキサが前に出た。


「これだけ離れていれば、もし他に魔物がいたとしても逃げられますよね?」


「そうだねー。目視で五百メートルは離れてるし、いざとなれば指輪使えばいいし大丈夫かなー。でも、どうするの? これだけ離れてたら逆に遠距離魔法だけど、即死させるには威力足りないよ?」


 アイヴィーの忠告を聞き、辞めるどころかキサは攻撃態勢を取る。

 それはまるで弓を構えるようにして、左手に出現したアーチ状の雷と、握った右手から伸びる一本の矢。

 高等技術の形状維持型の応用技。超高等技術とされる形状維持投擲。

 剣の形に固定する形状維持と違い、手を離れた魔法の形を遠隔で維持するという離れ業である。七歳で形状維持型と重力制御グラビティコントロール異属性同時展開ディファレントという化け物じみた魔力操作を体得していたキサにとっては、形状維持投擲の修得すら容易い部類であった。


「《射る雷撃の一撃ライトニングアロー》」


 レベル4の高等詠唱破棄ハイスペルカット

 言霊のみで放たれた一撃は、一直線に魔物へと向かい、頭を打ち抜き絶命させた。


「お見事」


「うわぁ、まじかよ。この距離で命中させるとか信じらんねぇ……」


「強化型で視力アップさせてれば難しくないわよ。普通の弓矢と違って、重力気にしなくていいし」


「それでも普通にすげぇって」


「そんなことより、アイヴィーさんどうですか? 他にいそうですか?」


「まだなんともだね。奥にそり立った岩盤あるでしょー? その奥にいるかどうかだけど……」


 目を凝らして注視していたのは、唯一隠れられそうな巨大な岩だ。あれだけの大きさなら、放出型を一発ぶち込んでみるのも手であるが、それで魔物の群れが大挙してきたとなったら笑えない。


「――ショウ坊、キサっち、先に言っとくね」


 二人はアイヴィーの言葉に耳を傾けつつも、岩盤から目を離さない。否、離せなかった。


「魔物には種類があるんだけど、もし仮に魔貴まきが出てきたら交戦は禁止」


「魔貴って何か訊いても良いですか?」


 ショウの声が震える。


「魔物の貴族。通常の魔物なんかより遥かに強力なやつ。大魔導士しか入れないってなった理由もこいつのせい」


「勝てますよね?」


 気丈なキサの言葉に力がない。


「一人一匹担当が限界。つまり三匹以上はアウトね」


 岩盤の上で揺らめく影が更に数を増す。


「どんだけ増えるんだよ……百匹くらいいるぞ」


 あまりの数に岩盤から飛び降りる魔物の群れ。二メートルはある巨体は熊のように肉厚があるが、体毛はなく剥き出しの筋肉が不気味にうごめく。前後に長い頭は、それ単体で見るなら魚にも見えるが、グロテスクな深海魚に近い。全身を染め上げる緑の体表の中でも、より濃緑な瞳は刃のように鋭い。

