第27話 特訓

 クロケットは人々の出入りが多い為、中心部はほぼ毎日がお祭り騒ぎで賑わっている。

 だが、それを楽しむ人間が全てではなく、鬱陶しく思う者も当然いる。では、そんな人達は常に苛立ちを感じながら生活しているのか。答えは勿論ノーだ。彼等の為の憩いの場も、当然存在する。

 街の中心から少し外れた場所に設けられた、緑豊かな自然公園がそれだ。

 遊具といった子供の為のものは、そこには置かれていない。だが、噴水にその周りを囲むように設置されたベンチ、そしてちょっとした広場だけでも、人々を癒すには十分な環境だ。


「くッ……あぁ……!」


 そして、現在は早朝。

 普段なら体操に勤しむ老人や犬の散歩する若奥様くらいしか、この時間帯に人はいない。

 だが、今日はそこに珍客が交じっていた。―――嬌声を上げながら。


「か、カイトさん……。も、もう駄目です」

「こんなんでへばるなよ。本番はこれからだぜ?」


 はぁ、はぁ……、と呼吸を荒くさせながら、木にもたれ掛かる金髪の少女―――フェリス。

 その後ろに、カイトが寄り添う。彼の顔は浮かんでいるのは、暗く、それでいて楽しげな笑み。


「あ、あぁ、いく……いっちゃいます……!」

「もうちょっと頑張れって」


 彼女の懇願など聞かず、カイトは行為を続けていく。

 必死に我慢していたフェリスだが、既に10分以上これが繰り返されているのだ。もはや限界も近いだろう。


「い、い……!!」


 そして、遂に我慢の限界に達し、―――


「逝くって言ってるでしょ!? 腕が曲がっちゃいけない方向に!」

「大丈夫だ。あと90度は行けるって」

「折れる!? それ絶対に折れますよ!?」


 腕を極められたフェリスが、乙女がしてはいけない顔で絶叫を上げる。

 これまでのは全て、事前にカイトが告げていた近接戦の特訓だ。

 今日のメニューは東方で培われてきた戦場武術、柔術。これは相手を殺傷せずに捕縛するか、身を護る事、つまりは護身を重視した武術だ。今まで人との戦闘が無縁だった彼女には、最初はこのくらいからの方が丁度良いだろう。もっとも、それで手加減するような真似はしないが。


「ったく、これだから箱入りは……。腕の一本極められたくらいでギャーギャー喚きやがって」

「極めるっていうか、完全に折る気満々だったじゃないですか!? 誰だって騒ぐに決まってますよ!」

「あー、うるせーうるせー。そんだけ元気なら大丈夫だろ」


 ようやく解放されたフェリスが食って掛かるが、当のカイトは何処吹く風といった様子。

 更には、改めて立ち位置を定めると、くいくいと指を曲げて挑発までしてきた。


「ほら、これで今日は最後にしてやるから、もう一度掛かってきな。精々最後に、華々しく一花咲かせてみろっての」

「こンの余裕しゃくしゃくと……やっぱりムカつく!」


 流石にここまで露骨に挑発されると、散々良い様にされていた事もあり、黙ってはいられない。

 一花咲かせてみせろというなら、期待に応えてやろうではないか。

 溜め込んでいた怒りを、全て拳に込める。そして、いつも自信に満ちたその顔を殴ってやろうと駆け出し、


「大振り過ぎる」

「あ……」


 突き出された腕は、首を傾けるだけで避けられる。更には、パシ! とその腕までも掴まれる。

 その後に起こった事は、フェリスの目では追えなかった。敢えて言葉にするなら、魔術か妖術の類といったところか。

 とにかく気付いた時には、捕まれた腕の肘は、彼の腹で圧迫するようにして極められていた。


「腕挫腹固っと。どうだ、あとちょっーと動かせば肩外せるけど……逝っとく?」

「逝きませんよッ!?」


 骨折も嫌だが、だからといって脱臼はいいと良いという訳ではない。

 腕を極めながら凄まじい剣幕で怒号を上げるフェリスに、ちぇーとカイトは口を尖らせつつも、大人しく彼女を解放した。


「いったた……! もう、近接戦の特訓っていうから、てっきり技の練習とかだと思ったのに。これじゃただのサンドバックじゃないですか」

「アホか。俺が此処にいられるのは、多めに見積もってもあと6日くらいしかねぇんだぞ? そんな悠長な事やってられるかよ」

「じゃあ、どうするって言うんですか?」

「兎に角実戦あるのみ。身体で覚えろ」

「マジですか……」


 一瞬でスパルタという単語が頭を過った。しかも、教えるのが色々と常識に捕らわれないカイトだ。

 男女平等という、ここでは発揮してほしくない理念の下、問答無用で痛めつけてくる事だろう。


「けど、強ち無茶苦茶って訳じゃないんだぜ? 手っ取り早くスピードを上げるには、自分の限界速でスパルタで走り続けるといいって言うくらいだ。とにかく投げられて、締め上げられてりゃ、自然と身体で覚えるだろ」

