第26話 酒の席には騒ぎがつきもの


 しばらく歩いて大通りに出た3人が向かったのは、如何にもといった様式の酒場。フェリスの実家『恵みの風』と同様、2階は宿になっているらしい。

 もっとも、様式こそ同じでも、建物の景観は大きく異なる。キスク村のものが全体的に白く、清潔感に溢れているのに対し、こちらは少々煤けている。此処は帝都に繋がる大動脈の始まりの地である為、酒場ともなれば冒険者を始め、商人や職人など多くの人々が訪れる。掃除をしていない訳もないので、そういった物量差に負け、すっかり汚れがこびりついてしまったと見える。

 だが、こういった汚れは店の歴史を感じさせ、全く不快感など感じられない。寧ろ、趣きがあっていい。


「おっさーん! エール2杯と……」


 店に入ったカイトは、早速自分とシルヴィアの分の酒を注文。

 そして、一応年齢的には自分よりも年上のフェリスを、正確には彼女のを一瞥すると


「ミルクを1杯頼むわ」

「何処見ました? 今何処を見てからミルクを頼みました?」


 半眼で睨み付けるフェリスだが、対するカイトは『ハハハ』と笑うだけで取り合わない。

 こうなると彼は聞く耳を持たない。『もう……』と溜め息を吐いた後、フェリスを筆頭に彼等は近くの席に腰を下ろした。


「さて。落ち着いたところで、改めて自己紹介しましょうか!」

「え? 嫌だけど?」

「しましょうね! 私はフェリス・ルスキニア。しがない食堂の娘で、今日冒険者登録をしました!」

「それはめでたいね。じゃあ、今日は君の新しい門出を祝うパーティといこうじゃないか」

「パーティですか!? ありがとうございます!」


 まさかそんなおめでたい日だったとは。偶然の出会いとはいえ、これは共に祝うべきだろう。

 パーティという単語に、フェリスは諸手を上げて喜ぶ。

 そんな陽気な空気など完全にぶった切って、次いで渋々ながらカイトが名乗った。


「カイト・クラティア。さっきも言ったが、薄汚い傭兵をやってる。呼び方は、カイトでもクラティアでも傭兵でも何でもいい」

「そうか。なら、彼女に倣ってカイトと呼ばせてもらうよ」

「好きにしな」


 明るい彼女とは対極に、落ち着いた雰囲気を醸し出すカイト。

 傭兵と聞くと粗野な荒くれ者をシルヴィアは真っ先にイメージするが、どうやら彼は違うらしい。いや、粗野ではあるが、何処か礼儀も弁えていると見える。

 心の中で傭兵という職業から忌避感を抱いていた事を謝罪しつつ、最後にシルヴィアの番が回ってきた。


「で、最後は私だね。名前はシルヴィ・ハースト。ゴルティア様の下でメイドとして働いている。呼び方はシルヴィでいいよ」

「はい! よろしくお願いしますね。シルヴィさん!」


 友人が付けた愛称と、苗字を一文字抜いただけだが、違和感の名前に仕上がって何よりだ。

 これで自分が『紅翼騎士団ロートリッター』副団長と気付かれず、ゆっくりプライベートを楽しむ事が出来る。


「お待たせしました! エール2杯にミルクです!」


 そこへ、ウェイトレスが事前に注文した酒とミルクを運んできた。


「えっと、それでは気を取り直して! 私達の出会いに―――」

「乾~杯」

「ちょっとぉ!? 私が言おうとしたのに!」

「む、駄目だったか?」

「シルヴィさんまで!?」


 フェリスの乾杯の音頭を完全無視し、飲み始めるカイト。

 申し訳ないと思いながらシルヴィアもそれに続いてみたが、これは中々楽しい。特に彼女の反応が。

 そんな事を考えながら、2人は再度ジョッキを傾け、豪快に中身の酒を口内に流し込んだ。