 鋭利な鉤爪は短刀並に長く、半開きになった口は獰猛な鮫のそれだ。

 距離はまだ七百メートル近く離れているが、これ以上近づかれると退路を断たれる。それでも動けないのにはわけがあった。

 どれだけの魔物がいて、どう配置しているかによっては進路を慎重に選ばなければならない。

 アイヴィーがこのタイミングで魔貴の存在を明かしたのは、このためだ。

 もし魔貴のいる方角に逃げたなら、戦闘は必至となる。


「アイヴィーさん!」


 いまだに増え続ける魔物との距離は六百メートル。痺れを切らしたショウが急かす。


「中央突破するよ。ショウ坊は結界を張って。キサっちは遠隔攻撃で牽制けんせい。私がレベル7の広範囲型で纏めて吹っ飛ばす」


 矢継ぎ早に出される指示に、ショウとキサは迷いなく動いた。

 障壁ゲートが魔物の群れの方角にある以上、大きく迂回はできない。挟撃される可能性を考慮すれば、敵の数を減らして様子を見るというのは正しい選択だった。

 ショウはウエストポーチの中に入れていた紙を取り出し、指先を切る。

 滴り落ちる血を使い、紙の上に魔法文字ルーンを描いていく。

 キサは、距離の近い魔物を優先し、射る雷撃の一撃ライトニングアローを放ち確実に数を減らす。

 アイヴィーは手にした白杖を両手で握り、地面に突き刺す。大量の魔力を練り込み、共鳴した大気が悲鳴を上げる。

 それでも足りない魔力は水の魔石を借りデッドスポット内のマナがアイヴィーに向かって流れ出した。


「《生命を育みし母なる大海の化身よ・原初より揺蕩たゆた水面みなもは命刈り取る牙となる――」


 全七節からなるレベル7魔法。A級大魔導士ですらこの域に至っているのは全員が三十歳を超える最古参メンバーの数人だけ。

 未修得のアイヴィーでは術に集中するだけで相当の負荷がかかる。回避はおろか防御すらままならない今の状況ではキサとショウが意地でも足止めしなければならない。


「――万物を穿つうねりは神の怒りであると知れ・――」


「《天焦がす雷鳴が轟き猛る・――」


 射る雷撃の一撃ライトニングアローを連射するキサが、突然詠唱を始めた。

 完全詠唱破棄オールスペルカットによる形状維持投擲の連射と完全詠唱フルスペル同属性同時展開コンジナー

 アイヴィーよりわずかに詠唱するタイミングを遅らせているのは節数が短いからだろう。


「――脆弱ぜいじゃくなる御霊みたまを絶ちて許しを請い捧げよ・――」


「――下される神罰は刹那を以って汝を貫く・――」


 雷の指輪を緊急で使ったショウの速度は増し、超高速で魔法文字ルーンを紙へ記していく。

 最後に持ってきていた大サイズの純魔石を中央部へと押し当てた。

 キサの攻撃に逆上した魔物の群れが距離を詰めてくる。残り三百メートル。


矮小わいしょうなりし者よ自然の猛威にあらがうことなかれ・――」


雷霆らいていは罪人を裁き滅びを与えるだろう・――」


 瞬間、ショウの書き込んだ紙が大気中のマナと反応し、発動する。

 魔法指輪マジックリングに組み込まれている魔導式を〝プログラムではなく直接血文字として書き記す〟アナログ式即興魔法道具。

 発動するのは魔属性高級魔法・隔絶する魔法障壁ハイエストマジックシールド

 嵌め込んだ魔石を中心に、地面に直径十メートルの六方法円陣ろっぽうほうえんじんが広がり半透明型のドームが覆う。

 魔物の群れが到達する前に間に合って安堵するショウ。距離は僅か二百メートル。


「――悪しき世界は清浄なる水によって浄化されよ》」


「――遅きに失した懺悔ざんげに意味は無く・無常なる審判が雷撃と成る》」


 結界が張られたことでキサが攻撃を中断し、最後の詠唱に集中する。



「《水属性超級魔法レベル7飲み込む大津波タイダルウェーブ》ッ!」



 最終節と言霊を以ってアイヴィー渾身のレベル7魔法が完成する。

 前方へと突き出された杖に反応し、練り込まれた魔力とマナが結界と魔物の群れの間にうねりを上げて集約する。

 精霊との契約によってマナは大量の水へと変容し、巨大な水の壁となる。

 十メートルを優に超える高さに達した津波が、魔物の群れを飲み込まんと襲いかかった。

 見た目とは裏腹に、抵抗すら許さない暴力的なまでの水の圧力はいとも簡単に魔物の自由を奪う。



「《雷属性高級魔法レベル6即席雷雲による全身放電ライトニングスプラッシャー》!!」



 詠唱を完成させたキサは結界をすり抜け、荒れ狂う水の奔流ほんりゅうに向かって飛び込んだ。

 キサ自身が雷雲であるかのように、全身という全身から雷を迸らせ、アイヴィーの津波を伝い魔物全体を感電させていく。

 津波が収まり水浸しになった地面の上にキサが降り立つ。


「――これ僕が結界張る意味あったのか?」


 呆然とするショウは、紙の上から純魔石を取り外し結界を解く。


「安全を期すためだよー。それにそれって一度書いたら半永久的に使えるんだよね? ならこの先必要かもだし今作っといて損はないでしょー?」


 と後ろからフォローするアイヴィーはやはりレベル7の負担が大きかったのか、膝をつき手にした杖で辛うじて上半身を起こしている状態だった。


「大丈夫ですかアイヴィーさん」

「ありがとショウ坊」


 慌てて肩を貸しアイヴィーを助け起こす。この分では強化型を使う使わない以前に、抱えて移動するしかアイヴィーはこの場から脱出できそうになかった。

 会話に参加しないキサは、流され感電した魔物の群れに目を向けていた。

 動く気配はないが、なぜかキサの持って生まれた危機察知能力が最大限の警戒を示していたのだ。

 そのキサの異常を感じ取ったショウとアイヴィーがどうしたのかと声をかけようとして――




『グルアァァァァl!!』




 雄たけびを聞いた。

 大型獣の咆哮ほうこうが獲物を射竦いすくめるように、三人の筋肉は緊張で固まり背筋が伸びる。

 声の方角は先ほどの岩盤の方だった。

 まだ群れが潜んでいたのか、それともアイヴィーの言っていた魔貴という怪物なのかと凝視する岩盤の上に影がかかった。



「「「は?」」」



 三人は揃って目を見開く。あり得ない光景に身体が打ち震える。

 十匹は乗れるはずの岩盤の上にかかった影は五つ。その全てが転がっている魔物の姿とは似ても似つかない。どちらかと言えば、〝指〟にしか見えない。

 次の瞬間、巨大地震を想起そうきさせる揺れが襲い、立っていられず地面に手をつく。

 隆起する岩石の下から徐々に全容を現す規格外の巨人。二メートルあった魔物の体躯ですら、現れた巨人にとってはしかなく、見た目は人間に近い。

 こめかみ部分から伸びた二本の角が天に伸び、額部分の三つめの瞳だけが赤く輝く。

 筋肉が骨を覆うのではなく、筋肉を骨が覆うという謎の出で立ち。異常に発達した上半身は下半身の倍近い大きさがある。背中には三対六枚の羽根が生えるが、骨のみという異形さ。

 瞬時に悟る。これは魔物ではなく、更に上位の種であると。


「まさか、これが魔貴……」


 呟くショウはアイヴィーに確認しようとして、腕に震えを感じた。

 顔面蒼白にしたアイヴィーが小刻みに震えていたのだ。



「なんで……うそ……どうしてこんなところにいるの……」


 アイヴィーは完全に冷静を失っていた。



 次に口にした言葉に、絶望が現実の元となって訪れる。




 人生最大の危機が襲いかかったのだと実感する。





「魔王――」






 現れたのは、魔物の貴族、魔貴より更に上位種、魔物の王族であった――

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