「あの……それって聞きようによっては限界までボコボコにするって聞こえるんですけど」

「さ~て、どうだろうな?」

「……ひょっとしてこれって昨日の恨みも含まれてたりします?」


 実は彼女、昨夜の彼やシルヴィアと行った宴会の事を、途中から全く覚えていない。ミルクを飲み終え、その後に頼んだジュースを飲んでいたところまでは覚えているのだが。

 カイトの話を聞く限り、どうやら途中からジュースではなく彼が注文した酒を飲んでいたらしい。そして、初めて口にした酒に酔い、もはや未知のエネルギーでも供給したのかというほどの暴れっぷりを披露したのだとか。あのカイトを酒瓶で殴ったというのだから、自分の豹変ぶりには驚かせられる。

 だが、当然そんな事をされて、彼が平静でいられる訳がない。というか、今のがその仕返しと思えてならない。


「おいおい、俺がそんな私情で動く人間に見えるか?」

「で、ですよね! いくらカイトさんが大人気ないからって、流石にそんな事は―――」

「あるに決まってんだろ」

「あるんですか!」


 いや、寧ろその方が彼らしいというべきか。

 そんな彼女の考えを察したのか、口角を吊り上げながらカイトは代弁した。


「俺は私情で動く人間だ。世情なんざクソくらえだよ」


 確かに、キスク村の時も村人の事情など気にせず、ウルドが気に食わなかったからという理由だけで100人切りをやってのけた男だ。

 正義も悪も、貧困も裕福も、幸福も不幸も、彼には一切関係ない。敵となれば斬るだけ。自ら戦乱に飛び込んでいく以上、彼の目には敵しか映らない。その道は、屍で溢れかえっている。

 そんな茨の道を歩こうと決めた私情理由は聞いてみたいが、流石にあと数日で分かれる自分には教えてくれないだろう。


「さて。無駄口叩けるほど余裕があるみたいだし、もうちょっと揉んでやるか」

「うぇ!? そ、それは勘弁してくださいよー!」

「問答無用!」


 墓穴を掘るとは、まさにこの事か。

 どうやら、カイトの辞書に手加減という言葉は存在しないらしい。加えて彼は有言実行の男。先程の宣言通り、投げ技と寝技を以て、容赦なくフェリスをしごいていく。

 結局、朝の特訓が終わったのはそれから1時間経った頃だった。


「う~……まだ朝だっていうのに、もうボロボロですよ……」


 公園から宿までの帰り道。その言葉通り、既に彼女は立つ事もやっとの状態だった。

 一応汚れる事を見越して着替えてきた訳だが、その服は土にまみれ、白い肌も真っ黒に染まっている。その様子を見た道行く人々は、何があったのかと囁くほどだ。

 明らかに只事ではない。巡回中の衛兵に出くわさないのが、せめてもの救いだろう。


「それに、頭も妙に痛みますし……」

「そりゃ二日酔いだ馬鹿が」


 完全に自業自得なので、ハハハ! とカイトは乾いた笑みと共にスタスタと歩いていった。

 その後ろを、重い足取りながらも必死にフェリスは付いていく。


「あ~、宿に戻ったらもう一回寝ようかな……」

「させねぇよ。身体拭いて朝飯食ったら、ギルドで依頼受けに行くぞ」

「そ、そんなぁ! せ、せめて5時間だけでも!」

「さらっと5時間とか言うな。ってかお前、忘れてねぇよな? 俺達の財布が、未だピンチだって事を」

「う……!」


 そう、昨日の依頼料だけでも数日は宿泊出来る格安の宿を取る事は出来たが、フェリスの場合は当分この街を拠点とするのだ。あれだけでは全然足りない。それこそ、カイトが普段受けるようなB級レベルの依頼で、ようやく一ヶ月分の宿泊費が確保出来るほどだ。