「く~! やっぱ仕事の後の酒は最高だ!」

「同感だ。この身体に染み込んでいく感じが堪らない……!」

「2人共、おじさん臭いですよ」

「「う……!」」


 ドスドス! と、フェリスの言葉が鉄杭の如く2人の胸に突き刺さる。

 片やおじさんと呼ばれるにはまだまだ若く、片やおじさん云々以前に女性。確かに若人が発するものではなかったかもしれないが、実際に口に出される辛いものがある。

 項垂れ、思わず2人は丸テーブルに突っ伏してしまう。だが、ただで終わるカイトではない。


「……ババァのくせに」

「何か言いました?」

「ストップ。謝るからその振り上げたジョッキを今直ぐ下ろせ」


 もっとも、威圧的な笑顔を浮かべるフェリスによって、その抵抗は虚しく潰えてしまったが。


「ふふっ……」

「あん?」

「いや、すまない。君達のやり取りが面白くて。随分仲が良いようだけど、2人は恋仲なのかい?」

「「違う/違います」」

「そこまで強く否定するとは、ますます怪しいね」

「何処がですが!? 今のやり取りに微塵もそんな要素はないと思いますけど!?」

「その目はガラスか何かかよ? そうじゃねぇってなら、医者に行く事を勧めるぜ」

「ハハッ! それはすまないな」


 軽い冗談に対し、本気で返すフェリスと、辛辣の物言いのカイト。本来なら関わる事のない者達だが、シルヴィアはこの出会いに感謝した。

 普段街巡りに出ても、彼女は基本一人で過ごしている。それは先程の傭兵のように絡まれるのを避ける為であり、同時に折角のプライベートを邪魔されたくないという考えからの行動だ。故に、唐突に食事に誘われた時は適当なところで抜ければいいと思っていたが、これは中々楽しい。

 一人で食事をするより大勢の方が楽しいとはよく聞くが、こうしてみると改めてそれを実感出来た。


「まぁ、それはさておき。まずは君達の話を聞かせてもらってもいいかな? 傭兵に、今日冒険者になったとはいえ食堂の娘……一体どういう繋がりか、とても興味があるな」


 ビク……! とフェリスは僅かにだが動揺した。

 基本的に傭兵とは人に忌み嫌われる存在。それとごく普通の一般人が共にいるとなれば、確かに気になるだろう。それでも、話す訳にはいかない。

 フェリスの方はまだしも、カイトは大罪人『黒切』として帝国に追われる身だからだ。まさかそれを伝えられるはずもない。


「え、え~とですね、私達は……」


 どうこの場を切り抜けるべきかと、フェリスは口ごもってしまう。

 だが、彼女が答えるよりも早く、カイトが口を開いた。


「幼馴染みだよ、コイツとは」


 その全く予想していなかった解答に、ぽかんと一瞬シルヴィアは呆けた。


「……幼馴染み?」

「そう、コイツとは結構長い付き合いでな。俺は早くに親を亡くしたから、小さい頃はよく世話になったよ」

「けど、幼馴染みの割に、彼女の口調が……」

「あ、これは癖みたいなものなので、気にしないでください」


 そうか、と納得するシルヴィアを見ながら、ほっとフェリスは小さく息を吐く。

 街に入る時も思った事だが、カイトの人を欺く技術はかなりのものだ。加えて、一瞬で思いつくのだから、よほど頭の回転が速いと見える。

 幼馴染みという親密な関係の割に、他人行儀な口調には疑問を持たれたが、それはフェリスのフォローによって難を逃れる事が出来た。


「まぁ、その縁もあって昔はコイツの店を手伝ったりしたんだけど、どうも料理の才能だけはなくてな。唯一自慢出来たのは戦いの腕だけ。ンで、10歳ぐらいの時に傭兵としてギルドに登録したって訳だ」

