第25話 邂逅


 再び時間は遡り、カイト達が依頼の為に森に出ている頃。

 場所は南部領総督府。3階建ての豪奢な屋敷の中、普段の凛々しさからは想像出来ない、挙動不審な行動を取る者がいた。


「……誰もいないな」


 『戦乙女』シルヴィア・ハーヴェストだ。

 今日の分の仕事を終えた彼女は、自分に宛がわれた部屋の扉から顔だけ出し、周囲に人影がない事を何度も確認している。そして、ようやく誰もいない事に確信を持つと、そっと扉を閉めた。


「ふふっ、よし!」


 一人切りになった彼女が見せたのは、いつもの涼しげなものとは異なる笑み。

 実に活き活きとした、年頃の少女の顔だ。

 そして、足早に自分の荷物の下まで歩み寄ると、中身を物色をし始めた。


「む、奥に行ってしまったか。えぇい、何処だ、何処に行った?」


 部屋の中に書類や小物が散乱するが、ある物を探しているシルヴィアは気にも留めない。

 副団長の職に就く彼女にとって、仕事は既に人生の基盤となっている。だが、そんな彼女もやはり人間であり、年相応にプライベートを楽しみたいとも思っている。

 故に、公私をしっかりと区別しており、一度仕事から離れてしまえば全力で私生活を楽しむ。


「お、あったあった」


 書類仕事の事などすっかり忘れた彼女は、ようやく目的のものを見つけ出す。

 それは洋服。だが、貴族が着る、煌びやかな礼服などではない。寧ろ真逆。

 何処にでもいる町娘が着るような、質素な素材で作られたワンピースだ。自分の前でそれを掲げてみせたシルヴィアは、一層笑みを濃くする。


「使うか分からなかったが、持ってきて正解だったな。では早速―――」

「また趣味の外出ですの、お姉様」

「ふぁっ!?」


 突如聞こえた声に、普段は決して上げないような声を出すシルヴィア。

 慌てて振り返ると、一体いつ入ってきたのか。そこには彼女の補佐官であるサーシャが、やや呆れたような表情を浮かべて立っていた。


「さ、さささサーシャ!? いつ入ってきたんだ!? の、ノックくらいしろ!」

「ちゃんとしましたの。本当にお姉様は、趣味に没頭すると周りが見えなくなるんですから……」

「そ、そうなのか? あまり自覚はなかったが……」

「嘘ですの。無断で入りましたわ。今の時間帯なら、お姉様の裸体が見れるかもしれないと思いまして」

「欲望に忠実だな、君は!?」


 流石は補佐官、彼女の行動をよく把握している。だが、ここでその能力を発揮してほしくはなかった。

 優秀な部下を持ったものだ……、と能力の無駄使いに思わず呆れてしまう。

 だが、直ぐに気を取り直すと、改めてサーシャの方に向き直った。


「それで、何か用かい? 報告なら手短に、そして簡潔に頼むよ」

「いえ。皆明日の準備を整えており、特にこれといった報告はありませんわ。私が此処に来たのは、お姉様の裸を堪能する為―――」

「出ていけ」


 思わず本気で蹴り出そうと思ってしまうが、寸でのところで堪える。

 いくら今はプライベートとはいえ、一応彼女は人々を纏める立場にある人間だ。この程度の事で怒ってはいられない。ふーっ、と軽く息を吐き、気持ちを落ち着かせた。

 そんな仕事の時に見られない表情に、サーシャは苦笑を浮かべた。


「コホン。まぁ、冗談はさておき。私が来たのは、ただのお見送りですわ。どうせこうなる事は分かっていましたので」

「まぁ、長い付き合いだからね。それも当然か」

「補佐官としては本当は止めるべきなのでしょうがね。いくら我等が副団長、いえ……副団長だからこそ、夜の街を一人で歩き回らせるなど」


 遠征の帰り、道中で何処かの街に寄る事があれば、町娘の格好で仕事を忘れて自由に歩き回る。それがシルヴィアの趣味だ。

 仮定の事情もあり、幼い頃から彼女は武芸を始めとした様々な鍛練に勤しんでいた。だがその分、娯楽とは縁のない生活を送ってきた。普通の女子ならぬいぐるみを使って遊ぶところを、ぬいぐるみを自軍や敵軍に見立てて戦術の勉強をしていた時は、父親すらも引いたほどだ。


