災いの前兆

9話:魔法指輪を買いに行こう

 狭間の世界の時間間隔は極めていびつだ。

 朝に太陽が昇り、夕方に沈む。こんな当たり前の風景が存在しない。

 始まりの魔法使いが日本人であったことから、狭間の世界もまた日本時間に合わせて時を刻む。

 一日の始まりは、魔石を所定の場所へと持ち込むところから始まる。

 人工太陽を打ち上げるためだけに建造された施設。全ての国はこの施設の建つ孤島を中心に点在し、障壁ゲートなくして行き来は不可能だ。

 日本の夜明け時間に同期して火魔石が装置に投下される。

 作業は正午まで続けられ、時間経過と共に太陽は徐々に肥大化する。あとは勢いがおとろえていくことで自然と夜が訪れる。

 夜は街頭に埋め込まれた光魔石を起動し、街を照らす。

 狭間の世界は、こうして現実世界と同じ環境を作り出している。


 今は、天頂そららめく人工太陽はまだ小さい時分。

 絶賛春休み中のこの時期としては、優雅に惰眠をむさぼりたいのが学生というものだが、朝もまだ早い八時という時間に、突然一人の女の子が自宅を強襲した。

 問答無用でクエスト発行所へと拉致された風間翔は、ロビーの長椅子の上で大きくあくびをした。

 まだ人がまばらなこの時間。受付カウンタの一つでは困り顔の受付嬢に詰め寄る一人の女性が口論を繰り広げていた。かれこれ十分は言い争っている。


(だから言ったのに)


 ショウは早く終わらないかなと眺めていると、遂に門前払いされた女性が怒りの形相で戻ってきた。


「ムカつくのよ。何が規則よ。私がいるから問題ないって言ってるのに!」


 怒り心頭のキサは、ショウの隣に音を立てて座った。

 ことの発端はキサが毎日申請している超高濃度魔素汚染地帯デッドスポットの使用許可の当選連絡だった。

 昨日のB級魔導士撃破を受けて、呪文スペル抜きでも魔法文字ルーンでの対戦が現実的だと判断したキサは、デッドスポットでの修練に連れて行こうと決断した。というのがショウの現在置かれている状況である。


「だから最初に言ったじゃないか。デッドスポットの使用は大魔導士以上に限られてるから無理だって」


「その大魔導士の私が付き添うからOKでしょって話をしてるのよ。大体ね、自力で到達できるのはレベル4までの魔法なのよ? レベル5以上が必須の大魔導士にどうやってなるのかって話になるのよ」


 ご機嫌斜めのお姫様は、薪をくべられた炎のごとくますますヒートアップしていく。


(あー、これ一旦落ち着くまで話が止まらないやつだ)


 早い者は、A級魔法使いでレベル3を習得するが、A級魔導士ですら基本的にレベル4までの使い手しか存在しない。それは自力での到達可能限界レベルが4までだからだ。

 魔法の発動には、魔力を練り精霊にアプローチをかけるところから始まる。

 その際、術者を中心に練られた魔力の総量に応じて範囲が設定される。意味は〝有効領域内のマナを使用〟しろ。というものだ。かみ砕いて言えば、マナ滞留率が高いほど、範囲が狭くてもより強い魔法が使えるということだ。

 では、練る魔力は何によって決まるのか。それは術者の才能と到達しているレベルによる補正の二点だ。

 現実世界ではマナ滞留率が低いせいで、どれだけ魔力を練って有効領域を広げても集められるマナが少なく、レベル2魔法を発現させるのが精々である。これは狭間の世界でも同様であり、日常生活を送れる限界とされるマナ滞留率では、レベル4までしか到達できない。

