最後にやったのいつだっけ

 キーンコーン、カーンコーン。

 数Bのテキストから顔を上げて、耳朶を叩くそんな音にふと「クとケがハブられてて、可哀想だなあ」なんて思う。

 けれどいざ想像してみると、クーンとケーンは流石にないなって結論に至った。

 そんな下らない思考に伴って、起立と礼も済んだ頃。席で次の授業の準備をしていたら――

「最初はグッ」

 ――濁点付きで、埋め合わせが来た。

「ほら、最初はグッ」

「……」

 私の席に寄ってくるなり開始されたこのジャンケンには、一体何の意味があるんだろう。

 まあ、何だかんだやるんですけどね。

 とりあえず頬杖を突いていた右腕をそのままだらりと、顎を支えていた手の平のままに差し出した。

 そんな開き切った私の手に対して突き付けられていたのは、陽気な彼女によく似合うピースの形だった。笑顔の横にでも添えていたなら、どれだけ良かったか。

「やーい、あたしの勝ち。ほんとパーばっかり出すよね」

 そうして勝ち誇る笑顔の横には、実際に勝利の一手と同じ形が掲げられていた。

 前言撤回、やっぱ見てみると結構ウザい。

 横ピースすんな馬鹿。

「……同じ手ばっかで悪いか」

「悪かない、むしろ良か! いいカモになるかんね!」

「で、何なのこれ。私のパー信仰なんか眺めて何になるの。このまま手相でも見てくれるっていうの?」

「生命線クッソ短いね!」

「やかましい」

 第一、今晒しているこれは右手であって、ちゃんと診断するのなら左手を参照しないといけないんだけど――まあ、そんなことはどうだっていい。

「で、ほんとに何の用?」

「あー、や、まあまずはこれを見て」

 そう言うと、彼女は私の眼前に指を突き出した。

 今度は、私のことを指し示すかのように向けられた指一本。

 意味を図りかねたからどういうことかと訊いてみたら、

「勝者の特権」

 とかいう更に度し難い返答が来た。

 何かもう色々面倒になってきたので、そろそろ無視してやろうかと思えてきた――けれど次の瞬間、私はそんな積み重なってきた不可解から一瞬にして解放されることになる。

 そう、記号的性質とでも言うんだろうか。その文化を理解する時に取っ付きやすい、取っ掛かりとなる部分。

 マスコットのような。キャッチコピーのような。

 そんな、とても馴染みのある言葉に私は――

「あっち向いて――ホイっ!」

 ――気付けば、左を向いていた。


       ・・・


 私にはジャンケンの癖こそあれど、あっち向いてホイでどこを向くかなんてパターンまでは流石に確立されていないので、今回一発で負けを被ったのは偶然の産物だ。

 そもそも、この遊び自体そんなに数をこなすものでもないし――久々で、ちょっと懐かしい気持ちになった。

「へっへー、ストレートの大勝利!」

「だからその横ピースやめろムカつくから」

 無駄に可愛いからそこそこ様になってるんだよ畜生。相変わらずウザいけど。

 ……私がやっても、こんな風には映えないだろうなあ。ちょっと羨ましい。

「勝ち筋はストレートなのに構えが横とはこれいかに!」

 ……まあ、このアホっぽい声と喋りですぐにそんな羨望はどこかへ吹き飛ぶんだけども。

 自分が相当に可愛いこの子と付き合っていてもコンプレックスをあまり感じないのは、こういう突き抜けたアホ、裏返せば嫌味のない気さくさが起因してるんだろう。

「で、どうどういかが? こんなの久しぶりにしたでしょー」

「まあ、うん。懐かしいね。子供っぽいから小学校を出て以来やってなかったよ」

 そう、思い返せば。

 小学校の卒業式にでも別れを告げたような。あの中庭の百葉箱と一緒に、ずっとあそこにあるような。

 私の通っていた中学校に、あの白くて大きい箱は無かった。

 そんな風に、たしかに懐かしくはあるんだけども――

「しかし、何でまた急にこんなことを」

「よくぞ訊いてくれた!」

 ふふんとそれらしく鼻を鳴らしてから、こう続いた。

「あたしはこの競技名に異を唱えたい! このあっち向いてホイって遊びは、あっち向いてホイじゃない!」

「……え?」

「だってどっちかと言うとそっちだし」

「ごめん、全然わかんない」

「指示語のオンパレードだもんね」

「自覚してるなら改善しろ」

 二本指で頬をつねってやる。

「痛ひよぉー」

 これまた皮肉な横ピースだ。

「で、何を言いたいの結局。あっち向いてホイのどこが、あっち向いてホイじゃないっていうの?」

「いてて……いやね、思うの。『あっち』も『ホイ』も、やってることと言ってることが合ってないなって」

「……ふぅん、一体どこら辺がそう思うの?」

 何だか、思ったよりまともそうなので聞いてみることにした。

「まず、『あっち』は『そっち』になるべきじゃないかなって。こそあど置き換えて、これが一番しっくりくるの」

「何で? 実際にあっちを向かせてるしいいんじゃないの?」

「や、だって考えてもみてよ。『あっち』って言われたら、前方とか、斜め前とか差して「あっちですよー」みたいなイメージない? 真横を差して『あっち』はなくない?」

「ああ……」

 そう言われたら、確かに。

 あっち向いてホイに、正面を差す戦術は存在しない。

「これはそもそも指を差す前にその対象の方へ向き直ってから前方を示すのが殆どだから、必然的にそうなってる感じがあるんだけど……例えばこれが、『そっち』だったなら」

「だったなら?」

「まだ『あっち』より左右に馴染みやすいと思うの。例えば彼女の買い物に付き添う彼氏のシーン。「どっちがいい?」なんて訊かれて答える『そっち』は必ず二択の枠組みの中にあるわけだから――」

「あるわけだから?」

「『そっち』には対になる二極のイメージ、上下や左右みたいなものに通じるとこがあると思うの。これが『あっち』には足りないなって、そんなことをさっきの授業中ずっと考えてて」

