8話:強者が帰還する日
魔導試験終了後のドーム内は、一週間を通して最も人が少ない時間帯だ。
険悪なムードを
「キサちゃん、相手はB級魔導士なんだよ、止めなくていいの!?」
「止める理由がない」
カナの必死の説得も全く届かず、キサは
徐々に青ざめるカナの姿を見て、舞台を挟んで反対側に座る細身の男が笑みを浮かべる。
開始一分前になると、ほぼ同時に光の柱を上げ、
キサはホロウィンドウを出現させ、禿頭男のプロフィールを表示させる。
[名前:トレヴァー=ハルフォード
年齢:24歳 階級:B級魔導士 成績:298勝158敗]
合計戦績四百五十六戦という数字に、カナは凍りつく。これは魔導試験開幕から参加している最古参だ。
勝率八割以上で昇級できる試験の性質上、一つの階級に留まる期間が長ければ長いほど勝率は六割に近づく。禿頭のトレヴァーはおよそ勝率六十五%。B級魔導士の中でも中堅に近い実力者ということだ。
試合開始が刻々と近づく中、カナは勇気を振り絞ってショウの秘密を打ち明けた。
「キサちゃんは知らないかもしれないけど、ショウ君は魔法を使えないんだよ!」
「知ってるわよ」
だが、返答はカナの予想だにしないものであった。
「じゃあ、どうして!?」
魔法を使えないと知っていて戦わせるのか。カナの表情が悲痛に
舞台上の対戦者は、試合開始までの間は移動こそできないものの、体を動かすことはできる。
トレヴァーは、目の前で立ち尽くすショウを見て
「おい、お前、なんのために俺と戦うつもりだ? まともに試合したこともねぇ奴が魔導士のそれもB級の俺に勝てるとでも思ってるのか? だとしたら無知もいいとこだ」
褒められたことではないが、挑発行為も立派な戦術だ。実際に魔導試験でも公認しており、だからこそ入場は一分前から可能なのだ。ギリギリまで入らず、相手を焦らしたり、開始時間と同時に入り開幕速攻などの駆け引きすら行われる。
トレヴァーはその凶悪な
だが、肝心のショウは静かにまぶたを伏せ、瞑想状態に入っていた。
これにトレヴァーはいけ好かないと舌を打つ。
二人が入場してから一分。試合開始のアナウンスが鳴った。
歴戦の
D級魔導士の階位から散見される
カナのように詠唱呪文からタイミングを予測するやり方では回避は不可能である。
直撃すればその時点で勝負ありの状況だが、トレヴァーは実力差を思い知らせるため、ワザと足を狙っていた。存分にいたぶってから止めを刺す。そういう意図だ。
しかし、ショウはこれを狙われた足だけを動かし
「「なに!?」」
「え?」
トレヴァーとその仲間が驚き、カナがわけわからず呆けた。
「うそ、どうして。だってショウ君は私みたいにタイミングを読めるわけじゃないのに。それに
我に返るカナは矢継ぎ早に疑問を口にしていった。
誰もが驚きを隠せない状況の中、キサは当然だとばかりに口角を吊り上げた。
「D級魔法使い風情がぁ!!」
トレヴァーは両手を突き出し、左右の手のひらから
ショウはそれを優美な動きで全弾回避していく。
「あの禿もバカよね。ショウが一体誰に師事してると思ってるのよ」
医療機関を有するウェスタリカ帝国。その最高責任者、
見る者を魅了する繊細な動きがことごとくを回避し、流れる一撃を以って敵を粉砕する。それが時任時雨の舞踊である。
「キサちゃん……ねぇ……これどうなってるの……?」
あまりの光景にカナはショウから目が離せず、隣に座るキサの袖を引っ張った。
「ショウのあれはカナちゃんのようにタイミングを見て避けてるんじゃないの。相手の視線と腕の角度から着弾位置を予測して避けてるの」
「でも、それだと視線や体幹がブレるから避けきれないって言ってたよ」
「確かにカナちゃんのようにダイナミックな動きならそうなるでしょうね。ショウの足の動きを見ればわかるわよ」
言われてカナはショウの足に注意を払うが、特別なことをしているように見えなかった。
「答えは重心移動よ。軸がブレなければ視線が切れることはない。最も、それだけじゃないけどね」
流れるような動きの中にわずかな緩急を入れ、相手の潜在意識に介入するという高等技術をやってのけている。ショウが徐々にゆっくり動くことにより、トレヴァーは無意識のうちに連射速度を緩め、攻撃箇所をも誘導させられてしまっているのだ。