(今思い返すと、可愛げのない子供だったんだろうな)


 そんな彼女が自分の生活の異常性を理解したのは、今の職に就いて間もない頃。仕事は大変ではあるが、確固たる地位を獲得した事で多少心にゆとりが出来た。

 そこで部下の勧めもあって休暇を取ってみたのだが、そこで気付いた。気付いてしまった。

 自分には趣味と言えるようなものが、何もない事に。


(部下に趣味は何かと聞かれて、『鍛練』と答えた時の皆の顔……あれは忘れられないな)


 可哀そうなものを見る目とは、まさにあの事だろう。今でも目に浮かぶ。

 そんなシルヴィアの異常性を理解した部下(主にサーシャ)は、少しでも彼女に人間らしい生活をしてもらうよう、様々な事に挑戦させた。馬術に水泳、狩りなどといった貴族らしい嗜みの数々。だが、そのどれもが彼女には合わなかった。

 そして誰もが疲れ果て、少し一服しようかと話になって街に出た訳だが、そこでシルヴィアはハマってしまったのだ。何にと聞かれると表現に困るが、敢えて言うなら街巡りといったところか。

 今まで鍛練続きで碌に出歩く事もしなかった彼女にとって、平民が暮らす街中などもはや異界の土地。だが、それを恐れるような事はなく、寧ろ彼女は人々が行き交う活気溢れるその光景に目を奪われた。その時の興奮が忘れられず、今では態々お忍び用の服まで用意して散策するようになったという訳である。


「確かに役職を鑑みれば、あまり良い印象は受けないだろうが、私も人間だ。多少なりとも娯楽は必要なんだよ」

「まぁ、鍛練馬鹿と言われていたお姉様唯一の娯楽なので、あまり強くは言えませんが……」

「ちょっと待て。皆私の事をそんな風に呼んでいたのかい?」

「このような事態の時にご趣味に興ずるというのは、如何なものかと」

「おい、無視か? それと目を逸らすな、こっちを見ろ」


 確かに、今になって思えば異常だとは思うが、まさかそんな不名誉な名前が付けられていたとは。

 流石にそのアダ名はいただけないと言わんばかりにサーシャの肩を揺するが、当の彼女は決して目を合わせようとしなかった。


「まぁ、今更言ってもしょうがないか……。で、話は戻るけど、こういう時だからこそ休息は大事なんだよ。私達が立つのは、いつ死ぬかも分からない戦場だ。そこでは一瞬の心の揺らぎが、動揺が命取りになる。だけど、常に気を張っていては心は疲弊し、肝心な場面で折れてしまう。そうならない為にも、適度に休息は必要なのさ」


 それともう一つ、とシルヴィアは人差し指を立て、言葉を続ける。


「自分が死ぬかもしれない状況で、冷静でいろと言うのは無理な話かもしれない。だけど、私達の後ろには戦えない人々がいる。私の趣味は、それを再認識する為のものでもあるのさ」

「ふっ……、その高潔さには、頭が上がりませんわ」


 己に試練を課し、戦い続けるのは、全て自分の後ろに立つ力なき人々の為。だが、それは同時に自身を顧みない事を示している。

 だからこそ、サーシャは彼女に付き従う。率先して先陣に立つ彼女の背中を守る為に。


「ですが、サーシャは心配でなりませんの」

「……?」


 しゅる……、と軍服を脱ぎながら、シルヴィアは肩越しにサーシャへと視線を向ける。


「今仰ったように、お姉様も人間。どれだけお強くとも、決して万能ではありませんわ。いつ、何が起こってもおかしくはありませんの」


 すっと目を細め、サーシャは目の前で着替え始めたシルヴィアを見据える。

 堅苦しい軍服を脱ぎ去り、下着だけの姿。その健康的な肌色に、程よく引き締まった腰、そして聖痕スティグマが刻まれた胸。それら全てがサーシャを魅了する。

 同性である彼女がこれなのだ。相手が異性であれば、どういう反応をするかなど容易に想像がつく。


「あぁ、サーシャは心配でなりませんわ……。もし、お姉様が悪い男に誑かされでもしたら。もし、色茶屋などのいかがわしい店に連れ込まれたら。もし、お姉様がそいつ等の慰み者でもなったら……!」