 彼女の階級ランクに合わせて依頼を探し、基本的にカイトが手を貸さない現状、数をこなさなければそのレベルにまでは達しない。であれば、それなりに高めの報酬の依頼を、朝から晩までやっていくしか道はない。

 それでもやはり、先日から命懸けの戦闘を経験したばかりのフェリスに、このスケジュールは少々辛い。もう少し何とか出来ないかと、ある提案をしてみるが、


「それなら私とカイトさんで一部屋にすれば良かったのに……」

「おーい。年頃の娘がなに率先して男と一緒に寝ようとしてんだ? 痴女か、お前は」

「誰が痴女ですか!?」

「それに忘れたのかよ? 俺にはがあるから、一緒の部屋でなんて眠れる訳ねぇだろ」

「あー……毎晩のアレ、ですか」


 カイトの濃い隈を見て、今更ながら思い出す。彼が毎晩悪夢にうなされ、碌に眠れていない事を。

 依頼時に森の中でと、此処に来る道中の二度寝食を共にしたフェリス。耳栓のお蔭で彼女は眠れたが、時折誰かが動く気配も感じていた。あれは恐らく、飛び起きたカイトだったのだろう。

 若い男女が同じ部屋で一晩というのも当然問題だが、彼等にとってはそちらの方が重要だ。


「何回も聞いてますけど、本当に治療とかしなくていいんですか?」

「しつけぇな。その気はねぇって言ってるだろ。これは、俺が受けるべき報いだ」

「ひょっとして、今まで殺してきた貴族の……?」

「ハッ! クソ野郎に手を合わせるような、殊勝な人間だと思うか? 俺が」

「で、ですよね……」


 あれほど大勢の人間の前で白昼堂々、それも笑いながら切っていたのだ。加えてそれ以前にも、貴族を何人も殺害している。今更自分の罪を悔いるような人物ではない事は確かだ。

 だが、例え聞いたところで、恐らくまた『報い』の一言で片付けられる。そうやって隠されると、余計に知りたくなるのは人の性というやつか。


(まぁ、あと少しで離れるから、知ったところで意味ないんですけど……)


 話そうとしない理由には、それも含まれているのだろう。

 だとすれば、やはり聞いたところで意味はない。ここで手を引き、後腐れなく別れるのが賢い選択だろう。


「ん?」

「? どうしました?」


 そう思っていると、前を歩いていた唐突にカイトが足を止めた。

 気になってその視線を追ってみると、そこにいたのは仰々しい軍服に身を包んだ男達―――この街の衛兵だ。否、それだけではない。

 彼等と並んで、紅の団服を纏う厳つい者までも歩いていた。


「あれって、衛兵と……?」

「『紅翼騎士団ロートリッター』。この間言った、帝国最強の部隊だよ」

「っ!? あの人達が……!」


 『戦乙女』シルヴィア・ハーヴェストを筆頭に、この街に滞在しているとは聞いていた。だが、実際に目の前にしてみると、ゾルガやその部下とは格が違う事を思い知らされる。

 何が、と聞かれれば、上手く説明は出来ない。だが、無駄な意匠を省いた剣に、その身に纏う雰囲気。素人目に見ても、只者ではないと分かった。


「衛兵と一緒に警邏とは、ご苦労なこった」

「でも、何で騎士団の人達が見回りを……? 何か物々しいですし」

「決まってんだろ。連中の目的は『黒切』だ。キスク村に出たって情報は、とっくに連中の耳に届いてるだろうからな。この街は人の出入りが特に激しいし、ここで絶対に捕まえる為にも、大戦力を集めてんだよ」