 レベル5は高濃度魔素地帯ハイデンシティスポット、レベル6に至っては超高濃度魔素汚染地帯デッドスポットでの修練が必須となる。

 高濃度魔素地帯ハイデンシティスポットですら、申請は不要なものの大魔導士以上にしか利用できない。仮に何かあっても大魔導士なら自己責任として押しつけられるからだ。

 だが、大魔導士以上にしか利用できない高濃度魔素地帯ハイデンシティスポットに、レベル4までしか修得していない魔導士がどうやって入るのか、という矛盾だ。

 答えは、大魔導士以上の同伴である。同伴者に対する責任は引率する大魔導士が持ってください。というなんとも判りやすい図式だ。

 魔導士の上位階位まで上がると、それまでの師匠と決別し、新しい師匠にくら替えするのが一般的だ。こうして魔導士は大魔導士へと成る。

 キサはこの制度を利用し、ショウをデッドスポットへ同伴させようとしたのだが、許可が下りなかった。


「大魔導士の私がいて、なんで無理なのよ!」


 結果、怒りの矛先は最初に戻る。


「一応、条件は提示されたんだろ?」


「あー、まあね。戦闘特化の私だと護衛対象を守れない可能性があるからダメです。最低でも専属で護衛できる後衛型のエキスパートを一人追加で連れてきて下さい。だって」


 キサは受付で言われた言葉を復唱し、最後に嘆息たんそくした。

 無理難題であった。

 魔導試験は一対一の戦いであるため、どうしても攻撃型タイプの魔法使いが多くなる。ましてや、後衛のエキスパートとなると数が限られる。

 この問題に目をつむったとしても新たな問題が発生する。むしろこっちが本題だ。

 風間翔の症状である。魔法が使えないことは公になっていないことから、他の大魔導士を同伴して露見しようものなら大事になる。それこそキサのように秘密を共有できる相手でなければならない。


「大魔導士以上で後衛型のエキスパートを今日中に見つけてこいとか、無茶言わないでよって感じ」


 デッドスポットの使用許可申請は、二日前に提出された分が適用される。前日に来る当選連絡に沿ってクエストとして登録するのだ。期日である今日中にパーティーメンバーと場所、時間を設定し受諾される。

 つまりは、今日中に後衛のエキスパートを一人見つけてこなければならない。

 そこへ、ところどころあっちこっちへ跳ね返った水色の物体がショウの目の前を横切り、受付へと向かった。

 ショウは信じられないとばかりに目が離せず、隣のキサの袖を引っ張った。


「何よ、私は今どうやって受付の人に許可出させるのか考えてる最中なのよ」


「許可でる」


「はあ? あんたの症状知ってる後衛のエキスパートが……そう、簡単に……」


 ショウの視線の先を追い、キサも水色の物体を視界にとらえた。


「いたああああああああああああああああ!!」


 キサの絶叫にロビーにいた全ての人間が驚いて振り返った。

 水色の寝癖を付けたアイヴィーも一緒に――




 * * *




「良かったです、アイヴィーさんが来てくれて」


「キサっちから誘われた時はびっくりしたけど、断る理由もないしねー。むしろ願ったり叶ったりだよ」


 キサは問答無用で、きょとんとしていたアイヴィーをひっ捕まえ、事情を説明後、デッドスポットの使用許可をもぎ取った。

 【万能薬師エリクサー】の二つ名で呼ばれるアイヴィーは後衛のエキスパートどころか、大魔導士以下ではぶっちぎりの一位だ。これでは許可を出さないわけにはいかないと、滞りなく承認された。

 アイヴィーがクエスト発行所に訪れていたのも、作成した治療薬ポーションの納品だけでなく、デッドスポットの使用許可申請のためだったので、すんなりと話が進んだ。

 今は、キサとアイヴィーの二人が背中合わせで、棚に陳列ちんれつされている指輪を吟味していた。

 場所はアイヴィー御用達というグランベレル帝国が有する魔法道具店。

 グランベレル帝国は、魔法道具で財をなす国である。


 年収が軽く億単位に届くアイヴィーが利用するだけあって、立地は帝城に最も近い一等地に店を構え、一般人なら外観だけで入るのを躊躇ためらうほどだ。

 扱っているのが指輪や首輪ネックレスといった装身具であることから、ジュエリーショップと相違ない雰囲気である。女性なら比較的入りやすいだろうが、魔法道具店という免罪符があっても男性、特に学生の身分では萎縮いしゅくしてしまう。


 何より服装がまずかった。


 キサにたたき起こされたショウは、急いで身支度を強いられたことで、Tシャツ一枚にデニムパンツという部屋着スタイル。

 それに対してキサは、きめ細やかなドレープの入った山吹色のシャルワールに、唐茶からちゃのモカシンで足元を飾る。トップスはM字型に開いた胸元に大きなリボンがワンポイントの純白のキャミソール姿。

