第24話 才能の一端

 一方で、当のフェリスは笑えるはずもなく、ただ全力で疾走していた。


「うひゃうッ!?」


 今もまさに、彼女の脇を人間の腕ほどはある毒針が通り過ぎた。

 思わず変な声を上げてしまったが、それを気にする余裕などない。


(無理無理無理無理! 条件は緩いかもしれませんけど、状況が厳し過ぎる!?)


 魔術の使用は、汎用魔術のみ可。軍の一般兵は基本汎用魔術しか使えない為、決してこれで戦えなくなるという訳ではない。

 だが、フェリスは自身が開発した魔術に慣れてしまった。そして応用に慣れてしまえばしまうほど、次第に基礎は忘れられていく。魔術師である彼女が完全に基礎を忘れたという事はないが、実戦で扱うとなれば、やはり差が出てしまう。


(思いっ切り殺気立ってらっしゃる!? 毒針じゃなくて殺気でドスドス刺されてます!)


 加えて相手は、『やんのかワレェ!?』と言わんばかりに殺気を放つキラーホーネット。その数は優に100を超える。

 蜂蜜などで生活を支えられているとはいえ、毒性の蜂も多くいる為、人は彼等を恐れている。それの巨大化版が襲ってきているのだ。とてもではないが、冷静でいられるはずがない。


「でも……」


 逃げ惑いながら、ギリ……! とフェリスは奥歯を強く噛み締める。

 その脳裏に浮かぶのは、つい先日繰り広げたゾルガとの戦い。そしてウルドの凶行。


(また、同じ事があるかもしれない……)


 あれは幸い、カイトの介入によって切り抜ける事が出来た。だが、下手をすれば彼の仲間と判断されかねない危うい現状では、再びあのような事態に陥っても不思議ではない。

 だが、仮にそうなった場合、再びカイトのような人物が現れる可能性は限りなく零に近い。『奇跡は起こり連鎖する』や『奇跡は二度も起こらない』などと言われているが、果たしてどちらになるかは、運を天に任せるしかない。

 もっとも、運に全てを任せた結果、全てを失ったのでは意味がない。


(その時に、また役立たずでなんか終わりたくない!)


 だからこそ多少の無茶ぶりにも、否。これ以上過酷な条件下に置かれたとしても、何処までも食らい付こう。

 自分を育ててくれた大切な人々を、今度こそ自分の手で守る為に。


「―――《風盾ウィンド・シールド》!」

「お?」


 そう改めて決意したフェリスの動きに、変化が見られた。

 自分の後ろに一時的な盾を作り、追手の動きを阻害。動きが鈍ったところで、フェリスは跳躍して大きく距離を取る。

 そして、


「―――《空刃エアロスラッシュ》」


 腰に縄で括りつけられていた瓶を、風の刃で外す。蜂を誘き寄せるもの蜂蜜がようやく取れた事に歓喜しつつ、彼女はそれを地面に叩き付けた。

 酷い目に遭わされた事への苛立ちからそうした訳ではない。事実、割れた瓶から漂う甘い匂いに、何匹かの蜂が群がり始めた。


(ここまでで10分か。……遅かったけど、ようやく気付いたか)


 あの蜂蜜は、別にキラーホーネットが彼女に群がるように仕向ける、餌としての役割の為だけに付けた訳ではない。実際は誘引剤として使用するのが正しい。

 加えて叫ぶのを止め、十分な距離を取った事で蜂も刺激されず、フェリスへの注目も僅かだが薄れた。そこへ花の蜜好物がばら撒かれたとなれば、群がるものも多いだろう。

 だが、それでも集められるのは、全体の十分の一にも満たない数。さぁ次はどうする? とカイトが楽しげに眺めていると、


「もう一度、―――《空刃エアロ・スラッシュ》!」


 再び真空刃を放ち、蜂蜜の下に集まっていた数匹の蜂を切り裂く。

 これまた相手を刺激しかねない行動だが、それを見ていたカイトは素直に感心した。その視線の先には、たった今出来た死骸に、更に数十匹ものキラーホーネットが群がる光景があった。


