ささやかな抵抗

3話:魔法の使えない魔法使い

「よし、今日はここまで。お疲れ様、もう服着てもいいわよ」


 白衣に身を包んだ女性の言葉に、少年は隣の網籠あみかごに脱ぎ入れていたシャツを頭から被った。

 勢いで乱れた黒髪をささっと指ですくってから、更に上から白黒のシェパードチェック柄のシャツを羽織り、前ボタンを止めていく。


「今日もありがとうございましたシグレ先生」


 ベルトを締めなおしたところで、少年は白衣を纏う女性にお礼を述べた。


「いいのよ、これが私の仕事なんだから。どうせ暇を持て余してるだけなんだし」


 律儀な少年に、かなり本音寄りの言葉を返す女性は若い。見た目の歳は、二十代前半で黒のつややかな髪が印象的だ。仕事の邪魔になるからと、うなじ辺りでさり気なくまとめられた髪が肩の上を通り豊満な胸に落ちる。

 視力が悪いわけではなく、そうした方が先生らしく見えるという理由だけでかけ始めた黒のセルフレーム眼鏡。外見の美しさと本人のかもし出す雰囲気によって大人の色香を漂わせる。


 魔法使いは


 誰が言い出しか、魔法使いにはこんな格言が連綿れんめんと受け継がれているが、なるほど、と納得せざるを得ない。誰がこの女性を見て三十代、一児の母だと思えるだろうか。もはや詐欺である。


「そうは言っても、さすがに毎週毎週タダで診察してもらうのは気が引けるというか、なんというか……」


 バツが悪いと、少年は頬を掻き視線を明後日の方に向けた。


「こらこら風間君。そういう制度なんだから遠慮なんかしないの。どうせ嫌がってもあと四年もすれば公的医療制度が打ち切られるんだから、受けられるうちは最大限享受きょうじゅしなさい」


「はぁ……」


 煮え切らない返事に、女性が苦笑いを浮かべる。


「――あれー、ショウ坊来てたの?」


 二人きりの診察室に投げかけられた声に、揃って振り向けば、隣の部屋との仕切りにかけられていた暖簾のれんから、女の子が顔だけをこちらに覗かせていた。


「こんにちは、お邪魔してます」


「あら、アイヴィー戻ってたのね。それで今日の試験どうだった?」


「……シグレ先生、それ、聞いちゃいますか?」


 視線どころか顔ごと下方に向け明らかな動揺を浮かべる。心なしか水色の髪が闇色に染まったようにも見える。


「その様子じゃ負けちゃったみたいね。うん、アイヴィー、また来年があるわよ」


「先生ひどっ! まだ今年の試験終わってないよ!?」


 早くもなぐさめに入るシグレに、アイヴィーが涙ながらにうったえた。


「ああ、一次試験って今日からでしたっけ?」


 二人の会話から、ショウは今日から始まった年に一度の大イベントを思い出した。

 毎年六月末の土曜日から逆算して十四週に渡って開催される賢者昇級試験。A級大魔導士のみが自動でエントリーされ、八勝以上した者のみが二次試験へと駒を進める。


「うん、そう、今日から」


 素っ気なく答えるアイヴィーは観念したように、診察室へと入ってくる。そのまま、先ほどまでショウが座っていた丸椅子を奪い取り肉付きのよい臀部でんぶで温め始めた。


「今日の相手って誰だったんですか?」


「おっとぉー、今度はショウ坊がえぐられた傷口に塩塗り込んでくるんだけど、何これ!?」


 大げさに驚いて見せたアイヴィーは、椅子ごと一回転してから不貞腐れたように口を開いた。


「テレサだよ、テーレーサー」


 名前を聞いて、ショウとシグレは合点がいったと揃って「ああ」と零した。どうしてアイヴィーが試験の話題に触れてほしくなさそうな態度を取っていたのか、それは前年の賢者昇級一次試験初戦の相手がやはりテレサだったのだ。