「なるほどね。でも、それなら冒険者の方が良かったんじゃないかな? 傭兵っていうのは、何かと風当たりが強いだろう?」

「確かにそういう事もあるが、俺にとっては天職だよ。何せやる事は戦いだけ、敵を倒したか否かで依頼の成否が決まるんだ。これほどシンプルな職業はねぇだろ」

「う~ん、確かにシンプルと言えばシンプルですけど……。傭兵でもそんな事言うのはカイトさんくらいだと思いますよ」

「変わってるね、君は」

「いいじゃねぇの。オンリーワンって感じでよ」


 中々辛口の評価を下されるカイトだが、彼はケタケタと楽しげに笑うばかりだ。

 変わり者というシルヴィアの評価は、強ち間違っていないのかもしれない。


「ふむ、クラティア君とフェリスの関係は分かった。じゃあ、今回何でフェリスは冒険者の登録を? まさか、君と一緒に血塗れの戦場へデートしに行く訳じゃないだろう?」

「だから違うって言ってるよな。コイツとデートするくらいなら、戦場でレッツパーリィしてた方がマジわ」

「デートよりもパーリィ惨劇の方がマシって……」


 冗談だとは分かっていても、これには流石に顔を引き攣らせてしまう。

 そんなフェリスを横目に、カイトは更に話を進めた。


「まぁ、コイツの実家の方で色々あってな。食堂だけで生きてくのはちっと厳しくなったんだよ。ンで、依頼で手に入った報酬が少しでも足しになればって感じだ」

「態々故郷を離れてまで一人で働きに出るとは……立派だね。ご両親もさぞ誇らしいだろう」

「い、いやぁ~、それほどでもありますよ!」

「あるのかよ」

「しかし、今まで食堂で働いてきて、それがいきなり冒険者なんて大変じゃないかい?」

「だから俺がいるんだよ。薄汚い傭兵の俺がな」

「あぁ、教育係という訳か」


 カイトの階級ランクを知らないシルヴィアだが、戦闘に関していえば、確かにこれほど優秀な教官はいないだろう。

 加えて、彼女がカイトの下した評価を信じる理由はもう一つある。


「幸い、コイツには魔術の才能がある。後は近接戦と戦術を教え込めば、それなりにモノにはなるだろ」

「君ほどの実力者が言うんだ。その見立ては、間違いないだろうね」

「す、凄いですね。会ったばかりなのに、カイトさんの事をそこまで信頼出来るなんて」

「信じるさ、彼の剣を見ればね」


 すいと彼女の指が向けられたのは、カイトの腰に差された片手直剣ロングソードだ。


「ちょっと見せてもらってもいいかい」

「いいけど、壊すなよ」

「大丈夫。一応武器の扱いは心得ているよ」


 若干心配しながらもカイトは腰から剣を外し、彼女へと差し出した。

 それを受け取ったシルヴィアは、鞘から刀身を少しだけ引き抜く。そして、自身の顔が移った刀身を見て、自分の予想は正しかったと笑みを浮かべた。


「……やっぱりね」

「何か分かるんですか?」

「色々な剣を見てきたからね。見た目にだけ金を掛けた鈍らに、業物でも腰のお飾りに成り下がったもの。そういうものを見てたら、自然と持ち主の事も分かってくるんだよ」

「へぇ、じゃあカイトさんのは?」

「これは無銘だけど、何度も鍛え直されている。よほどの修羅場を潜り抜けてきた、歴戦の戦士のものである事は明白だよ」


 それに、と続けながら、今度は刀身を全て引き抜いた。


「刃毀れしようものなら直ぐに買い替える者が多い今の時代、ここまで使い込まれている剣は珍しい。これはもはや君の武器というより、身体の一部といった方が正しいしれない。君のような人間に使われて、この剣も喜んでいるだろう」

「凄いじゃないですか、カイトさん! べた褒めされてますよ!」

「ケッ! 買い替える金がなかっただけだっつうの」

「なるほど。打ち直してもらう金はあっても、買い替える金はなかったんだね」

「くっ……!」


 痛いところを突かれ、顔を背けるカイト。どうやら普段いえばクールに振る舞い、人を貶している分、あまり物に愛着を持つ人間だと思われたくないらしい。

 その為か早々に話題を変えたいらしく、今し方気になった事について彼は問うた。


「っつか、アンタ本当にメイドかよ。その目利き、とても使用人とは思えねぇけどな」

「ッ! も、勿論だとも! い、今のは、長い事主人の傍にいたから、自然と培ってしまったというだけで……! 私は人畜無害なただのメイドに過ぎないよ!?」


 シルヴィアの慌てぶりに、ふ~ん……と『怪しい』と言わんばかりにカイトは目を細める。

 それについては、これ以上聞いても碌な解答は得られなさそうだ。だが、彼女の動揺ぶりを好機と見たカイトは、そのまま話題を彼女のものに変えていった。


「で、俺等の事は話したんだ。次はアンタの番だぜ」

「私かぁ……。でも、今言ったように、人畜無害のメイドだからね。君みたいに激動の人生を歩んだ訳でもないから、そんな話の種になるようなものはないよ」

「え~……面白い話があると思ったのにな~」

「ははっ、期待に応えられなくてすまないね」


 カイトが『黒切』だと知られる訳にはいかないのと同様、シルヴィアも『戦乙女』だと知られる訳にはいかない。先程は咄嗟にメイドと答えてしまったが、当然そんな経験はした事がないので、何を話せばいいのかも分からない。

