4話:2人の関係

 シグレの元で診察を受けたショウは、試合開始十分前に試験会場へ足を運んでいた。

 すでにMSR内で待機しておいた方がいい時間ではあるが、ロビーに設置されている試合の中継パネルを見て時間を潰していた。

 しばらくすると画面が切り替わり、タイマーがカウントされた。試合開始五分前の合図である。

 ショウは静かにまぶたを伏せ、体の中をめぐる魔力を練り上げていく。しかし、どうしてもイメージ通りに魔力を動かせず、気持ち悪い感覚だけが残り倦怠感けんたいかんが押し寄せる。


「ダメか……」


 わかっていたことだ。毎週繰り返す代わり映えのしない作業。諦められなくて諦めたくなくてギリギリまで魔力を練ることを諦めず、試合開始時間を迎える。

 待っているのは増えていく敗戦記録。すでに風間翔の持つ敗北数はワースト二位の二百二十四敗にすら大きく水を開けられていた。

 D級魔法使いでありながら、今では全魔法使いに名前を知られた異端者。

 魔法が使えなくなったという事実は、公になっていないこともあり風間翔を取り巻く環境は悪かった。現にロビーにいる間も、彼を知る者からは嘲笑ちょうしょうを浴びせられていた。

 突き刺さる視線に紛れ、隠す気もない声がショウの耳朶じだを叩く。


「おい、あれって」「ああ、例のアイツだよ」「やる気がないなら登録なんかすんなよな」「いっそ魔法使いも辞めてくんねぇかな」


 否定の言葉から逃れるように、ショウはまぶたを伏せる。

 時間が無常にも進み、午後二時を知らせる時報がロビーに鳴り響いた。同時に、パネルに表示されていたタイマーが消え、代わりに始まったばかりの試合がランダムで映し出される。



 三百五十一敗が確定した。



 この瞬間だけは何度経験しても慣れるものではなかった。現実を受け入れるのに、少しだけ瞑想めいそうし、そして立ち上がる。


「――どこ行くのショウ?」


 時間まで二階のカフェで時間を潰そうと思ったショウは、螺旋階段を中ほどまで登ったところで頭上から声をかけられた。

 聞き覚えのある声に顔を上げてみれば、見知った顔があった。


「げっ、キサ……」

「げっ、て何よ、げっ、て」


 ショウは二階へと向けていた体を反転させ、逃げるように階段を下ろうとして、


「どこ行くのよ。?」


 怒りのこもった声音に、ショウの全身から脂汗が噴き出す。恐る恐る首を後方に回せば、笑顔の中にきっちりと青筋が立っている。

 二階には観戦用MSRがあるが、普通なら試合開始前までに待機するものだ。開始直後というタイミングの悪さもあり、キサは一瞬でショウの目的がカフェであることを見抜いていた。

 観念したショウは、一つ、ため息をつき、キサと正対する。

 首回りが大きく開いたギャザー仕様の白のペザントブラウスに、背面だけが異様に長い赤のテールスカートからは、雪のような美しい膝が顔を覗かせる。か細く流麗な輪郭を赤みがかった髪が包み込むようにして、鎖骨ラインで内に巻く姿は文句なしの美少女だ。

 柔らかい目元からは想像しにくいが、思ったことは遠慮なく口にするサバサバした性格がショウに苦手意識を植え付けていた。


 キサ。本名を浅輝あさき葵沙那きさなといい、中学に上がってからは何かと一緒にいることが多い。

 小学校は別々であったので、中学でも同じクラスになったこともないのだが、何の前触れもなく突然絡んでくるようになった。

 最初は何この女子と思っていたショウだったが、直後に彼女がA級大魔導士に昇格したことでその正体が判明した。戦場を縦横無尽に翔け回る姿からは【戦乙女ワルキューレ】の二つ名で呼ばれ、昨年こそ賢者昇級試験を一次落ちしたものの、今年は二次試験への進出が確実視される期待の若手だ。


「そう言うキサは何で上から降りてくるんだよ。試験開始まで時間潰すなら降りてくるタイミングが違うだろ」


「お生憎様。試験なら午前中に終わったわよ。今は誰かさんの持つワースト記録の更新を誰よりも早く確認したくて観戦してただけよ」


「ちょっ、おま、それ僕のことじゃないか!」


「三百五十一連敗おめでとう。前人未踏の大記録への挑戦期待してるわ」


 手のひらで口元を隠し、嫌味ったらしくショウを小馬鹿にする。


「帰る」


 再び回れ右して下ろうとするショウに、キサはカフェの方角に親指を向け、


「お昼まだなんでしょ? おごるわよ」


 と、餌をぶら下げる狩人に、お腹を空かせた獲物は簡単に篭絡ろうらくした。




 * * *




 土曜日こそドーム内は魔導試験で賑わうが、それ以外は閑古鳥かんこちょうが鳴いているかと問われればそうでもない。会場は数少ない魔法の訓練が出来るからと、年中無休で利用が可能だ。

 会場の二階には、三桁を超える飲食店が看板を掲げ、こちらも終日営業している。

 ショウとキサの二人は、木目調の外観をあしらったカフェに入店した。

 午後二時を少し過ぎた時間ではあるが、客の入りは悪くない。

 賢者の階位に到達していなければ、基本的に誰であろうが魔導試験を受けに来る。キサも当然毎週のようにドームに訪れるが、それでも店内に入れば注目される。二人は視線を物理的に遮断するため、一番奥のテーブル席に着くことにした。


