ケモ耳娘心配しました

「俺はもう行くけど、本当に大丈夫か?」

 

 いつも通りの玄関前の会話だが、今日だけはアズキが心配で仕方がなかった。

 何故なら、先日の魚屋での窃盗事件で、アズキが魚屋の店番を引き受けたから(自分から)である。

 

「大丈夫です。店番くらい、楽勝ですよ」

 

「だけど、いつもみたいに家でのんびりとかしてられないんだぞ?」

 

「わ、私を何だと思ってるんですか!普段だって、春斗さんがお仕事行っている間お掃除や洗濯物だってしてるんですからね!?」

 

 いや、確かに家事はこなしてくれてるけど、絶対に漫画読んだりしてるだろ……。

 表情か俺の思考を読んだのか、アズキは頬を膨らませてそっぽを向いてしまった。耳が赤くなっているから、恐らく図星なのだろう。

 

「ああ、そうだ。お前も出かけるなら、鍵、もうひとつ必要か」

 

 別に家に盗る物なんてないが、念のためだ。

 確か合鍵は押し入れだったかな……。時間も押しているし、探している時間は無いか。

 

「無くすなよ?」

 

「分かってますよ」

 

 アズキは鍵を受けとると、まるで宝物を抱え込むかのようにそっと両手で包み、笑顔を浮かべた。

 

「では!今日もお仕事頑張ってください!」

 

「ああ。行ってくるよ。アズキも魚屋のおっちゃんに迷惑かけないようにな」

 

 そんな言葉を残して、職場に向かう。

 そう、俺は結構アズキを信用している。

 今朝言っていた通り、家事は完璧にこなすし、言われたことは素直に受け入れるような奴なのだ。

 だがしかし、やはり心配だ。

 魚屋のおっちゃんに迷惑かけないだろうか?と言うか、店番なんて、本当に出来るのか?性格的には接客業に向いてそうではあるが、経験なんて皆無だろうに……。

 

「おはよう春斗」

 

「ああ、おはよう」

 

 考えているうちに着いてしまっていたようだ。

 同僚に挨拶を返し、業務用のパソコンの電源をつける。

 ……俺は俺の仕事に集中しよう。

 不安を頭の片隅に押し退け、無理矢理切り替える。そして俺は……

 

「やべ、ミスった……」

 

 重大でなく、すぐ修正出来る程度のミスをした。してしまった。

 普段通り、普通に作業を進めていればこんなことは起こらないようなミスだった。

 

「おいおい、ミスって。お前にしては珍しいな」

 

「……人間、ミスの一つや二つはするだろ」

 

 それもそうかと、同僚は作業を進めた。

 とりあえず、水でも飲んで落ち着こう……。

 カバンからペットボトルを取り出し、キャップを開ける。

 

「ヤバ!」

 

 表面に滲んでいた水滴のせいか、はたまた俺が動揺を隠せていないのか、そのペットボトルは俺の手から滑り落ちてしまった。

 もちろん、キャップが空いているのでほとんど飲んでいなかった水は床にぶちまけられる。

 結果、何事かと社員の注目を浴びるわけだ。

 静かな空間をぶち壊すと冷たい目で見られるのは学生も社会人も同じらしい。

 すみませんと頭を下げ、机上のティッシュで床を掃除する。

 

「……春斗、お前めちゃくちゃ心配してるだろ」

 

「は、はぁ?別にアズキの事なんて一ミリも心配してねぇし?」

 

 しまった、墓穴を掘った。

 

「凄く動揺してるじゃないか。俺は誰のとは言ってないぞ」

 

 は!嵌められた!こいつ、なかなかやりうる!

 

「どうせ、今日からバイトするアズキちゃんが心配なんだろ?」

 

「……ああ。そうだよ」

 

 ヤバい、アズキの事心配してることがバレて凄く恥ずかしい。

 今まで、女の子を気にかけるなんてしてこなかったから、そういう類いの事に耐性が着いていないのかもしれない。

 羞恥のあまり、俺は床を擦る力を強めてしまった。結果、水を吸い込んだティッシュは粉々に引きちぎれてしまった。

 

「……タオルとか持ってない?」

 

 同僚に訊ねても首を横に振るだけだった。

 畜生、こうなったら粉々覚悟でティッシュを大量に使うしかないのか!?

 

「これ、良かったら使って下さい」

 

 俺が奇行に走ろうとしたその時、声が掛けられると同時に真っ白なタオルが手渡された。

 声の主は課長だ。見上げてみると、笑顔なのがわかった。

 

「これって……有難いですが、ほとんど新品じゃないですか」

 

 例えばこの真っ白なタオルが同僚のだったら俺はなんの抵抗もなく使うだろう。しかし、相手は上司でしかも女性だ。いや、上司で無くても女性の私物で床を拭くのは気が退ける。

 返却しようとすると、課長が俺の手を両手で包み込んだ。ひぃ!周りの男共の視線が怖い!!

 

「春斗さん。物は使うものです。雑巾だって、使用前は綺麗な布なんですよ?だから、遠慮なくお使いください」

 

 とびきりの笑顔で言いきられてしまった。

 それでもなんとか返却しようと反論を考える。

 

「小鳥遊君!あの書類の件なんだが」

 

 しかし、それも虚しく、課長は部長に呼び出されてしまった。

 これで、俺の反論何て聞いてる暇は無くなった。

 

「すみません。呼び出されてしまいました。そのタオルは、処分してくれてかまいませんので。それでは」

 

 そう言い残して課長は行ってしまった。

 このタオルは、今度新品を買って弁償しよう……

 と言うか、課長って小鳥遊って名字なんだ……はじめて知った……

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