ふぁみふぁみまー
黙々とページを繰る手に、そろそろ網膜が置いてけぼりになってきた頃。
ここまで腹這いになって耽っていた読書が、ぴたりと止んだ。
「……眠い」
どうしたことか。まだ夜も序の口なのに、私の眼は、脳は。もう憩いを求めてしまっている。
本能とはいえ、不服だ。
まだ読んでいたい、見入っていたい。
勝手に着せられる渇きなんかより、自ら飢えている方がよっぽど有意義だ。
――仕方ない。
「……かふぇいん欲しい」
ここは一つ、抗ってやろう。
・・・
戸締まりはおもむろに、施錠も静寂の中に溶かすように。
手にした鍵が、少しひんやりとしていたり。
私にとっては夜も序盤とはいえ、もう日は回る頃のこと。あまり騒いでも申し訳が立たない。
「……さて、と」
もう十一月も半ば。ここのところすっかり冷え込んで、そろそろ手袋とかにも頼らないといけなくなってきた。
けれど、まだ息は白くならない。なら大丈夫な気がしてくる。……気がするだけだね、寒いね。これなら早いとこコンビニにでも行ってしまって、所用を済ませたい。
――さて、一口にコーヒーといっても、何にしよう。インスタントや、缶コーヒー。有名店の名を冠したカップのお高い物もあれば、最近ではお店の中で直接淹れてしまう物まであるんだとか。しかもそれが意外に美味しいらしい。どこのお店の物が一番良いか、そこだけ巡ってみたりするのも、良いかもしれない。
そういえば、まだこの時間。ここが住宅街なこともあって、町は未だにちらほらと息をしている。車は疎らで、散見するマンションの明かりなんかも二点か三点ほどのもの。
よし、このまま車道を横断して突っ切ろう。最寄りの横断歩道も割と遠いし、こっちの方が近道だね。
ずっと明滅をこなしている信号機に、お疲れ様と言いたい。なるべく嘲りながら。
・・・
「てれてれてれーれ、てれてれれー」
思わず小声で口遊んじゃうくらいには好きな入店音。正直な話、歓迎はこれだけで良いような気さえする。いらっしゃいませとかもういいよ。どうせそんな挨拶でもエアロスミスしか生まれないんだし。
さて、やっと着いたわけだけど。深夜のコンビニって、どこか不思議だよね。
昼に来ても夜に来ても、そこは同じ場所だなあって感じるんだけど、反面、別の場所にも思えたりする。
違わない場所に居るけれど、違う場所に来た気分がする。
「いらっしゃいませー」
いらないって言ったじゃん。いや言ってないけど。そうだ、後で代わりにレシートいりませんって言おう。
そうしてふと目を遣った店員の横。見たところ、もう惣菜は売れ尽くしているみたいで――おや、まだ肉まんが残ってた。いいね、深夜のコンビニ飯は。食欲とか、他にも色々と満たされる気分になるよ。まあついつい買い過ぎちゃって、もう沢山になったりもするけど。
でも今はそれを買いに来たわけじゃない。
さあコーヒーだ、苦味だ、カフェインだ。寄越しなさい。
そう意気揚々と進んで、いざドリンクコーナー。けれどその道すがら、何か面白そうな本があった。
どこの店舗にも設えられている、週刊誌とかが置いてない方の雑誌コーナー。よく『相手を手玉に取る心理学!』だとか『世界の怖い女性黙示録!』みたいな品々が陳列されているところだ。
そこの中央に、それはあった。
「世界の拷問大全集……?」
コンビニにあるこういうニッチな本って一体、誰に向けて販売されてるんだか。全く以て謎だけれど、まあまた、それはそれで面白かったりするし良いや。
……これ、少し読んでみたいな。
・・・
さて、そこも過ぎて販売コーナーに来たは良いものの。
「ううむ……」
色んな飲み物の立ち並ぶ棚。コーヒーに焦点を当てているとはいえ、選択肢は多岐に亘る。
正直、自分が大してコーヒーの味を分かっているだなんて思わない。まあそれでも、缶コーヒーのどことない安っぽさだけは知っているけれど。しかしその上でも、缶コーヒーを無下にしたりだなんてしない。寧ろ愛飲しているのはそれでさえある。
何しろコーヒーは味でなく、外装やら観念からくる雰囲気が八割な気がするのです。むふん。
ブラックは飲まないから、背伸びってわけでもないんだけど……要するに、飲むっていう行動そのものを味わっているわけで。その点では、缶コーヒーの風情なんかはしっくりくる。
けど、今はどうだろうか。
そもそもの目的はカフェインの摂取。なら今肝要なのは味では? ……となると、やはりカップの二八八円もするエスプレッソ辺り……?