「サーシャ……」


 次々に不安要素を上げていくサーシャに、シルヴィアはここまで慕われている事を喜びを感じる。

 だが同時に、申し訳ないとも思う。ここまで信頼してくれている部下を、常に不安にさせている事を。

 この場合、どう声を掛ければ良いかは分からない。だが、少しでも安心させようと、腕を伸ばし、


「―――それはそれで興奮しまぶるうッ!?」


 思いっ切り鳩尾に拳を叩き込んだ。


「0時になる前には戻る。いつもすまないが、留守を頼んだよ」

「お、お任せを~……」


 着替えを終えたシルヴィアは、うずくまるサーシャを置いて窓際に駆け寄る。

 部下ならまだしも、ゴルティアの兵士にまでこの姿を見られる訳にはいかない。バン! と彼女は両開きの窓を開ける。

 そして、何の躊躇いもなく3階という高さあら飛び降り、夜の街に繰り出した。






「うん、やっぱり街はいいな」


 昼間とはまた違った賑わいを見せる街に、シルヴィアの頬が自然と綻ぶ。

 明るい時間帯は自分の稼ぎの為、生活の為にと多くの人々が行き交う。一方で夜は、一仕事を終えた人々が思い思いに過ごしている。そこに自分も加わる事で、自由というものを実感出来た。


「不満があるとすれば、夜の時間帯にしか出歩けない事か。まぁ、そこは仕事があるし、諦めるしかないな」


 今だけでも十分楽しめているのだ。人の上に立つ自分がこれ以上を求めるなど、流石に贅沢だろう。

 

「さて、何処に行こうか。今回この街に寄ったのは偶然だったからなぁ……」


 いつもなら帰りのルートを調べるついでに、立ち寄れる街の事前調査も行っている。だが、今回は大罪人の捕縛という、急な伝令があって此処に赴いたのだ。

 当然、一体何が有名なのかなど、下調べしているはずもない。かと言って適当に歩いていても、無駄に時間を潰すだけだ。


「こういう時は……」


 ―――ぐぅぅぅ……! とその時、何かの音が鳴った。

 否、何かではない。音の出所は分かり切っている。


「……ふむ、腹が減っては戦は出来ないと言うし、まずは腹ごしらえからか」


 それに、食堂にでも行けば多くの人から話が聞け、この街の情報も手に入る。一石二鳥だ。


「まぁ、その食堂の場所も分からない訳だが……匂いを頼りにすれば、何とかなるだろう!」


 犬か! と傍から見ればツッコみたくなる言葉だが、幸いにも周囲の喧騒にそれは掻き消され、誰も聞いてはいない。

 そうして勢い込んで出発したシルヴィアな訳だったが、


「駄目だ……。食べ物の匂いばかりで、全然分からない……」


 思えば、今は丁度食事時だ。何処の建物からも、美味しそうな食べ物の匂いばかり香ってくる。

 これでは、何処に食堂があるかなど、とても分かったものではない。

 しかも、匂いを頼りに歩き回った所為で、今現在自分が何処にいるかも分からない状況だ。


「……っというか、何で私は人に聞かなかったんだ。それが一番手っ取り早いじゃないか」


 空腹で頭がおかしくなっていたのだろうか。そうだ、そうに違いない。自分の醜態に理由を付け、シルヴィアは何とか冷静さを取り戻す。

 さて……、と落ち着いたところで、彼女は改めて周囲に視線を巡らせる。

 今いるのは、恐らく路地裏といったところか。随分と表通りから離れた所に来てしまったものだ。と、そこで視界の隅で動く人影を捉えた。

 かなり人通りが少ないので、ここで見失っては次はいつ人に会えるか分からない。直ぐにシルヴィアは駆け出し、その人物の下まで歩み寄った。


「すまない、そこの方」

「んあ? 何だぁ、姉ちゃん?」


 つい声を掛けてしまったが、振り返った大男の対応を見て、『失敗した』と僅かに顔をしかめた。

 見た目の第一印象からして荒くれ者のようだ。その上、かなり酔っているらしい。吐き出される息から、鼻を摘まみたくなるほどの酒臭さが伝わってくる。


「あぁ……。実は食事処を探していまして、何処かお勧めの場所をご存知ありませんか?」

「食事処ぉ? ハハァ、それなら良~い所を知ってるぜぇ。どれ、俺が連れてってやるよ」

「いや、場所を教えてくれるだけでいいのですが……」

「いいじゃねぇか、姉ちゃん。ちょっとくらい相手してくれたってよぉ」

「いや、そういうのはちょっと……」


 やはり直ぐにこの場を離れるべきだったか。

 そのニヤけ面からは、明らかに邪まな事を考えていると察する事が出来る。


(サーシャの心配が的中してしまったか……)