 ならばここは、少々場を白けさせてしまうが、何もないと言ってしまうのが無難だろう。

 そう考えていたシルヴィアだが、そこでカイトが代替案を提示してきた。


「なら、アンタのご主人様の事でも聞かせてくれねぇか?」

「主人……ゴルティア様の事をかい?」

「そ。何だっていいぜ。恥ずかしい失敗談でも、人には言えないような性癖でも」

「いや、性癖は止めましょうよ」


 確かにそれなら話の種にはなりそうだが、ゴルティア本人からすれば知らない間に自分の秘密をバラされ、迷惑もいいところだろう。

 もっとも、シルヴィアは彼の従者でも何でもないので、当然そんな事は知りもしない訳だが。


「カイトさん。まさかゴルティア卿を襲撃するつもりじゃあ……?」

「さぁね。そいつは相手次第ってとこだな」


 フェリスは彼が多くの騎士達を、そして貴族を惨殺する現場を直に見ている。

 敵と判断しなければ何もアクションを起こさないだろうが、それは逆に言えば、敵となれば容赦しないという事になる。彼が帝国を滅ぼそうとしている以上、衝突は免れないが、それでもしばらくは平穏無事に過ごせる事をフェリスは切に願うのだった。


「残念ながら、そういった類の話はないな。何せゴルティア様はその武功もさる事ながら、民に対して慈愛の心を持って接する事でも有名な御方。凱旋の折、貧民街に立ち寄り、そこに住む人々の話も親身になって聞いている。貴族の鏡と言ってもいいだろう」

