・平成茶屋探訪記(12/23更新)
川の流れが日々、岸の岩を削るかのように。
現代社会の荒波もまた、「言葉」という含蓄のある知的岩石を、いいように弄ぶのです。
知ってますか? 「お前」って元々、位が高い人に対する呼び名だったんですよ。
敷居が高い、なんていうのも本来は字面通りの意味なんです。迷惑を掛けちゃったから、どうにも顔を合わせづらいなあ。あの人の家の敷居が高く感じるなあ。って意味なんですよ。
まあ今では、そっちの意味で見る方が少ないですけどね。
さて、かように敬称は蔑称へと、誤用は正用へと変化を遂げていくこの現代で、今日もまた変わり果てた大岩が、私の眼に入ります。
・・・
数寄屋――ご存知でしょうか。平たく言うと茶室の一種ですね。
茶室。その言葉の指すところは風流、趣。
何とも雅を感じることじゃありませんか。
まあこと平成の世において、茶室なんてコスパが悪いだけのようにも感じますが。
だって、畳や障子の張り替えとか、嵩張るでしょう色々と。
猫の爪とぎには少々高価過ぎやしませんか。
いやまあ、そんなことはどうだっていいんですが。
ともかく、数寄屋です、ええ。すきや、です。
まあこのブログも書き続けてはや数年、色々な方々の眼に触れるようになりましたからね。
特定の企業様へのアピールと捉えられて、ゴマすりだ何だと誹謗中傷を受けては堪ったものじゃありません。
ですので、直接的な表現は避けていこうと思います。
・・・
さて、広がるは寒空。
コートの毛皮が首元を擽る季節になりました。
その日私が訪れたのはそんな現代的茶屋「すきや」なるところです。
そうして軽い気持ちで入店した私は、意表を突かれました。
いやはや、しかし流石現代といったところでしょうか。
やはり文明は日々進化しているのですよ、ええ。
何てったって、入店するなり私がスマートフォンを取り出すまでの間に、もう既にお茶は用意されていたっていうんですから!
「いらっしゃいませー」
そんな挨拶と共に、私の前にお茶が置かれるわけですよ。
これぞ文化の合理的な取捨選択。
茶を点てる云々、わびさびがどうだこうだでお客様をお待たせしない!
なるほど、風流を犠牲にして得たものは大きいようです。
そうして感慨に浸っていると、おやどうしたことでしょう。
店の者がこう尋ねてきます。
「ご注文はお決まりでしょうか?」
まあ、何と!
言われるまでもなく茶を煎じたかと思えば、今度は茶菓子を用意するので何なりとお申し付けくださいと、そう仰る!
何て気の利いたご主人だと私は感心しきって、お品書きを一瞥するなりこう告げました。
「牛丼……あ、普通ので。それの大盛り」
「牛、大でー」
私の注文を簡略して、奥の作業員へと伝達する主人。ここにも合理化の片鱗が窺えます。
「ふむ……」
そうして届くまでの間にメニューを今一度眺めていて、ふと思い至ることが。
ついさっき褒めちぎっておいて何ですが、昨今の茶屋はどうにも目まぐるしいのでは、と。
豚丼程度なら、まあ特に何も思いませんが……やれ三種のチーズだの、やれ御膳だの、挙句は生姜焼き定食など……類似チェーン店のメニューにも、何とも言えない物を感じてしまいます。
特にこの高菜マヨって何なんでしょう。誰が頼むんでしょうこれ。
やはりこんなに奇を衒わずとも、牛丼の二文字だけで事足りるのでは? と、野暮とは分かりつつも考えてしまいます。
文明の発展、なるほど結構なことです。
でもこれでお値段までもが発展していくことは、少々いただけません。
・・・
いただきます。
常套句は口に出さずに、あくまで心の中で。
何せ公共の場、独り言は奇異の目線をも買ってしまいます。
懐も寒いのですから、これ以上の追加請求はやってられません。
さて、目前に置かれるは牛丼の大盛り。四百七十円。
どうやら最近は白米を余らせてしまうお客さんの為に「アタマ」なる、牛肉を増やす注文様式が存在するようですが、私から言わせれば甘い話です。
そういう人は見えてないんですよ、目の前のことしか。
お肉がなくなって、白米だけが残った状態を、「おかずがなくなった」と捉えてしまう。それを視野狭窄と呼ばずして何と呼びましょうか。
何故ならそこに残ったものは、ただの白米ではないのですから。
いうなれば、それは白米であって白米でない。
単体で食事を成立させるに足る力を得たそれを、人々は「タレ付きご飯」と呼びます。
勿論、そのメソッドをしっかりと把握している私はむやみにお肉の増加など図りません。
きちんと七対三の割合で両者を堪能し、もしお米だけが取り残される有事に遭おうと、冷静な対処をしてみせる自負を持ってこの食事に臨むのです。