「おや」
有名店の名前が二つ並んでいる……どっちが良いんだろう。あまりにも高いから、この類の物は飲み比べとかしたことないんだよね……。
「こっちのお店で前に飲んだの、美味しかったし……これにしよう」
まあその時に飲んだのはコーヒーじゃなくて、抹茶フラペチーノなんだけどね。
そんな感じでちょっとした贅沢と自分に言い聞かせつつ、レジに向かい財布の紐を緩めようとしたその時。
先刻の蠱惑的なあれが、またもや私の眼を釘付けにしてきた。
ええ、そうですとも。肉まんですとも。しかも最後の一つが残っているだけあって、購買意欲の威圧感が凄い。
何で売れ残ったのか。何で惣菜コーナーにある良く分からない商品ナンバーワンの『バラ売りのたこ焼き』なんかに競り負けたのか。私に買えと言うのか。
……ここで買うと、会計は四〇〇円にも上る。
しかし、そんな出費は実のところ、有り得ない。
何故なら仮に肉まんを買うとすれば、その片手に握られるべきはこんなもの(税込、二八八円)ではないからだ!
安物には安物、これこそがコンビニ飯のあるべき姿。
それに概算だと、件のコーヒー一本よりこの方が余程安上がりになる。
値の張った物で優雅に佇むのも良いけれど、一介の高校生にはこの方がお似合いな気もする。
さあ、そうと決まれば貧乏飯と洒落込もうかな。
踵を返して、まだ記憶に新しいラインナップへ向き直る。さっきのは元の場所に直して、と。
さてさて、私のお気に入りの缶コーヒーは、っと。
「……あれ?」
おかしいな。さっきの本でもあるまいし、そんなにマイナーな品目でも無いんだけれど、ここには無いみたいで……ああ、そういえば冬は別途でホットの陳列された棚があるんだよね。きっとそっちに――えっと、あれ?
「……置いてない!」
もう、何なの! このお店はどれだけ私を振り回せば気が済むの!
ここまで来て飲めないだなんて腹の虫が収まらない。確かあの商品ならちょっと行ったところのスーパーでこの前安売りしてた、もうそれにしよう。
行きとは違い、目もくれず足早にコンビニを後にしようとする。
「何て調子の悪い、どうしてこうも……」
そう内心で息巻いて自動ドアを潜った先は、来た時よりも闇が――それも視覚的なものに収まらないものが――深くなっているような気がした。
交通量が尚の事、衰えたような。窓明かりも徐々に、消えていっているような。
……少し遊覧が過ぎた気もする。しかしその愚鈍が呼んだ一層の静寂が肌に染み入り、得も言えぬ感慨が湧いてきた。
つまるところ、手頃な徘徊日和になってきた、ということだ。
さっきまでの憤りも、今となっては滑稽に映る。
「……よし、ちょっと歩こうかな」
家に立ち寄って自転車を繕っていくのも、何だか野暮に思えたので、自らの足で踏み締めていくことにした。何をといえばそれは勿論、息を潜めた町を。
しかし踏むだけというのも味気無いものだ。どうせなら噛み締めてもいこう、夜の情緒を。
「そういえば……こうしちゃったら肉まんが買えなくなるね……」
そう思いはしたけれど、何だかもう今更、どうだっていい。そもそもこうして徒歩に甘んじている時点で、気まぐれも良い所なんだから。
さあ、楽しい夜はこれからだ。
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