「ダメよアイヴィー、魔法使いが苦手意識持ったら」


「だってー」


 頬を膨らませるアイヴィーに、ショウが訊ねる。


「ちなみにテレサさんとの戦績は?」


「うっ……ぐぬぬぬ……あーうー、くぅ……むー、ご、五戦五敗……」


 完敗だった。

 これでは苦手意識を持つなという方が無理からぬところだが、シグレの注意は魔法使いなら尚更気をつけなければならない。


「仕方ないじゃんか。テレサは三次常連だよ?」

「まあ、テレサさんに先手取らせたら最強ですからね」

「でっしょー? 仕方ないんだって」


 アイヴィーは両足の間から椅子を掴むと、堂々と開き直る。


「いや、そうですけど、アイヴィーさん対抗持ってるじゃないですか」

「ショウ坊はどっちの味方だよ!」


 拗ねるアイヴィーに、シグレが一つ咳払いし注目を集める。


「いいことアイヴィー。スポーツなんかでもメンタルは重要視されるけど、魔法使いは技術よりもメンタルが最も重要視されるの。魔法の具現化は想像力イマジネーションによって強くも弱くもなるものだからね。苦手意識は精神力の低下、ひいては魔法の精度に直接影響するんだから、わかった?」


「わかってますよー、もうー」


 本気の小言にアイヴィーは半泣き状態だ。


「いつも思いますけど、こうやって見てるとアイヴィーさんって同い年にしか見えないんですよね」


「失礼な! これでも私は、さ……んん!」


 うっかり口を滑らせそうになったのを無理やり咳払いで誤魔化そうとするも、その下手くそ具合にショウは瞳にあわれみの色を宿した。


「ちょっとー! そんな目で見るな!」


 遥かに年齢で劣るショウに小馬鹿にされ、手をブンブンと振りまく姿は小学生でも通用しそうである。

 実年齢はシグレより一つ若いだけだが、どこからどう見ても見た目は完全に女子高生だ。決して童顔という意味ではなく、細胞レベルで肌の張りが違うのだ。


 魔法使いは二十歳を過ぎた頃から老けることなく、若さ〝を〟維持する。


 魔法には、魔導学や属性理論というものがある。ざっくり言ってしまえば『火属性は、魔力容量によって熱量が増大する』だの『雷属性は、起動から発動までの遅延がない』だのこんなところだ。

 魔法使いの外見年齢が物理的に停止するのは、この属性理論の一つ生属性による応用だ。

 生属性は主に傷のいやしや疲労回復に対し効果を発揮する。

 原理としては、壊れた細胞そのものを〝修復〟するものと、細胞分裂をうながす〝促進〟の二種類パターンがある。


 老化とは細胞分裂の速度の低下によって招かれるのだから、年齢に見合っただけの細胞分裂速度に促進させてしまえばいい。その上で、ヘイフリック限界を修復によって疑似停止させてしまえば、不老の完成である。


 もちろんこの理論も完璧ではない。


 自然回復される魔力残量と、老化を停止させる生属性との魔力の交換レートが等しくならなければいずれ老いがおとずれる。魔力の自然回復が肉体年齢に起因するのか、実年齢によるのかは今現在立証されていない。

 以上のことを踏まえれば、魔力が高く生属性に特化した者は若さを保ちやすいことになる。

 アイヴィー=バセットはA級大魔導士の階位にあり、二つ名を【万能薬師エリクサー】という。賢者を除けば最高の生属性使いであり、自身の手がける治癒薬ポーションで巨万の財を成すほどである。

 大人びた雰囲気のシグレとは違い、緩めのパーマがかかった髪が肩先にかかる姿は、活発で行動的な印象を与える。ただ、実際にはパーマを当てているわけでも地毛でもなく、セットがわずらわしく寝癖が残っているだけのガサツな女性。