 あまり揉め事は起こしたくはないが、この場合は仕方ないだろう。

 シルヴィアは力強く拳を握り、自分の肩を抱いて何処かに連れ込もうとする男を撃退しようとして、


「そこの貴方! 何やってるんですか!?」


 寸前で、凛とした少女の声が路地裏に響き渡った。

 そこにいたのは、民族衣装を着た、明るい金髪を腰まで伸ばす、ベレー帽を被った少女だ。

 中々正義感が強いようだが、今この時ばかりは来てほしくはなかった。


「んん? おぉ、誰かと思ったら、昼間あのガキと一緒にいた嬢ちゃんじゃねぇか! 嬉しいねぇ、両手に花たぁこの事だ!」


 見た目通り、争いごとは得意ではなかったらしい。

 ほんの少し意識を他に向けている内に、瞬く間に少女はシルヴィアと同様に抱えられてしまった。


「ちょッ、離してください! 私はお酌する為に来たんじゃないですよ!」


 プライベートで街を訪れて、騎士という身分を隠して行動している以上、人前で騒ぎは起こさない。それが街の散策を楽しむ上で、シルヴィアが己に課したルールだ。

 だが、一人の少女が危険に晒されている状況で、ルールだ何だと言っているべきではないだろう。一度緩めた拳に、再び力を込める。


「いい加減に―――!」


 そして、今度こそ男の鳩尾に必殺の拳がめり込む―――事はなかった。

 その寸前で、再びこの騒ぎに乱入する者があった。


「必殺~」

「あん?」

キンテキ金的ーック!」

「はごぉ!?」


 何とも間延びした声。そう思った時には、既に声の主は男の股間を蹴り上げていた。

 あっさりとそれをやってのけたのは、一言で言えば不審者。黒髪に黒の服、黒の外套、その中で不健康そうな隈が浮かぶ目元に輝く瞳だけが紅色の少年だ。


「それでも諦めねぇって言うなら―――、二度と使えなくするぞ?」

「ッ……!?」


 腰に帯剣した片手直剣ロングソードから察していたが、どうやら冒険者のような戦闘職らしい。

 自分の倍の身の丈はある大男をも竦み上がらせた彼の眼光、そして放たれる殺気は、歴戦の兵士といっても過言ではないものだ。

 そして、どうやら彼も少女と知り合いらしい。男が去った後、少女は彼の方に近付いていく。


「す、すいません、カイトさん。ありがとうございま―――」

「ありがとうじゃねぇよ、この能天気女が」

「にゅあぁぁあああぁあああああッ!? あ、頭がぁあああぁぁああああッ!?」


 満面の笑顔で近寄った彼女だが、そこにアイアンクローを掛けられる。

 どうやらかなり力強いらしく、ギリギリ……! という音がここまで聞こえてくる。


「面倒事は避けろって言ったよな? それをなぁに一日も経たねぇ内に厄介事に首突っ込んでんだ? この頭の中は空なんですかぁ!?」

「いだだだだッ! で、でも、放っておけないじゃないですか!?」

「他にもやり方あるだろうが! 衛兵読呼んだフリして追い払うとか、ベタなやつが!」

「あ、確かにそういう手もありますねぎゃぁぁああああぁああああああッ!?」

「潰れろ潰れな潰れやがれ」


 まぁ確かに、少年の言う事はもっともだと思う。力なきもの者だから守られていろと言うつもりはないが、無策はいただけない。

 戦場において何の策もなしに敵軍の中に突撃すれば、死を迎えるのは当然。それと同じ事だ。


「あの、そこまでにしてくれないかな?」


 だが、自分の手でどうにか出来たとはいえ、助けようとしてくれた事は事実。こうして痛め付けられるのを傍観する訳にもいかないだろう。

 声を掛けると、不審者然とした見た目の割に、素直に彼女の方に顔を向けてくれた。


「彼女は私を助けようとしてくれたんだ。あまり怒るのは止してほしい」

「お優しいねぇ。けど助けようとしたって、行動に結果が伴わなきゃ意味ねぇだろうが」