 年相応にお洒落に着飾るキサと違い、アイヴィーは少し異質な装いだ。

 スカッツと呼ばれるスカート付きのパンツは、ひざ丈で繋がれた革のベルトが特徴的なボンテージ。柄は、医療機関に従事じゅうじる人間には不釣り合いな髑髏どくろが模され、瞳部分に赤いビジューがあしらわれている。

 三本のベルトが特徴的な白のレザー製のロングブーツと、下半身をパンクファッションでコーディネートしているかと思えば、肘下で引き絞ったリストフォールタイプのブラウスと上半身は女性らしさが垣間見える。とはいえ、靴以外は黒で統一しているところが、さすがはアイヴィーと揶揄やゆされる所以だろう。

 勤務時間中の白衣姿とのギャップが凄まじい。

 それでも二人の共通点はやはり、相当なお金持ちオーラだ。

 庶民オーラを漂わせるショウは、なるべく目立たないよう隅の方に陣取った。

 魔石を購入するだけなら魔石交換所でもできるが、魔法道具となると専用の店舗でしか手に入らない。

 極小サイズの魔石を動力として起動し、最大出力時ではなんとレベル6の攻撃にも一度だけ耐えうる防御魔法を展開する。それも術者に危険が迫った際、自動で発動するのだ。

 指輪にはさまざまな魔導式が入力されており、用途、目的に応じて、買い替える必要がある。


「デッドスポット行くたびにここ寄るのめんどいんだよねぇ」


 ガラスケースの中に陳列されている指輪を物色しつつアイヴィーがそんなことを呟く。


「そりゃそうですけど、デッドスポットはちゃんと準備しないと危険だから仕方ないですって」


「あのさ、二人で話進めてるとこ悪いんだけど、どれ選んだら良いのか教えて欲しいんだけど……結構まじで」


 手慣れた様子で指輪を選ぶ二人とは打って変わり、ショウは神妙な顔でガラスケースに反射する自分自身とにらめっこしていた。


「あのねぇ……あんた仮にも風間勇治ゆうじさんの息子でしょ」


「あー、そういやショウ坊ってそんな設定だったね。魔法道具生産部門の最高責任者の息子」


 思い出話でも話すかのような口調で語るアイヴィーだが、目的の指輪を選ぶ手は止まらない。


「グランベレル帝国お抱えの超お偉いさんの息子って立場を不当に利用して、試作品の魔法指輪マジックリングを使いたい放題。デッドスポット内で散々試し打ちしまくった結果、七歳でレベル6到達だもんねー」


「ちょ、アイヴィーさん語弊がある語弊が!」


 慌てて静止をかけるショウだが、すでに時遅く、キサの視線が刺さる。


「キサもそんな目で見るなよ! 違うって。魔法指輪マジックリングの設計は父さんの魔力係数を基礎ベースに組まれてるんだよ。他人が使えば親和性の関係でうまく起動しなかったり、最悪暴発する事案でも親和性の高い父さんの子供の僕なら、ある程度制御できるんだよ。正当なテスト!」



「知ってるけどねー」

「わかってるわよ?」

「……怒るぞ」



 からかわれていただけど知ったショウは、形だけ抗議をし、ガックリと肩を落とす。

 そこへ、アイヴィーが「でもさー」と続けた。


「その方法でレベル6になれるんなら、みんなやれば良いんじゃないのー?」


「そのことなんですけど、いくつか条件があって僕以外には無理なんですよ」


「どゆこと?」


「えっとですね、魔力を練り上げるのと、魔石を開放するのって感覚が違うじゃないですか。親和性が高いってのは、この感覚の差異が極端に低いんですよ。僕の場合、主属性の魔属性が特に親和性が高くて、ほぼ魔力を練るのと同じ感覚で使えるんです」


「ってーことはだ。魔法指輪マジックリングでも起動するんだから魔力練っても使えるよね? と深層心理に誤認させたと?」


「ざっくり言うとそんな感じですね」


 ショウの説明に、キサもアイヴィーも汚らわしい物を見るような目つきで睨みつけていた。

 実際問題、反則的な技だ。

 通常魔法を使うには、大雑把に四つの工程を必要とする。魔力を練る。精霊との契約。完成形の精緻なイメージ。そして、絶対に成功するという自信。この四つだ。


 魔力を練る作業は最初こそ難しいものの、一、二か月ほどで修得できる。一度覚えてしまえば、全階位、全属性に対し有効となる基礎中の基礎だ。精霊の契約は、種類ごとに呪文を暗記しなければならないが、反復して学習するだけなので特に難しくはない。