「まともに授業受けなよ……」

 そういえば、さっきはベクトルの授業だったっけ。そこから思いついたんだろうなあ。

 そんな私のそこはかとない納得を押し込めるかのように、残りの主張も矢継ぎ早に続いた。

「お次は『ホイ』について。これはちょっと実践してみようか――あ、掛け声するだけだからね、首は曲げなくて大丈夫」

 そう言うと、彼女は指をまたピンと立てた。

「じゃ――ホイっ!」

 そしてカクンと曲がる指、それに連なる手。

 私から見て右の方に折れたのを、しっかりと正面で見据えた。

「……どう?」

「どう、って言われても……え、何が?」

「だーかーらー、ホイっ! だよ!」

 指がまた、カクン。

「見て、ご覧になって! このしょーもないモーションの全貌! 指がちょこんと曲がるだけ! これのどこに「ホイっ!」って擬音をいただける資格があるのかな!?」

「いや、それはあくまでプレイヤーの台詞というか、モーションに伴ったシステムボイス的な役割というか……」

 格ゲーでいう「うりゃっ!」みたいな……。

「そんな訳ない! んなわけ! たわけ!」

 ダメだ、反論が通用しない。この子の無敵判定は長過ぎる。

 何フレームあるのか見当もつかない。

 そしてそこを突いて畳み掛けてきた。

「したがって、「ホイっ」など不要! 「チョイっ」くらいが妥当だと思われます、はい!」

「いや、だからそれは言葉の捉え方がズレてるだけじゃ――」

「たわけ! KYけーわい! 台湾系!」

「少しは頭を使って喋れ!」

 ダメだ、取り付く島もない……。

 ――こうなったら、もう。

 私は、口を真一文字に結んだ。

「そんなこんなで、以上二点のバグが取り除かれるべきなのは自明でありますのでして!」

「…………」

「ゆえにあたしは競技名を「そっち向いてチョイ」に変えるべきだと、そう言いたいのです!」

「…………」

「さあさ皆様、ご意見ご質問がございましたらどうぞ挙手の方を!」

「…………――!」

 ここだ。

 ここで私は静かに、手を挙げた。

「おお!?」

 そして振り上がったかと思うと、軌跡を辿り直すかのように――開いた肘をまた曲げ、その手をおもむろに下げて――

「おやおや、何か言いたげですね? いいんですよ、ご遠慮なさらず!」

 そんな案内も無視して、私は。

 ――私は、両の手の平で拍手を形作った。

 軽いパチパチとした音が、教室の安息を乱さない程度に響く。

 音が一つ重なる度、目の前の彼女の顔が充足感で満ちていくのが見えた。

 そして拍手を取り止めて、音が止んだ頃合にイニシアチブをいただいてからこう告げた。

「いやはや、感服したね。素直に聞き入って良かったと思える、面白い話だったよ」

 ――そう、まずは認める。

 こうして、会話の土俵に上げてもらう。

「え、えへへ〜。そうでしょ、結構筋通ってたでしょ?」

「うん、目から鱗だったね。ヒレも出てきそうなくらい」

 ――そして、褒める。

 上がった土俵で、神輿を担ぐ。

「そんなに言われるとちょっと照れ臭いなあ……褒めたってドーパミンしか出ないぞっ!」

 ちゃっかり脳内物質分泌すんなよ。

 絶妙なウザさに耐えつつ、後ちょっとだけ担いであげなきゃならない。

 ――まだここは、落とすには低いから。

「もうほんと、私みたいな凡才には考え付きもしない革新的な内容だったと言わざるを得ないね……」

「たっはー! 言うねえ!」

「センセーショナルなイノベーションをエモーション……」

「もっともっと!」

「一部の隙も無い完璧なロジックだったね!」

「っくーっ! んん、っくぅーっ!」

 言っちゃったかー!それ言っちゃったかー!という今日最大の鬱陶しさを発揮してくれた辺りで――よし。

 そろそろいいだろう。

 ここで一つ、提案をした。

「つきましては、そんな聡明なあなたに是非とも解いていただきたい難題がございまして……」

「ふっふふー、何のことはない、申してみよ!」

 ……駆け引きの余地も無く、獲物が網に飛び込んできた。

 仕掛けに数十秒、釣り上げるのにものの数秒ときた。ほんと、餌の仕掛ける甲斐がないったらありゃしない……。

 まあ釣れたものは釣れたのだから、このまま生け簀に直行ルートだ。