ただ……ええ、そうです。
一見万能に見えるこの方法も、隙があります。
その間隙を突かれたが最後、我々の満腹中枢が幸福を生み出すことは叶いません。
以後、茶屋での十全な食事は望むべくもないでしょう。
そんな、遍く牛丼の天敵――それこそが「飽き」です。
これは茶屋において、もっとも恐れるべき事態。
タレの味に飽いてしまい、つつがない技術を持ちながらもそれを発揮することあたわず、米半ばで潰えてしまう彼らの歩み。
それは実質、先程の色物たち――もといバリエーション豊かな商品の数々で、カバーすることができます。
ねぎ玉、おろしポン酢、キムチトッピング等々。
悔しいですが、こういった面においては多様化したメニューの優位性を認めるほかにありません。
しかしそれでは、従来の茶屋が欠陥性を有していたという話になってしまいます。
シンプルイズベストなどは所詮、砂上の楼閣。懐古主義の妄言でしかないのだと、そういった揶揄が飛び交っても、不思議ではありません。
単刀直入に言いましょう。
それは否です。
私はそれを、断固否定したい。
なにゆえ、そんな反発的な姿勢を取るのか。
その答えが、ここにあります。
「さて、と……」
食前、割り箸を割った私はまず、何に手を付けるでしょうか?
お茶の注ぎ足し?
おしぼりを包むビニールの開封?
どれも否です。
その食指は一直線、淀みない軌跡を描いて、ただ一点に向かうのみ。
紅々とした痩身に店内の照明が照り返される様は、まさに芸術。
そう形容されるべきは、そう。
紅ショウガなのです。
・・・
私が並居るメニューの中からただの牛丼を選んだ理由はただ一つ。
そこには、紅ショウガという欄外の刺客。茶屋を陰ながら支える勇姿が、存在していたからなのです。
かつ、それだけにあらず。
七味唐辛子も、これにあたります。
無論、彼らはここで反感を示すことでしょう。
「そんなものは牛丼でなくとも付け合わせることができる!」
「無料なのだから、それがただの牛丼にとってのアドバンテージにはなり得ない!」
そういった諸々が、まるで目に浮かぶようです。
しかし、私は宣言したい。
なるほど、確かにその通りです。
だがしかし、そういった存在に支えられている今。
紅ショウガの酸味が、七味の辛味が、牛丼に彩りを与える今。
ただの牛丼が遅れを取る謂れが、どこにあるのだろうかと。
それに加えて、この二つを遺恨なく活かせるのは余計なトッピングのない牛丼をおいて、他にはないのだと。
事ここに至っては、これは牛丼にあらず。
もはや私は、「紅ショウガ牛丼」を注文したとすら言えます。
それは同時に「七味唐辛子牛丼」でもあるのです。
私は何も選ばずにステレオタイプに流れ着いたのではなく。
取捨選択の末に辿り着いた場所こそがここ、ただの牛丼なのでしょう!
いまや形成は翻りました。
多様性を獲得し並び立った両者、こうなっては持久戦にもつれ込む他ありません。
そうして戦力が拮抗し、膠着した状況下――何が軍配を左右するのか、言うまでもないでしょう。
コストパフォーマンス――少ない費用でどれだけの戦果を上げられるかは、衝突を重ねるにつれ両軍の戦力差を明確なものへとしていきます。
これ以上、言葉を尽くすまでもありません。
私は今台頭している茶屋の文化も、近いうちに淘汰されることだろうと睨んでいます。
・・・
※追記(十二月二十三日付)
コメント欄にて様々なご意見をいただきました。
どうやら多大な反響をいただいているようで、恐縮です。
早速ですがコメントにていただいたご指摘の方に返信したいと思います。
まず私個人としましては、「つゆだく」なるものの存在を認めてはおりません。
よって、それに関しましては記述漏れということは一切なく、その除外が故意のものであること、また指摘していただいた発言者様各位はこと茶屋界において酷い異端者であることをしっかりと理解していただきたく存じます。
次に、記事の構成上排斥したものの、私は「ねぎ玉牛丼」と「おろしポン酢牛丼」の二つに関しては擁護派です。この二品目はこの先、メニューの縮小化が進むであろう後世にもなお受け継がれるべき物だと考えております。
この二つに対する尊重意見が多く見られたので、私自身は賛意を示すこと、また記事の内容が多少誇張的で誤解を招くものだったことを謝罪すべく、こうして追記に至った次第です。
最後に、お新香などのサイドメニューは等しく幸福感を与えてくれる立場上、この問題では言及するべきでないと判断した旨を記して、筆を置きたいと思います。
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