 細身ではあるが、平均的な身長と物足りなさが哀愁あいしゅうを漂わせる胸が彼女の外見年齢を決定づけている。


「結論、やっぱりアイヴィーさんって三十歳に見えないです。小学生ですか」


「結論って何!? ショウ坊失礼なこと考えてたでしょ!? あと三十って言うな!!」


 椅子に座ったままの恰好で、振り回した両拳をショウの胸に何度も打ち付ける。


「もう、あなたたち、仲良いのはわかってるから、診察室では静かにしなさいよ」


「シグレ先生にはこれ仲良いように見えてるんですか?」


「これって言うな! 指さすな! なんで私子供扱いされてんの!?」


 一向に静かにならない診察室の喧噪けんそうに、嘆息たんそくしたシグレはカルテの記入を中断させペンを机の上に置いた。


「それはそうと風間君、さっきの話の続きだけど、キミは今後どうしていくつもりなの?」


「どうするつもりって言うのは?」


「さっきも言ったけど公的医療制度の趣旨はわかるわよね?」


「はい。魔法使いは強い魔法が使えれば使えるほどお金を稼げますけど、魔法使いの階級、特にC級やD級は正直生活費すら稼げません。そこで国は魔導試験なんかの受付で働く人を雇用することで最低限の生活を保障しています。でも、それだと、障害を抱えて働けない人なんかはお金を稼げない。公的医療制度は、そんな人たちのために国が治療費を全額負担する制度です」


「はい、よくできました」


 ショウの回答に、シグレは満足したように手のひらを叩く。


「風間君ももれなくこの公的医療制度の対象になってるわけだけど、十八歳になれば公務員として働けるようになる。そうなると、自分で稼げるんだから国の補助はいらないわよね、ってことで公的医療制度は打ち切られる。知ってる? キミの年間治療費?」


「……知りません」


 そこへ傍観ぼうかんしていたアイヴィーが、ここぞとばかりに口角を釣り上げ、嫌味ったらしく言い放つ。


「一億エイス。毎年これだけの額が支払われてるんだよ」


「いっ、一億!?」


 驚くショウの顔を見て、してやったりとニヤニヤするアイヴィー。


「そのうち三割がシグレ先生の助手である私の懐に入ってくるけどね! ボロい商売よ!」


「生々しい話やめてくれますか!? 知りたくなかった情報開示に僕はびっくりですよ! そんなだから彼氏できないんですよ!?」


「ショウ坊、お前、今言うてはならんことを言いおったな!? 彼氏できない言うな!!」


 悪乗りする助手と患者の頭をシグレの拳が小突いた。


「こら二人とも。それくらいにしなさい」


「「はーい」」


 怒られたアイヴィーは、面白くなさそうに立ち上がると、診察室の奥へと逃げて行った。


「――さて、うるさいアイヴィーもいなくなったことだし、座って」


 うながされ、それまでアイヴィーの座っていた丸椅子に入れ替わりで腰を下ろした。


「正直なところね、風間君の治療は難しいと思っているわ。キミの症状は説明したでしょう?」


「魔法が使えないんじゃなくて、その前段階の魔力が練り上げられない」


「そう。今の風間君は結果として使になっているというだけで、症状としては魔力が練れない状態ね。健常者の魔力っていうのは、体の中を気体みたいにめぐっているのに対し、風間君の場合はゲル状。これが言わば詰りを引き起こして体外に放出できなくなってるのよ。治療には、再び気体の状態に戻す必要があるんだけど、これが難しい。特に症例が風間君一人だけっていうのが原因解明の遅れにも繋がっているわ。実際、助かっただけでも奇跡の事例だったしね」


「まあ、に三日ですからね……」


 超高濃度魔素汚染地帯。別名デッドスポット。


 魔法の威力を決定づけるのは、主に魔力の量である。しかし、一人の人間が保有する魔力などたかが知れている。そこで重要になるのが大気中に漂うマナ滞留率である。

 マナ効率の観点からも、術者の魔力消費はあくまで精霊へのアプローチのみに重きが置かれ、精霊が大気中のマナを媒介にして魔法へと変容させる。一度魔法へと変化させられたマナは魔法の消滅と共に再び大気中に霧散する。いわばマナが一切失われることのない永久機関。しかし、問題はここからだ。精霊へのアプローチに用いられた術者の魔力も大気中に加算されるのだ。つまり、魔法を使えば使うほどマナ滞留率が上昇していく。


 人々は歓喜した。


 それはそうだ。魔法の訓練にはより強い魔法を使う必要がある。強い魔法を使うにはマナ滞留率が高くなくてはならない。魔法使いはこぞって高濃度魔素地帯ハイデンシティスポットへと足を踏み入れた。