(蜂の特性を上手く利用したか)


 蜂とは『臭いに極めて敏感』であり、『巣や仲間を守る本能』を持つ昆虫。それは魔獣であるキラーホーネットも例外ではない。

 彼等は威嚇や潰されたりした際、警報フェロモンを出す。そのフェロモンを感知した仲間の蜂が集まり、敵対者に逆襲するという話はよく聞く話だ。もっとも、フェリスは事前に《風盾》を使って距離を取っていた為、そう簡単に反撃に遭う事はないが。

 事前に本で読んでいたのか、それとも何匹か倒した事でそれを察したのかは分からない。どちらにしても、同じ事を何度も繰り返して次々にキラーホーネットを倒した事で、次第に群れは一塊になり始めた。

 それでも、まだ数は全体の半分にも至っていないが。


「―――風よ、我が呼び掛けに応えよ」


 そこへ、フェリスの詠唱に導かれるように風が渦を巻く。

 攻撃する為のものではない。それはキラーホーネットの周囲を覆い、次第に逃げ場をなくしていく。


(いや、それだけじゃねぇ。風でフェロモンの流れを変えて、離れた所にいる連中も集めてるのか)


 加えて風でキラーホーネットを中心部に向けて吹かせ、中に入れるように風の向きを操作してはいるものの、それは逆に内側から外へは出られない事を示している。

 何とも窮屈な虫カゴ、いや。この場合は捕獲用の罠といった方が正しいか。標的の好物で満たされた檻の中、そこに多くの獲物を呼び込む為の穴は設けてられていても、外への出口はないのだから。

 それでも、本能には逆らえない。罠だと分かっていようがいまいが、フェロモンに誘われるキラーホーネットは自らカゴの中に飛び込んでいく。


「そして……!」


 暴風の中に全てのキラーホーネットが集まった時を見計らい、フェリスは右手を頭上に掲げる。


「―――大いなる息吹よ、我が手に集え」

(っ! 魔術の同時発動……!?)


 風の檻を作っている最中にも拘わらず、別の魔術の使用。しかも、詠唱する事で更に威力を上げている。

 無詠唱での術式行使は、必要な過程を省いているので若干魔術の威力は落ちている。だが、速攻性があり、魔力の消費を僅かにだが抑える事が出来る分、一度覚えてしまえば大半の者がこれを利用する。

 つまり何が言いたいのかというと。魔術を使用している状態の中、魔力消費の大きい詠唱を行った上での別の魔術の行使は、魔術師にとって高等技術の一つなのだ。

 ハーフエルフとして生を受け、30年以上生きているとはいえ、生活の基盤は人間のもの。肝心の魔術は本を読んだ上での独学。にも拘らずそのような技術を扱えるのは、十分驚愕に値する。


(こりゃ結構な掘り出し物だな。今はまだ原石だけど、磨けば輝く事は間違いなしっと)


 もっとも、この街で分かれる予定のカイトには、彼女という才能を磨く気は微塵もないが。

 精々妙な人物の下に弟子入りしないよう、外の人間の恐さを教え込むくらいか。


「―――豪気なる鉄槌と化し、彼の者を打ち砕け」


 そんな事を考えているカイトの前で、フェリスは詠唱を完成させる。

 彼の眼前にあるのは、下手な大岩よりも巨大な大気の戦槌。

 圧巻の光景ではあるが、それよりも彼が感心したのは、フェリスが見せた才能の一端だ。

 