「おごりって言うけど、これ実質一人分以下の値段じゃないかよ……五十五%OFFて……」


 オーダーから十分足らずで並べられた料理を見てゲンナリした。


「五十五%OFFはA級大魔導士の特権なんだから、定価だろうが割引価格だろうと、おごりはおごりでしょ?」


「そうだけどさ……」


 魔法使いはその階級に応じて、五%刻みの割引価格の恩恵を受ける。

 とりわけ住居は破格の値段で手に入る。地魔法によって土地も建築素材も無限に増殖させることができるため、定価ですら現実世界の七割程度という安さ。そこに階級に応じての割引率が適用されるとなれば、魔法使いが狭間の世界を生活基盤にするのも当然である。

 加えて、定期的な出費である食料品がご覧の通りだ。

 キサの前には、鉄板の上で今も熱せられている肉厚のステーキ。プレート皿に乗るライスに、サラダ、スープと本格的に食べる気満々である。対してショウは、ステーキ肉を豪快に挟み込んだ特製のバーガーサンドにスティック型のポテトとあくまで軽食。これだけの注文で二人の合計金額が六百エイスを切るのだから破格である。


「にしても、よく食べるよな」


 ポテトをかじりながら呟いたショウの言葉に、咀嚼そしゃくしていたステーキを飲み込んだキサが口を開く。


「そりゃこの後、高濃度魔素地帯ハイデンシティスポットに行こうと思ってたからね」


超高濃度魔素汚染地帯デッドスポットじゃなくて高濃度魔素地帯ハイデンシティスポットに行くのか?」


「あのねぇ……誰かさんの事件が切っかけでデッドスポットの危険が再認識されてからは、許可制になったの知ってるでしょ」


「大魔導士以上は申請すればいけるって話じゃなかったっけ?」


 ショウの無知さにキサは呆れて嘆息たんそくする。


「大魔導士以上が何人いると思ってるのよ。今は安全性を確保するために、人数制限と時間制限を課してきっちり管理してるの。当選倍率的に月一でいけるかどうかなのよ」


「……なんか機嫌悪くない?」


 二年間も一緒にいれば、相手のこともそれなりにわかってくるものだ。今日のキサはいつもよりどこかピリピリしていた。


「機嫌も悪くなるわよ。大事な賢者昇級試験が黒星発進だからね。ほんと初戦負けとかしかないわ!」


 グサッとホークを肉に突き立て、乱暴に口の中へ放り込む。


「嫌な記憶?」

「こっちの話。忘れて」


 詮索するなと手を振ってくるキサに、ショウも素直に従う。


「でも、すごいな。キサって今A級大魔導士の中でも上位の方だろ。相手誰?」

「ミハエルって言ってわかる?」


 どこかで聞いた名前だと、ショウは思い出そうと眉間にしわを寄せる。


「さすがにその程度の認識よね。年齢は私たちより一学年下で、デビューは九歳って言ったら思い出す?」


「ああ、いたいたそんな奴。半年くらい前に、デビューから四年でA級大魔導士になったって騒ぎになってたな」


 D級魔導士からA級大魔導士までの八階級で最年少記録保持者であるキサも大概だが、それでもA級大魔導士になったのは十二歳六ヶ月。五年もかかっている。ミハエルは、それを上回るスピード出世。話題にならないわけがない。


月城つきしろがすごすぎて記憶に残ってなかったな」


 言い訳がましいショウの台詞に、キサが神妙な顔持ちで話に乗っかってきた。


「その月城、勝ったって話よ」


「まじかよ。A級大魔導士に上がってきたの先月だろ? これで五連勝か……」


「トータルだと今のところ七十一連勝中ね。普通連勝記録ってデビュー戦からどれだけ勝てるかなのに、異常としか言いようがないわ」


 吐き捨てるキサに、ショウは「そりゃ、まぁな」と肯定する。

 上に行けば行くほど実力は拮抗きっこうし、勝ち星を拾うのが難しくなる。ましてや連勝するなどもっての外だ。何より――


「キサですら最高は五十九連勝だろ? それを七十一連勝は眉唾レベルだって。しかも、話によると七歳でデビューしてからは十歳までB級とA級魔法使いの間で足踏みしてたらしいし。それで、A級大魔導士になったのはっていうんだから信じらんないって」


 早くも下からの追い上げでピリついている中、大事な昇級試験を黒星発進。キサの機嫌も悪くなるというものだ。


「でも、事実は事実として記録に残ってる以上、実力は本物よ」


「それは、まぁ、そうなんだけどさ……あっ」


 言いながらショウは店内の壁に掛けられている時計を見た。時刻は十四時四十分といいだった。


「やばい、そろそろ時間だ」

「そういや、時間潰しに来たんだっけ。何かあるの?」


 訊ねるキサに、ショウは視線を合わせず、なんとも歯切れ悪く答える。


「あー、なんというか、これからちょっと観戦したい魔法使いがいて……」


 この場から逃げ出したいのか、次第にショウの行動に落ち着きがなくなってくる。こうまで露骨ろこつな態度を取られれば、キサとしても、すんなり「はい、そうですか」とはいかない。

 無言でにらみつけるキサの重圧に、ショウはダラダラと脂汗を流し、そして根負けする。


「キサも一緒にどうですか……?」

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