ムネを張りなさいムネを
ポケットから鍵を取り出して、ガチャリ。
そこから鍵を懐にしまって、今度はドアノブを掴む左手が忙しない……利き手の方はというと、ビニール袋に惚れ込んで離れやしない。
左手くん、もう少しだけ、もう少しだけだから。後ほんの少しでこの不埒な右手くんも酷使される目に遭うから。
そんな下らない脳内寸劇を終わらせたのは、扉の先で迎えてくれた我が家の明かりだった。
「ただいまー……って言っても、誰もいないか」
鍵は玄関横の靴棚の上にポイッと。これもまた左手で。
靴を脱ぎながら少し上を見やると、見慣れた自宅のLEDライト。帰り道にある蛾の群がった公園の電灯よりかは綺麗な光をしてる気がする。
まあ深夜にぶらぶら出歩く私だから、別にそういうのも嫌いじゃないんだけど……今は置いとこう。
それよか今は、この右手が携える晩ご飯こそが大事なんだ。
唐揚げ弁当(税込三百九十八円)――某お弁当チェーン店から持ち帰ってきたこの学食より三十八円高い一品が、どれほどのものか。私はこの三十八円に、何を見るのか。
それが知りたくて足早に帰ってきた次第なのだ。
その行いが結果としてほかほかお弁当の熱を守り抜いたことはあくまで副次的産物であって、自分の足は差額三十八円の可能性に突き動かされたんだと改めて強調したい。
だってほら、気分は大事だし。
そんなことを思いながら、玄関を上がり廊下へ、廊下からキッチンへ。今回電子レンジの役目は無いと言わんばかりに素通りして、居間に着くなり膝を折る。テーブルを挟んだ向こうには、テレビのモニターがある。
自分で言うのもなんだけれど、私が自炊をしたり、また家族と食卓を囲ったりすることは殆どない。ただそれが悲しい家庭の事情のせいだとか、あるいは孤児で天涯孤独だったりとか、そういう悲劇のヒロインへの片道切符は残念ながら持ち合わせてない。
その証拠に朝方はいつも、靴棚の上に千五百円――小銭が無かったであろう時には二千円――がポツンと置いてあって、私を養ってくれている。
朝食は、時間とお金に余裕があれば食べる。
昼食は、学校の食堂でお喋り混じりに。
夕食は、まあ大体こんな風に。
そんな私の生活の循環の中に、家族の姿は無い。
「……あっ」
妙なことを考えていた報いか何かなんだろうか、割り箸が変な割れ方をしてしまった。
片や尻すぼみ、片や豊満なヒップの取り合わせが、私の方を見つめてくる……この仕打ちは、アベレージが一日二食という成長期への挑戦状ゆえなんだろうか。
けれども構うものかと、こういった色々を踏み倒してくれるであろう38円に向き直った。
品目はいたってシンプルで、おかずに唐揚げ五個。その下に敷かれたキャベツは少し油で湿っていて、あとは申し訳程度に漬物などが少々。
そうして眺めていると、まだプラスチックの蓋を隔ててこそいるが、堂々と構える唐揚げの少し色素の薄い衣が私を誘っているのを感じ取った。視界の端の温もりを持ったポテトサラダに多少萎えるけれど、好き嫌いはよくないと割り切って蓋を取り去った。
縁ふちに滴る蒸気が、指を伝ってテーブルを濡らす。
濡れた指を割り箸に当てて、私は手のひらを合わせた。
「いただきます」
・・・
こんなうだつの上がらない私生活を送る私には、一つの趣味というか、ライフワークみたいなものがある。
それは、程々に自分を哀れむことだ。
例えばお金を落としたら、こう思うことにしている。
――ただでさえ余裕が無いのに重ねて貧しくなってしまった。自分は不幸で、可哀想だなあ、と。
別にこれは、自分を極端に不憫に扱って同情を引こうとか、そういう目的でやってるわけじゃない。
現にさっきの感情の裏には、でも大して嘆くことでもないし、まあいいや。と思う自分もいる。
要は、二面性の話で。
常に気を張り詰めて上昇志向でいるのも苦労が耐えないだろうから、たまにネガティブになってみようとか、その程度の動機だ。
だから自分は女子高生であると同時に冴えない生活を送るこんな自分を認めて、むしろ額に飾るように眺めて生きている。
私はそんな、甘苦い気分を楽しみに生きている。
・・・
「何だこれ……」
哀愁のこもった声音とは裏腹に、箸を持つ手が震えるのを感じた。右手くんが怒っている。
まあ、それもやむを得ない。だってこいつは……この三百九十八円は、あれだけお膳立てをして、それっぽいことも言ってやったのに――。
――私を、裏切ったのだ!!
「衣が……べちょべちょしてる……」
そう漏らす私の目の前にはまだ二個半しか減っていない唐揚げと、それに見合わない量の白米が残っている。既に梅干しの力は借りた後で、他に助けてくれるものはどこにもない。
何というかこの唐揚げには、おかずはこれだけしかないっていうのに「自分が白米を食べさせてやるぞ!」って気概が感じられない。さっきも言った通り、脂ぎった衣でまずげんなりさせられる。それから食感がもそもそとしていて、味も少し塩味が強い。何より飽きが途轍もない早さでやってくるのがとても辛い。これ一本で勝負しようっていうのなら、何でもう少しおいしくしてくれなかったんだろう……下手したらコンビニの唐揚げとパックのご飯を組み合わせた方がまだ良いんじゃないかって気すらしてきた。
それと、さっきからずっと鼻をついてくる温もりを持った芋の匂いが、尚のこと虚しさを引き立ててくる。やっぱりポテトサラダは嫌いだ……。
結局、三十八円増額の差分は、半端な投資をしたところで質はそんなに変わらないという世知辛い味付けをしていったらしい。
「もっとこう、胸を張れるようなおかずであってほしかったな……唐揚げなんだから……」
そう言って項垂れた私が食べていたのはモモ肉だと気付いたのは、しばらく後のことだった。
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