「もしかして、キサちゃんはこうなるってわかってたの?」
カナの問いかけに、キサは今もまぶたの裏に焼きつくあの日の出来事を、目の前の少年に重ねた。
「カナちゃんは魔法使いになって日が浅いから知らないだろうけど、私ね、デビュー戦は負けてるの。悔して悔しくて、絶対にリベンジしてやるって誓って一生懸命訓練した。でも、魔導士に上がったころ、その対戦相手がずっと不戦敗を続けてるって知ってわけわかんなくなった」
「それって……」
「私は中学に上がる時に、わざわざそいつがどの学校に行くのか調べて、一緒の学校を選んだ。そしたら、そいつ私のことなんてちっとも覚えてなかった。ほんとあの時ほどムカついたことはないわ。でもね――」
言葉を切ったキサは、そこでキッと瞳に力を入れ、眼下で格上の敵と戦う少年の姿を
「私に勝ったあいつが、あの風間翔が、たかがB級魔導士如きに、魔法を使えなくなった程度のハンデで負けるわけがない!」
一分に及ぶ連続射撃を避けきったショウは、動きを止めトレヴァーを油断なく見据える。
「このガキぃ」
得体のしれない動きに、トレヴァーは魔導試験に挑む際の警戒レベルを抱いた。
張り詰める空気に、もはや手抜きはないと誰もが感じ取っていた。
ここからはお遊びなどない、正真正銘B級魔導士の全力が来る。
「《
同時に手を突き出し、突進しながらの
これがB級魔導士の力だと言わんばかりの二種類の魔法による連携攻撃がショウを襲う。
迫りくる電撃をそれまでと同じように舞踊で回避し、最後の三撃目を避けきったところで、トレヴァーが眼前まで詰めていた。
突進の勢いのまま振りぬかれた拳だったが、ショウはこれを難なく受け流した。
たたらを踏んで立ち止まるトレヴァーは、奇妙な感覚に眉をひそめた。
「おい、ちょっと待て。どうして強化された俺の腕の動きに合わせて、手を添えられた?」
「あ」
トレヴァーの疑義にカナが驚愕する。強化型の攻撃は
瞬間、カナはキサを見た。
そこにはショウの勝利を微塵も疑っていないキサの顔があった。
攻撃を中断したトレヴァーの問いに、ショウは自身の左腕の腹を見えるようにして持ち上げる。
「なんだそりゃ?」
そこには血で書かれたであろう奇妙な文字が記されていた。
「今でこそ
聞いたことがない新技術に、トレヴァーも観戦席にいる仲間も唖然として開いた口がふさがらなかった。
何より、いつ書いたのかということの方が疑問だった。
MSR内での対戦は、公平性を維持するため、あらかじめ登録された魔法武器以外の使用は認められていない。当然、試合前に強化型魔法を発動させていたとしても、開始と同時にシステム側は消去する。つまりは、ショウの言った
「ちょっと待て、お、お前、一体それをいつ……」
すでに平静を失っていたトレヴァーは、震える手でショウを指さした。
そんなトレヴァーに、ショウはあっけらかんとした態度で答える。
「開幕の連射を避けながら」
時任時雨の二つ名はこの技術を確立したことによって呼ばれることになる。本来の用途は、踊りながら指先に集めた魔力で宙に
ショウはこれを更に独自解釈し、血液を使い皮膚に付与するという
勝負は決したとキサは背もたれに体重を預け、リラックスした姿勢で成り行きを観察する。
「ほんとムカつくわよね、あいつ。D級魔法使いのくせに、魔法が使えないくせに――」
誰にも聞こえない音量でキサが呟く。
魔法使いは、多くの技術を開発してきたが、同時に発動できる魔法の上限は三つとされてきた。
魔法使いとは、これらの技術を追求していき賢者への高みへと至る。
しかし、もし仮に、
言うのは簡単だが、戦闘中に文字を書くのは至難を極める。高速戦闘が主流の現代、時代に逆行するような遺産は修得難易度、および効率の観点からも不要の産物だ。
それでも伸びしろのなくなった賢者は、戦術の幅を増やすため、更なる高みを目指し、この
賢者が最終的にたどり着く、極みの領域、それこそ
「――いつまでも私の目標でいてくれる」
まともな精神状態を
風間翔は、今もなお、浅輝葵沙那の前を歩いていた――
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