「―――《空槌エア・ハンマー》!!」


 そして、戦槌は振り下ろされる。

 普段は全く質量を感じさせない大気だが、風で固定化されたそれは人を圧殺するには十分な威力を持つ。

 しかも、今回の相手は昆虫型魔獣。そんな大質量を叩き付けられればどうなるかなど、火を見るよりも明らか。


「ギ、ギシィアァァアアアァアアアアアアアッ!!?」


 気持ちの悪い悲鳴と共に、グシャ……! と嫌な音が何度も、重なって響き渡る。

 絶叫が耳に届くと同時、潰されていくキラーホーネットの群れ。次々に死骸が生まれ、それらは折り重なっていく。

 その光景は、見る者には巨人に踏み潰される小さな人々に見える事だろう。


「あと必要なのは……冷静さと狡猾さってところかね」


 目の前の戦果に満足そうに頷きながら、カイトはそう告げる。

 最初の慌てっぷりさえなければ、もう少し早く仕事は完遂出来たかもしれない。そこは初心者なので、これからの成長に期待といったところか。

 ともあれ、課題を課した上での初依頼の達成だ。今だけは、素直に労うとしよう。


「おわ、りましたよ……!」

「……やれば出来るじゃねぇか」






「全くもう! ギルド初日だっていうのに、カイトさんの所為で酷い目に合いましたよ!」


 太陽が沈み、薄暗くなった帰り道に、フェリスの恨み節が響く。

 全てのキラーホーネットを撃退した後は、初めての仕事での緊張感もあって流石に疲れたらしく、座り込んでしまったフェリス。なので、もう一つの依頼であった巣の破壊についてはカイトが行い、空となった巣は燃やして完全に抹消した。勿論、討伐の証である核と、巣の断片を持ち帰る事は忘れていない。


「けど、お蔭で報酬以外にも得られるものはあったんじゃねぇの? 色々と」

「う……! そ、そう言われると……」


 指摘されると、フェリスには強く反論する事は出来なかった。

 実はフェロモンについて、彼女は本で読んでいた。それを元に直ぐに行動出来なかったのは、やはり突然のカイトの奇行による動揺という点が大きい。

 だが、戦場で相手が予想外の行動を取ってくるのは当然。計画通りに事が運ぶなど、有り得ないと言っても過言ではない。そういった思い掛けない動きに迅速に対応出来るようにするのも、彼女の課題の一つだろう。


「それはそうかもしれませんけど……もう少し簡単なのが良かったです」

「なら、お前に選択肢をくれてやる。AコースとBコース、どっちがいい?」

「不吉な予感しかしないんですけど……。ちなみに内容は?」

「Aは俺と一緒に高ランクの依頼を受けて、ひたすら実戦を繰り返していくハードコース。Bは寝てる間に改造手術を施し、ドラゴンすらも一撃で粉砕出来る肉体を手に入れる楽々コースだ」