 残念ながら私の辞書には、キャッチの文字はあってもリリースの文字はないのだよ、ふふふ……。

「それはね……」

 私は、手で丸い形のジェスチャーを描えがいてから言い放った。

「だるまさんが転んだ、ってあるでしょ?」

「あるね。あたしもよくやったよ、懐かしいなー」

「それに関して、これもまたもやと言うか、やはりと言うか……さっきの「あっち向いてホイ」と同様の問題を抱えてるんじゃないかと思ってね」

 その言葉に少し間を置いてから、得心がいったようにこう返ってくる。

「たしかに……だるまなんて出てこないし、転ぶって現象へのルール的な接触も無い……となれば!」

「そう、これもまた矛盾を起こしてるの! 名前と行為の不一致だよ!」

「なるほど! これはまたあたしが出向いて改名してやるしかないね!」

 こうして見事、馬鹿の神輿が電柱にぶち当たった。

 さて――今度は私が畳み掛ける番だ。

 私の話を聞かなかった報い、しかと受けてしまえ。

「いやーご快諾いただけて何より! そんな懐の広さも、枠に囚われない柔軟な発想の一因かもしれないね!」

「ぬふ……ぬふふっ、それ程でもぉ……」

「その迅速な判断力と観察力を見込んで、更にこれまたもう一件! 浅学な私の悩みを解きほぐしてはいただけないでしょうか?」

「……ふ、ふふっ! 仕方無いなあ! そんなに言うなら、もう何でも掛かって来いだ!」

「やーやー何とも頼もしい!」

 そう言って私は、彼女に比べてとってもとっても矮小なその懐から、一枚のメモを取り出した。

「箇条書きにしてみたよ! さあそのご慧眼でどうぞ射抜いてくださって!」

「ふふん、どれ見せてみなさ……え?」

 彼女のによによした顔付きが、メモを見遣る目元から少しずつ強張っていく。

 そうして、程無くしてから気付いたろう。

 しまった、調子に乗り過ぎたと。

「あ、あの……これはちょっと……」

「ん、なになに足りない? その程度のテーマじゃ頭を働かせるまでもないって? いやこれは失敬、なら今しがた追加の題目を――!」

「わーっわーっ! ごめん、謝るから! しょーもない屁理屈でドヤったこと謝るから! だからこれは勘弁してーっ!」

 涙目になった双眸に映っているのは、彼女が散々喚いてきた屁理屈――それを更に突き詰めたような、いわば延長線の数々だ。

 軍艦、茶壷、ケンケンパ、グリコ、鍋鍋底抜け。

 彼女の理論でいくところの、各種その競技名にロジカルエラーを抱えた遊びの数々。

 こんなもの、難癖を付けようと思えば枚挙に暇いとまが無いのは分かりきっているし、私もそんな暇はほとほと持ち合わせていない。

 けれど、どうやら彼女は違うらしい。

 こういう重箱の隅をつつくどころか舐め回したいときたので、リソースを提供してあげた次第だ。

 そう――土俵に上げてもらえないのなら、客席からいくらでも座布団を投げてやればいいのだ。

 正直、こうなった私は我ながらねちっこい。

「またまたご謙遜を! 快刀乱麻を断つ鮮やかな切り口でのご教授をお待ちしております!」

 もっともっと追及してやろうかとも思っていたけれど――どこぞの神様が追い討ちを見かねたのか、折悪しく閉幕のチャイムが鳴り響いた。

「さて、まあそういうことだから、分かったなら次限の現代文を無意味に過ごしてきなさいな」

「うう……完全に足下を掬われたよ……」

 メモと悪意を存分に押し付けられた彼女はすごすごと座席に戻り、クーンと辛そうに鳴く犬のように項垂れた。

 してやったり。そんな感慨に浸っていたら、起立の号令に反応するのが少しだけ遅れてしまっていた。

「れーい。ちゃくせきー」

 気怠げなクラス委員の号令を聴きながら、ふと考える。

 あれだけ捻くれて、拗ねてみせたんだ。あの子がこれからの五〇分で、どんなご機嫌取りの策を企ててくるのか。そんな褒美めいたものが、楽しみでならない。はたまた開き直ったりして、またぞろ屁理屈を重ねてくるのかも――それはそれで、楽しみなんだけれど。

 そんなどちらに転ぶとも知れない彼女の背を見つめながら、私は現代文の時間を、共に無駄にした。

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