「貴族の鏡、ねぇ……」


 ふん、と下らないといった様子でカイトは鼻を鳴らす。

 そんな彼のつまらなそう反応に、シルヴィアは僅かに興味を持った。


「不満そうだね?」

「別に不満はねぇよ。ただ、完璧な人間より、少しでも欠点があった方が可愛らしいって思っただけだ」

「まぁ、それは言えてるね」


 欠点とは本人からすればなくしたいものに違いない。だが、他人からすれば個性の一つに過ぎない。

 何でもそつなくこなされるより、分からない事を聞いてくる人間が可愛いという。であれば、多少の欠点はいい笑い話だ。

 そこに、珍しく強気な口調でフェリスが割り込んでくる。


「逆にカイトさんは欠点だらけだと思いますけどね」

「おい、誰が欠陥品だコラ」

「その口の悪さといい、欠点しかないのは火を見るよりも明らかじゃないですか。そのゴルティア卿を、少しは見習った方がいいんじゃないですか?」

「ほほう……言うじゃねぇか。取り敢えず4分の3殺しにするけど構わねぇよな」

「それ、殆ど死んでるんだが……? っというか女性にも容赦ないな、君は」

「女だろう男だろうが、結局は人間だ。なら、そういう情けはいらねぇだろ」

「まさかそこで男女平等の精神を持ち込んでくるとは思わなかったよ」


 男女平等、実にいい言葉だ。いい言葉なのだが、殴り合いでそれを出してほしくはなかった。

 だが、一方のフェリスは彼が拳を固めるのを前にしても、全く動じない。寧ろいつも以上にへらへらと笑っていた。


「何ですかぁ、文句でもあるんですかぁ? このまっくろくろすけがぁ」

「あん? おい、ちょっと待て」

「もしかして彼女……」


 そこでようやく2人も異変を察知する。そして、ほぼ同時に彼等の視線はテーブルの上に。

 上に置かれているのは、当然ながら彼等が注文した飲み物。だが、少しおかしい。

 カイトとシルヴィアのエールは、最初の一口目を除いてチビチビと飲んでいたはず。にも拘らず、異様に減りが早いように思える。


「おい、このエール……」

「それは私のだぁッ!!」

「ごぶるッ!?」


 自分のジョッキを確認しようとしたカイトだが、それはフェリスによって阻まれた。

 ―――ガッシャァアンッ! と。彼女がカイトの頭を、酒瓶で殴った事で。


「……ハッ! か、カイト君!?」


 突然の事態に一瞬呆けるシルヴィアだったが、直ぐに我に返る。そして、テーブルに突っ伏し、ビクンビクン! と身体を痙攣させるカイトを介抱する。

 が、その前にフェリスの腕が伸び、意識を朦朧とさせているカイトを無理矢理現実に引き戻した。


「ちょっとぉ、いつまで寝てるんですかぁ? 早々と潰れないでくださいよぉ? まだ夜は長いんですからぁ」

「あ、あれ、おっかしいな……。なぁ、シルヴィさんよ。今ちょっと意識が飛んだんだけど……途中でチェンジとかしたっけ?」

「いや、してないよ。最初から彼女と飲んでいて、今に至るまでずっと彼女と飲んでたよ」

「ハハ……そうか。じゃあ、ちょっと飲み過ぎたみたいだから俺帰るわ」

「待てぇ!? この状態の彼女を残して私を置いていかないでくれ!」


 まさか彼女がここまで酒に弱かったとは。もっとも、そんな事を言っている暇はない。早急に此処を離れなくては、何をされるか分かったものではない。

 そう判断したカイトは、シルヴィアを残してさっさと離脱を図ろうとしたが、


「逃げんなコラァ!」

「がぁッ!?」


 凄まじい勢いの飛び蹴りを背中に叩き込まれ、不様に地面を転がる結果となった。


「もう何逃げてんですかぁ。私の敷居を跨いでおいて、日が昇る前に帰れると思ってんですかぁ?」

「いや、日が昇る前に帰れるっというか、日が昇る前に土に還りそうなんだが……」

 

 まさかこんな落とし穴があるとは……、とシルヴィアは頬を引き攣らせる。

 確かに今し方、少しくらい欠点がある方が可愛いとは言ったが、これは違う気がする。いや、絶対に違う。

 一方で、酔っているとはいえここまで好きにされ、カイトの方もブチ切れ寸前だ。具体的には、もう剣を抜きそうな勢いだ。


「このアマ……! 先に仕掛けたのはお前だって事を忘れるなよ?」

「ま、待つんだ、カイト君! 今の彼女は酔ってるだけで、決して悪気があった訳じゃ……」

「あひゃひゃひゃ! まっくろくろすけが泡でまっしろしろすけになったぁ! イメチェンですかぁ!? そっちの方が可愛いですよぉ!?」

「―――殺す」

「落ち着け、カイト君! 言葉に殺意が満ちてるぞ!?」


 もはや剣どころか、目からビームを出しそうな勢いで殺意に満ち溢れている。このままでは冗談抜きでフェリスをボコボコ(言葉では表現出来ない感じの)にしかねない。

 どう止めるべきかと悩むシルヴィア。だが、周りはそんな事などお構いなしといった様子だ。


「何だ何だ、喧嘩か!?」

「嫁さんがいるのに、別の女を孕ませたらしいぜ?」

「おお、修羅場って訳か!」

「いいぞ、もっとやれ!」


 酒の席には騒ぎがつきもの、とは果たして誰が言ったものだったか。彼等はこの唐突に始まった喧嘩を、いい酒の肴として楽しんでいるようだ。

 だが、当人達にとっては面白いものではない。故に、そんな茶々を入れられると、矛先が変わってしまう訳で、


「やかましい! 変な情報ばら撒いてんじゃねぇよ、この酔っ払い共が!」


 手近にあった椅子を掴み、カイトは野次を飛ばしていた一団へとそれを放り投げた。

 ガン! と盛大に地面に叩き付けられ、派手に壊れる椅子。幸い怪我人は出なかったようだが、その一投が彼等の中で燻っていた火種を更に燃え上がらせてしまう。

 しかも、冒険者や傭兵といった血気盛んな連中も来ていたらしく、その燃え上がり方は相当なものだ。


「このガキ、やんのかコラ!」

「ガキだからって容赦しねぇぞ!」

「ハッ! 来いよ、喧嘩なら買うぜ」

「いや、売ったのは君……って、もう聞いてないか」


 渦中に飛び込むカイトを見送りながら、シルヴィアは溜め息を吐く。その後はもう、しっちゃかめっちゃかの乱闘騒ぎだった。

 敵も味方もそこにはない。ただ暴れたい者が好きに暴れている。その台風の中心にいるのは、当然ながらカイトだ。


「ハッハァ! どうしたどうしたぁ!? 冒険者が何人も集まってんのに、傭兵一人止めらんねぇのか!?」

「好き放題言いやがって! テメェ等、冒険者の意地ってやつを見せてやろうぜ!」

「「「おぉ!!」」」


 居合わせていた冒険者を挑発し、更に乱闘を加速させていく。

 これはもはや、最後の一人が皆の上に立つまで、決して止まる事はないだろう。


「やれやれ、トンだ騒ぎになったものだ」


 いつもなら一人でのんびりと食事をしているところ、こうも暴れられては風情も何もない。


(だけど……)


 ふっ……と自然と頬が緩んでしまう。

 あぁ、そうだ。先程も言ったばかりではないか。一人で食事をするより大勢の方が、


(これはこれで楽しいものだな!)