「やっぱり今のままでいいです!」


 冗談抜きで上級依頼を持ってきそうなので、Aコースは却下。改造手術など以ての外なので、当然Bコースも無理だ。

 結論。フェリスが取れる道は、最初から一つしか与えられていなかった。


「まぁ、そうは言ってもビシバシやる事に変わりねぇけどな。明日は依頼の前に俺と近接戦の練習する予定だし」

「早速ですか……。近接戦って事は武術とかですよね? 苦手だなぁ」

「魔術ってのは学問だしな。そいつに長けてるって事は、身体よりも頭を使うタイプになる訳だし、格闘を苦手に思うのも当然だわな」


 三流魔術師の中には、『格闘の出来る術士なんて邪道』という者がいる。だが、それは近接戦では分が悪いが故の言葉だ。

 相応の実力者ともなれば、近接戦の対策を施すか、自分も武術を学んで対応出来るようにしている。


「特に、お前の魔術は中距離に特化してる分、懐に入られると弱い。柔術とか合気道とか、護身術程度に覚えといて損はねぇぜ?」

「確かに、この前身を以て思い知らされました……」


 思い浮かぶのは、神徒イクシードゾルガとの戦い。《司教の氷刃アルマッス》の特性もあったが、やはり剣を扱う以上、接近されてからが厄介だった。

 だが、今から武器の扱いを覚えるとなると、そもそも自分に合った武器選びから始めなければならないので無理だ。そうなると、ある程度武術は覚えておいた方がいいだろう。


「あと武術は直接拳を交わす分、攻守の切り替えしが重要だ。遠距離でバカスカ打ち合う魔術でも、そういう勝負勘ってのは必要になってくる。体力もつくし、一石二鳥だろ」

「な、なるほど……! 分かりました、もうこうなったら何でも来いです!」

「おう、その意気その意気。じゃねぇと俺が虐めてるみたいに思われるからな」


 明日から更に厳しくなっていくであろう特訓。それを想像して意気込むフェリスに対し、カイトはケタケタと笑う。

 軽口を言ってはいるが、彼は今回の事でフェリスの実力はある程度認めている。それを今後どう伸ばせるかは、教育者の腕次第だ。

 魔術に関しては専門家に任せるしかないが、格闘においては今のところ自分が勤めるしかない。であれば一週間という短い期間、自分の持ち得るものを全て叩き込むだけだ。


「ん?」


 明日からの事を楽しみにしていると、唐突にフェリスが声を上げた。


「? どした?」

「いえ、何処かから言い争う声が……」


 そう言われて、カイトも改めて耳を澄ます。

 すると、確かに言い争う男女の声が聞こえてきた。


「いいじゃねぇか、姉ちゃん。ちょっとくらい相手してくれたってよぉ」

「いや、そういうのはちょっと……」


 声を頼りに歩いていくと、音源は路地裏のようだった。こっそり顔だけ出して覗くと、そこには酒に酔った様子の男と迷惑そうに顔をしかめる女の姿が。

 しかも、一方的に女性に絡んでいる大柄な男に、フェリスは見覚えがあった。


「あれって……」

「何だ、知り合いか?」

「いやカイトさんも知ってるはずですよね!? 昼間喧嘩売ってきた傭兵ですよ!」

「……いたっけ、そんな奴」

「完璧に忘れてらっしゃる!?」


 ?……、と首を傾げているところを見ると、本当に覚えていないらしい。面倒な事を直ぐに忘れられるその頭は、ある意味で羨ましい。

 そんなやり取りをしている間にも、男の方は更に強引に女性に迫っていた。このままでは、何処かの酒場か色茶屋などのいかがわしい店に連れ込まれるのも時間の問題だろう。

 もっとも、カイトからすれば、だからどうしたという話だが。


「哀しいねぇ。モテねぇからって無理矢理女を手籠めにするとか、いやいや物騒な世の中になったもんだ」

「って、助けないんですか!?」


 興味を失い、スタスタと歩き始めたカイトに慌ててフェリスは声を掛ける。


「何回も言ってるだろ、『俺の味方は俺だけ』ってのが俺の信条。見ず知らずの人間を助けてやる義理はねぇよ」

「だからって……!」

「それに、助けを呼ぼうともしないって事は、助けはいらねぇって事だろ? 白馬の王子様よろしく、誰かが助けてくれるのを期待して、自分から動こうともしない奴に興味ねぇよ」


 これはカイトの教育方針のようなものなのかもしれない。

 キスク村の一件では、領主ウルドの重税による過酷な現状を知っても、あくまで仕事をこなすだけで助けようとはしなかった。それは、現状の村を救ったところで、強者に従うだけの村人達の意識を変えなければ同じ事を繰り返すだけと思っての事だろう。

 つまり彼は手伝いをするだけであり、根本の解決は本人次第。例えるなら、『獅子は我が子を千尋の谷に落とす』といったところか。


「別の言い方をすれば、ツンデ―――」

「違うからな? 単に興味がないだけだからな? その先を言ったらどうなるか分かってるな?」

「は、はい。分かりましたから……顔が近いですよ?」


 ったく、とカイトは舌打ちを零した後、その場を後にしようとする。

 だが、フェリスだけは動けなかった。


(確かに、カイトさんの言う事は一理あるかもしれません。でも……)