 異変が観測されたのは十八年前。


 吐き気、意識の混濁こんだくといった原因不明の症状が現れ始めた。のちにこれはマナ酔いと呼ばれる高濃度のマナを長時間吸い込んだことによる症状であることが判明した。

 以来、高濃度魔素地帯ハイデンシティスポットへの立ち入りはマナ酔いの症状が発生しない程度に落ち着いた。しかし、マナ滞留率は増えることはあっても減ることはない。数年後には、マナ酔い以上のマナ中毒へと比較的短時間で至る超高濃度魔素汚染地帯デッドスポットが散見されることになった。

 風間翔は、かつてデッドスポットでの修練が日課であった。七歳でレベル6にたどり着く方法はこれを除いて存在しない。普段なら家に戻る時間になっても帰宅しないことを不審に思った家族からの捜索願によって事件化した。

 発見されたのは捜索願が出されてから三日後のことだ。

 マナ中毒によって死んでいても不思議ではない状況であったが、風間翔は奇跡的に意識を取り戻し生還した。


 魔法が使えなくなるという副作用を伴って。


「でも、ある意味、それで良かったとも思ってるんです」


 ショウは自虐じぎゃくではなく、本心からそう続けた。


「そうね。風間君にとっては大変な出来事だったでしょうけど、ではこの事件がきっかけで最悪の事態を避けることもできたとも取れるわね」


 行方不明になったのは風間翔だけではなかったのだ。

 大規模な捜索が実を結び、数か月後、遂にデッドスポット内に謎の建造物を確認することで転機が訪れる。これがのちに二千人を超える死者を出した聖戦せいせんの始まりとなることを、当時はまだ誰も想像すらしていなかった。


「あのまま〝新人類党〟の残党たちが研究を続けていたら、今頃大変なことになっていたわ」


「そうですよね。だからこれで良かったんだと思ってます」


 突然、パンっと音を立てて、シグレの両手がショウの頬を挟んだ。いきなりの衝撃に、ショウは何が起きたのかわからずまぶたをまたたかせた。


「キミの悪いところよ、それ。軽々しく良かったなんて言わないの」


「はい……」


「まあ『いっぱい人が死んだのは僕のせいだ』とか言わない辺りが風間君の良いところだけどね。それよりも助かった命がある。悪党が悪事を働く前に阻止できた。そういう風に考えなさい……って、これはできてるわね」


 言って、シグレは締まりなく微笑む。


「だからね、私が言いたいのは、自分の人生を諦観ていかんしないこと。魔法がいずれ使えるようになるって思ってるから、魔導試験は未エントリーじゃなく不戦勝を選んでるんでしょう? 試験開始時間ギリギリまで粘って。私たち医者はちゃんと見てるんだからね、頑張りなさい。応援してるんだから」


「シグレ先生……」


 満面の笑みで頭を撫でてくるシグレに、目頭に熱いものがこみ上げてくる。不覚にも泣かされそうになってショウはぐっとこらえ耐えた。


「それで脱線したわけだけど、風間君は来月から三年生でしょう? 高校は普通に現実世界の一般高を受けるってことよね?」


「はい、そのつもりです。魔導学園に入れば魔法の知識は得られますけど、実技の授業についていけませんし」


「そうよねぇ……知識は独学でもなんとかなるし、今はそれが最善かもね。問題は高校を卒業してからだけど、それ次第では高校もちゃんと選ばないといけないわよ?」


 大学の進学を視野にいれるなら高学歴な高校を選ぶ必要が出てくる。


「そのことなんですけど、ちょっとやってみたいことがあって。高校は近場で選ぼうと思ってます」


「ふーん、私はいいと思うわよ。例えどんなことだろうと、やりたいことに取り組む姿勢って大事だもの」


 肝心な部分をぼかすショウの説明に、それでもシグレは後押しする。


「……まあ、できるかどうかは、まだわからないんですけどね」


「ふふ、何事も最初はそんなものよ。頑張んなさい!」


「はい!」


 シグレの激励にショウは瞳を輝かせ、大きく返事した。

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