 今までにない体験に、普段冷静なシルヴィアは破顔一笑する。

 そこへ、完全に敵味方もなくなっているらしく、暴れている男の一人が彼女の下にもやってきた。


「やりやがったな、この野郎!」

「野郎じゃない、女郎だ」

「あぼッ!?」


 ゴッ! とその男の顎に掌底を食らわせ、即座に意識を奪う。

 そして、構えを取りながら、カイトと背中合わせになる形で立った。


「全く、トンだとばっちりだ」

「そう言うなよ。酒の席に喧嘩は付きものだろうが」

「ふふっ、それは言えてる―――ね!」


 再び彼等は乱闘の中に身を投じる。

 だが、『黒切』に『戦乙女』。どちらも名を馳せた強者相手に、並みの人間が勝てる訳もない。僅か5分ほどで、2人以外の人間は沈黙する事となった。

 ちなみにフェリスは、途中から店の隅で寝ていたとか。






「悪りぃな。こっちから誘っておいて、騒々しくしちまってよ」


 乱闘騒ぎのあった酒場から、少し離れた橋の上。

 憲兵が来る前に3人はその場から逃走を図り、途中で捕まる事なく此処までやってきた。っというか、片や大罪人、片や帝国最強騎士団の副団長なので、流石に逮捕されるのは洒落にならない。

 そして、ようやく息が整ったところで、カイトはシルヴィアに謝罪の言葉を述べた。


「その上、誘った張本人はこの様だし」


 そう言って舌打ちするカイトは、まるで米俵でも背負うかのように肩にフェリスを担いでいた。

 少々酷い扱いに物申したい気持ちはあるが、一応今回の原因となったのは彼女だ。少し恥ずかしい思いをしてもらうとしよう。


「気にしてないよ。寧ろ、今までにない楽しい食事だったよ」

「そう言ってもらえると助かるね。しっかし、コイツはあんだけの事があったのによく眠れるな」

「ある意味で大物だね」

「いいや、ただの馬鹿だ。大馬鹿だよ」


 いっそ酔拳でも覚えさせるか、と適当に言ったカイトは、気持ちよさそうに眠っているフェリスを担ぎ直す。

 そして、肩越しにシルヴィアを視界に収めながら、橋の袂まで歩いていく。


「ンじゃ、俺達はこっちだから」


 所詮は今夜だけの出会い。挨拶などそれこそ適当でいいだろう。

 ひらひらと手を振り、早々にこの場から消えようとしたカイトだが、


「あ、あの!」


 寸でのところで、シルヴィアに呼び止められた。


「ん?」

「此処には一週間ほど留まる予定なんだ。良かったら……また一緒に食事出来ないかな?」


 その誘いに、ポカンテ……とカイトは思わず間抜け面を晒してしまう。

 まさかあのような事件に巻き込まれていながら、それを起こした張本人とまた食事したいなどと言えるとは。少し興味が沸いた。

 カイトの方も一週間ほどでこの街から離れる予定だが、もう一度くらい機会はあるだろう。


「……気が向いたらな」


 そう言って最後にもう一度手を振って、今度こそカイトは夜の闇へと姿を消した。


「……騒がしくはあったけど、お蔭で肩の力が抜けたよ」


 シルヴィアが街巡りをするのは、自分の趣味と、守るべき人々の存在を明確にする為のもの。

 普段は正体がバレる事を避け、あまり人と関わらないようにしている。だが、今回の彼等との出会い、そして与えてくれた刺激は、今まで通りに歩んでいたのでは決して得られなかったもの。

 笑顔、怒号、困惑……。それら多種多様な感情が混ざり合う事で、人々の営みをより実感出来た。


「さて、私も帰るとするか。彼等を守る為の、仕事場へね」


 そんな彼等が脅かされるなど、あってはならない。

 改めて決意を固めシルヴィアは踵を返し、部下の待つ宿舎へと歩を進めた。

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