 彼の言う事も一理ある。だが、結果を伴わなかったとはいえ、その過程努力を無視して良い訳ではない。


「確かにそうだけど、それでも誰もがあの状況で飛び出せる訳じゃない。それをやってのけた彼女の行動は素晴らしいものだ。ここは彼女の勇気に免じて、ね?」

「……そこまで言われて離さなかったら、俺が悪者みてぇじゃねぇか」


 本当に見た目と中身は大分違うようだ。話が分かる人物らしく、やれやれと肩を竦めながら、彼はあっさりとその手を離した。

 そして解放された少女の下に、シルヴィアは駆け寄る。


「いたた……! これ大丈夫ですよね、頭の形変わってませんよね?」

「あぁ、大丈夫だ。ちゃんと綺麗に整ってるよ」

「チッ……!」

「そこ! 舌打ちしないでくれません!?」

「言っとくけど、さっき『パイを叩き付けて欲しい』って言ったの、忘れてねぇからな?」

「ギクッ!」


 恐らく、この後に折檻されるのだろうなと予想しながら、漫才のような2人のやり取りにシルヴィアは苦笑を漏らす。

 そんな彼女の反応に気付いたのかそうではないのか、どちらかは分からないが、少年の方が改めて視線を向けてきた。


「で、アンタの方は大丈夫なのかよ。大分絡まれてたみたいだけど」

「あぁ、問題ないよ。彼女のお蔭で命拾いした」

「わ、私のお蔭ですか。え、えへへ、何だか照れますね!」

「お前は社交辞令って言葉を辞書で調べてこい」

「いや、これは本心からの言葉なんだが……」

「甘やかさなくていいぞ。コイツは褒めると直ぐつけ上がる」

「え~、私は褒められると伸びるタイプなんですけど」

「よくやった。頑張ったね。偉い偉い」

「物凄い棒読み!?」


 まぁ、彼女が役立った事と言えば、精々連れていかれる時間を引き延ばしたいくらいなので、この対応は仕方ないだろう。

 何処までも辛辣な物言いに少女はむくれ、目の前に当の本人がいるにも拘わらず愚痴を言い始めた。


「う~……いつもいつも人のこと馬鹿にして……!」

「いつもなのかい?」

「そりゃあもう、一日に一回は必ず人の事を馬鹿にしてくるんですよ! 貴女も話を聞いたら絶対同じ気持ちになります! あ、え~と……」


 どうやら、彼女は自分の名前を知りたいらしい。

 一応恩人でもあるし、別に隠す理由はない。


「あぁ、すまない、自己紹介がまだだったね。私は―――」


 だが、そこでもし自分が『戦乙女』シルヴィアだと知られたら、と不安が過る。

 困る事ではないが、プライベートで来ているのに変に気を使われ、堅苦しい思いをするのは御免だ。


「し……シルヴィだ。よろしく」


 咄嗟に、友人が付けてくれた愛称を告げる。

 たった一文字の違いだが、相手は特に疑いもせずに信じてくれた。


「シルヴィさんですね。私はフェリス・ルスキニア、気軽にフェリスって呼んでください。で、こっちが……」

「どーも、田中太郎です」

「思いっ切り適当な名前!? もう、自己紹介くらいちゃんとしてくださいよ!」

「チッ、面倒臭ぇ……。カイト・クラティア、薄汚い傭兵をやってる」


 カイトにフェリス。丸っ切り住む世界が違うようなこの2人が、一体どういう経緯で出会ったのか、少々気になるところだ。

 だが、それは今この場で聞く事でもない。それよりも、シルヴィアはカイトが告げた職業の方に驚いた。


「傭兵……。その歳でかい?」

「よく言われるけど、歳なんざ関係ねぇだろ。問題なのは腕だよ、腕」

「確かに、技術に年齢や性別なんて関係ないね」

「お、話が分かるな」


 騎士団においても、己が権力を笠に、今よりも更に高い地位を寄越せと迫る者が何名もいた。勿論、権力など武力をぶつけ合う戦争では何の意味もなさないと説き、容赦なく叩き潰したが。