 己が力で立ち上がる事が大切だというのは分かる。だが、世界にいるのは、それが出来る者だけではない。必ず敗者も出てくる。

 恐らく、そこで立ち止まるのなら所詮それまでだと、カイトは切り捨てるだろう。


「……私、ちょっと行ってきます」

「は? ちょ、おい」

「カイトさんは先に行っててください」


 だが、フェリスはそんな零れ落ちていく人々を見捨てる気にはなれなかった。

 制止するカイトの声を無視し、ズンズンと未だ言い争う男女の下に向かう。


「そこの貴方! 何やってるんですか!?」


 勢い込んで突撃し、自分よりも遥かに大柄な人間に、フェリスは果敢に声を上げる。

 対して、その声のした方向へと振り返った男の反応は、


「んん? おぉ、誰かと思ったら、昼間あのガキと一緒にいた嬢ちゃんじゃねぇか! 嬉しいねぇ、両手に花たぁこの事だ!」


 敵意でも嫌悪でもなく、満面の笑顔。

 瞬く間に、もう一人の女性共々その手に抱えられてしまった。


「ちょッ、離してください! 私はお酌する為に来たんじゃないですよ!」

「かてぇ事言うなよ。楽しくやろうぜぇ!」

「う……! この酔っ払い、村の人よりも質が悪いですね……!」

「ハハハッ! こんな美少女に囲まれて、これなら朝まで飲める……おえっぷ」

「もう吐きそうじゃないですか!? 私達に絡んでないでさっさと帰ってください!」

「あぁん? あのガキの顔面に思いっ切りパイを叩き付けろ? オーケー、分かったよ」

「どんな耳してるんですか!? いや、やってほしいですけどね!?」


 どうやら、見た目通りパワータイプの傭兵らしい。必死に抵抗しているものの、全く揺らぐ気配がない。

 このままでは確実に、2人纏めてお持ち帰りが決定してしまう。実力行使も致し方ないかと考えていると、


「必殺~」

「あん?」


 間延びした声が、彼等の背後から聞こえてくる。

 男が足を止め、そちらを見ようと肩越しに視線を向けると、そこにいたのは黒髪紅目の少年傭兵で、


キンテキ金的ーック!」

「はごぉ!?」


 直後に、その股間に叩き込まれる蹴り。

 女性が決して味わえない、男にだけ分かる痛みが、全身を駆け巡る。


「おら、どうだ? 酔いは覚めたかよ?」

「き、綺麗なお花畑がぁ……!」

「カイトさん。何かさっきまでとはまた別の意味で、夢の世界に旅立ちそうなんですけど」


 先程別れたはずの人物が此処にいる事には驚いたが、それよりも今はこの男だろう。

 どれだけ鍛えようが、唯一鍛えられない急所への一撃で、元々酔っていた事もあって男はグロッキーな様子だ。

 そして、相手がカイトだと認めると、更に男の顔色は悪くなった。


「て、テメェは、昼間のぉ……!?」

「悪りぃな、俺にはコイツを守る義務があるんでね。アンタみたいな酔っ払いに手出しさせる訳にはいかねぇんだよ」


 まぁ、と目元に影を落としながら、口角を吊り上げ、


「それでも諦めねぇって言うなら―――、二度と使えなくするぞ?」

「ッ……!?」


 冗談とは思えないその宣告に、もはや男は声を上げる事も出来なかった。慌てて立ち上がると、覚束ない足取りながらもそそくさと逃げていく。

 残されたのは、嵐が去った後の静寂。取り敢えず脅威が去った事に安堵し、ホッと息を吐きながらフェリスは彼の下に歩み寄った。


「す、すいません、カイトさん。ありがとうございま―――」

「ありがとうじゃねぇよ、この能天気女が」

「にゅあぁぁあああぁあああああッ!? あ、頭がぁあああぁぁああああッ!?」


 だが、待っていたのは容赦のないアイアンクロー。

 まるで万力で締め上げられるかのように、ギリギリ……! とフェリスの頭を潰しにかかる。