「だとすると、下手にあの人達の前は通れませんね」


 いくらカイトの顔が割れていないとは言っても、安心は出来ない。

 世の中にはゾルガのように、見ただけで相手の力量を計れる人間もいる。傭兵という職業を明かせば問題ないかもしれないが、最初から関わらない方が得策だろう。


「しょうがない、迂回しま―――」

「何やってんだ。さっさと行くぞ」

「って、カイトさん!?」


 だが、当の本人は何ら気負いした様子も見せず、堂々と騎士達の前へと歩いていく。

 その信じられない行動に、フェリスはもはや顔面蒼白。慌てて駆け寄り、脇道に連れ込もうとする。


「ちょちょちょちょちょ!? 何普通に歩いてるんですか!?」

「あん? この道を真っ直ぐ行きゃ宿まで直ぐなんだぞ? 態々回り道なんてしてられっかよ」

「そうかもしれないけど!? 時と場合を考えてくださいよ!?」


 腕を引っ張るが、流石は歴戦の傭兵。どれだけ力を込めても、ピクリとも動かない。

 そうしている間にも、騎士達との距離は着実に狭まってきている。

 あわわわわ……!? と呂律が回らなくなるフェリス。そして、とうとう彼等の距離は零となり、


「……あれ?」


 何事もなく、通り過ぎていった。


「な、何で……?」

「振り向くな。そのまま歩け」

「にゃぶ!?」


 騎士達の方に視線を向けようとしたフェリスだが、グリン! と強制的に戻される。

 一瞬有り得ないほど曲がったようにも見えたが、そんな事は気にせずにカイトは説明した。


「だから言ったろ。アイツ等は碌に俺の顔も分かってねぇんだよ。それでどうやって俺を見付けるかと言ったら、怪しい奴に片っ端から声を掛けていくしかねぇ。なら、怪しいと思われなきゃいいだけだ」

「つまり、下手に逃げ回るから不審がられるんであって、逆に堂々としてればいいって事ですか?」

「ザーッツライト!」


 なるほど、とフェリスは感心する。確かに、彼の言う通りだ。

 衛兵が職務質問するのは、その人物の挙動に不自然さを感じるから。そういった人物は大抵、何か後ろ暗い事があり、それを周りに知られたくないが為に異常なまでに周囲に気を配っている。

 だが、カイトは始めから周りなど気にしない人間。それが堂々と肩で風を切るように歩いていれば、果たしてどう思うか。

 ヤンチャな子供くらいには思われるかもしれないが、まさか国家に仇為す大罪人とは思うまい。


「流石、稀代の大罪人。そこらの犯罪者とは違いますね」

「褒めてんのか、それ?」


 称賛なのか判断に困る評価を受け、カイトは顔を引きつらせる。

 もっとも、ここで暴れたら騎士達が引き返してきそうなので、仕方ないがここは引き下がろう。

 こうして捕まえる側と捕まる側は出会う事なく、2人は人混みへと消えていった。






「報告します。警邏の末、現在までに窃盗犯及び食い逃げ犯、合計5人を捕縛。しかし、『黒切』は未だ見付かっておりません」

「分かりました。引き続き、見回りをお願いしますわ」


 場所は変わり、ゴルティアが住まう南部領総督府。

 その広大な庭の一角に陣を構えるシルヴィアとサーシャの下に、街に出ていた部下からの中間報告が入る。もっとも、芳しい結果は得られなかったが。

 だが、手元にある相手の情報が少な過ぎる為、これは一応想定の範囲内の事だ。


「やはり厳しいですわね。顔が分からず、特徴が黒い刀と服だけとなると」

「まぁ、分かってはいた事だけどね。流石は大動脈の始まり地、クロケット。元々の人口に加え、日々訪れる冒険者や商人によって常に街はお祭り騒ぎ。この中から一人、いや2人の人間を見付けるのは至難の業だろうね」


 この捜索網が無茶である事は、シルヴィアも承知している。こんなものは、砂漠でガラス片を見付けるくらい難しいものだ。

 それでも、やはり初動捜査としてこれは重要な事だ。例え些細な情報であっても、いつかは何かの役に立つ。言ってしまえばパズルのピースのようなもの。一見まるで関係のないものに思えても、それらを繋ぎ合わせる事で、全く予期していなかった答えが導き出されるかもしれない。

 故に、無茶と批判されようと最初はここから始める他ない。


「ところで、分かってるね? 捕まえた者の中には昨夜酒場で暴れた者がいたら、それは釈放するんだ」

「彼等だけ捕まるのは不公平ですしね。此処にも、昨晩随分とお暴れになった戦乙女がいますのに」

「うぐ……! は、反省してます」


 捕縛した者の中には、昨晩自分達が起こした喧嘩に巻き込んでしまった者もいた。

 にも拘らず、自分だけ檻の外というのは、中々精神的に辛い。なので、それに関してはシルヴィアも見逃していた。

 そういう事情もあって、見逃す事はサーシャも言及しない。だが、昨晩の不祥事については物申したい。


「はぁ。酒の席には騒ぎがつきものと言いますし、あまり口煩くは言いませんが、もう少し節度というものを弁えてくださいな」

「……ふふっ」

「? お姉様?」

「いや、カイト君と同じ事を言うなと思ってね」

「カイト……は!? まさか、お姉様に男が!?」

「いや、言ったじゃないか。昨日一緒に食事をした男だよ」

「あー、そういえば言っておりましたわね。煽情的なお姉様のお姿に見惚れて、忘れていましたわ」


 おいおい……、とシルヴィアは額に手を置き、やれやれと首を振る。

 確かに酒に酔い、少々肩をはだけさせてしまったが、まさか人の話を聞かないまでに興奮してしまうとは。今度から話をする時は、ちゃんとした服装でいようとシルヴィアは決めるのだった。