 そういった経緯もあってか、彼の『大事なのは技術』という考えには共感出来る。

 一方で、カイトの方は今の会話で、ふとある事が気になったらしい。


「ってか、性別で気付いたけど……この時間帯に女が一人で出歩くのは感心しないぜ。さっさと帰んな」

「か、カイトさんがまともな事を言ってる……!」

「今直ぐ森に放り込んでやろうか?」


 夜行性の魔獣が動き出す森の中に、一人の少女を放り込む。それはもはや死刑宣告に等しい。

 この人ならやりかねない……! とフェリスは顔を引き攣らせた。


「心配してくれてありがとう。でも、私の外出はこれからが本番でね。今帰る訳にはいかないのさ」

「……アンタ、ひょっとして貴族の出か?」

「ッ!」


 何故? と問いそうになったが、慌ててそれを止める。

 そう問うと言う事は認めるているのと同義だ。それに、貴族かと問うた時のカイトの目。

 一瞬だが、そこに言い知れぬ闇が見えた気がした。


「……いや、残念ながら違うよ。此処に居を構えるゴルティア様の下で、メイドとして働いてはいるけどね」

「ふぅん。綺麗な言葉遣いだからもしかしたらって思ったけど、そういう事か。悪りぃな、変な事聞いて」


 なるほど。町娘とは思えない言葉遣いに、女性にとって危険な夜に一人で出歩くという奇妙な行動。

 この2つから、道楽で街を散策する貴族と思ったのかもしれない。

 こじつけくさい推理ではあるが、それでも短期間でこれら2つの情報を得た彼の観察眼は中々のものだ。


(油断出来ないな……)


 先程の眼光といい、そう容易く気を許せる相手になれそうにはない。

 だが、そんな彼女の考えなど露知らず、フェリスがある事を提案した。


「あ、それならシルヴィさんも私達と一緒にご飯食べませんか?」

「ん?」

「あん?」


 唐突な食事の誘いに、シルヴィアだけでなくカイトまでもが首を傾げた。


「だって、今から本番って事は、多分食事もまだなんですよね。私達もまだですし、だったらいっそ皆で食べた方がいいかなって。頼もしいボディーガードも付きますし」

「勝手にボディーガードにするな。お前を守ってるのは仕方なくだ」

「何にしたって、守ってくれる事に変わりはありませんよね?」

「お前……段々といい性格になってねぇか?」

「何処かの誰かさんの影響ですかね?」


 チッ……! と盛大にカイトは舌打ちをする。勝手に連れてきた責任がある以上、やはり放置する訳にはいかないと思っているのだろう。

 一方でシルヴィアの方は、そんな仲睦まじいやり取りを邪魔してはいけないと思う。


「悪いけど、遠慮しておくよ。折角の逢引を邪魔をするのは、気が引け―――」

「いや違いますからね!?」

「コイツとはそんな関係じゃねぇ!」

「ふふっ。必死になって否定するところが、尚怪しいな」


 こうして自分も彼等のやり取りに加わってみると、中々に楽しいものだ。

 だが、それでも2人とは初対面だ。当然相手の事など全く知らず、名前以外は、一体何が好きなのかすらも分からない。


「それに、私達はたった今会ったばかりなのだし、とても会話が弾むとは思えないが」

「大丈夫です! こう見えて食堂の娘ですからね! お客様と話すのは得意です!」

「悪りぃな。言っても聞かねぇんだ、コイツは。だから、アンタさえ良かったら一緒に食わねぇか」


 懸念していた事を告げてみたが、それはフェリスに笑顔で論破されてしまった。

 更にはカイトの方もその熱意に諦めた様子で、シルヴィアを誘う側に回る。2対1、こうなっては断るのも失礼だ。


「……ふむ、ならお言葉に甘えて」

「それじゃ遠慮くなくバンバン食べちゃいましょう! 勿論カイトさんの奢りで!」

「俺かよ!? さっきの依頼で俺も金は入ったけど、財布の中はピンチだって知ってるよな!?」

「自分の分くらいは自分で払うが?」

「いや、それじゃ俺が甲斐性なしって思われる。そんなカッコ悪りぃ真似出来るか」


 文句を垂れながらも、妙なこだわりで結局は自分が払う事を決めるカイト。

 不信感など全く抱かず、何を食べようかと幸せそうな笑顔を浮かべるフェリス。

 そこに帝国騎士の自分と、奇妙な組み合わせだが、これはこれで楽しめそうだとシルヴィアは顔を綻ばせた。

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