 問題となるのは、完成形の精緻なイメージだ。よほどの才覚がなければ自力でどうこうできるものではない。未修得ということは見たこともない魔法を正確にイメージしろということに他ならず、無理難題を吹っかけられているようなものなのだ。

 通常であれば、師匠から見て盗むか、ひと昔前なら戦場で敵に撃って貰え。という死と隣り合わせの危険を伴うものだったが、魔法指輪マジックリングがある今日では、相当に優しくなったといえる。


 何より最も難しいとされるのが、という自信を持つことだ。

 幼い時分ならまだしも、年齢が上がってくると、どうしても、やれることとできないことが見えてくる。つまり、魔法使いは年齢が高くなればなるほど、練習期間が長くなればなるほど、深層意識に無理という結果が植えつけられ修得が極端に難しくなる。

 言い換えれば、物心つく前の純真さこそが、高レベル魔法を覚える一番の近道だともいえる。

 対して、呪文の暗記は文字の読み書きと意味を理解できるだけの知性が必要となる。加えて、魔法指輪マジックリングで掴んだイメージを自身の魔力で一から組み立てるとなると、経験がものをいう。もちろん感覚でやっている人間もいるが、そういう人種は天才と呼ばれる一握りだ。

 魔導試験のデビューで十歳前後が多い理由がまさにこれだ。

 年齢が高くなり過ぎれば、なまじ常識を知り蓋をする。成功イメージはますます持てず、魔法を習得できない。逆に低ければ、多種多様の技を覚える期間が足りずに、ただ魔法が使えるだけの魔法使い止まりとなる。

 魔法使いで上を目指すには、最適な年齢というのが存在するのだ。

 しかし、風間翔はこの常識に当てはまらなかった稀有な事例である。


「それはそうと、話戻して、結局指輪って何選んだらいいの?」


 脱線した挙句、居たたまれなくなった空気をどうにかしようと軌道修正を試みた。


「とりあえずデッドスポットに行くんだったら、常時起動用を四つと強化型の手動起動が一つあれば、残りは修練したいやつで揃えたらいいわよ」


「げ、片手全部埋まるのかよ。魔石は何をセットする感じ?」


「風魔石一つと聖魔石が三つ。手動用に雷魔石がデッドスポット用の基本装備ね。風は言わなくてもわかるでしょうけど、酸素濃度が低いから単純に呼吸用。聖は大気中のマナを浄化させて負担を軽くするためだけど、効果は一時間ほどで切れちゃうから三つね」


「デッドスポットの使用時間って移動も合わせて二時間じゃなかったっけ?」


「あくまで予備よ。デッドスポットってあくまで人間が生存できないほどマナが濃いって意味だから、濃度の上限は青天井なのよ。濃ければ濃いほど浄化に必要な魔力も高くなるから、二個だけだと万が一があるってこと」


 七年前の事故の教訓は生きているんだなと、ショウは納得した。そうなると手動用の雷は大方、二時間制限を有効に使うための移動時間短縮と考えるのが妥当だろう。そう、キサに訊ねると、間違ってはないが不正解と返答された。


「移動用ってのはそうだけど、正確には、全力で障壁ゲート目指さないといけなくなった時用よ」


「ああ」


「ああ。じゃないでしょうが! 誰のせいで規則が厳しくなったと思ってんのよ!」


「すみません!!」


 あっけらかんとするショウの頭をキサは鬼の形相で鷲掴みにした。

 女の子の握力とは思えない万力から解放されたショウは、こめかみを押さえつつ、教わった通りに指輪の番号を購入用紙に記入しようとして手を止める。

 全く同じ機能を備えた指輪がなぜか複数並べられ、それぞれ値段が違う。


「あれ、この値段の差って何? なんか微妙に性能に差があるの?」


「装飾の差よ。ほら、こっちよりこっちの方が綺麗な色だし可愛いでしょ」


「えっ、超どうでもいい……」


 思わず漏れた本音に、キサのゴッドハンドが再びショウを締め上げた。

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