昔の僕と君へ

ゆかり

0話

パチリと音がした気がした。


「?」


違和感を感じて目を凝らすと暗いそこは木造の畳の部屋で。

生まれてこのかた覚えている限り、畳など話に聞いたことがある程度であり、ザラザラとした感触に、ああ、こんな触り心地なのかと、状況も忘れ少しばかり感動を覚えた。

しかし、ここはどこなのだろう。

再度目を細め、辺りをキョロキョロと見回しそれから立ち上がると、ぷつりと反動があり腕に痛みが走った。とりあえず頭上にある、これまたテレビや書籍で見たことしかないライトの形に首を傾げる。


スイッチはどこだ?


見回す限り自身がたっている場所には家具らしい家具は、引き出しのついた箪笥と呼ばれるものと布団、それから柱の下の部分に見えるのは、形が違うがコンセントの差し込み口。

それしかない。

使い方のわからないライトに再び目を向ければ先程は気付かなかった、垂れ下がる紐。

手を伸ばしてみたがなんだか短い。そう言えば目線も低い気がすると、戸惑いながらも恐る恐る引いてみれば、パチパチと小さな音を立てて室内が明るくなった。

明かりが灯るだけで、安心する。


『日本・・・でいいのここ』


声を発してみれば、少し荒れているのか喉が掠れていて小さく咳払いをする。

緑というより小麦色に近い畳の上には転がった点滴。なるほど、先ほどの痛みはこれを引き抜いた時のものかと理解する。


とにかくここの室内は自身が憧れいつか帰ると誓った日本という国に近い。

そういえば先程まで、恋人と酒を酌み交わし、些細なきっかけから言い争いそのまま1人寝室でふて寝をした筈だと思い出すが、何故目が覚めたら場所が違っているのかは思い出せない。


『まさかまた誘拐でもされたの?僕』


クスリと緊張感もなく笑えば、目の前にあった扉のようなものがすっと開いた。


自身の国にはないスッキリとした、シワだらけではあるが堀のない顔立ちの老人がこちらを見ている。

瞬時に体へ緊張が走るが、息を呑み青ざめるその姿は彼がここに連れ去り連れてきたのではないことがわかった。

ならば、と憧れいつかはと望んだ母国の言葉を彼へ向ける。


「日本語、少し大丈夫。ここはどこ?」


そう問えば、目の前の老人はひっと悲鳴をあげてそれから座り込むと頭を床につけて何かを叫んだ。



名をユウラと言うらしい。

漢字にすると侑羅。ここは驚いたことに彼の知っている場所だった。

と言っても彼は5歳の頃にこの街から連れ出されていて記憶にはなく、あるのは大人になってから真実を知り、そして興味から知りえた情報ではあったが。


どうやら自分は過去に来ているらしい。


自身の名を侑羅だと教えられた少年はエメラルドグリーンの瞳を目の前の食事に向け、使い慣れない棒二本に苦戦しながら話を聞いていた。

今は〇年の2月。先程目覚める前までいた国のカレンダーより30年は前だ。

そして彼の体はおおよそではあるが5歳の幼い姿である。

鏡をみた彼はその姿に驚き、頬をつねって夢ではないのかと何度も頭を抱えた。

しかし一日がたち、2日が経ち、それでも夢は覚めない。

その間ずっとそばにいた老人は戸惑う侑羅の話をしっかりと聞き、そしてゆっくりとした日本語で、状況の説明をしてくれた。


「僕、ここにいるは、昔?タイムスリップ」

「そういう事だと思います」

「イヅル。ボクのname。名前?ユウラちがうよ」

「侑羅はここで預かっている子の名前で・・・4年間、不思議なことに貴方は姿も変えず衰えることもなくずっとここで眠ってたんです。物の怪付きかもしれないと、施設よりこちらに・・・えと物の怪、英語で、モンスター?」

『モンスター?!僕、化物なの?!』

「??えと、すみません言葉がわかりません」


日本語難しい・・・老人も侑羅の国の言葉は知らない無いみたいだし、自身は人じゃないらしいし困った、と思っていると玄関の戸が叩かれる音がした。

侑羅は、はぁと息をつく。

ここ2日間、突然目覚めて不思議なことをいう侑羅を医者やら警察やらはたまた市役所の人間が訪ねてくるのだ。


それは仕方ないだろうとは思う。4年間も預けられその間、年もとらず眠り続け、起きたと思ったら体力の低下もなく不思議なことを話し始めた目の色のおかしな日本人。

自分が同じ立場にあったら、そんな不気味な子供、すぐに精神病院にでも送り出している。

「すみません、もう少し我慢してくださいね」

老人、一朗がくしゃり、と侑羅の頭を撫でる。

「どんなことであれ、投げ出したりしません。家でちゃんと面倒を見ますから」

『一朗はお人好しなのかな・・・』

「?」

「ありがとおございます」


合ってる?と首を傾げれば、一朗は笑って頷いた。

有難くはあるが、こんな得体の知れないものを置いておくなんて、かなりの変わり者なのかもしれない。

侑羅はボロボロになってしまった魚を口に運び、ここに来て一番最初に教えられた手を合わせる行為で食事の終りを締めくくった。




それから10年。侑羅はまだそこにいる。

目覚めてからは成長を緩やかに始め、生まれ年は15歳となった。

あれから学校にも通う事となり日本語も覚え、状況も把握し、それなりに振る舞う事も対処することも出来るようになった。

ただ周りと違い表情の大人びた侑羅に、近所の人間は勝手に話を作り上げ、噂し、腫物に触るように扱ってはいるのだけど。

それでも受け入れられ今日までなんとかやってきた。


あの日侑羅はタイムスリップをした。

25歳だった過去のイヅルは今、侑羅として15歳の少年として日本にいる。

その意味はわからない。けれどきっと、親から離され1人、異国で死ぬ物狂いで働き生きたあの日々を繰り返さない為ではないかと思う。

目の前で腕を引かれ泣きじゃくる幼い自分を助ける為に。

脳裏に浮かぶのは辛くとも掴んだ幸せ。

地獄が終り、愛する人と共に過ごした穏やかな日々。

もしここで未来を変えてしまえば、きっと愛おしいあの人には会えないだろう。

それでも。

過去に来た理由などわからないから、これしか思いつかないから。

侑羅は涙を拭い、車へと引き込まれそうな小さな手を掴み思い切り声をあげた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

昔の僕と君へ ゆかり @yukari_35

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