「面倒事は避けろって言ったよな? それをなぁに一日も経たねぇ内に厄介事に首突っ込んでんだ? この頭の中は空なんですかぁ!?」

「いだだだだッ! で、でも、放っておけないじゃないですか!?」

「他にもやり方あるだろうが! 衛兵読呼んだフリして追い払うとか、ベタなやつが!」

「あ、確かにそういう手もありますねぎゃぁぁああああぁああああああッ!?」

「潰れろ潰れな潰れやがれ」


 助けに行った事は評価に値するが、無策というのはいただけない。

 軽率というか能天気というか、良く言えば純粋だろうか。自分が持ち得ないそれを羨ましくもあるが、同時にアホかと思ってしまう。


「あの、そこまでにしてくれないかな?」


 無計画なフェリスの行動に呆れていると、彼を止める声が聞こえた。

 見ると、そこにはあの男に絡まれていた少女が、やや顔を引き攣らせて立っていた。


「彼女は私を助けようとしてくれたんだ。あまり怒るのは止してほしい」

「お優しいねぇ。けど助けようとしたって、行動に結果が伴わなきゃ意味ねぇだろうが」

「確かにそうだけど、それでも誰もがあの状況で飛び出せる訳じゃない。それをやってのけた彼女の行動は素晴らしいものだ。ここは彼女の勇気に免じて、ね?」

「……そこまで言われて離さなかったら、俺が悪者みてぇじゃねぇか」


 やれやれと肩を竦めながら、カイトは少女の要望に応えて手を離す。

 ようやく万力地獄から解放されるフェリス。痛む頭を押さえてうずくまる彼女の下に、少女は駆け寄った。


「いたた……! これ大丈夫ですよね、頭の形変わってませんよね?」

「あぁ、大丈夫だ。ちゃんと綺麗に整ってるよ」

「チッ……!」

「そこ! 舌打ちしないでくれません!?」

「言っとくけど、さっき『パイを叩き付けて欲しい』って言ったの、忘れてねぇからな?」

「ギクッ!」


 そこまで聞かれていたのか……! と、この後されるであろう折檻を予想し、フェリスの額に冷たい汗が流れ落ちる。

 一方でカイトはそんな彼女の反応を横目に、改めて少女の方に視線を向けた。


「で、アンタの方は大丈夫なのかよ。大分絡まれてたみたいだけど」

「あぁ、問題ないよ。彼女のお蔭で命拾いした」

「わ、私のお蔭ですか。え、えへへ、何だか照れますね!」

「お前は社交辞令って言葉を辞書で調べてこい」

「いや、これは本心からの言葉なんだが……」

「甘やかさなくていいぞ。コイツは褒めると直ぐつけ上がる」

「え~、私は褒められると伸びるタイプなんですけど」

「よくやった。頑張ったね。偉い偉い」

「物凄い棒読み!?」


 確かに、あの状況を思い返せば、今のはお世辞で間違いないだろう。それでも、多少なりとも夢を見てもいいではないか。

 帝国の破壊という理想を掲げているくせに、容赦なく現実を叩き付けてくる彼に、む~! とフェリスは頬を膨らませる。


「う~……いつもいつも人のこと馬鹿にして……!」

「いつもなのかい?」

「そりゃあもう、一日に一回は必ず人の事を馬鹿にしてくるんですよ! 貴女も話を聞いたら絶対同じ気持ちになります! あ、え~と……」


 少しでもこの苦渋を知ってもらいたいと、フェリスは少女に詰め寄る。

 だが、そこで彼女は相手の名前を知らない事を思い出した。そして、少女の方もそれを察したらしい。


「あぁ、すまない、自己紹介がまだだったね。私は―――」


 そして、は、やや言葉を詰まらせながら自身の名を告げる。


「し……シルヴィだ。よろしく」

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