「それで、確かもう一人はフェリスさんと仰いましったけ?」

「……何度も言うけど、捕まえるなよ。私が逃れられて彼等だけ捕まったんじゃ、不公平だからね」

「私が言いたいのはそういう事ではありませんの。ただ、黒い服装の少年と金髪の少女……特徴としては一致していると思いまして」


 大罪人『黒切』の唯一の手掛かり、それは全体的に黒い服装に、同色の刀。

 そして今回は、何故か村娘を一人誘拐しているとの事。それらの特徴が全て揃っている為、疑うのも当然な訳だが、


「……それは私も思ったさ。だから、彼の剣も確認したよ」


 その点はシルヴィアも抜かりない。サーシャと同じ事を考え、注意深く観察していた。

 もっとも、彼女が予想していた結果は得られなかった訳だが。


「けど、結果は外れさ。刀どころかロングソードだったし、刀身は鋼色だ。持っていた剣はあれ一本だったし、彼は『黒切』じゃないよ」

「何処かに預けていた……とは考えられませんわね。自分を象徴する武器ですから、それを手元に置おかないなど有り得ませんし」

「それに、娘の方は誘拐されたんだろ? 彼等は幼馴染みらしく、とても仲が良さそうに見えた。誘拐した側とされた側なら、あんな楽しそうな顔は浮かべないよ」


 特徴としては一致している。だが、その振る舞いの全てが、今まで見てきた罪人とはかけ離れていた。

 決定打と成り得る証拠黒刀はなく、一般的な罪人とは異なる人間性。それらを統合すると、シルヴィアには彼が『黒切』だとは思えなかった。


「結局は振り出しですか。ですがお姉様、流石にもう人海戦術は……」

「分かってる。私も、これ以上無駄に時間を費やし、部下に負担を強いるつもりはないさ」


 既に街のほぼ全体を部下達は巡り、大まかな情報は集まってきている。

 その上で標的が見付からないとなれば、次の段階に移行するべき時は今しかない。


「彼等のお蔭で、路地裏などには潜んでない事は分かった。つまり相手は隠れるつもりもなく、堂々と街を歩いている」

「ず、随分と堂々としていますわね。犯罪者のくせに」

「だからこそと言うべきだろう。怯えて暗闇に潜むより、人波に紛れていた方が見付かりにくい。今の状況からも、それがよく分かるだろう?」


 確かに、とサーシャは頷く。言わば、木を隠すなら森の中といったところか。

 これだけの人間が行き交っているのだ。身を隠すには絶好の場所だろう。


「ですが、だとすればより捜索は困難になるのでは?」

「そうとも言えないさ。人を利用して隠れているという事は、人が多い場所ほど彼にとっては拠点に適している。つまり、敢えてそういう場所を選んで移動している可能性が高い」

「とすると……」

「ギルドや食堂などを徹底的に探すんだ。それから、後続部隊には私服に着替えるようにも伝えてくれ。相手が隠れている中、あの格好では目立ち過ぎる。こちらも人混みに紛れるぞ」

「了解しました」


 先に街に出ている部隊を着替えさせないのは、ある意味で彼等を囮とする為だ。

 シルヴィアの言った通り、あの格好はかなり目立つ。であれば、自然とそちらに注意を向けてしまうだろう。そんな中で、私服姿の団員にまでも気付くだろうか。勿論100%とは言えないが、相手が気付く確率は格段に下がるはずだ。であれば、使わない手はない。


「さぁ、行こう。私達が―――本命だ」


 先発隊が使い捨てという訳ではない。確実な勝利の為には、時には囮も必要となる。

 獲物を確実に追い詰める為、本命たる後続部隊が動き出す。


「さて、では私も着替えて向かうとするかな!」

(……あれ? ひょっとして、お姉様自身が街に出たいだけでは?)

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